山崎古墳群

栃木県真岡市 1999年1月訪問

前方後円墳1,前方後方墳1,円墳1,方墳1
墳形の見本市のような古墳群

分布図:2号がやや離れている


1号
前方後方墳、TL33,R18,RH2.2,FW9.5,FH0.8、5C初頭
位置:36°25′56″N 140°03′41″E

右手前が前方部


2号
前方後円墳、TL40、7C前半

畑の中に残る墳丘


横穴石室は埋没


3号
方墳、L15×20,H2.1


4号
円墳、R18,H2.4


(見学記)

森の木地区の北側にある根本山の南側麓近くにある古墳群で県道に案内板が出ています。この古墳群の最大の特徴はたった4基しかないのに前方後円墳(1号、全長33.4m)、前方後方墳(2号、全長40.0m)、方墳(3号、15×20m)、円墳(4号、径18m)と形が皆違うこと、基本4点セットのそろった古墳群です。前のと同じではいやだ、という自己主張の強い人たちだったんでしょうか。と言っても1号は5C初頭、2号は7C前半で200年も間隔がありますけどね。1,3,4号は林の中にひとまとまり、2号はやや離れた畑の中にあり規模はそれ程大きくありませんが形のいい姿を見せています。2号は前方部正面に石室があるそうですが今は見ることは出来ません。同じ山塊に岡古墳群(円墳23基)、根本古墳群(円墳18基)があるそうですが時間がなかったので後ろ髪を引かれながらパス。

八木岡瓢箪塚古墳

栃木県真岡市 1999年1月訪問

前方後円墳
位置:36°25′12″N 139°59′38″E

画像無し

(見学記)

市役所南東3kmR294脇の杉林の中にある全長77mの前方後円墳です。低丘陵の南端に立地、後円部に小神社がある他は保存状況も良好、前方部の長いほっそりとしたイメージの墳丘です。県史跡。

若旅富士山古墳群

栃木県真岡市 2001年2月訪問

前方後円墳2他半壊状態の古墳数基残存

大日塚古墳
前方後円墳、R14,H3
位置:36°23′35″N 139°57′06″E

前方部壊失、背の高い後円部が残る


星の宮神社古墳
前方後円墳、TL34,R20,RH3,FW8.5,FH1.5
位置:36°23′36″N139°57′19″E

右手が前方部、背の低い墳丘が残る


前方部正面、左が御神体の巨石、これが石室奥壁か


(見学記)

中村大塚と同じ河岸段丘上に前方後円墳が2基残っている。

大日塚古墳
前方部消滅、上に神社があるが背の高い後円部が残っている。横穴石室があるそうだが全く見えない。

星の宮神社古墳
長34mの前方後円墳で上部が削平されたのか背は低いが墳形は割と残っている。神社だが社殿はなく前方部端に御神体の割石巨石が祭られているがこれが玄室奥壁と思われる。それにしても栃木県にはこの名の神社が多い。星の宮の名が付いた古墳だけでも幾つもある。

沼尻八幡塚古墳

栃木県真岡市 1999年1月訪問

横穴式石室
位置:36°25′11″N 140°00′24″E

墳丘


玄室側壁、玄室がかろうじて残っている


(見学記)

瓢箪塚東方1km五行川左岸集落内の民家敷地に保存されています。南側に横穴石室が開口、手前に羨道天井石が2枚転がっていて玄室部分が残存、奥壁は2枚の石、左右は小型の割石が使用されています。奥行き2m幅1m程度の小さな石室で入り口部分に竹が何本も生えているからわかりにくい。家の方に古墳を見学させてくださいと言ったら墳頂にある板碑に案内してくれた。以前鹿沼の方から見学に来た人がいるそうだが古墳自体の見学者はあまりいないのかな。

中村大塚古墳

栃木県真岡市 2001年2月訪問

円墳、R25、6C末
横穴式石室、全長8.1m,玄室長4.2,幅1.2-1.4m
位置:36°24′40″N 139°57′25″E

墳丘、石室正面、神社の森の中に背の高い墳丘がある


玄室、天井、この地域でよく見かけるタイプ、やや胴張り、側壁の隙間に土を詰めた跡が残っている


両袖式、玄門には切石を使用


(見学記)

