高田古墳群
兵庫県朝来市(旧和田山町)2001年4月訪問、18年3月再訪
横穴式石室墳、総数48基
奥山、広六林、大谷の3支群からなる
県道脇に以前と変わらぬ案内表示、手前の駐車スペースは以前はなかった

奥山支群(1号以外番号は仮称)
(2008年)
最初に出会うのがこれ、卍マークがついているからお寺、でも御本尊は引っ越しして空き家のようです

1号
円墳
横穴式石室、玄室長1.8,幅2.3m
位置:35°22′00″N 134°49′26″E (日本測地系)
35.36983874 134.82112768(世界測地系)
御堂近く、最初に出会うのがこれ、奥に2号、初めの内は霧がかかっていた

墳丘右側がかなり削られているが玄室完存

羨道、奥壁が見えている

奥壁、左の平行四辺形の石が変わっている

右側壁

左側壁

右袖部

左袖部、T字型と言う感じはしない

奥から外、両袖式、奥行きがあまりないので左右が撮れない

2号
良好に残る墳丘、後方にも墳丘続々

石室前面は状態が悪い

開口部、狭いが入るのに問題なし

長い羨道

玄室、奥壁は一応右下が鏡石風

奥から外、右片袖式のようだ

3号
良好に残る墳丘、正面に石室、開口部を撮るのを忘れている

隙間から撮影、土砂が入るも石室良好

4号
墳丘良好だが石室前に石材散乱

石室前部は埋没

隙間開口、石室後部は意外と状態が良い

5号
これも墳丘良好

頂部樹の下に開口

隙間撮影、石室も良好だが右側はかなり傾いている

6号
墳丘良好だが入口の石材を見るともっと大きかったかな、手前の石列は外護列石?

石室正面、期待できる開口部

悠々入れる大きさ、前部は少し破壊

長い石室、床面の石は崩壊した側壁か

奥壁は基本2段積み、下段の石は右上がかけているがわざわざこんなのを使ったか

奥から外、無袖かな

7号
墳丘頂部に石室開口

開口部正面、期待できる大きさ

幅の狭い玄室、奥壁4段積み

奥から外、前部は破壊されているかも

8号
開口部、墳丘撮り忘れ

内部は入って入れないことはない、小さいながらも鏡石らしい奥壁

9号
低い墳丘が残る、右側に石室開口

天井石露出、内部を撮ってないが埋まっていたかな

10号
斜面に立地した墳丘

開口部正面、前部破壊

石室後部は良好、床面がやや埋まる

奥壁はほぼ1枚石

奥壁前に板石が2枚敷かれている

奥から外、左片袖式

11号
墳丘かなり流失、石室前部破壊

開口部は大きいけど石室中間辺り

石室後部は良好、奥壁2段積み

奥から外、無袖かな

12号
ここも石室前面が崩壊、天井石が曲がっているように見えるが元々だろうな

頂部付近に開口

石室後部良好、奥壁3段積み、多分入れるだろうけど入ってないな

13号(見落とし)
14号
石室正面、前面で石材が散乱

頂部に開口、墳丘はもっと高かったようだ

途中で土砂流入、奥まで見えず

15号
もう良好な墳丘ばかり

墳丘中腹辺りに開口、封土もよく残っているようだ

石室もよく残る

玄室、奥壁は側壁よりむしろ石材が小型

奥から外、左片袖かな、羨道天井が少し下がっているようだ

16号
この古墳群はほんと墳丘の残り具合がよい

石室正面、さすがにこれでは入るの困難

内部もかなり埋まっている

17号
天井石露出、傾いているような

手前が入口辺り、奥にも天井石が見えている

隙間から撮影すると意外と良好に残っていた

18号
緩やかな墳丘

正面辺り、内部埋没

19号
これははっきりした天井石

細長い石室のようで奥に天井石、石室内部も空間がありそうだが撮っていない

20号
僅かな高まり、流石にこの辺りから奥は墳丘が残っていない

石室の様子も分からない程度の石材散乱

21号
天井石が露出

奥の方は何とか石室らしい

埋まっているが奥壁が見えている

番号不明1
これでもこの辺りでは高まりが残っている

22号
迷うことなく石室だと分かる

小型の天井石露出

23号
石材の集積としか思えない、黄色いテープがあるから古墳かなと

24号
積石塚?

