高田古墳群

兵庫県朝来市(旧和田山町)2001年4月訪問、18年3月再訪

横穴式石室墳、総数48基
奥山広六林大谷の3支群からなる

県道脇に以前と変わらぬ案内表示、手前の駐車スペースは以前はなかった



奥山支群(1号以外番号は仮称)
(2008年)
最初に出会うのがこれ、卍マークがついているからお寺、でも御本尊は引っ越しして空き家のようです


1号
円墳
横穴式石室、玄室長1.8,幅2.3m
位置:35°22′00″N 134°49′26″E (日本測地系)
   35.36983874 134.82112768(世界測地系)
御堂近く、最初に出会うのがこれ、奥に2号、初めの内は霧がかかっていた


墳丘右側がかなり削られているが玄室完存


羨道、奥壁が見えている


奥壁、左の平行四辺形の石が変わっている


右側壁


左側壁


右袖部


左袖部、T字型と言う感じはしない


奥から外、両袖式、奥行きがあまりないので左右が撮れない


2号
良好に残る墳丘、後方にも墳丘続々


石室前面は状態が悪い


開口部、狭いが入るのに問題なし


長い羨道


玄室、奥壁は一応右下が鏡石風


奥から外、右片袖式のようだ


3号
良好に残る墳丘、正面に石室、開口部を撮るのを忘れている


隙間から撮影、土砂が入るも石室良好


4号
墳丘良好だが石室前に石材散乱


石室前部は埋没


隙間開口、石室後部は意外と状態が良い


5号
これも墳丘良好


頂部樹の下に開口


隙間撮影、石室も良好だが右側はかなり傾いている


6号
墳丘良好だが入口の石材を見るともっと大きかったかな、手前の石列は外護列石?


石室正面、期待できる開口部


悠々入れる大きさ、前部は少し破壊


長い石室、床面の石は崩壊した側壁か


奥壁は基本2段積み、下段の石は右上がかけているがわざわざこんなのを使ったか


奥から外、無袖かな


7号
墳丘頂部に石室開口


開口部正面、期待できる大きさ


幅の狭い玄室、奥壁4段積み


奥から外、前部は破壊されているかも


8号
開口部、墳丘撮り忘れ


内部は入って入れないことはない、小さいながらも鏡石らしい奥壁


9号
低い墳丘が残る、右側に石室開口


天井石露出、内部を撮ってないが埋まっていたかな


10号
斜面に立地した墳丘


開口部正面、前部破壊


石室後部は良好、床面がやや埋まる


奥壁はほぼ1枚石


奥壁前に板石が2枚敷かれている


奥から外、左片袖式


11号
墳丘かなり流失、石室前部破壊


開口部は大きいけど石室中間辺り


石室後部は良好、奥壁2段積み


奥から外、無袖かな


12号
ここも石室前面が崩壊、天井石が曲がっているように見えるが元々だろうな


頂部付近に開口


石室後部良好、奥壁3段積み、多分入れるだろうけど入ってないな


13号(見落とし)

14号
石室正面、前面で石材が散乱


頂部に開口、墳丘はもっと高かったようだ


途中で土砂流入、奥まで見えず


15号
もう良好な墳丘ばかり


墳丘中腹辺りに開口、封土もよく残っているようだ


石室もよく残る


玄室、奥壁は側壁よりむしろ石材が小型


奥から外、左片袖かな、羨道天井が少し下がっているようだ


16号
この古墳群はほんと墳丘の残り具合がよい


石室正面、さすがにこれでは入るの困難


内部もかなり埋まっている


17号
天井石露出、傾いているような


手前が入口辺り、奥にも天井石が見えている


隙間から撮影すると意外と良好に残っていた


18号
緩やかな墳丘


正面辺り、内部埋没


19号
これははっきりした天井石


細長い石室のようで奥に天井石、石室内部も空間がありそうだが撮っていない


20号
僅かな高まり、流石にこの辺りから奥は墳丘が残っていない


石室の様子も分からない程度の石材散乱


21号
天井石が露出


奥の方は何とか石室らしい


埋まっているが奥壁が見えている


番号不明1
これでもこの辺りでは高まりが残っている


22号
迷うことなく石室だと分かる


小型の天井石露出


23号
石材の集積としか思えない、黄色いテープがあるから古墳かなと


24号
積石塚?


石室らしい構造は見られず


25号(推定)
僅かな高まり、石室ははっきりせず


26号(推定)
石が集積しているから撮った程度


よく分かりません


27号(仮称)
御堂に戻ると背後に大きな墳丘があった、祭り事がされていたようで石の台があります


隙間開口


石室は割と残っているようだ、ストロボ撮影でも奥まで光が届かず


28号(仮称)
すぐ上に穏やかな墳丘、背後は広六林支群がある谷です


29号(仮称)
更に上に僅かな高まり


石材散乱、横穴石室だったような


盗掘されたようで上部が窪んでいる



(2001年)
1号
円墳
横穴式石室(T字型玄室)、玄室長1.8,幅2.3m
位置:35°22′00″N 134°49′26″E

墳丘、石室正面


羨道、玄室


奥壁、左側の袖幅は僅か


奥から外


2号
墳丘(山側)


