南下古墳群

群馬県吉岡町 1997年1月訪問、2001年再訪

現存9基、古墳ごとに石室構造が異なる

案内図


A号
円墳、R20-27,H4、7C末
横穴式石室、全長5.5m,玄室長2.55,幅2.4,高2.4m
位置:36°26′11″N 139°00′45″E

墳丘東側、山寄せ式、傾斜変換点辺りに立地している


墳丘、石室正面


羨道、中央の天井石が一段下がっている


玄室、見事な切石積み


奥から外、両袖式


B号
円墳、R30,H6、7C中
横穴式石室、全長7.2m,玄室長3.45,幅2.5,高3m

墳丘、石室正面、羨道前面が少し削られている


羨道、乱石積み、玄門だけやや切石状


玄室、漆喰の跡があるそうだ


奥から外、両袖式、右側袖石上部にまぐさ石を受ける切り込みがある、滝沢古墳にも同様の加工跡がある


C号
円墳
横穴式石室

墳丘、石室正面、ここだけ東向きに開口している


玄室


奥から外、無袖式


D号
円墳
横穴式石室

石室開口部、鶏舎脇、分かり難い場所に開口


玄室


奥から外、両袖式


E号
円墳、R17,H2、7C末
横穴式石室、玄室長2.76,幅2.13m

墳丘、石室正面、丘頂に立地、方墳の可能性もある


石室開口部、羨道はなく前庭を持つ


切石積み玄室、壁面には鑿の跡も残っている


奥から外、両袖式


(見学記)

関越自動車道西側,南下にあり現存9基で内5基で横穴式石室が開口しています。それぞれ構造が違っていて時代変遷が見て取れて興味深いですよ。案内板が二ヶ所にあります。E号の側に分布図(A~E)がありましたがD号の場所にはどう見ても何もなかったなー(再訪問して発見)。A,B号が町史跡になっています。ここから200m程北のグランド東側にも円墳が2基有り,その東側にも幾つかの高まりが見えますが古墳かどうかは判りません。丸い高まりがあると皆古墳に見えてくる,殆ど病気だね。

A号:豚舎南側にある山寄せ式の円墳です(尤も山の方が削られて豚舎になっていますが。径20m,高4mで非常に大きく感じます。両袖式の横穴式石室が開口しています。載石を使った精巧なもので全長6.5m玄室高2.4mと大きなものです。側壁に石材加工の朱線の跡が残っているそうだが確認できなかった。

B号:A号の東にある山寄せ式の円墳です。径30m,高6mとなっていますがA号の方が大きく感じます。全長約7mの両袖式横穴式石室が開口しています。全長7.2m玄室高3m程で自然石乱石積みですが玄門の所だけに載石が使用されています。一部に漆喰の跡も残っています。

C号:E号の西側,周りが削られて古墳の所だけ突き出ています。他の石室が南側に開口しているのに対してここは東側に開口しています。自然石乱石積み無袖式の横穴式石室でしゃがんで入らなければならない程の大きさです。

E号:径17mの円墳又は方墳で高さも低いです。石室は蛇穴山古墳のを小型にしたような感じで,前庭,玄門,方形の玄室といった構成です。玄室は2m四方程の大きさですがA号のものよりさらに精緻に載石を組み合わせています。

大林1号

群馬県吉岡町 1997年1月訪問

円墳
位置:36°26′08″N 139°00′42″E

墳丘、石室は開口していない、以前は南下F号とししていたが南下に属さない別の古墳だそうです。

滝沢古墳

群馬県吉岡町 2001年2月訪問

円墳、R9,H1.7、7C中
横穴式石室、全長5.5m,玄室長2.73,幅1.88,高1.8m
位置:36°26′38″N 139°00′45″E

移築復元された墳丘、右手に石室があり前面に前庭がある


羨道、側壁は自然石乱石積み、玄門には切石に近い袖石が使われている


玄室


奥から外、両袖式


(見学記)

7C中葉、径9mの小型円墳です。関越自動車道の建設に伴い発掘が行われ、町役場の南側に移築保存されました。墳丘は川原石で葺かれ、横穴式石室があります。自然石乱石積みですが玄門だけ切石に近い石が使われています。石室には柵がありますがすぐ後ろの建物が教育委員会で鍵を貸して貰えます。町史跡。

