大住寺群集墳

兵庫県たつの市(旧龍野市)2014年4月訪問

総数56基、A-G支群に分かれる

A支群 B支群 C支群 D支群 F支群
(クリックでジャンプ)

分布図(説明板より)全て横穴石室墳、A、F支群は実際は最あるもよう


A支群
1号
位置:34°53′39″N 134°33′51″E (日本測地系)
   34.89738563 134.56143933(世界測地系)
墳丘殆ど流失、天井石露出


天井石がずれて隙間から入れる


石室後部は良好に残る、側壁は持ち送りなく石材小型


奥壁はほぼ1枚石


奥から外、無袖かな


墳丘横から、僅かな高まり


3号
A支群の中では一番はっきりした墳丘


天井石が露出


奥壁側が開口


左側の石は天井石にしては小さいような


石室内部、右片袖式、天井石が随分傾いている


土砂が流入、奥壁はすっかり埋没


B支群
3号
横穴式石室、玄室長4.1、幅2.1m(測定値)
位置:34°53′38″N 134°33′56″E (日本測地系)
   34.89710791 134.56282806(世界測地系)
周りがすっかり嵩上げされ窪地の中に墳丘が残る


墳丘石室とも古墳群の中では最も良好


開口部、前上部は壊失


長い羨道も良好に残る


玄室も良好、奥壁基部だけ巨石


ストロボ無しで撮ってもこの程度の明るさ


〃縦位置、側壁上部がかなり持ち送り


奥から外、1本の柱状袖石を立てた右片袖式


〃縦位置


羨道奥から


C支群
1号
墳丘が残るも石室埋没、石材露出


側壁でしょうか、ゴルフボールが飛んできている、後方にも粗大ゴミが散乱


2号
位置:34°53′36″N134°33′59″E (日本測地系)
   34.89655243 134.5636613(世界測地系)
溜池側にある墳丘


東側から見ると池に突き出ているのが分かる、左後方に見えているのがゴルフ練習場


墳丘は割と残る


天井石は2枚残存、かなり破壊


巨石天井石、右側壁は面が綺麗に整えられている


奥から見た玄門辺り、右片袖かな、左にも袖石らしき石が埋め込まれている


石室内部、奥壁は残っていそうだが埋没


3号
よく残る墳丘、C群の中では一番状態が良い


石室開口部、前面は壊失しているようだ


玄室はよく残る


ほぼ1枚石の奥壁


奥から外、右片袖式


4号
これも溜池際にある


墳丘も割と残る


巨石天井石2枚残存、割りかけた矢穴の跡が残っている


入口側から、これ以上下がれない


石室内部、殆ど埋没


左4,右3,中央奥2号、整備されたら雰囲気はいいんですけどね


D支群
1号
位置:34°53′41″N 134°34′01″E (日本測地系)
   34.89794116 134.56421676(世界測地系)
石室の一部と箱式石棺しか残っていない


小型の石室ながら奥壁はほぼ1枚石


蓋石は失っているが板石の側壁が残る、石室の状況を考えるとよく残ったもんだ


底にも敷石、小口部石材の大きさが随分違う


F支群
1号
斜面に高まりが残る


石室状況は悪く石材が幾つか露出する程度


左奥の石材が奥壁でしょうか、手前は側壁かな


1号下方の墳丘

 
(見学記)
たつの市神岡町大住寺、谷筋に分布する古墳群で幾つかの支群に分かれていますが溜池が出来ているなどかっての地形の面影はありません。西側の溜池皿池北側に駐車場がありここに説明板と分布図があります。説明板のすぐ奥にあるのがA支群で見える範囲だけでも十数基の古墳があるけど分布図とはまるで違います。うち石室が開口しているのは2基だけ。それ程大きくなく状態もよくありません。あまりに多いので撮影したのは石室だけ。皿池北側を通って行くと池沿いに4基の古墳が見えてます、これがC支群、かっては谷筋の平坦面を利用して構築されたんでしょうが今では水際に位置する古墳となっています。どれも巨石を使った石室が露出していますが1基で埋没2基はトンネル状態で一応良好に残っているのは1基だけ、巨石1枚石の奥壁右片袖式です。ここは奥池側からも入って行けて一応遊歩道が通っています。一応と書いたのは皿池にゴルフ練習場がありボールが飛んできていてもう何十個も散乱、非常に危険な状態です。幸いこの時は全く飛んでこなかったですけどね。遊歩道が整備されてゴルフボールの危険性がなければいい雰囲気の場所なんですけどね。B群はAとCの間でもあの辺りは盛り土ですっかり整地されているよなと思って行ってみたら大きな墳丘のとこだけ整地されず残っていました。これがB3号、この古墳群の中でも一番良好に残っているんではないでしょうか。長い羨道玄室とも良好、持ち送りのある玄室で袖石を立てた右片袖式、奥壁側壁とも平石を積み重ねています。この南側にあるはずの1,2号は埋められたのかな。分布図と溜池の位置関係からB3をB1と思い込んで北側ばかり探してしまいました。両溜池の中間辺りに野森稲荷神社がありこの境内にあるのがD1号、小型の石室は奥壁と側壁のごく一部しか残っていませんが板石を使った小さな箱式石棺が残っています。中の敷石も板石で作られているようですが石室と比べてこんな小さな箱式石棺がよく残ったものです。この周囲にも幾つか低平な墳丘があるようです。