石室らしい構造は見られず

25号(推定)
僅かな高まり、石室ははっきりせず

26号(推定)
石が集積しているから撮った程度

よく分かりません

27号(仮称)
御堂に戻ると背後に大きな墳丘があった、祭り事がされていたようで石の台があります

隙間開口

石室は割と残っているようだ、ストロボ撮影でも奥まで光が届かず

28号(仮称)
すぐ上に穏やかな墳丘、背後は広六林支群がある谷です

29号(仮称)
更に上に僅かな高まり

石材散乱、横穴石室だったような

盗掘されたようで上部が窪んでいる

(2001年)
1号
円墳
横穴式石室(T字型玄室)、玄室長1.8,幅2.3m
位置:35°22′00″N 134°49′26″E
墳丘、石室正面

羨道、玄室

奥壁、左側の袖幅は僅か

奥から外

2号
墳丘(山側)

細長い無袖式石室

奥から外、天井に段差がある

3号
墳丘、石室正面

2-3段に積まれた外護列石、他の墳丘でも幾つかある

整った石室

奥から外、無袖式

4号
石室開口部

玄室

6号
玄室、奥の床面に板石が敷かれている

奥から外、群の中では少ない片袖式

7号
石室開口部

玄室

広六林支群
谷筋に向かう斜面に28基
1号
横穴式石室
位置:35°22′03″N 134°49′25″E (日本測地系)
35.37067198 134.8208499(世界測地系)
群中一番下方にある1号、墳丘がまともに残っているのはこれだけ

上側から、谷に向かう斜面が急なのが分かる

墳丘上部に天井の一部が開口

カメラを突っ込んで撮影、これが奥壁のようだ

側壁、画面右端辺りが玄門かな

2号
急斜面に2号の低い墳丘

谷入口方向に石室開口

石室正面

石室は思いがけず良好、奥壁2段積み

奥から外、右片袖式、幅の割に背が高い

墳丘背後から、奥に1号

3号
これも低い墳丘だがこれでもましな方

石室正面、古墳に関係なく植林

石室内部、コウモリお休み中、入って入れないことはないが奥山でさんざん入った後なのでパス

4号
よく残る墳丘

反対側から見ると段差程度しか見えない

墳丘上部に石室開口

石室正面、前部は破壊されているようだ

石室内部、土砂が流入するもよく残っている

上から見ると斜面をカットした様子が分かる

5号
上から見た墳丘

大きな天井石が露出しているのみ

内部は殆ど埋没、奥壁も見えていて石室自体は良好のようだ

6号
下から見た墳丘

石材がないと古墳とわからない状態

石室開口、手前は天井石か

石室正面、加工された天井石

石室内部、奥壁は1枚石

奥から外、無袖かな、左は微妙

8号
墳丘は殆ど無く小型石材露出

9号
石材があるから古墳かなと思った程度

10号
これも同様、斜面上部にあるのはこんなのばかり

11号
これも石材が露出していたので撮影

石室基部は残っているかな

12号
上の方にしてはハッキリした石室露出

天井石が露出

細長い石室、内部埋没

なんとか奥壁が見えている

13号
割とハッキリした墳丘

石室が露出しているが内部埋没

15号
この辺りは大谷支群からの帰りに見つけました

これも細長い石室、天井石が石室に落下

最後部が比較的良好

なんとか奥壁上部が見えている

20号
天井石露出、これも細長そう

22号
直線状に天井石露出

何とか石室を分かるレベル

番号不明
多分石室、20,22号の間

大谷支群
養父市との境界をなす尾根筋に4基
1号
群中一番上、広六林支群から尾根に行くと最初に出会う、実際はこれを最後に撮りましたが

尾根筋を多少カットして墳丘構築

立地場所といい形といい中期かなと思うんだが

墳丘北側に石材散乱

横穴っぽい感じもしないでもない、でも石室主軸は墳丘中心を通っていないような

墳丘西側から

2号
横穴式石室
位置:35°22′06″N 134°49′24″E (日本測地系)
35.37150523 134.82057212(世界測地系)
すぐ下に2号墳丘、1号より少し小さいか