細長い無袖式石室


奥から外、天井に段差がある


3号
墳丘、石室正面


2-3段に積まれた外護列石、他の墳丘でも幾つかある


整った石室


奥から外、無袖式


4号
石室開口部


玄室


6号
玄室、奥の床面に板石が敷かれている


奥から外、群の中では少ない片袖式


7号
石室開口部


玄室



広六林支群
谷筋に向かう斜面に28基

1号
横穴式石室
位置:35°22′03″N 134°49′25″E (日本測地系)
   35.37067198 134.8208499(世界測地系)
群中一番下方にある1号、墳丘がまともに残っているのはこれだけ


上側から、谷に向かう斜面が急なのが分かる


墳丘上部に天井の一部が開口


カメラを突っ込んで撮影、これが奥壁のようだ


側壁、画面右端辺りが玄門かな


2号
急斜面に2号の低い墳丘


谷入口方向に石室開口


石室正面


石室は思いがけず良好、奥壁2段積み


奥から外、右片袖式、幅の割に背が高い


墳丘背後から、奥に1号


3号
これも低い墳丘だがこれでもましな方


石室正面、古墳に関係なく植林


石室内部、コウモリお休み中、入って入れないことはないが奥山でさんざん入った後なのでパス


4号
よく残る墳丘


反対側から見ると段差程度しか見えない


墳丘上部に石室開口


石室正面、前部は破壊されているようだ


石室内部、土砂が流入するもよく残っている


上から見ると斜面をカットした様子が分かる


5号
上から見た墳丘


大きな天井石が露出しているのみ


内部は殆ど埋没、奥壁も見えていて石室自体は良好のようだ


6号
下から見た墳丘


石材がないと古墳とわからない状態


石室開口、手前は天井石か


石室正面、加工された天井石


石室内部、奥壁は1枚石


奥から外、無袖かな、左は微妙


8号
墳丘は殆ど無く小型石材露出


9号
石材があるから古墳かなと思った程度


10号
これも同様、斜面上部にあるのはこんなのばかり


11号
これも石材が露出していたので撮影


石室基部は残っているかな


12号
上の方にしてはハッキリした石室露出


天井石が露出


細長い石室、内部埋没


なんとか奥壁が見えている


13号
割とハッキリした墳丘


石室が露出しているが内部埋没


15号
この辺りは大谷支群からの帰りに見つけました


これも細長い石室、天井石が石室に落下


最後部が比較的良好


なんとか奥壁上部が見えている


20号
天井石露出、これも細長そう


22号
直線状に天井石露出


何とか石室を分かるレベル


番号不明
多分石室、20,22号の間



大谷支群
養父市との境界をなす尾根筋に4基

1号
群中一番上、広六林支群から尾根に行くと最初に出会う、実際はこれを最後に撮りましたが


尾根筋を多少カットして墳丘構築


立地場所といい形といい中期かなと思うんだが


墳丘北側に石材散乱


横穴っぽい感じもしないでもない、でも石室主軸は墳丘中心を通っていないような


墳丘西側から


2号
横穴式石室
位置:35°22′06″N 134°49′24″E (日本測地系)
   35.37150523 134.82057212(世界測地系)
すぐ下に2号墳丘、1号より少し小さいか


開口部、でもこれは奥壁側


中を覗くと細長い石室、持ち送りがあるようだ


反対側に本来の開口部、前部が少し破壊


開口部天井石は板状


石室内部、ひょっとして竪穴?、それにしては石室の長さに比して墳丘が小さい


3号
更にすぐ下に同規模の墳丘、これも中期っぽい


4号
更に下、尾根先端急斜面に4号、左側は鉄塔土台


墳丘上に石材散乱


天井石でしょうか


こちらは横穴石室っぽい


(見学記)
(2018年)
奥山支群
朝来市和田山町高田、3支群からなるというので再訪してみました(前の見学記を見ると説明板にも支群の名前が書かれているじゃないか、当時はどれが支群が分からなかっただろうけどね)。県道104号に南丹クリーンセンターが出来ていてその西端辺りに案内板が立っています、これは多分以前のまま。そこから5分程登ると御堂があり(御神体自体は他所に移されているとか)その背後にあるのが大谷支群です。前回も撮っていますがフィルム時代なのでデジカメで撮り直し。古墳が密集、水平方向だけでなく上下方向にもあるのでこういう所ではどういう順番に撮るか迷う、適当に撮っていると後からの整理が大変だしね。上下方向の移動は体力を使うので水平方向に撮っていく、一番下のグループの方が状態がいいのが多いしね。スギにテープが撒かれて番号が書かれているので整理に役立ちますが赤い数字と黒い数字があり番号が違うのもあるし赤のは消えかかっているのもあります。密集域の東側杉林の中の緩斜面にも幾つもありますがここのは小型で墳丘は殆ど流失、テープが貼られていないと石室とも分かりづらい状況です。

