丑子塚古墳

群馬県前橋市 1997年1月訪問

前方後円墳
位置:36°25′02″N 139°05′27″E

手前が後円部、側の畑に埴輪片が散乱


(見学記)

上細井町にあり南に流れる二つの水路の間の低い丘の南端に位置しています。全長49mの前方後円墳ですが墳丘は全体が薮に覆われていてよく判りませんが,周りに埴輪片が数多く散乱していて古墳であることは間違いないでしょう。

九十九山古墳

群馬県前橋市(旧富士見村)1997年1月訪問

前方後円墳、TL60,R35,RH5.5,FW40,FH5.5
横穴式石室、全長8.3m
位置:36°26′05″N 139°03′52″E

独立丘陵頂にある、鳥居のあるのが前方部のように見えるがそちらが後円部らしい


前方部から後円部


石室開口部


玄室、無袖式で奥が広がる


奥壁


奥から外


(見学記)

独立丘陵の九十九山の頂に位置する全長60mの前方後円墳です。墳丘上に神社がありますが,墳丘は良好です。南側に横穴式石室(長8.3m)が開口しています。無袖式ですが奥に向かってラッパ状に広くなっています。ただ床面に仕切り石,天井にも段差があって玄室と羨道の区別はしているようです。「前方後円墳集成」では石室があるのが後円部となっていますが現地で見た限りではどう見ても前方部に見えるけどなー。

月田古墳群

群馬県前橋市(旧粕川村)1996年2月訪問

現存5基

鏡手塚古墳
前方後円墳、TL28,R17,RH3、6C中
横穴式石室、全長6m
位置:36°25′54″N 139°12′52″E

後円部、下段のように見えるのは地山か


前方部から後円部


石室開口部、内部埋没


粕川村49号
前方後円墳
位置:36°25′52″N 139°12′57″E

民家の庭にある、手前が前方部、盛り土されているようだ


壇塚古墳
円墳、R25,H4、6C後半
横穴式石室、全長7.42m、玄室幅2.05,高1.9m
位置:36°25′56″N 139°12′51″E

遠望


墳丘、周囲は農地整理で低くなっているようだ


石室開口部


玄室、側壁は河原石の乱石積み、奥壁は1枚石、天井も傾いて危険な状態


(見学記)

横穴式石室を持つ壇塚古墳(円墳),鏡手塚古墳(前方後円墳)以外は2-3基残っている程度です。前者は石室内部が崩壊防止の支柱で支えられ,後者は完全に埋没していて共に中に入れません。前方後円墳の粕川村49号は民家の庭になっているようで一応前方後円墳の形は残っているが前方部は大分盛り土されているかもしれない。

庄司原古墳群

群馬県前橋市(旧富士見村)2005年5月訪問

1号を古墳公園として保存、2,4号石室移築
6C後半~7C後半

1号
円墳、R14(基壇を含めるとR24)
横穴式石室
位置:36°27′01″N 139°03′48″E

復元墳丘


石室前に前庭状墓道がある


石室正面


羨道


奥壁


墳丘図(説明板より)


2号
円墳、R20
横穴式石室

上部を失った石室


玄室、榛名山噴出安山岩の転石を使用


玄室斜め上から


玄室斜め上から、玄室に間仕切りがあり奥が一段高くなっている


奥上から


4号
円墳、R16
横穴式石室

上部を失った石室


玄室、見事なまでの切石積み、奥壁は左右対称を意識しているようだ、側壁も切石積み


石室斜め前から


(見学記)

同村横室、緩斜面を削って流れる小川に望む高台に位置する古墳群です。7基が確認されましたが現在は1号が復元保存されて横室古墳公園として公開(駐車場あり)、2,4号の石室が移築されています。1号は周溝を巡らす円墳で2段築成というか基壇の上に円墳を乗せた構造で基壇部の大きさは径24mです。南に開口する石室は前に前庭状の墓道が付いています。石室は柵があって中には入れず。玄室も暗くてよく見えません。2号墳の石室は上部を失っていますが石室は6Cに噴出した榛名山角閃石安山岩の転石を利用した互の目積みで構造がよくわかります。床面には仕切石があって奥の方は丸石を使った敷石を一段高く積み上げています。4号も上部を失っていますが見事な切石積みの石室。特に奥壁は中央に切石の巨石を置きその周囲にも切石を巧く配置して左右対称になるようにしています。あまり見事すぎて現代の補修かと間違えそう。