内山古墳群

兵庫県たつの市(旧龍野市)2014年4月訪問

石室墳30基以上、幾つかの支群に別れる
(支群名も番号も全て仮、番号は「大和國古墳墓取調室」と概ね合わせる)

東支群
1号
玄室長4,幅1.6m(概略値)
位置:34°51′40″N 134°34′41″E (日本測地系)
   34.86433365 134.5753282(世界測地系)
谷の中に入っていってすぐに出会う


屈んで入れる程の開口部


石室内部はよく残っている


〃(縦位置)


下部が末広がりなちょっと変わった形の鏡石


奥から外、右片袖式


墳丘も形よく残っている


2号
これも墳丘が良好に残る


墳頂部に石材露出、大分低くなっているんだろうな


石室正面、天井石がずり落ちかけている


小型の石室内部、奥壁は荒々しいが鏡石らしい石を据える


3号
僅かな高まりが残る


大きく盗掘され墳頂が凹む


4号
微かな高まりがあるだけ


5号
ここも僅かな高まり、墳頂が盗掘で窪む


石材露出、転落したのかな


6号
背後から見た墳丘、良好に残り前の3基とは大違い


山道からの眺め、背後に石材露出


石室正面、羨道天井石露出、開口部が狭く匍匐前進の必要あり


長い石室が良好に残る


玄室も良好、1段下がったのがまぐさ石か


背の高い玄室


奥壁は2列積みとちょっと変わっている


奥から外、右片袖式


羨道奥から、入り口辺りがかなり埋まる、古墳群の中では羨道が一番良く残っている


7号
山道下側に低い墳丘


石材露出、天井石かな


9号
墳丘石室正面、羨道はかなり壊失


横から見ると石室前部が露出、右奥が10号


開口部、天井石が落ちかけている


開口部から見た内部、側壁一部が崩壊


玄室後部は良好、奥壁は右下に小型の鏡石を据える


幅の割に背が高い


奥から外、右片袖かな


10号
良好に残る墳丘、上にあるのはミツバチの巣箱


ここに説明板があるが古墳群規模の割に説明は簡素


開口部、楽々入れる大きさ


開口部から覗いた内部、良好に残っている


やや持ち送りのある側壁


ここも縦長の奥壁、石材の積み方も9号とよく似る


奥から外、右片袖式、まぐさ石がそのまま羨道天井石となる


左10号、右11号


11号
山道で少し削られるが墳丘良好


石室正面、前部はかなり破壊


開口部は楽々入室


玄室良好、側壁はやや持ち送り


縦長の奥壁、石材の積み方も9,10号とよく似る


奥から外、右片袖式、ここの3基はほんとよく似てる


14号
1号上方斜面に高まりがある


加工された石材露出


15号
2号上方斜面、僅かな高まり


奥支群
12号
谷奥どん詰まりにある、正面12,右奥13、12号は僅かな高まりに広く窪み石材散乱


13号
位置:34°51′09″N 134°34′57″E (日本測地系)
   34.85572365 134.57977263(世界測地系)
天井石露出、内部埋没


奥辺りでしょうか


(見学記)
たつの市誉田町内山、西向きの谷筋北側斜面に分布する30基以上からなる古墳群です。溜池脇に柵がありますが鍵はかかってないので自由に入れます。山道を歩くと斜面裾辺りに直線上に何基もの古墳が見られます。あまりはっきりしないのも含めて12基ほどあったでしょうか。墳丘が良好に残っているのもあって入室できる石室だけでも6基もあります。概ね羨道が破壊されていて入るのは容易ですが1基だけ羨道まで長く残っているのがあってここは腹ばいにならないと入れません。一番奥辺りに説明板が立っていてこの脇の2基には墳頂にミツバチの巣箱がありますがそっと見学すれば大丈夫でしょう。更に奥に進むと小さな溜池その更に奥どん詰まりといったような場所に2基の古墳があります。どちらも低い墳丘で1基で天井石が露出している程度です。備前市の大塚古墳群に状況がよく似ているので南側斜面も捜索してみましたが見つかりませんでした。帰ってから南支群や北支群があることを知りましたが見逃してもそれ程惜しいと思うほどではなくホッ。溜池手前に駐車スペース有り。

