奈良古墳群

群馬県沼田市 2005年5月訪問

河岸段丘上に十数基残存、横穴式石室主体

分布図


全景:背後の高台からの眺め


1号
位置:36°39′47″N 139°04′40″E

墳丘、石室正面


羨道


玄室、長3m程度


奥から外、両袖式だが前後にややずれる、天井石が一部抜かれている


2号
石室正面


低い羨道


1枚石の奥壁


奥から外、袖石が平石でまるで支石のよう


3号
墳丘、石垣は後世の物


石室正面、左右の長い石が目立つ


低い羨道


巨礫が敷かれた玄室


奥から外、右の側壁が平石のため、土圧で崩れかけている


4号
天井石が露出した墳丘


奥壁


5号
墳丘


露出した天井石、内部は埋没


6号
墳丘、石室埋没


7号
R15,H3.5

墳丘、墳丘石室とも最大クラス


石室正面


整った玄室、長5m程度、石材に溶岩が冷え固まったような跡がある


一枚石の巨石奥壁


奥から外、外光を遮ってストロボ無しで撮影


8号
墳丘流失、石室露出


石室側面


9号
石室開口部、羨道壊失


小型の玄室ながら奥壁は1枚石


10号
石室正面


玄室、長5m程度、右側に副室入り口がある


副室入り口


副室、奥行き2m程度


奥から外、羨道床面を一段高くして玄室床面を低くしている、7号も同様の構造をしている


11号
墳丘流失、天井石露出


石室側面


奥壁



(見学記)

市内奈良町の広い河岸段丘上にある古墳群で現在十数基が残っています。横穴石室主体でそれ程大きい物ではありませんが割と良好に残っているのが5,6基あります。ここの石室は写真を見て貰うとして特筆すべきは10号墳。群の中でも割と大きな石室ですが玄室の中程に副室があります。玄室長は5m程度でこちらは奥行き2m程、造りもなかなか本格的です。今まで副室のついた石室は幾つも見てきましたが大抵は一番奥辺りにあって奥行きもあまりない物でしたが、こういう石室は初めて見ました(岡山市の二又古墳とはまた構造が違うし)。他に1号と7号で線刻らしきものがあったが本物だろうか、いたずらだろうか。この2基は石材にも溶岩が冷え固まったような跡があってこれも群馬県らしく感じました。ここは土地の公有化がすんで将来は公園になるようです。その時は入れなくなる石室もあるだろうから訪問するなら今のうちですね。

追墓古墳

群馬県沼田市 2005年5月訪問

R13,H3、6C中
横穴式石室、全長6.1m、玄室長3.6,幅2.3m
位置:36°38′46″N 139°04′28″E

石室正面、”ぬまた聖苑”内に石室移築


玄室、広い割に高さが低い、近くにある鍛冶屋地2号に似ている


奥壁


玄室右奥の床面、ここだけ丸石、他は平石が敷かれている


奥から外、天井石がかなりの巨石


(見学記)

国民宿舎ぬまた聖苑内に石室が移築されています。建物脇に巨大な天井石が露出した石室が見えてます。正面から見ると石室前がハの字状に開いてまるで前庭のようですがこれがどの程度元の状態か不明。玄門にも閉塞石(多分)があって中にはいるのが一苦労、でも玄室は結構広く3.6m×2.3mの大きさ、その割に背が低く少し前屈みにならないと立てません。これと似た玄室が近くの昭和村鍛冶屋地2号墳にも見られます。床面には平石が敷き詰められていますが右奥の畳1畳分ほどは玉石が敷かれています。棺か何かがあったんでしょうか。ちなみに古墳の読みは”おっぱこ”です。

秋塚9号

群馬県沼田市 2005年5月訪問

7C初
横穴式石室、全長8.6m
位置:36°40′31″N 139°04′56″E

墳丘、四角く変形している


開口部


細長い玄室、凡そ6mくらい


奥から外


(見学記)

奈良古墳群西側の道を高台の方に登っていって道なりに1.5km程、道路が狭くなる辺りに集落がありその背後に古墳があります。他の古墳は消滅して唯一の生き残り。これも墳丘が四角く変形していて説明板が立っていないと見逃しそう。石室が南側に開口していますがこれも藪に埋もれて側の標柱がないと分かりにくい。石室全長8.6m、羨道の一部は破壊されていますが玄室は完存、長さは凡そ6mくらい、細長い玄室で奥壁は1枚石です。市史跡。
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