6C末~7C初頭、径25mの円墳で背の高い墳丘が残っています。南側に石室が開口、羨道はかなり破壊されていますが玄室は完存、長4.2mやや胴張りの両袖式で奥壁は1枚石の切石巨石、側壁は拳大の玉石を使ったこの地域でよく見かける構造です。玉石の隙間には小石や泥土が詰められています。一応円墳と言うことですが帆立貝式の可能性もありそう。古墳は中村八幡神社本殿北側にありますが社惣の杜の中で分かりにくい。西側の道から入っていくと良い。市史跡。

森の木古墳群(神宮寺塚古墳)

栃木県真岡市 1999年1月訪問

円墳2基残存

兜塚古墳
位置:神宮寺塚すぐ北側
墳丘がかろうじて残る


神宮寺塚古墳
円墳、R24,H4.2、6C後半
横穴式石室、玄室長6.3,幅1.8-2.2,高2m
位置:36°25′33″N 140°03′32″E

墳丘北側は良好


南側はかなり削られ羨道壊失


やや胴張りの玄室、奥壁は巨石1枚、側壁は小型割石


無袖式


(見学記)

小貝川右岸の低地、森の木公民館裏にある径24m、高4.2mの円墳です。近くの県道に案内板があってそれに従っていくとたどり着けます。ほぼ裸の状態で北側から見ると美しい半球形の墳形を見せています。南側に石室が開口、全長6.3m無袖式胴張り型の玄室で奥壁は巨大な1枚石、左右の壁は小型の割石が使用されています。奥壁には念仏云々(よく読めなかったの文字が掘られ後世の信仰の対象になっていたようです。市史跡。すぐ北側に小型の兜塚古墳があります。

京泉シドミ原古墳群

栃木県真岡市 1999年1月訪問

円墳のみ、残存8基

荒神塚古墳
円墳
横穴式石室
位置:36°29′03″N 140°01′54″E

水田の中の小島のように残っている


石室開口部、内部は埋没


鶏塚古墳
円墳、R18,H2.5、6C後半
横穴式石室、全長5.7m,玄室幅0.8-1.6,高1.2-1.5m
位置:36°28′47″N 140°02′03″E

ケヤキの根本に石室が開口、よく石室が崩壊しなかったものだ、鶏の埴輪が出土したことでこの名がある


羽子板状に奥に広がる玄室、奥壁が2枚の他はこの地域でよく見かけるタイプ


無袖式?


(見学記)

五行川左岸、京泉地区にある総数17基、現存7~8基の古墳群です。地形図からは分かりにくいですが現地に行くと微高地の端に帯状に分布しているのがよく分かります。この中で最も有名なのが(私は知らなかったけどね)、13号墳の鶏塚、鶏の埴輪が多数出土したのでこの名があります。場所は古墳群のほぼ中央案内板も出ています。古墳は民家の敷地内ですが塀の一部が途切れ(ここに説明板あり)古墳に行けるようになっています。ありがたいですね。墳丘は径18m、高2.5m、上に大木が生えていてその根本に石室が開口(よく石室が崩壊しなかったもんだ)、無袖式で全長6m奥に向かって羽子板上に開いています。奥壁は2枚左右の壁は小型の玉石が使われています。県史跡。
最も北側にあるのが1号墳の荒神塚、水田の中に小島のように残っています。巨石を使った横穴石室が見えていますが内部は殆ど埋没。最も南側神社の脇にあるのが17号墳、見やすいのはこの3基くらいで後の古墳はすべて民家の敷地内。

小林大塚古墳

栃木県真岡市 1999年1月訪問

円墳、R20,H3
位置:36°25′11″N 140°02′40″E

画像無し

(見学記)

小貝川右岸の低地、小林地区にある交番南東200mにある古墳です。大塚と言う程には大きくなく径20m高3m位、耕作によって方墳のようになっています。詳細は不明。上に小屋のような物があって神社かなと思って上がってみたら犬小屋で大きな犬が居た。あわてて退散、犬は吠えまくるからでえきれーだ。
プロフィール

平家蟹

Author:平家蟹
古墳のお部屋
ブログ館

へようこそ。

基本的には

と同じ内容です。
メール連絡が必要な方は↑からお願いします

ブログ内検索
市町村名、古墳名などを入力して検索してください
最新記事
FC2ブログランキング

更新通知登録ボタン

更新通知で新しい記事をいち早くお届けします

各県市町村別
最新コメント
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示