戸塚神社古墳

群馬県藤岡市 1992年1月訪問

前方後円墳、TL53,R30,FW41,RH2.5,FH4m、6C後半
石室全長8.1m、玄室長4.4,幅2.65m
位置:36°14′35″N 139°05′35″E

露出した石室


石室正面、内部はかなり埋没


奥から。玄室袖部辺りかな


(見学記)

上戸塚にある全長64mの前方後円墳です。前方部に神社があり多少変形しているようですが前方部の発達した墳形がよくわかります。後円部南側に石室が開口、全体がフェンスに囲まれ中には入れませんが、内部も多少崩れているようです。両袖式胴張り玄室自然石乱石積みです。市史跡。

諏訪神社古墳群

群馬県藤岡市 1992年1月訪問、1999年3月再訪

諏訪古墳
前方後円墳、TL58,R37,RH5、6C後半
横穴式石室、全長6m
位置:36°14′12″N 139°05′03″E

全景、上に神社が乗っている


石室開口部


羨道、途中から切石積みになっている


羨道奥


切石積みの見事な石室


奥から外


諏訪神社北古墳
円墳

墳丘、石室正面、諏訪古墳と同じ神社境内にある


羨道


切石積み玄室


奥から外


(見学記)

市内大戸町にある諏訪神社境内にある全長52mの前方後円墳ですが上に大きな社殿があり周囲も石垣に囲まれて前方後円墳という感じは全くしません。後円部南側に両袖式石室が開口、全長5.9m凝灰岩の切石造りですが羨道半ばから手前は自然石乱石積み、天井石も残っているから後世の物とも思えないし費用の節約、それとも追葬時に増築でもしたのかな。玄室は羨道と同じく側壁がかなり内側に傾いている。奥壁、天井石は巨大な1枚石。奥壁手前床面には棺座を区画する仕切石がある。ここから人骨や武具馬具等が出土、武人を埋葬した古墳のようです。入り口には柵があります、一応。市史跡。
すぐ北側にも円墳があります(「日本の古代遺跡(群馬西部)」では諏訪神社東北古墳、HPでは藤岡4号)。背の低い墳丘ですがこちらも南側に両袖式石室が開口、諏訪神社古墳とほぼ同じ様な構造で玄室は切石、羨道は自然石乱石積みです。こちらも入り口に柵がある、一応。
追記:神社に頼めば針金をあけるためのペンチを貸してくれるそうな。

白石古墳群

群馬県藤岡市 1992年1月訪問、1999年3月再訪

鮎川と鏑川の合流点付近、河岸段丘状に分布する大古墳群

皇子塚古墳
円墳、R31,H6、6C後半
位置:36°15′21″N 139°02′43″E

段丘下にある宗永寺からの眺め、左手前が平井地区1号、右奥が皇子塚


90年当時、横穴石室は埋戻し


99年、周囲が整備された、左後方が平井地区1号


墳丘


平井地区1号
墳丘、石室は埋戻し


平井地区2号
1号東側崖際にある2基の古墳、右が2号で左が2号北古墳


平井地区2号北古墳
崖面の葺石か、かなり省力型の墳丘のよう


墳頂に露出する石室


石室内部


喜蔵塚古墳
方墳?、L25,H4、7C末
横穴式石室、玄室長2.6,幅2.1,高1.8m
位置:36°14′45″N 139°02′14″E

石室正面


羨道、セメントで補修されている


切石巨石を使った玄室


奥から外


白石稲荷山古墳
前方後円墳、TL140,R90,FW62,RH12.6,FH4
位置:36°15′04″N 139°02′37″E

段丘下からの眺め、朝日を浴びて赤くなった墳丘、現在はゴルフ練習場が出来て見づらくなっている


後円部(北側から)段丘端にあるのがよく分かる


右手が前方部


段丘上からの眺め、右手の前方部はかなり大きいが目立たない


墳丘直下から


前方部から後円部


くびれ部にある円墳


宗永寺裏西古墳
前方後円墳
前方部端あたり


宗永寺裏東古墳
前方後円墳
位置:36°15′30″N 139°02′42″E

段丘上からの眺め、墓地となって大きく変形、遠方が鏑川の流れ


舟形石棺(宗永寺境内に保存)