広六林支群
御堂の西側は深い谷になっていてそこを降りていくと広六林古墳群があります。谷筋から西側斜面に分布していますが大谷側の斜面には全く無く見事に分かれています。一番下谷筋にあるのが1号で大きな墳丘が残り頂部で石室開口、中に入るのは困難です。はっきりした墳丘はこれだけ、他は斜面カットした墳丘で入れる石室も幾つかありますが全般に残り具合が悪く墳丘流失石材散乱程度が多くテープがないと古墳だと分からない状態です。

大谷支群
更に西側養父市との境界をなす尾根筋に4基からなるのが大谷支群、一番上にあるのが1号、尾根筋を目いっぱいに利用して造られた大きく上部が広く平坦な墳丘、いかにも中期の古墳ですが頂部西側に小さな石室が露出しています。少し下ると3号、石室が開口していますがこちらは奥壁側、反対側にも開口していてトンネル状になっています。細長い横穴石室です。更に下ると2号、1号同様大きく上部が平坦な墳丘です。更に下ると送電線鉄塔辺りに4号、横穴石室の天井が露出しています。1号から上は急傾斜、4号から下も急傾斜で尾根平坦面を利用して古墳群が造られたようです。1、3号だけなら中期の古墳群ですが横穴石室を持つ2、4号があるから分からない。子孫が復活したか。案内板辺りの歩道が広くなっていて駐車可。

(2001年)
和田山町から円山川左岸沿いの県道を養父町方向に行こうとして道路際に説明板があるのを補偶然発見、ラッキー。説明板によれば奥山、広六林、大谷古墳群からなり総数48基の横穴式石室墳とのことです。山道を登っていくと祠がありその脇に墳丘があります。これが1号墳で南側に石室が開口、T字型石室ということですが玄室長1.8m、幅2.3mとそれ程大きくなく左側の段差も僅かでT字というよりL字型に近い。背後の急斜面にいくつも石室が開口しています。小型の割に整った石室で中には床面奥に板石が敷かれているのもあります。墳丘周りに2,3段の外護列石が巡っているのもあるようでそのせいでしょうか、急斜面にある割に墳丘の残り具合がよい。

大藪古墳群野塚支群

兵庫県養父市(旧養父町)2001年4月訪問、2018年3月再訪

小川に挟まれた尾根上地形の上に横穴石室墳十数基、3号が大型
(2018年:見学順)

3号
位置:35°23′50″N 134°48′11″E (日本測地系)
   35.40039075 134.80029569(世界測地系)
禁裡塚の案内板がある墓地から北に行くとあります、奥に見えているのが支群最大の石室を持つ3号


大きな墳丘が残る


周囲が大分削られている


石室開口部、羨道前上部は失われている


石室正面、立ったまま入れる大きさ


細長い石室、側壁は持ち送りがない


奥壁はほぼ1枚石、手前床面に敷石がある


奥から外、無袖式かな


その2(01年仮7号)
山道で墳丘が削られているが開口部は右側


墳丘正面、羨道前部は埋まる


開口部、入るのは問題なし


石室良好、床面に礫の敷石、石材は小型、側壁に持ち送りなし


奥壁は鏡石+平石


奥から外、ここも無袖かな


その3(01年仮8号)
開けた場所にあるので墳丘の様子がよく分かる


墳丘正面


開口部、しゃがんで入る


羨道後部と玄室がよく残っている


石材はその2よりやや大きく側壁は少し持ち送りがある、奥壁は下部に2枚並べ上に1枚


奥から外、右片袖式


羨道奥から


その4
低い墳丘が残るのみ、背後の尾根との間に谷がある


その5
墳丘はそこそこ残る


側壁の一部残存のみ


その6
その4と反対側、後方に谷がある


その7
2基の古墳が接しているんでしょうか


手前の墳丘に石室半分残る


右が奥壁、これも半分だけ


石室は西側谷の方を向いている


袖石が残っている、左片袖式か


奥の墳丘に天井石らしい石材、破壊された石室の天井石かこちらの石室のか


その8(01年仮13号)
更に上に2基の墳丘が並ぶ、手前がその8


よく残る墳丘


東側の谷に向かって開口


小型石材を使った石室、やや持ち送りがある


奥壁も同様の小型石材、下部中央にミニ鏡石っぽい石を据える


奥から外、無袖のようです


その9
その8すぐ上、この辺りから尾根の幅が狭くなる


こちらも東に開口


その8と似たような石室


奥壁も小型石材、下部は2列に並び上部は平石を重ねる


奥から外、やはり無袖かな


背後から見た墳丘


下方を振り返る、手前はその8、01年当時もやはりこの辺りから振り返っている、アングルも殆ど同じ(笑)


その10
更に上に墳丘が続く、01年当時は墳丘が低くて気が付かなかったか


天井部を失った細長い石室露出


竪穴石室ということはないだろうけど


その11
杉林の中に墳丘


石室天井部が開口、入室不可


側壁、かなり押し出されてきている


玄門でしょうか、右片袖式かな、羨道埋没


その12
更に登ると良好な墳丘と石室、嬉しい誤算


墳丘正面、手前の石垣は後世のものかな


開口部に土砂があるが入るのに問題なし


石室は良好に残る


石材は小型、やや持ち送りがある


奥壁は下部にやや大きな鏡石、上部は平石積み、中間がやや適当な積み方


奥から外、無袖でまぐさ石が一段下がる


壁面に埋め込まれた袖石を思わせる石材


墳丘背後から、いい!


