吉田新宿古墳群

栃木県那珂川町(旧小川町)1998年1月訪問

方墳系の古墳群

2号
方墳
98年発掘時、川原石を使った葺石が見えていた


観音堂古墳
方墳、L31
位置:36°44′41″N 140°08′17″E

高い墳丘が残っている


吉田温泉神社古墳
前方後方墳、TL50,R25、4C末~5C初
位置:36°44′48″N 140°08′14″E

前方部、後方部は削平された、近くのバイパス工事で多数の方墳が発見された


吉田富士山古墳
方墳、L30,H3、4C中
位置:36°44′29″N 140°08′22″E

工場敷地内に築山のように残されている




(見学記)

吉田新宿古墳群の主墳でR293,294交差点南東側にある全長50mの前方後方墳ですが後方部は殆ど削平され僅かな高まりが残っている程度です。前方部上には神社が建っています。初期の古墳ですが小川町の3基の前方後方墳の内一番小型で後出する古墳です。国道バイパス建設の際にも多数古墳が検出されていますが現在墳丘が残っているのは,温泉神社古墳とその南側の2,3号だけです。この3基とも河岸段丘上,崖際に立地しています。現在3号墳が発掘中で河原石の葺石が検出されています。今年最初の古墳見学でいきなり発掘現場に出会った。今年は春から縁起がいいぞー。周辺の水田の中出も幾つかトレンチが掘られていて清掃中霜柱がぎっしりで苦労している。なんでも大塚初重先生が見学に来られるそうな,大変やねー。

観音堂古墳
温泉神社古墳南200mにある一辺31mの方墳です。南側に張り出しがありますが現在は神社の階段となっていてあまり目立ちません。ここも立地は他と同様ですがあまり崖すぎて墳丘が浸食によって一部削られています。町史跡。

吉田富士山古墳
八幡塚古墳のすぐ南側にある一辺30mの方墳です。保存状況は良好,周りが庭園となっていてその中の中島のような景観を呈しています。現在小川工業の敷地内に保存されているので見学の際は受け付けを通してから見学しましょう。

首長原古墳

栃木県那珂川町(旧小川町)1998年1月訪問

円墳、R17
横穴式石室
位置:36°45′13″N 140°07′48″E

復元された墳丘、二重周溝を伴う


無袖式の玄室、床面に仕切り石がある


特異な奥壁


奥から外


(見学記)

小川町の南側,R293の旧道と新道の間の段丘上に位置しています。現在墳丘,石室が復元公開されています。前方後円墳という説もありますが周辺が削平されていて発掘によっても分からず径17mの円墳となっています。珍しい2重周溝も検出されています。石室は羨道はないのでしょうか階段状の墓道から玄室となっています。玄室は無袖式で全長5m奥がやや広くなっている羽子板状,奥壁下部にやや大きな石が3個使われている他は左右奥とも川原石の小口積み,床面に仕切石がありますがこれも川原石を2重に並べています。御影石を使った立派な説明台がありますが肝心の説明板がプラスチックを使っているせいか剥がれかかっています。こんなのに金をかけるのならもっと別のことに使って欲しいですね。なお古墳名は「しゅちょっぱら」と読みます。

那須八幡塚古墳

栃木県那珂川町(旧小川町)1998年1月訪問

前方後方墳、TL62,R31,RH6,FW17
位置:36°44′33″N 140°08′19″E

復元整備された墳丘


元々前方部は削平されていた


林越しに望む墳丘


(見学記)

観音堂古墳の南側に墳丘が見えているのが全長62mの前方後方墳八幡塚古墳でかっては前方部が削平され後方部だけでしたが現在は墳丘が復元され形のいい姿を見せています。これも初期の古墳で墳頂の竪穴式石室からはき鳳鏡、粘土塊等が出土していて,墳頂に砂利で石室の形を,白い石で粘土塊を復元しています。県史跡。

熊野神社古墳(升の内古墳)