七輿山古墳
前方後円墳、L146,R85,FW103,RH17,FH18
位置:36°15′29″N 139°02′35″E

東から、墳丘は良好だが後円部東側が大きく削られている


墳丘南側側面


西側前方部隅から


堀越塚古墳
円墳、R25,H2.5
横穴式石室、玄室長3.8,幅2.6,高2.2m
位置:36°14′47″N 139°02′45″E

民家脇にある墳丘


石室開口部、羨道は壊失


やや胴張りの玄室


奥から外


天井石


猿田支群
左後方が皇子塚古墳、一段低い段丘上にあるのがわかる




下郷支群
畑や林の中に点々とある


石室?






(見学記)

白石古墳群
鮎川左岸の段丘上に南北約1.5kmにわたって分布する古墳群で幾つかの支群に分かれています。

七輿山古墳
群北端にある全長146m高18.6mの大型前方後円墳です。墳丘は良好、3重周溝を巡らし(外側は前方部正面のみ)中堤も一部残存、南側には台地を削った跡がよく残っています。数字的には白石稲荷山古墳とあまり変わりませんがこちらの方が圧倒的な重量感があります。後円部東側中断が少し削られていてそこに多数の羅漢像が並んでいますがすべて首が無くなっているのが何とも無惨。国史跡。

皇子塚古墳
宗永寺から南側の段丘上を見ると2基の古墳が並んでいるがその南側が皇子塚古墳で径31m、高6m四段築成の円墳です。現在は二段のように見えすぐ側に低い古墳があるのでずいぶん高く見えます。南側に石室があり前庭を伴う複室構造両袖式で全長8.33m前庭から前室までは河原石の乱石積みですが玄室が凝灰岩切石積み、6C後半の構築され7C前半の追葬が確認されています。すぐ北側にあるのが平井地区1号でこちらは丸く低い墳丘で径24m、高3.5mの円墳。こちらも凝灰岩切石積み、両袖式の石室がありますがなんと北向きに開口(崖だよ)、皇子塚に遠慮したのか、儀式の場を下から見られるようにしたのか。現在共に石室は埋め戻して見られない。共に県史跡。
すぐ東側崖際に大小2基の古墳がある。そのうち小さい方に半壊した横穴石室が見えている。小さいくせに一人前に石室を持っているなと思ったら崖面に葺石が並んでいて下から見ると大きく見えるようにしている。本来盛り土はもう少しあったと思うがそれにしても究極の省力古墳だ。ただしこの様子は現在見ることは出来ない。

宗永寺裏東・西古墳
七輿山東側にある宗永寺境内にある前方後円墳です。全長は東が30m、西が48mですが現状は細長い高まりが残っているだけで面影はまるでありません。境内に東古墳から出土したとされている舟形石棺の身が安置されています。多少割れていますが縄掛け突起四つかなり削られた状態で残っています。

白石稲荷山古墳
古墳群のほぼ中央、台地の東側崖際にある全長175m、高13.5mの前方後円墳です(この数値は資料によってかなり異なる、この数字は現地説明板による)。半球形の後円部ははっきりしていますが低く幅の広い前方部は周囲がはっきりしません。ほぼ裸の状態で普通このような場合航空写真で見るとその形がよくわかる物ですが、この古墳の場合どこに墳丘があるかよくわかりません。それくらい周囲がなだらかになっています。後円部北側に陪墳の十二天塚があるが高まりが見える程度。くびれ部東側にも円墳がある。以前は下の県道からもよく見えていましたがゴルフ練習場が出来て景観が少し悪くなった。国史跡。