その13
更に上に同規模の墳丘


開口部、巨石羨道天井石露出


長い石室、持ち送りは殆ど無く石材もやや大きい、その12より新しそう


奥壁は2段積み、このようなのはこの支群ではここだけ


奥から外、左片袖式だがあまり袖幅はない


羨道奥から、やや歪んでいるかな、外にその12が見えている


墳丘後方から、ここから上は見当たらず


(13号から尾根東側を下っていきます)

その14
その13から東側尾根縁を下っていきます、大きな墳丘上部に石室が見えている


開口部、羨道埋没


玄室良好、持ち送りはなく面も整えられている、その割に奥壁の積み方は粗い


奥から外、左片袖式


墳丘上に天井石露出


その15
こちらも尾根の縁に大きな墳丘


開口部、手前は埋没


天井を失った細長い石室露出


奥壁、左右で積み方が違うような


(01年仮5号を見落としている)

その16(01年仮4号)
3号より下方、尾根斜面麓に3基並ぶ、東方谷筋より更に東側になる、この斜面上の尾根筋に道林支群がある


墳丘背後から、小型でまん丸い墳丘


斜面に向いて開口、後方に3号、その間に小川が流れている


墳丘正面


持ち送りのない小型石室


奥壁は2列に並ぶ、変わった形式


奥から外、無袖かな


その17(01年仮2号)
こちらも良好な墳丘


やはり斜面に向かって開口


石室良好、右側は持ち送りじゃなく倒れかけているかな、中間辺りで天井が一段下がる


玄室、左はほぼ垂直だが右が大分傾いている


ここも奥壁は2列並びだが上部は平石


奥から外、無袖式


左17、右18


その18(01年仮1号)
一番下、ここも良好な墳丘


ここの3基はどれも同じ向き


ここも持ち送りはなく左はやや圧迫されているような


奥壁は2段、3基の中では一番新しそう


奥から外、無袖式、入口辺りで天井石が下がっているかな


 右18、左17


大藪古墳群に戻る



(2001年)
1号
石室開口部、右奥2号、奥に3号


石室


2号
尾根に向かって並ぶ2基、3号と同方向、尾根に向かって石室が開口、この尾根の先端に道林支群がある


石室


3号
円墳
横穴式石室
位置:35°23′50″N 134°48′11″E

墳丘、石室正面、周囲が削られ異様な形をしている


玄室、名前の付いた4基の古墳に次ぐ大きさ、ここが一番新しそうだ


奥から外、石室先端が削られているが無袖式か


4号
尾根上から見た墳丘


石室


5号
石室奥から外、左片袖式、天井石がすっかり抜かれている


7号
墳丘


石室


8号
墳丘


石室


奥から外、右片袖式


13号
群最上部あたりから下方を見る、左右を小川で仕切られた尾根上の緩斜面に分布、手前が13号墳丘


石室


大藪古墳群に戻る

大藪古墳群道林支群

兵庫県養父市(旧養父町)2001年4月訪問、18年3月再訪

尾根上や斜面に25基密集、石室はなく石棺木棺直葬、5C後半~6C前半
(2018年)
その1
尾根筋緩斜面に比較的大きな墳丘


墳頂が平で盗掘を受けているようだ


下から見た墳丘、01年のその1とは違うようだ


その2
すぐ下に同規模の墳丘、盗掘で頂部が凹んでいる


墳丘下から


その他
尾根筋に小さな墳丘が密集


ここには石室はない


野塚の後なので個々の墳丘を撮る気にもなれず


(2001年)
比較的大きな墳丘


奥にも幾つか見えている、この群には石室はないそうだ


大藪古墳群に戻る

大藪古墳群

兵庫県養父市(旧養父町)2001年4月訪問、18年3月再訪

但馬を代表する4基の大型石室墳をはじめ約150基
幾つかの支群(東から小山・道林・野塚・穴ヶ谷)に分かれる

案内板、集落西側入口辺りにある


4巨石墳(構築順)
禁裡塚古墳
塚山古墳
西ノ岡古墳
コウモリ塚古墳

野塚支群
道林支群

禁裡塚古墳
円墳、R32、6C後半
横穴式石室、全長12.5m、玄室長5.9,幅3.0,高3.5m
位置:35°23′41″N 134°48′08″E (日本測地系)
   35.39789102 134.7994625(世界測地系)
(2018年)
手前の墓地内に案内表示、新旧で矢印が逆ですがどちらでも行けます


