四戸古墳群
群馬県東吾妻町(旧吾妻町)2001年2月訪問
24基、6C末~7C前半
1-4号が町史跡
1号
円墳、R10,H1.7
横穴式石室、全長6m,玄室長2.5m
墳丘、石室が露出し屋根が架けられている、画面外だが4号が右手にある

細長い石室、画面下辺りが石室入り口

天井石を失った無袖式玄室、かろうじてまぐさ石が残っている

河原石を使った玄室、小型ながら割と整っている

2号
円墳、R12,H2
横穴式石室、全長5.3m,玄室長2.2m
石室正面、羨道は殆ど壊失、1号と同じく向きは南西

両袖式玄室、1号とほぼ同タイプながらやや大きい

3号
円墳、R10,H1.7
横穴式石室、全長7.1m,玄室長3.5m
位置:36°32′34″N 138°47′45″E
石室が露出、まるで積み石塚のよう

石室正面、南東向き、1,2,4号より一段上の段丘上に立地

玄室、すぐ近くにありながら他とは規模、構造、石室向きとも大きく異なる

5号(仮称)
3号北側の畑の中、天井石が露出、内部は埋没

(見学記)
河岸段丘上にある横穴石室を主体部とした古墳群で1-4号が町の史跡に指定されている
1号
径10m、高1.7mの円墳で墳丘は比較的残っているが天井石を失った石室が露出、覆い屋根が架けられていて標柱が立っている。全長6m大変細長い石室で丸みを帯びた河原石乱石積みで奥壁はやや細長い石を4個重ねている。
2号
径12m、高2mの円墳で1号のすぐ西側にある。羨道は殆ど壊失しているが玄室が残り天井石も一部残っている。1号よりやや大きいが同じ様なタイプの石室です。
3号
径10m、高1.7mの円墳で1,2号より1段上の段丘上にある。一見積み石塚のようで石がごろごろしている。石室が露出全長7.1mだが羨道は壊失しているようだ。1,2号のすぐ側にありながら石室の形態が大きく異なっている。1,2号の整った小型の石室に比べ、石室の規模、石材は大きいが形態その物は平凡な感じ。向きも1,2号の南西向きに比してこちらは東南向きです。ここから北側の畑の中にも幾つか古墳が見えている。
4号:1号すぐ東側にあり耕作中に偶然発見されたそうだが現在は民家の庭先にある感じ。訪問当日は石室が雪に埋もれてみることが出来なかった、残念。
24基、6C末~7C前半
1-4号が町史跡
1号
円墳、R10,H1.7
横穴式石室、全長6m,玄室長2.5m
墳丘、石室が露出し屋根が架けられている、画面外だが4号が右手にある

細長い石室、画面下辺りが石室入り口

天井石を失った無袖式玄室、かろうじてまぐさ石が残っている

河原石を使った玄室、小型ながら割と整っている

2号
円墳、R12,H2
横穴式石室、全長5.3m,玄室長2.2m
石室正面、羨道は殆ど壊失、1号と同じく向きは南西

両袖式玄室、1号とほぼ同タイプながらやや大きい

3号
円墳、R10,H1.7
横穴式石室、全長7.1m,玄室長3.5m
位置:36°32′34″N 138°47′45″E
石室が露出、まるで積み石塚のよう

石室正面、南東向き、1,2,4号より一段上の段丘上に立地

玄室、すぐ近くにありながら他とは規模、構造、石室向きとも大きく異なる

5号(仮称)
3号北側の畑の中、天井石が露出、内部は埋没

(見学記)
河岸段丘上にある横穴石室を主体部とした古墳群で1-4号が町の史跡に指定されている
1号
径10m、高1.7mの円墳で墳丘は比較的残っているが天井石を失った石室が露出、覆い屋根が架けられていて標柱が立っている。全長6m大変細長い石室で丸みを帯びた河原石乱石積みで奥壁はやや細長い石を4個重ねている。
2号
径12m、高2mの円墳で1号のすぐ西側にある。羨道は殆ど壊失しているが玄室が残り天井石も一部残っている。1号よりやや大きいが同じ様なタイプの石室です。
3号
径10m、高1.7mの円墳で1,2号より1段上の段丘上にある。一見積み石塚のようで石がごろごろしている。石室が露出全長7.1mだが羨道は壊失しているようだ。1,2号のすぐ側にありながら石室の形態が大きく異なっている。1,2号の整った小型の石室に比べ、石室の規模、石材は大きいが形態その物は平凡な感じ。向きも1,2号の南西向きに比してこちらは東南向きです。ここから北側の畑の中にも幾つか古墳が見えている。
4号:1号すぐ東側にあり耕作中に偶然発見されたそうだが現在は民家の庭先にある感じ。訪問当日は石室が雪に埋もれてみることが出来なかった、残念。