正円寺古墳

群馬県前橋市 1990年1月訪問

前方後円墳、TL64.5,R40,FW40,RH6.5,FH6.5
位置:36°23′24″N 139°07′30″E

後円部側から前方部、本堂の後ろに良好に残っている


前方部隅から後円部


北側周溝、左が墳丘

総社古墳群

群馬県前橋市 1990年1月訪問、1997年2月再訪

前方後円墳3,方墳2,円1

愛宕山古墳
円墳、R55,H8
玄室長7、幅3.6m
位置:36°24′25″N 139°02′23″E

墳丘


石室入り口、羨道埋没


玄室、家形石棺、細長い玄室の最奥に石棺がある、石室は乱石積みに近いのに石棺の形式は新しい感じ


両袖式


王山古墳
前方後円墳、TL76,R50,FW63、6C前半
公園内に墳丘を復元して保存、殆ど積み石によって墳丘が造られる(一部金網越しに見学できる)県内最長の横穴石室(全長16.37m)を有する(埋戻し)円墳を築造後更に拡張し後から前方部を付け足していることが判明
位置:36°23′30″N 139°03′22″E

前方部から後円部


蛇穴山古墳
方墳、L39,H5、8C初頭
玄室長3,幅2.6,高1.8m
位置:36°24′13″N 139°02′37″E

墳丘、石室正面、すぐ西側にある宝塔山古墳に比べて背の低い台状の墳丘


石室正面、羨道は殆どなく前庭がハの字型に開く、天井石に閉塞石をはめ込んだ加工跡がある


玄室、壁天井とも切石の巨石を使った1枚石で構成、こういう石室は見事だが写真に撮るとアクセントがない


総社二子山古墳
前方後円墳、TL90,R44,FW60,RH7,FH8、6C末
後円部と前方部に石室各1
前方部石室全長8.7m、玄室長4.2,幅2.1m
位置:36°24′30″N 139°02′17″E

墳丘、右手が後円部


後円部側から前方部、2段築成


後円部石室入り口、入室は不可


前方部石室正面


乱石積み玄室、後円部の石室よりこちらの方が古い


両袖式


遠見山古墳
前方後円墳、TL70,R39,FW31,RH6,FH5.5
位置:36°24′24″N 139°02′49″E

状態は一番よくない


宝塔山古墳
方墳、L55,H11、7C後半
石室全長12.4m、玄室長3.2,幅3
家形石棺
位置:36°24′14″N 139°02′29″E

ピラミッド形の背の高い墳丘、周囲は削られている、墳頂は秋元氏累代の墓地


石室入り口、


切石積みの羨道、左右の壁に出っ張りがあり複室構造をなす


玄門、家形石棺、袖石と櫃石を組み合わせた玄門、石棺脚部には格狭間が切られている


石棺、玄室壁、石室全長に比べて玄室が小さく石棺周囲のスペースは余りない、退化しているが整った縄掛け突起


玄門から羨道


(見学記)

王山古墳
中央大橋の西側、県道交差点脇の公園内にある全長72mの前方後円墳です。発掘によると元は積石塚の円墳で後から前方部を付け足したそうです。古墳自体は復元された墳丘の下に埋め戻されていますが積石の一部を金網越しに見ることができ,全長16.4mの細長い横穴式石室の位置も石で表現されています。市史跡。

遠見山古墳
城川公民館の側にある全長70mの前方後円墳ですがかなり変形しているようで一見しただけでは前後が分からない状態です。墳丘自体も篠竹に覆われています。

蛇穴山古墳
総社小学校東にあり低い基壇の上に一段積みの方墳です。載石切り組積み横穴式石室が開口していますが羨道は無く玄室の前がハの字状の前庭となっています。玄室は左右,奥,天井とも各一枚の巨石で出来ていて,ほぼ正方形です。玄門部分の石にに閉塞施設があったことを思わせる切り込みが突いています。国史跡。
なお近くに酒蔵を改造した総社資料館(無料)があります。

