玉村15号

群馬県玉村町 2000年1月訪問

公民館敷地に石室を移築
位置:36°18′08″N 139°07′09″E

石室背後から


左壁


右壁、枕状の石を割って互目積みにしている


(見学記)

町役場近くの公民館に石室が移築保存されています。天井石はなく石室下部しか残っていませんが全長5.8m、無袖式ですが床面に段差をつけて羨道と玄室を区別しています。壁は枕上の安山岩を多角形に割って巧みに積み上げた五目積み、7C後半の古墳です。
側の説明板に”土地改良事業のため軍配山梨の木山両古墳を除く全ての古墳を消滅させるため発掘云々”と書かれていましたが、もうちょっと他に書きようがなかったんでしょうか。公的立場の役所がこれでは困ってしまいます。文化財にもっと愛を。消滅させられたと書かれた中で町内にはまだ幾つかの古墳が残っています。紹介は省きますが概ね神社、祠、墓地があって残っています。やはり神仏は強い、と言うよりはさわらぬ神に祟り無しだったんでしょうね。

梨ノ木山古墳

群馬県玉村町 1992年1月訪問

帆立貝式、R40,H7、5C中
位置:36°17′08″N 139°08′06″E

二重周溝を持つ


前方部は消滅しているようだが後円部は良好


1,2は90年、3,4は2000年


北側が道路で少し削られている


(見学記)

軍配山古墳南東700mにある径40m、高7mの帆立貝式古墳ですが現在は前方部は消滅し円墳のように見えています。2重周溝を持っていますが痕跡さえ分かりません。こちらも水田の中で大変よく目立つ。4C末の軍配山に続く5C中頃の古墳です。町史跡。

軍配山古墳群

群馬県玉村町 1992年1月訪問

円墳、R40,H6、4C後半
位置:36°17′25″N 139°07′47″E

平地の中でかなり目立つ


南側がかなり削られている




(見学記)

町役場南東1.6kmにある径40m、高6mの大型円墳です。元々大きい上に周りが水田の平坦地なので大変目立ちます。名前の由来も天正10年神流川合戦の際滝川一益が陣を構えたことに由来するとか、確かにここなら遠くまで見通せて有利でしょうね。石碑などがあって南側がかなり削られていますが背の高い墳丘はよく残っています。町史跡。
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