下郷支群
稲荷塚南西、下郷地区の低位段丘上にある支群でおよそ20基確認できました。龍泉寺南側民家の宅地内に市の史跡の堀越塚古墳がある。円墳とも前方後円墳とも言われているが墳丘は大きく損なわれている。家の裏に横穴石室が開口、羨道は壊失玄室のみ残存胴張りドーム上で奥壁側壁とも自然石乱石積み模様積みの影響か?扁平な小石が所々に差し込まれています。墳丘上に説明板が立っていますが高すぎて目の悪い人では読めないよー。寺西側に前方後円墳に似た地形があるがこれが萩原塚か、でも「前方後円墳集成」では湮滅と書かれている。この側に群の中で比較的保存状態のいい円墳が2基ある。

猿田支群
皇子塚東側低位段丘上にある支群で5,6基残存。比較的大きいのが1基ある他は小型、中には段丘崖の崩壊で半壊状態の物もある。ナニのホテルが古墳に取り囲まれている。何もこんな所に建てなくてもいいのに思ったが、こんな場所でカメラを抱えた男がウロチョロしていたらやはり怪しまれるかなー。

喜蔵塚古墳
群南西端に孤立して存在する。白石保育園西側の道路脇に説明板があるが古墳はこの北側田村氏宅地内にある。高20m、高6m(そんなに高いとは思えないが)の終末期の円墳、南向きに両袖式石室が開口、全長6.6mで凝灰岩の切石造り、玄室は特に大きな石が使われ天井石も一枚石。石の隙間にセメントの補修の跡があるのがちょっと残念。市史跡。

霊符殿古墳

群馬県藤岡市 1999年3月訪問

円墳、R30,H5.5、6C末
横穴式石室
位置:36°14′22″N 139°05′10″E

墳丘、鉄道で少し削られている


羨道、多少模様積みの様子が分かる


玄門、アーチ型に加工したまぐさ石


(見学記)

諏訪神社北東300m線路脇にある古墳です。「前方後円墳集成」では前方後円墳、現地説明板では径33m、高5.9mと円墳となっています。線路で多少削られているようですが背の高い墳丘はよく残っていて西側に周溝の跡も残っています。南側に両袖式石室が開口、全長9mいわゆる模様積みの玄室で、羨道にも多少その傾向が見えます。“珪岩質の転石を中心に細長い棒状の片岩を周りに配した模様積み”(説明板の文章のまま)と説明されていますが、実物を見たことのない人がこの説明でわかるかな。石室は柵があって入れません。市史跡。諏訪神社古墳とこの古墳も小林古墳群に属します。

野見塚古墳群(天満宮古墳他)

群馬県藤岡市 1999年3月訪問

天満宮古墳
前方後円墳
位置:36°14′22″N 139°05′39″E

上部削平、原型をとどめず


他の古墳
水田の中に点々とある








(見学記)

天満宮古墳
字中里にある古墳です。前方後円墳と言うことですが神社があって上部は削平周囲も変形し前方後円墳という感じは全くしません。神社を乗せているただの高まりという感じ。神社の社殿は市の文化財。すぐ西側に円墳がありざっくり削られていますがそこに盛り土の土層が見えています。北側水田の中にも古墳が6基ある。

小林古墳群

群馬県藤岡市 1992年1月訪問

神流川沿いの段丘にある群集墳
位置:36°14′04″N 139°05′18″E

近くの陸橋からの眺め


畑の中の島のように残っている






(見学記)

R254と鉄道が交差する北東側、地形図にも塚を示す記号が幾つも見えています。水田の中に古墳が密集していてこの手の古墳群にしては背の高い墳丘が残っています。15基程確認。

伊勢塚古墳

群馬県藤岡市 1992年1月訪問、1999年3月2006年4月再訪

円墳or八角墳の可能性、R27,H6、6C末~7C初
横穴式石室、全長8.7m,玄室長4.8,幅1.8
位置:36°15′47″N 139°02′35″E

墳丘


石室正面


羨道、奥上部の石は梁のように架けられている


模様積み玄室、壁面の素晴らしさは何度来ても感動物だ


玄室左側壁


奥から外


1枚石の天井石


羨道(奥から)