宝塔山古墳
総社小学校西にある三段積みの方墳です。こちらも載石切り組積み横穴式石室です。羨道前がやはりハの字形の前庭となっていますが羨道が長く(と言っても羨道の中間の左右側壁が少し出っぱていて羨道,前室となっているようです)さらに奥に玄室いっぱいの大きさの家形石棺があります。石棺には透かし穴があり、足も付いていて仏教の影響があるそうです。国史跡。

総社二子山古墳
全体が公園となっていますが二段築成の墳丘はよく残っています。全長90m,後円径44m,前方幅60mと前方部が大きく後期の前方後円墳の形を示しています。後円部,前方部に横穴式石室がありますが現在前者は大きな石が見えているだけで内部は全く判りません。後者は自然石を使った中規模なものです。国史跡。

愛宕山古墳
二子山の目と鼻の先にある径55m,高8mの円墳です。巨石とまではいかないが大きな自然石を使った横穴式石室が開口しています。羨道が短く(2.3m)玄室が長く(7m)なっています。奥に家形石棺があり縄掛け突起も付いています。残念ながら盗掘穴が開いていますがそこから覗いた感じでは石棺の大きさに比べて内部空間はかなり小さいようです。

塩原塚古墳

群馬県前橋市 2005年5月訪問

円墳、R14,H3
横穴式石室
位置:36°26′36″N 139°03′04″E

墳丘


石室開口部、手前の石は羨道天井石か


石室正面


羨道、玄室は土嚢で埋戻し


(見学記)

市内田口町、国道17号に面した民家裏にあります。墳丘上に背の高い樹木が生えていて目印になるでしょう。墳丘脇に標石が立っていて西側に石室が開口、さて中に入ろうと思ったら土嚢で埋まっていた。石室崩壊防止のため土嚢を詰め込んだようだ。と言うわけで見学できるのは入り口部分だけ。羨道天井石でしょうか前に巨石が転がっています。市史跡。

大室古墳群

群馬県前橋市 1990年1月訪問、1996年2006年再訪

中形前方後円墳3,小形前方後円墳1,帆立貝式1
現在周辺が公園化されている

(90,96年)

前二子古墳
前方後円墳、TL92,R71,FW61,RH12、6C前半
石室全長14m、玄室長5.2,幅1.8m
3基の内の南側、墳丘良好、周りに周溝外堤を巡らす
位置:36°22′59″N 139°11′59″E

前方部隅から後円部


後円部正面、2段築成がよくわかる


後円部南側、中段に石室開口、公園化に伴い石室閉塞


乱石積みの非常に細長い石室、床面に仕切り石がある、赤色顔料で塗られているそうだがちょっぴり赤い感じがするかも


玄室、墳丘規模の割には小さい


両袖式、玄門左右だけでなく上下にも仕切がある


中二子古墳
前方後円墳、TL72,R52,FW44,RH10,FH10、6C中~後半

墳丘、周濠、外堤とも良好に残っている、手前の周濠にはかって水が貯まっていた、石室は不明


手前が後円部


後円部側から前方部、2段築成がよくわかる、墳丘上を樹影が曲線を描く。私の好きな風景


北側周溝


後円部北側外堤


後二子古墳
前方後円墳、TL76,R50,FW60,RH9,FH9
石室全長8.4m玄室長5,幅2.6,高2.3m
2段築成で墳丘良好、下段が幅広く上段が小さい基壇タイプ