栃木県那珂川町(旧小川町)1998年1月訪問

前方後円墳
位置:36°44′54″N 140°07′02″E

前方部隅から後円部、雪をかぶっている辺りが後円部、この地域には珍しく丘陵上に立地


(見学記)

小川町中心部から南西の丘陵上にある全長46mの前方後円墳です。この辺りとしては珍しく山の上にある前方後円墳です。前方部端が熊野神社によって少し削られている他は良好(狸の巣穴が多少あり),どっしりした感じの墳丘です。町史跡。

駒形大塚古墳

栃木県那珂川町(旧小川町)1998年1月訪問

前方後方墳、TL64
位置:36°45′31″N 140°07′26″E

墳丘側面、右側の前方部は殆ど削平


前方部から後方部、手前に前方部高まりが僅かに残る、光量不足で色が悪い


陪墳2号


陪墳3号


(見学記)

小川町中心部西側にあり,R293(旧道)他あちこちに案内板がでています(ただ大塚古墳としか書いてないので注意)。全長60mの前方後方墳ですが前方部は殆ど削平されていて僅かな高まりしか残っていません。後方部墳頂から木炭に覆われた木棺が検出され頭の位置から画文帯龍虎鏡出土しています。国史跡。前方部側に3基の陪墳が残っています。こちらは町史跡。

川崎古墳

栃木県那珂川町(旧馬頭町)1998年1月訪問

前方後円墳、TL49,R20,RH4.5,FW30
横穴式石室
位置:36°43′51″N 140°09′17″E

那珂川の河原にある墳丘


前方部から後円部、右手が民家で一部削平されているが残りはよい


石室開口部、ここが玄門、羨道は壊失


やや胴張りの玄室、床面に敷石と仕切石がある


奥壁、那珂川流域ででよく見かけるタイプ


奥から外



(見学記)

那珂川と武茂川の合流点付近にある全長49mの前方後円墳です。殆どの前方後円(方)墳が那珂川右岸にあるのに対して唯一左岸に位置し,一番低位の段丘上にあります。墳丘は南側が大きく削られている北側は良好,後円部に石室が開口しています。民家の裏にあって分かりにくいですが民家の壁に石室入口の案内板があります。これが無ければ見落とすかも知れません。そばにも説明板有り。石室は羨道は壊失していますが玄室は完存,栃木県でも最大級の石室で全長8.2m,幅は中央で3m,奥で1.6mとやや胴張り構造,壁も少し持ち送りとなっています。奥壁が1枚の巨石の他は河原石を多少加工して使い玄門も袖石となっています。床面にも仕切石があります,ここもそうですが仕切石に切り込みがあるのを見かけますが何か意味があるのでしょうか。小川館に実物大の模型が展示されています。県史跡。

唐御所横穴墓群

栃木県那珂川町(旧馬頭町)1998年1月訪問

位置:36°44′27″N 140°09′33″E

唐の御所横穴墓正面、1基だけ離れて存在


内部天井部、中央に棟木、左右は切妻風に刳り抜いている


床面、奥と左右に棺台を作り出している


崖面に水平に分布する横穴群


厩横穴


別の横穴内部


(見学記)

R293を1km程北上すると案内板が出ていてそこから東進すると駐車場と説明板があります。斜面に遊歩道が巡っていて見学することができます。数はそれ程多くありませんが唐御所,姫穴,厩穴など横穴墓個別に固有名が付いているのは珍しいんではないでしょうか。特に唐御所横穴は天井部が桟敷屋根の構造をしていて他との違いを見せています。国史跡。
プロフィール

平家蟹

Author:平家蟹
古墳のお部屋
ブログ館

へようこそ。

基本的には

と同じ内容です。
メール連絡が必要な方は↑からお願いします

ブログ内検索
市町村名、古墳名などを入力して検索してください
最新記事
FC2ブログランキング

更新通知登録ボタン

更新通知で新しい記事をいち早くお届けします

各県市町村別
最新コメント
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示