吉島古墳

兵庫県たつの市(旧新宮町)2003年4月訪問

前方後円墳、TL30,R16,RH2.5,FW11,FH1
竪穴石室
位置:34°55′58″N 134°32′59″E (日本測地系)
   34.93599229 134.54699606(世界測地系)

南からの遠望(右上は拡大図)標高250m、下からの比高200mある


後円部正面


尾根上に立地、手前が前方部


竪穴石室、遠方に揖保川流域を見下ろす絶景の場所


おまけ:古墳から眺めた南側平野部


(見学記)
ここは前期の前方後円墳だしかなり標高の高いところにあるし(海抜250m、比高200m)、どうせ林の中にあるだろうから写真も撮りにくいだろうし、あまり気乗りはしなかったのですが国道29号に案内表示があったのでせっかくだからと思って行ってみました。丘陵の麓にも案内表示がありそこから1本道、とはいえかなり急な山道、息を切らしながら20分ほどで古墳に到達しました。すると古墳はほぼ裸の状態で見学しやすく竪穴石室も見えていました。眼下にはの流域が一望でき、上流は山崎町の宇原地区から下流は多分河口付近まで見えていました。この流域を治めた王の墓でしょうか、それにしても絶好の場所を選んだものです。ちょうど昼時、こういう絶景の場所で昼飯にするのですがあいにく雨が降り始めて慌てて下山しました。麓から見ると尾根上に墳丘が見えているじゃないですか、取りあえず1枚パチリ、天気が良くなったらもう一枚撮りたかったのですが天候が回復せずちょっと気残りでした。国史跡。

養久山19号

兵庫県たつの市(旧御津町)2011年2月訪問

前方後円墳?
双室墳、北石室全長6m、玄室幅1.7,高1.7m
位置:34°50′06″N 134°31′29″E (日本測地系)
   34.83822533 134.52200161(世界測地系)
大きく変形した細長い墳丘


西向きに2基の石室が開口


北石室正面


やや持ち送りのある側壁、右側は土圧で傾いているのかも


中段に鏡石を据えた奥壁


奥から外、片袖式


南石室正面、内部は埋没


側面も露出、北に比べて大分小形


墳丘背後から


(見学記)
たつの市揖保川町本條、古墳群のある丘陵から南側に小さく突き出た尾根の付け根辺りに立地しています(南側は墓地)。西側から登っていくと古墳群の総合案内板がありそこから登ったすぐの所にあります。長円刑の墳丘が残っていて西向きに2基の石室が開口、北石室はよく残っていますが南石室は半分くらい露出内部もすっかり埋まっています。それにしても総合案内板は方位が書かれてなくて分かりにくいったらありゃしない。時間もなかったし権現山で体力と時間を消費したので他の古墳はパスしてしまった。
養久山古墳墓群中の1基ですが明らかに時代が異なるので別立てで記載。

養久山古墳墓群

兵庫県たつの市(旧御津町)2011年2月訪問

前方後円墳2を含む38基

分布図:(案内板から)


1号
前方後円墳、TL32、3C
位置:34°50′14″N 134°31′25″E (日本測地系)
   34.84044729 134.52089055(世界測地系)
尾根上に立地、状態がよい


前方部隅から後円部


後円部から前方部、前方部端が撥状に開くそうだ


2号
箱式石棺2
墳丘


頂部に箱式石棺2基露出


上記反対側から


5号
13×8.5m、南北両端に突出部、壺棺、配石墓
露出した石が配石墓でしょうか


上記反対側から


12、13号
手前が12,奥が13号、一見前方後円墳風


16号
R20
最大クラスの墳丘


古墳
19号近くの丘陵麓、石材らしいのは全く見かけず


(見学記)
前年は時間がなくて19号しか訪問できなかったので再訪してみました。西側にある総合案内板から山道を登ると(それにしてもこの入り口辺りもう少し整備して欲しい)細長い尾根先端を利用した1号があります。前方部が撥型に開く古式の前方後円墳で完全裸の状態なので墳形がよく観察できます。この後尾根沿いの遊歩道沿いに点々とあり標識が設置していますが2号で箱式石棺2,5号で配石墓が見られる程度で大半は僅かな高まり程度です。時間がなければ5号まで見学すれば十分でしょう。結局17号まで行ってその先は急坂になっていたので引き返しましたが後で案内板を見るとその先に前方後方墳の18号があった、失敗。案内板をよく見て目標を決めておけばよかった。帰りも1号からの下り道何も考えず降りていったら道を間違えたようで下の方で道が消えフェンスで行き止まり。元の場所に戻るのに余計な時間が懸かってしまった。なお案内板に駐車場のマークがありますがそこは月決め駐車場、車を停めていいんだろうか。