開口部、でもこれは奥壁側

中を覗くと細長い石室、持ち送りがあるようだ

反対側に本来の開口部、前部が少し破壊

開口部天井石は板状

石室内部、ひょっとして竪穴?、それにしては石室の長さに比して墳丘が小さい

3号
更にすぐ下に同規模の墳丘、これも中期っぽい

4号
更に下、尾根先端急斜面に4号、左側は鉄塔土台

墳丘上に石材散乱

天井石でしょうか

こちらは横穴石室っぽい

(見学記)
(2018年)
奥山支群
朝来市和田山町高田、3支群からなるというので再訪してみました(前の見学記を見ると説明板にも支群の名前が書かれているじゃないか、当時はどれが支群が分からなかっただろうけどね)。県道104号に南丹クリーンセンターが出来ていてその西端辺りに案内板が立っています、これは多分以前のまま。そこから5分程登ると御堂があり(御神体自体は他所に移されているとか)その背後にあるのが大谷支群です。前回も撮っていますがフィルム時代なのでデジカメで撮り直し。古墳が密集、水平方向だけでなく上下方向にもあるのでこういう所ではどういう順番に撮るか迷う、適当に撮っていると後からの整理が大変だしね。上下方向の移動は体力を使うので水平方向に撮っていく、一番下のグループの方が状態がいいのが多いしね。スギにテープが撒かれて番号が書かれているので整理に役立ちますが赤い数字と黒い数字があり番号が違うのもあるし赤のは消えかかっているのもあります。密集域の東側杉林の中の緩斜面にも幾つもありますがここのは小型で墳丘は殆ど流失、テープが貼られていないと石室とも分かりづらい状況です。
広六林支群
御堂の西側は深い谷になっていてそこを降りていくと広六林古墳群があります。谷筋から西側斜面に分布していますが大谷側の斜面には全く無く見事に分かれています。一番下谷筋にあるのが1号で大きな墳丘が残り頂部で石室開口、中に入るのは困難です。はっきりした墳丘はこれだけ、他は斜面カットした墳丘で入れる石室も幾つかありますが全般に残り具合が悪く墳丘流失石材散乱程度が多くテープがないと古墳だと分からない状態です。
大谷支群
更に西側養父市との境界をなす尾根筋に4基からなるのが大谷支群、一番上にあるのが1号、尾根筋を目いっぱいに利用して造られた大きく上部が広く平坦な墳丘、いかにも中期の古墳ですが頂部西側に小さな石室が露出しています。少し下ると3号、石室が開口していますがこちらは奥壁側、反対側にも開口していてトンネル状になっています。細長い横穴石室です。更に下ると2号、1号同様大きく上部が平坦な墳丘です。更に下ると送電線鉄塔辺りに4号、横穴石室の天井が露出しています。1号から上は急傾斜、4号から下も急傾斜で尾根平坦面を利用して古墳群が造られたようです。1、3号だけなら中期の古墳群ですが横穴石室を持つ2、4号があるから分からない。子孫が復活したか。案内板辺りの歩道が広くなっていて駐車可。
(2001年)
和田山町から円山川左岸沿いの県道を養父町方向に行こうとして道路際に説明板があるのを補偶然発見、ラッキー。説明板によれば奥山、広六林、大谷古墳群からなり総数48基の横穴式石室墳とのことです。山道を登っていくと祠がありその脇に墳丘があります。これが1号墳で南側に石室が開口、T字型石室ということですが玄室長1.8m、幅2.3mとそれ程大きくなく左側の段差も僅かでT字というよりL字型に近い。背後の急斜面にいくつも石室が開口しています。小型の割に整った石室で中には床面奥に板石が敷かれているのもあります。墳丘周りに2,3段の外護列石が巡っているのもあるようでそのせいでしょうか、急斜面にある割に墳丘の残り具合がよい。
横穴式石室墳、総数48基
奥山、広六林、大谷の3支群からなる
県道脇に以前と変わらぬ案内表示、手前の駐車スペースは以前はなかった

