群馬県藤岡市 1992年1月訪問、1999年3月再訪
鮎川と鏑川の合流点付近、河岸段丘状に分布する大古墳群
皇子塚古墳円墳、R31,H6、6C後半
位置:36°15′21″N 139°02′43″E
段丘下にある宗永寺からの眺め、左手前が平井地区1号、右奥が皇子塚

90年当時、横穴石室は埋戻し

99年、周囲が整備された、左後方が平井地区1号

墳丘
平井地区1号墳丘、石室は埋戻し
平井地区2号1号東側崖際にある2基の古墳、右が2号で左が2号北古墳
平井地区2号北古墳崖面の葺石か、かなり省力型の墳丘のよう

墳頂に露出する石室

石室内部
喜蔵塚古墳方墳?、L25,H4、7C末
横穴式石室、玄室長2.6,幅2.1,高1.8m
位置:36°14′45″N 139°02′14″E
石室正面

羨道、セメントで補修されている

切石巨石を使った玄室

奥から外
白石稲荷山古墳前方後円墳、TL140,R90,FW62,RH12.6,FH4
位置:36°15′04″N 139°02′37″E
段丘下からの眺め、朝日を浴びて赤くなった墳丘、現在はゴルフ練習場が出来て見づらくなっている

後円部(北側から)段丘端にあるのがよく分かる

右手が前方部

段丘上からの眺め、右手の前方部はかなり大きいが目立たない

墳丘直下から

前方部から後円部

くびれ部にある円墳
宗永寺裏西古墳前方後円墳
前方部端あたり
宗永寺裏東古墳前方後円墳
位置:36°15′30″N 139°02′42″E
段丘上からの眺め、墓地となって大きく変形、遠方が鏑川の流れ

舟形石棺(宗永寺境内に保存)
七輿山古墳前方後円墳、L146,R85,FW103,RH17,FH18
位置:36°15′29″N 139°02′35″E
東から、墳丘は良好だが後円部東側が大きく削られている

墳丘南側側面

西側前方部隅から
堀越塚古墳円墳、R25,H2.5
横穴式石室、玄室長3.8,幅2.6,高2.2m
位置:36°14′47″N 139°02′45″E
民家脇にある墳丘

石室開口部、羨道は壊失

やや胴張りの玄室

奥から外

天井石
猿田支群左後方が皇子塚古墳、一段低い段丘上にあるのがわかる

下郷支群畑や林の中に点々とある

石室?


(見学記)白石古墳群鮎川左岸の段丘上に南北約1.5kmにわたって分布する古墳群で幾つかの支群に分かれています。
七輿山古墳群北端にある全長146m高18.6mの大型前方後円墳です。墳丘は良好、3重周溝を巡らし(外側は前方部正面のみ)中堤も一部残存、南側には台地を削った跡がよく残っています。数字的には白石稲荷山古墳とあまり変わりませんがこちらの方が圧倒的な重量感があります。後円部東側中断が少し削られていてそこに多数の羅漢像が並んでいますがすべて首が無くなっているのが何とも無惨。国史跡。
皇子塚古墳宗永寺から南側の段丘上を見ると2基の古墳が並んでいるがその南側が皇子塚古墳で径31m、高6m四段築成の円墳です。現在は二段のように見えすぐ側に低い古墳があるのでずいぶん高く見えます。南側に石室があり前庭を伴う複室構造両袖式で全長8.33m前庭から前室までは河原石の乱石積みですが玄室が凝灰岩切石積み、6C後半の構築され7C前半の追葬が確認されています。すぐ北側にあるのが平井地区1号でこちらは丸く低い墳丘で径24m、高3.5mの円墳。こちらも凝灰岩切石積み、両袖式の石室がありますがなんと北向きに開口(崖だよ)、皇子塚に遠慮したのか、儀式の場を下から見られるようにしたのか。現在共に石室は埋め戻して見られない。共に県史跡。
すぐ東側崖際に大小2基の古墳がある。そのうち小さい方に半壊した横穴石室が見えている。小さいくせに一人前に石室を持っているなと思ったら崖面に葺石が並んでいて下から見ると大きく見えるようにしている。本来盛り土はもう少しあったと思うがそれにしても究極の省力古墳だ。ただしこの様子は現在見ることは出来ない。
宗永寺裏東・西古墳七輿山東側にある宗永寺境内にある前方後円墳です。全長は東が30m、西が48mですが現状は細長い高まりが残っているだけで面影はまるでありません。境内に東古墳から出土したとされている舟形石棺の身が安置されています。多少割れていますが縄掛け突起四つかなり削られた状態で残っています。
白石稲荷山古墳古墳群のほぼ中央、台地の東側崖際にある全長175m、高13.5mの前方後円墳です(この数値は資料によってかなり異なる、この数字は現地説明板による)。半球形の後円部ははっきりしていますが低く幅の広い前方部は周囲がはっきりしません。ほぼ裸の状態で普通このような場合航空写真で見るとその形がよくわかる物ですが、この古墳の場合どこに墳丘があるかよくわかりません。それくらい周囲がなだらかになっています。後円部北側に陪墳の十二天塚があるが高まりが見える程度。くびれ部東側にも円墳がある。以前は下の県道からもよく見えていましたがゴルフ練習場が出来て景観が少し悪くなった。国史跡。
下郷支群稲荷塚南西、下郷地区の低位段丘上にある支群でおよそ20基確認できました。龍泉寺南側民家の宅地内に市の史跡の堀越塚古墳がある。円墳とも前方後円墳とも言われているが墳丘は大きく損なわれている。家の裏に横穴石室が開口、羨道は壊失玄室のみ残存胴張りドーム上で奥壁側壁とも自然石乱石積み模様積みの影響か?扁平な小石が所々に差し込まれています。墳丘上に説明板が立っていますが高すぎて目の悪い人では読めないよー。寺西側に前方後円墳に似た地形があるがこれが萩原塚か、でも「前方後円墳集成」では湮滅と書かれている。この側に群の中で比較的保存状態のいい円墳が2基ある。
猿田支群皇子塚東側低位段丘上にある支群で5,6基残存。比較的大きいのが1基ある他は小型、中には段丘崖の崩壊で半壊状態の物もある。ナニのホテルが古墳に取り囲まれている。何もこんな所に建てなくてもいいのに思ったが、こんな場所でカメラを抱えた男がウロチョロしていたらやはり怪しまれるかなー。
喜蔵塚古墳群南西端に孤立して存在する。白石保育園西側の道路脇に説明板があるが古墳はこの北側田村氏宅地内にある。高20m、高6m(そんなに高いとは思えないが)の終末期の円墳、南向きに両袖式石室が開口、全長6.6mで凝灰岩の切石造り、玄室は特に大きな石が使われ天井石も一枚石。石の隙間にセメントの補修の跡があるのがちょっと残念。市史跡。