馬立南古墳群(はっちょう塚支群)

兵庫県たつの市(旧新宮町)2005年3月訪問

急傾斜の尾根筋上、10基以上(7号以外番号仮称)

1号
一番下にある墳丘、内部は埋没しているようだ


2号
尾根筋上から見た墳丘


墳頂部に天井石露出、開口


石室内部、玄門辺り、羨道は埋没


3号
2号から見た尾根筋上方、手前が2号、その奥に4,7号


石室正面


石室内部


4号
墳丘、石室正面


羨道、玄室


奥の天井部が破壊された玄室、三角形の鏡石が印象的


奥から外、若干左に歪んでいるようだ


7号
方墳
横穴式石室
位置:34°53′40″N 134°32′22″E (日本測地系)
   34.897663 134.53672013(世界測地系)
墳丘、石室正面


墳丘、尾根上側から、外護列石が巡っている


石室正面


羨道、玄室、石室が良好に残っている


玄室


奥から外


8号
墳丘、右手に外護列石が見えている


石室正面


羨道


玄室


奥から外


9号
最上部にある墳丘


ここも外護列石が巡っている、直線状で方墳のようだ


開口部


石室内部


(見学記)
馬立古墳群入り口にある小川にかかる橋に案内表示があります(前回来たときこの標識に気づいていたがてっきり馬立古墳群のものだと思ってた(汗))。ここから小川沿いの土手道を500m程歩くと案内表示(何故かはっちょう塚古墳群となっている)があり、ここで小川を渡って(橋はない)対岸に行くともう一つ案内表示がありそれに従って山道を行くとすぐ最初の古墳が見えてきます。まん丸い墳丘(仮称2号)でこれは期待が出来そうと思ったら墳頂部に天井部が露出、小さな開口部から中を覗ける程度で石室には入れない。でもここから上方には古墳が点々と見え開口した石室も見えていた。でもこれはまだ序の口更に上に行くと7号墳の立派な墳丘があり、石室がぱっくり口を開けていました。最近調査されたのか墳丘裾に土嚢が積まれている。方墳で外護列石も巡っています。それにしてもこのような急傾斜の場所によく作ったもんだ&よく残ったもんだ。南側に開口している石室は残存長7m程度こちらも良好に残っています。この周囲にも数基の古墳、更に上にも2基ほど、上の2基も方墳のようで直線状の外護列石が見えています。これから整備されるんでしょうか、樹木が伐採されて見通しがよくなっています。
それにしても午前は上笹古墳群、午後はここと石室三昧、夕方近くでさすがにこれ以上石室がないよう願ってた(でもあったら見ているだろうけど(笑))。

馬立古墳群

兵庫県たつの市(旧新宮町)2003年4月訪問

尾根上に密集、横穴式石室墳32基

分布図


1号(姥塚古墳)
円墳、R18.5,H6、6C後半
横穴式石室、玄室長3,幅3.6,高3.8m
位置:34°53′58″N 134°32′20″E (日本測地系)
   34.90266245 134.53616444(世界測地系)
二段築成の墳丘、背後の尾根上に古墳群が密集


