洞中古墳群
兵庫県丹波篠山市(旧篠山町)2000年4月訪問、2019年3月再訪
前方後円墳1,円3、現存3(2?)基
(2019年)
円墳、R22,H5
横穴式石室、全長15m、玄室長6.6,幅2.4,高3.5m
丹波最大の横穴石室
位置:35°03′02″N 135°17′29″E(日本測地系)
35.05377109 135.28859264(世界測地系)
南側から見た墳丘、天井石露出、高さは当然今の5割増しくらいあったんでしょうね

背後から

石室正面側から、谷中で左(北側)が低くなっている

石室正面、羨道前部破壊

羨道後部、ここだけでも巨大

玄室、奥壁上部が抜かれているので明るい

玄室奥から、自然光なので石材の質感がよく分かる

〃縦位置

天井、持ち送りがあるのでやや狭い

側壁、石材は結晶片岩でしょうか

反対側、巨石も凄いけどかなり硬い石材、よく加工して運んだものです

2号
前方後円墳、TL35
横穴式石室、全長10.7m、玄室長5.0,幅1.9,2.5m
位置:1号南100m
尾根先端を整形して造られた墳丘、到着時は日陰だったので日が当たるまで2号を先に撮影

尾根切断部

墳丘反対側

後円部席室正面側

開口部、狭いが入るに問題なし

長い羨道、天上の石は結晶片岩のようだ

持ち送りの強い玄室

〃縦位置、奥壁は3段、これはこれで巨石だが1号を見た後ではそれ程感じず

奥から外、両袖式、袖の位置が少しずれているのかな

〃縦位置

狭い天井

側壁、1号に比べればやや小ぶり、でも緻密に積んでいます

〃反対側、やはり結晶片岩のようです

羨道奥から、中央に異物が写っている

(2000年)
1号
石室正面、羨道下部が墳丘裾まで残っている

墳丘背後、奥壁が抜かれている

羨道、玄室、神戸大地震で石材の一部が落下、奥壁が抜かれていたのは以前から

巨石を使った玄室

玄室、天井

奥から外、崩壊した石材が転がっている

3号
小さな尾根を切断して構築された墳丘、現地説明板では2号墳となっている

前方部斜め後方から

後円部西側に石室が開口

玄室

左片袖式、羨道はかなり埋まるが玄室はよく残っている

(見学記)
(2019年)
丹波篠山市曽地中、次の目的地の途中にあるので19年ぶりに再訪してみました。改めて見てみると狭い谷間の中、2号の前方後円墳に至っては谷の最奥部に立地しています。尾根を切断しているようで切断跡も残っています。羨道には怪しげなものがあったけど狸の死骸だった(汗)、死んだばかりのよう、さすがにそのままでは撮影に邪魔なので外に運び出しておきました。もうそろそろ前方後円墳の時代が終わる頃の横穴石室を持つ前方後円墳や県内でも有数の規模の石室を持つ1号がこんな狭い場所に立地していたとはね。ここに何らかの生産集団がいてもこの古墳を造るのは経済的に無理かな、どんな集団が造ったんでしょうか。2号側の県道カーブ辺りに駐車スペースあり。
後から調べてみると3号は2号南方、駐車した辺りの道路向かいにあるようです(汗)。でも墳丘削平石材露出だそうですがストリートビューで見てもそれらしきものは見当たらなかった。
(2020年)
1号
谷中を走る県道を南下すると1号墳の墳丘が見えてくる。径22m、高5mの円墳で西側に石室が開口している。巨石を使った丹波最大の両袖式石室で全長15m、玄室長6.6,幅2.4,高3.5m。羨道は基部は先端付近まで残っているが天井部は大半壊失、玄室奥壁も上側が抜かれてトンネル状になっているがそれ以外よく残っている。阪神大震災で石材の一部が落下、そのため柵があって玄室には入れないがその巨大さはよく分かる。石室の大きさに比べて現墳丘はそれ程大きくなく本来もっと大きかったようだ。それにしてもそれ程大きくない谷の中にこんな巨大な石室が何故という感じです。市史跡。
3号
1号の南側100mにある。全長35mの前方後円墳で墳丘はほぼ裸の状態で前方後円墳らしいかわいい姿を見せている。小さな尾根の先端を整形して築造している様子がよく分かる。後円部西向きに石室が開口、左片袖式で全長10.7m、玄室長5.0,幅1.9,高2.5mでやはり墳丘に似合わず長大な石室です。入り口はかなり狭く羨道も大分埋まっているが玄室は良好、大きな空間が残っている。1号に比べて石材が小さくこちらの方が先に造られたようだ。なお現地の説明板では2号墳となっている。市史跡。
前方後円墳1,円3、現存3(2?)基
(2019年)
円墳、R22,H5
横穴式石室、全長15m、玄室長6.6,幅2.4,高3.5m
丹波最大の横穴石室
位置:35°03′02″N 135°17′29″E(日本測地系)
35.05377109 135.28859264(世界測地系)
南側から見た墳丘、天井石露出、高さは当然今の5割増しくらいあったんでしょうね