奥山支群(1号以外番号は仮称)
(2008年)
最初に出会うのがこれ、卍マークがついているからお寺、でも御本尊は引っ越しして空き家のようです

1号
円墳
横穴式石室、玄室長1.8,幅2.3m
位置:35°22′00″N 134°49′26″E (日本測地系)
35.36983874 134.82112768(世界測地系)
御堂近く、最初に出会うのがこれ、奥に2号、初めの内は霧がかかっていた

墳丘右側がかなり削られているが玄室完存

羨道、奥壁が見えている

奥壁、左の平行四辺形の石が変わっている

右側壁

左側壁

右袖部

左袖部、T字型と言う感じはしない

奥から外、両袖式、奥行きがあまりないので左右が撮れない

2号
良好に残る墳丘、後方にも墳丘続々

石室前面は状態が悪い

開口部、狭いが入るのに問題なし

長い羨道

玄室、奥壁は一応右下が鏡石風

奥から外、右片袖式のようだ

3号
良好に残る墳丘、正面に石室、開口部を撮るのを忘れている

隙間から撮影、土砂が入るも石室良好

4号
墳丘良好だが石室前に石材散乱

石室前部は埋没

隙間開口、石室後部は意外と状態が良い

5号
これも墳丘良好

頂部樹の下に開口

隙間撮影、石室も良好だが右側はかなり傾いている

6号
墳丘良好だが入口の石材を見るともっと大きかったかな、手前の石列は外護列石?

石室正面、期待できる開口部

悠々入れる大きさ、前部は少し破壊

長い石室、床面の石は崩壊した側壁か

奥壁は基本2段積み、下段の石は右上がかけているがわざわざこんなのを使ったか

奥から外、無袖かな

7号
墳丘頂部に石室開口

開口部正面、期待できる大きさ

幅の狭い玄室、奥壁4段積み

奥から外、前部は破壊されているかも

8号
開口部、墳丘撮り忘れ

内部は入って入れないことはない、小さいながらも鏡石らしい奥壁

9号
低い墳丘が残る、右側に石室開口

天井石露出、内部を撮ってないが埋まっていたかな

10号
斜面に立地した墳丘

開口部正面、前部破壊

石室後部は良好、床面がやや埋まる

奥壁はほぼ1枚石

奥壁前に板石が2枚敷かれている

奥から外、左片袖式

11号
墳丘かなり流失、石室前部破壊

開口部は大きいけど石室中間辺り

石室後部は良好、奥壁2段積み

奥から外、無袖かな

12号
ここも石室前面が崩壊、天井石が曲がっているように見えるが元々だろうな

頂部付近に開口

石室後部良好、奥壁3段積み、多分入れるだろうけど入ってないな

13号(見落とし)
14号
石室正面、前面で石材が散乱

頂部に開口、墳丘はもっと高かったようだ

途中で土砂流入、奥まで見えず

15号
もう良好な墳丘ばかり

墳丘中腹辺りに開口、封土もよく残っているようだ

石室もよく残る

玄室、奥壁は側壁よりむしろ石材が小型

奥から外、左片袖かな、羨道天井が少し下がっているようだ

16号
この古墳群はほんと墳丘の残り具合がよい

石室正面、さすがにこれでは入るの困難

内部もかなり埋まっている

17号
天井石露出、傾いているような

手前が入口辺り、奥にも天井石が見えている

隙間から撮影すると意外と良好に残っていた

18号
緩やかな墳丘

正面辺り、内部埋没

19号
これははっきりした天井石

細長い石室のようで奥に天井石、石室内部も空間がありそうだが撮っていない

20号
僅かな高まり、流石にこの辺りから奥は墳丘が残っていない

石室の様子も分からない程度の石材散乱

21号
天井石が露出

奥の方は何とか石室らしい

埋まっているが奥壁が見えている

番号不明1
これでもこの辺りでは高まりが残っている

22号
迷うことなく石室だと分かる

小型の天井石露出

23号
石材の集積としか思えない、黄色いテープがあるから古墳かなと

24号
積石塚?