羨道


穿窿式玄室、古墳群の中でこの形式はここのみ


左片袖式


狭い天井、右側が奥壁


3号
墳丘、後に2,4号


4号
墳丘


玄室、このように奥壁下部に鏡石を据えているのが大半


奥から外、右片袖


5号
墳丘


開口部、内部は埋没


6号
墳丘、左後に7号


玄室、割と背が高い


奥から外、左片袖


7号
墳丘


玄室


奥から外、無袖


8号
盗掘で上部に石室露出


9号
墳丘


10号
殆ど削平された墳丘


12号
南側の小川に面している


13号
盗掘で火口のようになっている


14号
墳丘、石室露出


15号
手前、すっかり削平、奥に16,17号


16号
大きく盗掘され石室破壊


17号
墳丘、石室正面


墳丘背後から、背の高い様子がよくわかる


玄室


奥から外、右片袖


18号
小さな墳丘


19号
墳丘、全面が削平


玄室


奥から外、無袖


20号
墳丘


玄室、側壁は殆ど垂直に立っている


奥から外、無袖


21号
一番奥にある


22号
墳丘


玄室


奥から外、無袖、羨道まで良好に残っている


31号
墳丘、左手の尾根先端を整形して構築、背後の母里に1-22号がある


玄室、石材の積み方が荒くなっている感じ


(見学記)
ここも同じ県道に案内表示が出ています。麓に墓地がありそこからすぐ上った神社(と言っても小さな祠だが)の脇に1号の姥塚古墳があります。2段築成の大きな墳丘が残っていて石室が開口、羨道は少し破壊されているが玄室は完存、ドーム状の左片袖式玄室で見上げるほどの大きさ、狭い天井部は3枚の石で構成されています。全体に石は小型、下の方は平石を積んでいますが上の方は角張った石が使われています。この背後の尾根筋に古墳が密集、古墳群であることはわかっていたがいやこれほどあるとはね。説明板に分布図と石室の有無が表示され、密集しているのでそれほど動き回ることがなかったのが幸いでした。石室が見られるのは4,6,7,17,19,20、22号です。ただドーム状の石室は1号のみで他は普通の石室でした。手前は杉林だが奥の方は広葉樹の疎林で背の高い墳丘が残っていることもあって私好み。昨年から始めた古墳壁紙を意識して写真を撮るようになってしまった。小川を挟んで南側の尾根にも古墳があるが見やすいのは31号のみでした。この南方にも馬立南古墳群があるそうだがさすがに食傷気味で探す気にはなれなかった。1号姥塚が県史跡。

天神山古墳群

兵庫県たつの市(旧新宮町)2005年3月訪問

3基

1号
円墳、R18,H5、6C末~7C初
横穴式石室、全長11.5m
位置:34°55′39″N 134°32′46″E (日本測地系)
   34.93071511 134.54338543(世界測地系)
石室正面、羨道天井石が落下


羨道


背の高い玄室


奥から外、説明板では片袖式だが左側には僅かに袖がある


墳丘背後から、手前に3,2号があるが墳丘は殆どない


墳丘石室図(説明板より)


(見学記)
市街地北方、天満神社石段脇に1号の大きな墳丘があります。南側に石室が開口、羨道前面の天井石が落下していますが他は概ね良好。全長11.5mの大型石室で玄室も背が高く持ち送りの少ない構造です。玄門は説明板では片袖式となっていますが左側にも僅かな袖部分があります。すぐ側に2,3号がありますが墳丘は殆ど流れさっていて標柱があるので分かる程度。1号が県史跡。

龍野小学校石棺

兵庫県たつの市(旧龍野市)2005年3月訪問

位置:34°51′52″N 134°32′50″E (日本測地系)
   34.86766658 134.54449828(世界測地系)

四角い縄掛け突起が特徴


蓋しか残っていないようだ


(見学記)
小学校に行ってみたらそれらしき物はない。当日は春休みだったけど幸い校庭で遊んでいる生徒がいたので聞いてみたらさすがに石棺の名前は知らなかったけど形を説明してみたら心当たりがあるらしく親切に案内してくれた。校舎北東隅の岩石園の中に保存されていた。身の方は残っていないようだが(底石は残っているかも)一部欠けた蓋石が残っている。四角い縄掛け突起が特徴的。昨今は学校の中に入りにくくなっているけどここなら外側からでも見学可能。

照円寺石棺

兵庫県たつの市(旧龍野市)2005年5月訪問

家形石棺
位置:34°51′07″N 134°31′22″E (日本測地系)
   34.85516792 134.52005686(世界測地系)

手前が身、奥が蓋石


状態よく残っているが上のブロックが興ざめ


(見学記)
中垣内古墳群の南方1km、照円寺境内にある刳抜式家形石棺です。蓋石も身も良好に残っているようですが身は手水鉢に利用され、蓋石にもコンクリートブロックが載せられているのが残念。身の方は高さに比べて内部の深さが随分浅い。蓋石は四角い縄掛け突起を持ちやや背の高い精美な物です。
プロフィール

平家蟹

Author:平家蟹
古墳のお部屋
ブログ館

へようこそ。

基本的には

と同じ内容です。
メール連絡が必要な方は↑からお願いします

ブログ内検索
市町村名、古墳名などを入力して検索してください
最新記事
FC2ブログランキング

更新通知登録ボタン

更新通知で新しい記事をいち早くお届けします

各県市町村別
最新コメント
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示