小倉古墳群

群馬県吉岡町 2005年5月訪問

上野3号
横穴式石室
位置:36°27′37″N 138°59′16″E

小さな墳丘


開口部


小型の玄室


上蟹沢古墳
横穴式石室
位置:36°27′26″N 138°59′44″E

木の根元に開口する石室


玄室、長さ2.5m程度


奥から外、羨道埋没


庚申塚4号
横穴式石室
位置:36°27′30″N 138°59′37″E

天井石の露出した墳丘


巨大な天井石


奥壁、見事な切石積み


左側壁


右側壁


天台古墳
横穴式石室
位置:36°27′36″N 138°59′19″E

上野3号と似たような規模


開口部


玄室内部


(見学記)

県道15号を更に西に行き、渋川市との境辺り小倉地区に多くの石室墳があるようです。あまり状態は良くないのが多いようですが発見できた石室は4基だけ。

上蟹沢古墳
小倉地区の東端辺り町道がT字路をなす角にあります。林になっていて古墳とは見えないが高くなっていて上ってみると木の根元に石室が開口していました。羨道は完全に埋没、玄室もそれ程大きくなく多少埋まっている。

庚申塚4号
小倉地区北側、渋川市との境界をなす道路を東側から行くと大きな建物の裏に裸の小さな墳丘が見えた。これは石室は見えていないがその側にも天井石の露出した墳丘があった。石室内部は殆ど埋まっているが天井石の隙間から中に入ってみるとこれがなんと見事な切石積みの玄室で奥壁と側壁の一部が見えています。外見からは想像できない思わぬ収穫でした。側の畑にも3号がある。

天台古墳・上野3号
更に西に行き、松林の疎林をとおして工場団地が見える辺りの道路際に2基の小さな墳丘があります。東側が天台古墳、西側が上野3号、共に南側に石室が開口、少し埋まっていますが同規模の小型玄室が残っています。はじめは墳丘があまりに小さいので石室があると思わず通り過ぎてしまった。もう少し先の工場門の脇にも古墳があり石材が僅かに見えています。

三津屋古墳

群馬県吉岡町 2005年5月訪問

正八角墳、対角長23.8m、残存高4.5m
横穴式石室
位置:36°25′55″N 139°01′42″E

復元された墳丘、各角には強調用の石が並べられている


墳丘南側から


前庭のある石室正面


大きく破壊された石室、土層の断面が見学できる


石室上から、奥壁を割ろうとした楔穴がある


(見学記)

同町大久保の住宅街の中にありますがちょっと場所が分かりにくい。利根川に架かる上毛大橋を東から渡って2番目の信号を右折、町中の狭い道を行くと案内表示が出ています。古墳自体は正八角墳として全国的に有名になりました。墳丘が復元されていますが一般的な古墳を見慣れた目にはすごく異様に感じます。北側の駐車場から見るとその全貌がよく分かる。南側に前庭を伴う横穴石室があって入り口に扉がありますが鍵は掛かっておらず中に入って見学できます。石室自体はかなり破壊されていて奥壁と側壁の一部が残っている程度、奥壁には割りかけた楔の跡も残っています。ここに置いてあるパンフレットの航空写真を見ると古墳の全容がよく分かります。他に南下古墳群のパンフレットも有り。県史跡。

十石塚古墳

群馬県吉岡町 2005年5月訪問

位置:36°26′20″N 139°01′08″E

大きな墳丘が残る


(見学記)

源平山から県道を北上し、更に西に向かうと高速道ガード手前に大きな墳丘があります。詳細不明。

源平山古墳

群馬県吉岡町 2005年5月訪問

横穴式石室
位置:36°25′40″N 139°01′28″E

石室正面


羨道は側壁の一部が残るのみ


玄門


玄室、奥行きはあまりなく正方形に近い


奥から外


(見学記)

三津屋古墳南西600m、県道15号吉岡バイパス西側にあります。一見古墳などなさそうな場所ですが石室前の標柱が目印になってます。南側に開口した石室は羨道は側壁の一部しか残っていませんが玄室完存、奥行きのあまりない正方形に近いプラン、玄門もなかなか立派です。

穴薬師古墳

群馬県吉岡町 2005年5月訪問

横穴式石室
位置:36°26′29″N 139°00′50″E

大木の下に石室開口


開口部、かなり破壊


石室内部


(見学記)

県道を更に西に進むと道路脇の巨木の下に石室が開口、と言うよりは石室が巨木に抱え込まれている感じですね。石室自体は小型乱石積みで石材も大分抜かれているようです。内部に石仏や五輪塔がある。町史跡。
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