石室らしい構造は見られず

25号(推定)
僅かな高まり、石室ははっきりせず

26号(推定)
石が集積しているから撮った程度

よく分かりません

27号(仮称)
御堂に戻ると背後に大きな墳丘があった、祭り事がされていたようで石の台があります

隙間開口

石室は割と残っているようだ、ストロボ撮影でも奥まで光が届かず

28号(仮称)
すぐ上に穏やかな墳丘、背後は広六林支群がある谷です

29号(仮称)
更に上に僅かな高まり

石材散乱、横穴石室だったような

盗掘されたようで上部が窪んでいる

(2001年)
1号
円墳
横穴式石室(T字型玄室)、玄室長1.8,幅2.3m
位置:35°22′00″N 134°49′26″E
墳丘、石室正面

羨道、玄室

奥壁、左側の袖幅は僅か

奥から外

2号
墳丘(山側)

細長い無袖式石室

奥から外、天井に段差がある

3号
墳丘、石室正面

2-3段に積まれた外護列石、他の墳丘でも幾つかある

整った石室

奥から外、無袖式

4号
石室開口部

玄室

6号
玄室、奥の床面に板石が敷かれている

奥から外、群の中では少ない片袖式

7号
石室開口部

玄室

広六林支群
谷筋に向かう斜面に28基
1号
横穴式石室
位置:35°22′03″N 134°49′25″E (日本測地系)
35.37067198 134.8208499(世界測地系)
群中一番下方にある1号、墳丘がまともに残っているのはこれだけ

上側から、谷に向かう斜面が急なのが分かる

墳丘上部に天井の一部が開口

カメラを突っ込んで撮影、これが奥壁のようだ

側壁、画面右端辺りが玄門かな

2号
急斜面に2号の低い墳丘

谷入口方向に石室開口

石室正面

石室は思いがけず良好、奥壁2段積み

奥から外、右片袖式、幅の割に背が高い

墳丘背後から、奥に1号

3号
これも低い墳丘だがこれでもましな方

石室正面、古墳に関係なく植林

石室内部、コウモリお休み中、入って入れないことはないが奥山でさんざん入った後なのでパス

4号
よく残る墳丘

反対側から見ると段差程度しか見えない

墳丘上部に石室開口

石室正面、前部は破壊されているようだ

石室内部、土砂が流入するもよく残っている

上から見ると斜面をカットした様子が分かる

5号
上から見た墳丘

大きな天井石が露出しているのみ

内部は殆ど埋没、奥壁も見えていて石室自体は良好のようだ

6号
下から見た墳丘

石材がないと古墳とわからない状態

石室開口、手前は天井石か

石室正面、加工された天井石

石室内部、奥壁は1枚石

奥から外、無袖かな、左は微妙

8号
墳丘は殆ど無く小型石材露出

9号
石材があるから古墳かなと思った程度

10号
これも同様、斜面上部にあるのはこんなのばかり

11号
これも石材が露出していたので撮影

石室基部は残っているかな

12号
上の方にしてはハッキリした石室露出

天井石が露出

細長い石室、内部埋没

なんとか奥壁が見えている

13号
割とハッキリした墳丘

石室が露出しているが内部埋没

15号
この辺りは大谷支群からの帰りに見つけました

これも細長い石室、天井石が石室に落下

最後部が比較的良好

なんとか奥壁上部が見えている

20号
天井石露出、これも細長そう

22号
直線状に天井石露出

何とか石室を分かるレベル

番号不明
多分石室、20,22号の間

大谷支群
養父市との境界をなす尾根筋に4基
1号
群中一番上、広六林支群から尾根に行くと最初に出会う、実際はこれを最後に撮りましたが

尾根筋を多少カットして墳丘構築

立地場所といい形といい中期かなと思うんだが

墳丘北側に石材散乱

横穴っぽい感じもしないでもない、でも石室主軸は墳丘中心を通っていないような

墳丘西側から

2号
横穴式石室
位置:35°22′06″N 134°49′24″E (日本測地系)
35.37150523 134.82057212(世界測地系)
すぐ下に2号墳丘、1号より少し小さいか