良好に残る墳丘、それ程大きくは見えない、4古墳の内最初に構築


開口部側、立木が邪魔、西側に接して裏塚古墳があるそうです、こういう時に限って周囲を廻っていない


開口部正面、悠々入れます


開口部辺りに段差、閉塞石があったようです


羨道後部はよく残る


巨大な玄室


〃縦位置、側壁はやや持ち送り


奥壁の石材自体は側壁とそれ程変わらず巨石はない、積み方は緻密で隙間の石もよく残っている


奥から外、両袖式、袖幅は左右で大分異なる


〃縦位置


羨道奥から、入口辺りに閉塞石


(2001年)
墳丘、石室正面、状態はよさそう


羨道、玄門上部の石が一段下がっている、塚山、西ノ岡古墳と共通


玄室、石室は但馬最大、石材は小型、赤い色が残っている


奥から外、両袖式


塚山古墳
円墳、R24~34、6C後半
横穴式石室、全長11.2m、玄室長4.8,幅2.5,高3.1m
位置:35°23′44″N134°48′23″E (日本測地系)
   35.39872431 134.8036287(世界測地系)
(2018年)
尾根先端に構築された大型墳丘、場所は意外と分かりにくい


墳丘かなり上の方に開口


開口部、かなり歪んでます


羨道奥はそれ程でもないが左側壁には乱れがある


大型玄室、側壁は持ち送りがある


奥壁縦位置、石材は禁裡塚より大きくなる


天井は幅が狭いが1枚石の巨石


奥から外、柱状袖石を立てた両袖式


〃縦位置、背が高い


羨道奥から、左側も圧迫されているもよう


2段築成の円墳、左側階段を上ると開口部、基部に方形の基壇があるそうです


尾根カット部、左が墳丘


尾根から見た墳丘、2段なのがよく分かる、石室は上段下部辺りに開口している


(2001年)
尾根側から見た墳丘、尾根先端を整形している


石室開口部


羨道


玄室、背が高く持ち送りがある


奥から外、両袖式


西ノ岡古墳
円墳、R22~33、7C初
横穴式石室、全長13.6m、玄室長5.0,幅2.6,高3.0m
位置:35°23′39″N 134°47′57″E (日本測地系)
   35.39733549 134.79640727(世界測地系)
(2018年)
水路沿いの道路に案内表柱、左の柵を開けて入っていく、後方に古墳群案内板があるが標柱反対側文字が消えていて見逃し通り過ぎた


南側下方から見た墳丘


緩斜面に立地、山側は大分削られている


羨道前部は基部しか残っていない


石室正面、巨大な天井石は割られているかも


羨道後部、立ったままで入れる高さ


巨石を使った玄室、前の2基に比べて石材が大型化


〃縦位置、側壁は持ち送りがある


天井石は巨石2枚からなる


奥から外、両袖式、柱状袖石だが左右でやや幅が異なる


〃縦位置


羨道奥から、入り口の天井が下がっているような


(2001年)
墳丘、かなり小さくなっているようだ


石室正面、先端が少し削られている


羨道


巨石を使った背の高い玄室


奥から外、両袖式


コウモリ塚古墳(荒神塚古墳)
方墳、L28、7C前半
横穴式石室、全長12.4m、玄室長7.1,幅1.8,高1.8m
位置:35°23′40″N 134°48′24″E (日本測地系)
   35.39761332 134.80390648(世界測地系)
(2018年)
車が通れる道路側に開口、ここに古墳群の説明板が有る