背後から

石室正面側から、谷中で左(北側)が低くなっている

石室正面、羨道前部破壊

羨道後部、ここだけでも巨大

玄室、奥壁上部が抜かれているので明るい

玄室奥から、自然光なので石材の質感がよく分かる

〃縦位置

天井、持ち送りがあるのでやや狭い

側壁、石材は結晶片岩でしょうか

反対側、巨石も凄いけどかなり硬い石材、よく加工して運んだものです

2号
前方後円墳、TL35
横穴式石室、全長10.7m、玄室長5.0,幅1.9,2.5m
位置:1号南100m
尾根先端を整形して造られた墳丘、到着時は日陰だったので日が当たるまで2号を先に撮影

尾根切断部

墳丘反対側

後円部席室正面側

開口部、狭いが入るに問題なし

長い羨道、天上の石は結晶片岩のようだ

持ち送りの強い玄室

〃縦位置、奥壁は3段、これはこれで巨石だが1号を見た後ではそれ程感じず

奥から外、両袖式、袖の位置が少しずれているのかな

〃縦位置

狭い天井

側壁、1号に比べればやや小ぶり、でも緻密に積んでいます

〃反対側、やはり結晶片岩のようです

羨道奥から、中央に異物が写っている

(2000年)
1号
石室正面、羨道下部が墳丘裾まで残っている

墳丘背後、奥壁が抜かれている

羨道、玄室、神戸大地震で石材の一部が落下、奥壁が抜かれていたのは以前から

巨石を使った玄室

玄室、天井

奥から外、崩壊した石材が転がっている

3号
小さな尾根を切断して構築された墳丘、現地説明板では2号墳となっている

前方部斜め後方から

後円部西側に石室が開口

玄室

左片袖式、羨道はかなり埋まるが玄室はよく残っている

(見学記)
(2019年)
丹波篠山市曽地中、次の目的地の途中にあるので19年ぶりに再訪してみました。改めて見てみると狭い谷間の中、2号の前方後円墳に至っては谷の最奥部に立地しています。尾根を切断しているようで切断跡も残っています。羨道には怪しげなものがあったけど狸の死骸だった(汗)、死んだばかりのよう、さすがにそのままでは撮影に邪魔なので外に運び出しておきました。もうそろそろ前方後円墳の時代が終わる頃の横穴石室を持つ前方後円墳や県内でも有数の規模の石室を持つ1号がこんな狭い場所に立地していたとはね。ここに何らかの生産集団がいてもこの古墳を造るのは経済的に無理かな、どんな集団が造ったんでしょうか。2号側の県道カーブ辺りに駐車スペースあり。
後から調べてみると3号は2号南方、駐車した辺りの道路向かいにあるようです(汗)。でも墳丘削平石材露出だそうですがストリートビューで見てもそれらしきものは見当たらなかった。
(2020年)
1号
谷中を走る県道を南下すると1号墳の墳丘が見えてくる。径22m、高5mの円墳で西側に石室が開口している。巨石を使った丹波最大の両袖式石室で全長15m、玄室長6.6,幅2.4,高3.5m。羨道は基部は先端付近まで残っているが天井部は大半壊失、玄室奥壁も上側が抜かれてトンネル状になっているがそれ以外よく残っている。阪神大震災で石材の一部が落下、そのため柵があって玄室には入れないがその巨大さはよく分かる。石室の大きさに比べて現墳丘はそれ程大きくなく本来もっと大きかったようだ。それにしてもそれ程大きくない谷の中にこんな巨大な石室が何故という感じです。市史跡。
3号
1号の南側100mにある。全長35mの前方後円墳で墳丘はほぼ裸の状態で前方後円墳らしいかわいい姿を見せている。小さな尾根の先端を整形して築造している様子がよく分かる。後円部西向きに石室が開口、左片袖式で全長10.7m、玄室長5.0,幅1.9,高2.5mでやはり墳丘に似合わず長大な石室です。入り口はかなり狭く羨道も大分埋まっているが玄室は良好、大きな空間が残っている。1号に比べて石材が小さくこちらの方が先に造られたようだ。なお現地の説明板では2号墳となっている。市史跡。