開口部、でもこれは奥壁側

中を覗くと細長い石室、持ち送りがあるようだ

反対側に本来の開口部、前部が少し破壊

開口部天井石は板状

石室内部、ひょっとして竪穴?、それにしては石室の長さに比して墳丘が小さい

3号
更にすぐ下に同規模の墳丘、これも中期っぽい

4号
更に下、尾根先端急斜面に4号、左側は鉄塔土台

墳丘上に石材散乱

天井石でしょうか

こちらは横穴石室っぽい

(見学記)
(2018年)
奥山支群
朝来市和田山町高田、3支群からなるというので再訪してみました(前の見学記を見ると説明板にも支群の名前が書かれているじゃないか、当時はどれが支群が分からなかっただろうけどね)。県道104号に南丹クリーンセンターが出来ていてその西端辺りに案内板が立っています、これは多分以前のまま。そこから5分程登ると御堂があり(御神体自体は他所に移されているとか)その背後にあるのが大谷支群です。前回も撮っていますがフィルム時代なのでデジカメで撮り直し。古墳が密集、水平方向だけでなく上下方向にもあるのでこういう所ではどういう順番に撮るか迷う、適当に撮っていると後からの整理が大変だしね。上下方向の移動は体力を使うので水平方向に撮っていく、一番下のグループの方が状態がいいのが多いしね。スギにテープが撒かれて番号が書かれているので整理に役立ちますが赤い数字と黒い数字があり番号が違うのもあるし赤のは消えかかっているのもあります。密集域の東側杉林の中の緩斜面にも幾つもありますがここのは小型で墳丘は殆ど流失、テープが貼られていないと石室とも分かりづらい状況です。
広六林支群
御堂の西側は深い谷になっていてそこを降りていくと広六林古墳群があります。谷筋から西側斜面に分布していますが大谷側の斜面には全く無く見事に分かれています。一番下谷筋にあるのが1号で大きな墳丘が残り頂部で石室開口、中に入るのは困難です。はっきりした墳丘はこれだけ、他は斜面カットした墳丘で入れる石室も幾つかありますが全般に残り具合が悪く墳丘流失石材散乱程度が多くテープがないと古墳だと分からない状態です。
大谷支群
更に西側養父市との境界をなす尾根筋に4基からなるのが大谷支群、一番上にあるのが1号、尾根筋を目いっぱいに利用して造られた大きく上部が広く平坦な墳丘、いかにも中期の古墳ですが頂部西側に小さな石室が露出しています。少し下ると3号、石室が開口していますがこちらは奥壁側、反対側にも開口していてトンネル状になっています。細長い横穴石室です。更に下ると2号、1号同様大きく上部が平坦な墳丘です。更に下ると送電線鉄塔辺りに4号、横穴石室の天井が露出しています。1号から上は急傾斜、4号から下も急傾斜で尾根平坦面を利用して古墳群が造られたようです。1、3号だけなら中期の古墳群ですが横穴石室を持つ2、4号があるから分からない。子孫が復活したか。案内板辺りの歩道が広くなっていて駐車可。
(2001年)
和田山町から円山川左岸沿いの県道を養父町方向に行こうとして道路際に説明板があるのを補偶然発見、ラッキー。説明板によれば奥山、広六林、大谷古墳群からなり総数48基の横穴式石室墳とのことです。山道を登っていくと祠がありその脇に墳丘があります。これが1号墳で南側に石室が開口、T字型石室ということですが玄室長1.8m、幅2.3mとそれ程大きくなく左側の段差も僅かでT字というよりL字型に近い。背後の急斜面にいくつも石室が開口しています。小型の割に整った石室で中には床面奥に板石が敷かれているのもあります。墳丘周りに2,3段の外護列石が巡っているのもあるようでそのせいでしょうか、急斜面にある割に墳丘の残り具合がよい。