墳丘は殆流失、羨道基部は手前まで伸びているようだ


開口部正面


今までの3基とは一転、長いが背の低い石室


石材も小型化、持ち送りは殆どない、背が低いから当然でしょうが


奥壁は1枚+平石、それ程巨石ではない、手前に礫が敷かれているようだ


奥から外、右片袖式


右後方から、多少墳丘が残る


西側から見ると天井石すっかり露出


斜め前から


後方の3枚、最後部のかなり加工、その手前のが一番の巨石


最前部、一部割られているが板状に加工


(2001年)
墳丘正面、封土はすっかり流失している


石室開口部


玄室、かなり細長い


奥から外、片袖式


(見学記)
(2018年)
大藪、以前来ているけど養父まで来て流石にここはスルーできず再訪しました、前回はフィルム時代だったのでデジカメで撮り直す目的もあったしね。。
県道104号から集落に向かう直線道路の突き当りに説明板が立っていますが距離が書かれていないのでちょっとわかりにくい。
まずは西端にある西ノ岡古墳に向かう。水路沿いの道路を左に行くが次の案内板がない、流石に行き過ぎたと思って引き返してたら大きな木製の標柱が立っていました。でも案内板方向からの文字が消えていて気が付かなかったよ。そこから水路にかかるセメント橋を渡りますが獣除けの柵がありますが通れます。2,30m程行くと倒れた案内板があったのでここで左折、後は道なりと思ったがちょっと間違えた、ここまで行けばたどり着けるけどね。古墳時代の説明は前にしているので省略。
案内板から右に行き200m程行くと禁裡塚の案内があります。ここを左に曲がると墓地がありその中に次の案内がありますが新旧の案内で矢印の方向が逆向き、多分どちらでも行けるんでしょうね。右の方に行くと野塚支群に行けるのでそちらの方に行くと次の案内板、それに従って細い道を行くとたどり着けます。
野塚支群、道林支群は省略。
禁裡塚案内板から200m程行くとこうもり塚、これは道路脇に開口しているのですぐ分かります。方墳ですが墳丘は殆ど流失、天井石が露出しています。他の古墳は墳丘の残り具合が凄くいいのに何故これだけ流失、人為的に削られた可能性もあるでしょうがこれは群中最後発の7C前半、墳丘もそれ程高くなかったと思われ、また古墳もあまり作られなくなって現場作業員の技術が衰えて墳丘も品質が落ちたんじゃないかと素人なりに想像(笑)。
塚山古墳はもう案内板さえありません。こうもり塚前の説明板に分布図が載っていたのですぐ北側辺りのようなので行ってみました。丘を登り始めると説明板が立っていて塚山古墳の巨大な墳丘が見えています。でも右側にも大きな円墳が2つも見えている、こんなのあったかなと思って登ってみたら細長い尾根の先端でした。そこに上って塚山古墳を見ると2段築成の巨大な墳丘が見えます。で築造方法が閃いた、まず尾根先端に溝を掘って石室下部を構築、更に上部を造り石室が完成した後で尾根をカットしてその土で墳丘上段を盛り上げる。これはこれで大工事ですが出来ないこともないかなと。問題は石室完成後の遺物の搬入、現状の開口部前は墳丘中腹で前に平坦な場所が無いんですよ。盛り土で搬入路を作ったか、下から引っ張り上げたか、石棺などがあったらこれでは無理だろうな。
しかし古墳は充実しているけど案内は充実してない。しかも集落内は道が狭く車を停めるような場所がありません。幸いこうもり塚前で駐車スペースがあったけど地元の車が停まっていたのでそこで停めてよかったかどうか。4大古墳だけなら1時間程度ですみますが野塚支群をフルに見るとここだけで2時間はたっぷりかかります。道林支群は石室はないからパスしてもいいけどざっと見学する程度なら10分程度ですみます。
訪問後、小山支群・穴ヶ谷支群の存在を知る、流石にもう一度は難しいかな。

(2001年)
大藪集落周囲の緩斜面に分布する150基からなる古墳群で幾つかの支群にわかれており但馬を代表する大型石室墳が4基もあります。円山川沿いのさほど広くない峡谷で平野部もあまりなく何故ここにこれほどの大型石室墳があるのか不思議なくらいです。4基の大型石室墳が県史跡。野塚3号が町史跡。

西ノ岡古墳
集落の西側、水路沿いの道路に案内板があります。まずここを起点とするとよいでしょう。ここから西側300m斜面麓近くの林の中にあります。径2,30mの円墳ですがかなり小さくなっているようで東向きに開口している石室も先端が少し破壊されています。全長13.6m両袖式の石室で玄門まぐさ石が少し下がっていますがこれはコウモリ塚を除く2基で共通の構造です。玄室は長5m、幅2.6m、高3.0m、巨石を使った背の高い玄室でやや持ち送りがある。床面には礫が敷かれていたようだ。

野塚3号
西ノ岡から少し東に戻ると上の方に東屋がある。ここから東に山道を行くと野塚支群にたどり着く。東西を小川に仕切られた尾根状の緩斜面に20基ほどの古墳が分布している。疎林の中に墳丘が転々とあり石室が開口しているのは私好みの風景です。下方に3号墳がある。周囲を削られ異様な形をしているが4大古墳に次ぐ大きさで南東向きに石室が開口、ここも先端が削られているが無袖式のようだ。奥壁はほぼ1枚石で殆ど持ち送りもなく石室自体は一番新しいようだ。東側の尾根沿いに3基の円墳が並んでいる。石室が3号と同方向のため尾根に向かい合うように開口している。この尾根の先端に25基の円墳が密集している。道林支群で低平な墳丘が多くここには横穴石室がないそうだ。

禁裡塚古墳
野塚支群から山道を下っていくと墓地の側にあります。径32mの円墳で墳丘の状態はここが一番よい。東向きに石室が開口、全長12.5m但馬最大の石室です。玄室は両袖式で長5.9m、幅3.0m、高3.5m、やや持ち送りのある背の高い玄室だがその割に石材はそれ程大きくない。壁面には赤い色が残っている。

コウモリ塚古墳
一旦集落に戻り集落中央を通る道を北東に進むと左側に説明板がたっている。一辺28mの方墳だが墳丘は殆ど流失し石室がむき出しになっている。全長12.4m、右片袖式の石室だが玄室は長7.1m、幅1.8m、高1.8mと大変細長い。時期的には一番新しそうだ。

塚山古墳
コウモリ塚背後の尾根にある。南に三本伸びる尾根の中央、先端を整形して墳丘を形作っている。径20数mの円墳だが方墳の可能性もあり、大変背が高い。南東に石室が開口入り口がやや狭いがよく残っている。全長11.2m、玄室は長4.8m、幅2.5m、高3.1mの両袖式で背の高いやや持ち送りのある玄室です。それにしても墳丘は殆ど地山だろうにどうやって石室を構築したんだろうか。