(見学記)
七輿山北方600m鏑川と鮎川との合流地点多角の段丘上にある古墳です。径27m、高6m(この数値も資料によってかなり異なる)と考えられていましたが発掘の結果不正八角形墳(説明板のまま、しかしこの言葉はしっくりこないなー)と推測されています。南側に全長8.9mの両袖式石室が開口、この古墳の最大の特徴である模様積み石室でこの種の石室で入れるのはここだけです(多分)。予備知識なしにここに入ったらさぞびっくりするでしょうね、なんと言ったらいいのかただただ驚くばかり、呪術的な意味合いがあるんでしょうか、それとも単なる装飾(HPの画像を参考にしてください、言葉では説明しにくい)。奥壁は割石を3枚積み、天井石も殆ど1枚の巨大な石が使われているし、玄門などは切石に近い割石が使われていて羨道には石梁様の石が架けられているから巨石の加工運搬技術がなかったわけではないしなー、とにかく石室ファンの方には絶対お勧めの逸品です。現在裾の一部で発掘が行われていますが近くのプレハブで会議中らしく現場には誰もいなくて詳細は聞けず。県史跡。

本郷古墳群

群馬県藤岡市 1992年1月訪問

本郷二子山古墳
前方後円墳、L33,R21,RH7.5,FW11,FH3.9
位置:36°13′47″N 139°05′02″E

住宅街の中に残っている


5号
二子塚のすぐ側


他の古墳






(見学記)

R254と鉄道が交差する南西側、ここにも地形図に塚の記号が幾つか見えている。ここは新しい住宅が多く最初探したときなかなか見つからなくてこれは消滅しているかなと思ったが、不思議なもので一つ見つかると次から次へと見つかり(このようなことは他の古墳群でもしばしば体験する)結局13基確認。住宅地のほぼ中央にあるのが前方後円墳の本郷二子山古墳で全長33m、高7.5m、背はだいぶ低くなっていて周囲も多少削られているようですが前方後円墳の形は残っています。公園でもなく神社や祠があるわけでもなしよく残った物です。すぐ南側に形のいい円墳がありますが「前方後円墳集成」ではここにあるのが前方後円墳の美九里村20号のはずだが湮滅となっているけどなー。群の南端に本郷埴輪窯跡がある。

東平井古墳群

群馬県藤岡市 1992年1月訪問

総数300基以上の群集墳、幾つかの支群に分かれる。保存状況は悪い
47号
円墳
位置:36°13′35″N 139°02′24″E

工場内に保存


他の古墳
比較的大きな方


大半は僅かな高まりが残るのみ


(見学記)

鮎川上流右岸、東平井地区に分布する総数300基以上の古墳群ですが、墳丘が残っているのは少なく削平か畑の中のわずかな高まりや石の集積として残っているのが殆ど。市光工業駐車場内に最大の古墳(と言っても径20m程度)が残っていてフェンス越しに見ることが出来ます。

平地神社古墳

群馬県藤岡市 1992年1月訪問

円墳、R33,H3.5、6C後半~7C初
横穴式石室
位置:36°14′56″N 139°03′24″E

墳丘、石室正面


羨道、中には入れない


玄室、側壁が模様積みになっているのが分かる


(見学記)

市街地西方、美土里小学校南300mの県道脇、R254にも案内板がでています。社殿脇に古墳があり径33m、高3.5mの円墳で、墳丘も良好。南側に両袖式石室が開口、羨道の前はハの字状に前庭が広がっています。ここも模様積みの石室で全長9.7m玄室はやや胴張りの羽子板状です。入り口に柵があって中には入れません。市史跡。
南西側に柄鏡型敷石縄文住居跡があり(同じ案内板に敷石遺構としてでています)覆い屋に保護されて公開されています。縄文遺跡の実物が発掘時以外で見られるのは滅多にないので特に縄文ファンにはお勧め。こちらは県史跡。
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