墳丘上段、前・中・後の順に形式が新しくなる様子がよくわかる


墳丘上段、後円部南側に石室開口


石室入り口


割石を使った玄室、ここも現在閉塞


両袖式、羨道部は埋没


後二子付き小古墳
前方後円墳、TL36,R27,FW13,RH5

後二子古墳すぐ西側にある陪墳的存在、右手前が前方部


内堀遺跡M1号
帆立貝式、TL35,R26,FW18,RH3.1
元の古墳の上に土をかぶせて墳丘を修復
位置:36°23′15″N 139°11′53″E

丘上からの眺め


緩斜面に立地


陰影のある美しいプロポーション、遠方の林の中に前・中・後二子古墳がある


(06年)
立体模型:地形の高まりを利用しているのがよく分かる


前二子古墳
様変わりした墳丘、下段は盛り土、上段は笹で保護


東から


南側側面


石室正面


長い羨道


中二子古墳
説明の石碑が建った程度で大きな変化無し


外堤北西側から


墳丘北側側面


外堤北東から


外堤南西から


南側側面、外堤上に埴輪が並べられている


後二子古墳
前方部隅から


北側側面


南側側面


前方部から後円部


後円部から前方部


石室用面、シャッター越しに内部を見学することになる


玄室前には更にアクリル板がある


玄室内部、90年当時と比べると左側側壁が少しせり出しているようだ


後二子付き小古墳
墳丘復元、左奥が後二子古墳


後二子と同じく基壇部が幅広いようだ


発掘の結果後円部に横穴石室があった


内堀遺跡M1号
かなり荒れてきた墳丘


内堀遺跡M4号
墳丘、葺石復元、正面の枠は横穴石室だろうか


(見学記)

(2006年)
公園の整備も終わったようなので再訪してみました。北側の駐車場に車を止めてまず目にはいるのが帆立貝式の内堀M1号、端正な姿に復元されていたのに今はすっかり滑り台と化し深い溝が何本も刻まれています(よその復元古墳でもそうだけど子供だけでなく大人が滑っているもんな、ハー)。気を取り直して公園の中に入っていくと後二子付き小古墳が発掘を終えて復元されていました。墳丘上に埴輪も並べられていますがこんなの入らないよな、と思うのは私だけだろうか。基壇の広い後二子古墳に似た墳形のようです。後円部に横穴石室が確認されていますが復元では入り口部分だけが枠で示されています。後二子古墳はほぼ元のまま、埋め戻されていた石室も公開されていますが入り口にシャッターがありこれを通して見学することになります。更に内側にもアクリル板があるけどシャッターがあるのならこれは入らないと思うけどな。玄室左側壁が以前よりせり出しているような感じがしました。中二子古墳に行く途中に古墳群の立体模型があります。現実の地形を見ても平坦な緩斜面のようにしか感じないけどこれを見ると地形の高まりを利用して墳丘を築造しているのがわかります。この近くにも内堀M4号が復元、葺石をした円墳です。中二子古墳はほぼ元のまま(墳丘上にも上がれなくなっているけど)、相変わらず重厚な姿を見せています。一番南側の前二子古墳はすっかり様変わり、下段は土盛り上段は笹を植えて墳丘を保護、殆ど裸の状態になっています。状態よく残っていたのにこれはやりすぎだよな。後円部にあった石室も解体修理をして公開、ここも入り口のシャッター越しに見学となります。内部照明がありますが長い羨道だけで玄室までは見えないようだ。以前は石室は随分高い位置にあったイメージがあったが今見ると随分低い位置にある。以前は堀の下から見ていたせいかな。羨道も随分低かったような気がしたが結構高い。大分埋まっていたんだろうか。それにしてもこういう林の中にある古墳は私好み、こういうのが近くにあればいいなとつくづく思う。

オブ塚古墳

群馬県前橋市 1997年1月訪問

前方後円墳、TL35,R18,FW13,RH3.5,FH2.5、6C後半
石室全長5.5m、玄室長1.6m
位置:36°25′22″N 139°06′03″E

左手が前方部、道路で少し削られているが全体的に良好


後円部石室入り口


玄室


無袖式、両側に僅かに段差がある


(見学記)

勝沢町にある全長35m,高3.5mの小型の前方後円墳です。前方部端が道路で削られていますが他はよく残っています。後円部に無袖式の横穴式石室が開口しています。全長5.5m自然石乱石積みです。市史跡。

伊勢山古墳

群馬県前橋市 1990年1月訪問

前方後円墳、TL67,R42,FW47.5,RH5.5,FH5
位置:36°23′13″N 139°11′01″E

平野にあり立派な石碑も建っているが寂しい場所で忘れ去られた様な感じ


後円部の石室が僅かに見えている
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