舞狂若宮1号

兵庫県養父市(旧八鹿町)2018年3月訪問

横穴式石室
位置:35°23′14″N 134°47′26″E (日本測地系)
   35.39039168 134.78779732(世界測地系)
県道脇にある墳丘、市史跡だが説明板案内板は一切なし


墳丘はよく残る、右側南東に開口


巨石の羨道天井石が露出、開口部は激狭だが左右の幅はある


土砂でかなり埋まった羨道、久しぶりに匍匐前進、まぐさ石が一段下がる


玄室は良好だが玄門辺りが埋まっているのであまり下がれない


縦位置、奥壁は左右2列とちょっと珍しい構造、右側壁にだいぶ持ち送りがある


奥から外、両袖式、羨道からの土砂が更に流入


羨道奥から、中間辺りの石が一層入るのを困難にしている


見学記
八鹿町舞狂、円山川に架かる舞狂橋から県道2号を南に250m程、県道沿いにあります。墳丘はよく残っているのですが少し上にあり藪に覆われているので目立ちません。石室は南東に開口していますが激狭、入口だけでなく長く残っている羨道も殆ど埋没している上に途中に石材があったりして入るのには非常に苦労をします。でも玄室は手前にやや土砂が流入していますが完存しています。側壁はやや持送りがあり加工された四角い石材、奥壁は基部に縦長の腰石を2枚並べ普通ならその上に平石を重ねるんですがここは腰石の幅と同じ幅の平石を重ねているので左右に2分割されているように見えます。玄門は柱状袖石を立てた右片袖式。市の史跡なのですがこんな状況のせいか説明板はありません。因みに舞狂の読みは”ぶきょう”です。橋袂に駐車スペースあり。

三月野古墳群

兵庫県養父市(旧養父町)2018年3月訪問

横穴式石室
位置:35°22′32″N 134°49′17″E (日本測地系)
   35.37872666 134.81862764(世界測地系)
住宅街の中に公園として現状保存、説明板なし、何号か不明、他も不明


墳丘は元のままでしょうが周辺の石垣は保存の為かな


石室正面、当然閉鎖、羨道は上部を失う


玄室はよく残るが笹の根っこが邪魔


奥壁は2段積み、下の方が小さそう


右側壁はやや持ち送りがある


見学記
大塚、住宅街最上部辺りに1基が公園として保存されています。古墳群ですが見学出来るのはこれだけかな。墳丘は良好ですが住宅街、公園ということで当然のごとく石室閉鎖、柵越しに見学ということになりますがこの金網が細かい、しかもツル植物も巻き付いていて撮影しづらいです、特にストロボ撮影。

上野観音塚古墳

兵庫県養父市(旧養父町)2018年3月訪問

竪穴系横口式石室(埋戻し)
位置:35°22′13″N 134°47′21″E (日本測地系)
   35.37344915 134.7864088(世界測地系)
説明板と標柱が立つが石室埋戻し


墳丘は復元、側の石碑は古墳とは関係なさそう


見学記
上野、こうもり塚の説明板に写真と場所が分かる地図が載っていたので訪問してみました。写真には大きな墳丘が載っている、養父の古墳は墳丘が良好なのが多いのでこれも当然元の墳丘だろうと思っていってみましたがなんと復元だそうです、ガッカリ、それも役所ではなく地元の有志の方による復元だとか。でももうすっかり薄野原になっていたのが残念でした。竪穴系横口式石室基部が残っていたそうですが当然見られません。訪問後気がついたけどこれは事前に調べた際パスしてもいいなと思っていた古墳でした。県史跡。

こおとし古墳群

兵庫県養父市(旧養父町)2018年3月訪問

尾根上に分布、開口石室は1基のみ
(番号はHP「古墳とかあれ」に従う

その1
横穴式石室
位置:35°24′47″N 134°47′46″E (日本測地系)
   35.41622236 134.79335141(世界測地系)
急カーブした道路側の尾根上に墳丘が見えている


