西之原古墳群

群馬県千代田町 1998年3月訪問

前方後円墳1,帆立貝式1,他

西之原古墳
帆立貝式
位置:36°13′56″N 139°25′13″E

前方部ははっきりとは分からない


似たような墳丘が周囲に幾つもある

堂山古墳

群馬県千代田町 1998年3月訪問

前方後円墳、TL80
横穴式石室
位置:36°12′18″N 139°26′37″E

お堂の背後に墳丘がある、左手が前方部


前方部から後円部


偶然発掘現場に遭遇、石室は奥壁しか残っていない模様

山王山古墳

群馬県館林市 1999年2月訪問

前方後円墳、TL47,R30,RH5、6C後半~7C初
位置:36°14′36″N 139°33′31″E

城沼北側の微高地に立地、前方後円墳らしい姿を残している


南から


東から


(見学記)

市街地東側にある城沼北側、善長寺境内西端にある全長47mの前方後円墳です。後円部が道路で少し削られている他は良好、樹木がまばらに生えている程度で観察しやすい。市史跡。

富士塚古墳

群馬県館林市 1999年2月訪問

前方後円墳
位置:36°13′57″N 139°33′51″E

(画像なし)

(見学記)

城沼南側、富士岳神社がのっている古墳です。全長65mの前方後円墳ということですがとてもそうには見えない。背の高い墳丘は残っていますが社殿等があって改変が著しい。

富士嶽神社古墳

群馬県館林市 1999年2月訪問

位置:36°14′08″N 139°31′26″E

背の高い墳丘が残るが石垣で囲まれて古墳らしく感じられない


(見学記)

市内富士見町のR122沿いにある円墳です。上に神社があり周囲もかなり削られ石垣が巡らされていてとても古墳とは思えない状態。参道石段途中に何合目と書かれた石碑があり富士塚として使われていたようです。駐車場に神社参拝とパチンコ店来店の方以外の駐車お断りの、なんともミスマッチな看板が。

玉村15号

群馬県玉村町 2000年1月訪問

公民館敷地に石室を移築
位置:36°18′08″N 139°07′09″E

石室背後から


左壁


右壁、枕状の石を割って互目積みにしている


(見学記)

町役場近くの公民館に石室が移築保存されています。天井石はなく石室下部しか残っていませんが全長5.8m、無袖式ですが床面に段差をつけて羨道と玄室を区別しています。壁は枕上の安山岩を多角形に割って巧みに積み上げた五目積み、7C後半の古墳です。
側の説明板に”土地改良事業のため軍配山梨の木山両古墳を除く全ての古墳を消滅させるため発掘云々”と書かれていましたが、もうちょっと他に書きようがなかったんでしょうか。公的立場の役所がこれでは困ってしまいます。文化財にもっと愛を。消滅させられたと書かれた中で町内にはまだ幾つかの古墳が残っています。紹介は省きますが概ね神社、祠、墓地があって残っています。やはり神仏は強い、と言うよりはさわらぬ神に祟り無しだったんでしょうね。

梨ノ木山古墳

群馬県玉村町 1992年1月訪問

帆立貝式、R40,H7、5C中
位置:36°17′08″N 139°08′06″E

二重周溝を持つ


前方部は消滅しているようだが後円部は良好


1,2は90年、3,4は2000年


北側が道路で少し削られている


(見学記)

軍配山古墳南東700mにある径40m、高7mの帆立貝式古墳ですが現在は前方部は消滅し円墳のように見えています。2重周溝を持っていますが痕跡さえ分かりません。こちらも水田の中で大変よく目立つ。4C末の軍配山に続く5C中頃の古墳です。町史跡。

軍配山古墳群

群馬県玉村町 1992年1月訪問

円墳、R40,H6、4C後半
位置:36°17′25″N 139°07′47″E

平地の中でかなり目立つ


南側がかなり削られている




(見学記)

町役場南東1.6kmにある径40m、高6mの大型円墳です。元々大きい上に周りが水田の平坦地なので大変目立ちます。名前の由来も天正10年神流川合戦の際滝川一益が陣を構えたことに由来するとか、確かにここなら遠くまで見通せて有利でしょうね。石碑などがあって南側がかなり削られていますが背の高い墳丘はよく残っています。町史跡。

八日市古墳群

群馬県昭和村 2001年2月訪問

残存2基のみ

位置:36°38′01″N 139°04′12″E
標柱後ろに石室天井石が露出



十日塚古墳
円墳、R15,H2
位置:36°38′04″N 139°04′16″E

上記古墳の一段上の段丘にある


(見学記)

現存2基のみ。ビニールハウスが建ち並ぶ北端に天井石が露出している。側に標柱と説明板があるがこれがなければとても古墳とは分からない。地元の方に聞いた話では昭和20年代にはまだ石室が幾つもあったそうだ。

十日塚古墳
古墳群中の残る1基で一段上の段丘上にある。径15m、高2mの円墳で上に説明板が立っているが”奈良時代(600年代)”と書かれているのは訂正して欲しい物だ。共に村史跡。

鍛冶屋地2号

群馬県昭和村 2001年2月訪問

円墳、R19,H2.3、7C後半~8C初
横穴式石室、全長7.6m,玄室長7.4m
位置:36°36′41″N 139°03′04″E

復元された石室、公園として保存


やや胴張りの玄室、床面には礫が敷かれている、規模の割に背が低い(2m以下)五鈴鏡、武具、馬具等豊富な遺物が出土


両袖式、玄門床にしきみ石


(見学記)

径19m、高2.3mの円墳で石室を復元、公園として保存されている。全長7.6mやや胴張り両袖式の玄室で奥壁や天井石は巨石側壁は自然石乱石積み、床面には礫が敷かれている。石室規模の割に高さが低く2m以下、中でうっかり立ったら天井に頭をぶつけてしまった。五鈴鏡など300点以上の豊富な遺物が出土している。上の段丘上にも五鈴鏡出土古墳の標柱があるが古墳はかなりひどい状態です。この古墳は村史跡だが平成9年指定と新しく「群馬県の史跡(古墳編)」には載っていない。実はこの古墳は同じ村史跡の森下古墳群を探しに行って偶然見つけた物。肝心の方は見つけることが出来なかった。少なくとも「群馬県の史跡(古墳編)」の地図に示す位置には何もなかった。
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