南側に盗掘された跡がある


狭い開口部、落ち葉がクッションになっているので入るのに問題なし


開口部から内部、石室良好


持ち送りのある側壁


奥壁は側壁と変わりない小型石材、左上隅が隅丸になっている


奥から外、無袖かな


その2から見た墳丘


その2
その1下方(北側)尾根先端にほぼ同規模の墳丘


墳丘はよく残るが石材は全く見られず


尾根カット部分、右が墳丘


その3
1番目の急カーブの上の急カーブ、その上に墳丘が見えている


尾根側から、これも墳丘良好


墳丘良好でも石室が見られないのが悲しい


墳頂に天井石一部残存露出、内部埋没


尾根上方から見た墳丘


その4
その3のすぐ東側にある


上から、これも良好、規模はどれも同じくらい


南側に小さな石室開口部


内部、右側壁が大きく傾く、墳丘規模に比べて小さいので羨道かもしれない


もう一つ石室がありました


思ったほど奥行きがなかった、奥壁じゃなくまぐさ石の可能性もあるかも


その6
その4南側にはっきりした墳丘


反対側から


墳頂に僅かに石材露出、その5,7,8はよく分からず


見学記
八鹿町上小田、丘陵尾根上に分布する古墳群です。舞狂から県道2号を北上、坂本交差点で2号は左に曲がりますがそのまま直進、300m程行くとゴルフセンター案内板があるのでそこを左折、細い道を登っていき2度目の180°急カーブ辺りの尾根筋に古墳が密集しています。カーブミラー辺りから登ると大きな墳丘、南側に開口していますが狭い、でも落ち葉が溜まったいるので入るのは困難ではありません。石室は5m程度でしょうか、側壁は内傾し奥壁とも石材は小型です。入り口辺りが埋まっていますが無袖かな。まともに見られる石室はこれだけ。すぐ北側尾根先端に良好な墳丘がありますが石室は全く見られず、当然横穴だと思われひょっとして未盗掘、尾根をカットした様子がよく残っています。上側にも数基の古墳があり墳丘も残っていますが石室見られず。ただ1基で子供が入るのがやっとくらいの小型石室がありました。位置が墳丘端にあるのでメインの主体部ではないかそれとも羨道?、右側壁が大きく傾いている。もう1基石室がありましたがやはり小型でした。他は墳頂部に石材露出が2基、小型の墳丘が幾つかある程度でした。急カーブの所に車を停められないこともないですが100m程登ると方向転換できるスペースがあるのでそこで転換してから下っていって止めた方がいいでしょう。

堀畑1号

兵庫県養父市(旧養父町)2018年3月訪問

円墳、R38,H8.4、7C前半
横穴式石室、全長11.7m、玄室長4.7,幅2.3,高3.8m
位置:35°21′47″N 134°48′31″E (日本測地系)
   35.36622793 134.80585147(世界測地系)
以前は畜産試験場内にあったが公園化に伴い発掘整備された


1号と名がついているが単独墳、背後の丘陵に南峠古墳群があるようだ


南東に開口


石室正面、羨道天井石も巨石


羨道途中に柵があり閉鎖、管理事務所で鍵が借りられる、この時は知らなかったので通り抜け


羨道後部、右側側壁はまぐさ石は切石状


巨石を使った大型玄室


奥壁は基本3段積み、詰石が少なく緻密な重ね方


持ち送りがあるので天井はやや狭く巨石1枚石


奥から外、両袖式


〃縦位置、まぐさ石も2段


羨道奥から、まぐさ石底面が平らに加工されている


見学記
養父市上野、元は農林試験場内にありましたが現在は廃されてはさまじ里山の森公園となってその中に保存されています。径38m高さ8.4mの大きな墳丘が良好に残り東向きに開口、羨道玄室とも良好です。ただ公園化に伴い羨道途中に柵が出来て入れなくなりました(公園管理室で鍵を借りられます)。玄室は呆れるほどの大きさ、側壁はやや内傾し天井石は巨石1枚、奥壁は3段積みですが下部は2枚の石を並べているのが普通とちょっと違う。玄門は柱状袖石を立てた両袖式、まぐさ石も巨石です。周辺の丘陵に幾つかの古墳群がありますがこれは1号と名がつくが単独墳のようでえす。古墳のある場所は地図で調べる限り上野になり堀畑はすぐ東側です、どちらかがミスしたかな。公園に駐車場有り。県史跡。

米里三ツ尾古墳群

兵庫県養父市(旧八鹿町)2018年3月訪問

8基、公園内に保存

1号
楕円形、9×7m
位置:35°22′58″N 134°45′15″E (日本測地系)
   35.38594717 134.75141153(世界測地系)
標柱の右側に僅かな高まり


4号
何故か2号へ行く手前にある


墳頂部は大きく抉られている


2号
10.4×9.6m
これ以降斜面に立地、全てに標柱が立っている


斜面裾に立地しているのがわかる


背後から見ると墳丘が確認しやすい


石室後方側から


石室自体はかなり破壊


3号
径7m
写真を見て間違えないようまず標柱を写します、墳丘から少し離れているのが難点


石材散乱


細長い石室だと分かる程度に残存


正面から、最後部に天井石が残る


5号
径9.5m
標柱のだいぶ後方に墳丘


石材散乱、石室材だけではなさそう


頂部が窪み石室大きく破壊


6号
径8m
5号上に接する


最後部の天井石が残る


背後から


左5号、右6号(7号から)


7号
5,6号の更に上に7号


急斜面に立地


天井石が僅かに露出するのみ


8号
これも標柱から大分離れて墳丘


こちらも急斜面に立地


石材らしきものは見られず


見学記
米里古墳群西側にある8基からなる古墳群です。米里・大徳の森公園となっていてその一角に保存されています。駐車場辺りに公園案内板がありそれに載っていますが米里古墳群となっています。古墳の側には標柱が立っていて分かりやすい。1、4号以外は杉林の中に斜面に立地しています。石室は殆ど破壊されまともに残っているのはありませんが下草の生えていない見通しの良い場所に斜面カットして築造した墳丘が幾つも残っている様子を見るのはそれなりに楽しいです。
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