両宮山古墳・和田茶臼山古墳(西高月古墳群)

岡山県赤磐市(旧山陽町)西高月古墳群 1988年1月訪問、94年4月、22年3月再訪
両宮山古墳・和田茶臼山古墳、小山古墳、朱千駄古墳森山古墳廻り山古墳

両宮山古墳
 前方後円墳、TL190,RH20
 位置:34°44′13″N 134°00′18″E (日本測地系)
    34.74016899 134.00233051(世界測地系)

茶臼山古墳(和田茶臼山古墳)
 前方後円墳、R20,H5
 位置:34°44′15″N 134°00′13″E (日本測地系)
    34.74072443 134.00094174(世界測地系)
(22年)
外堤南西隅から、墳丘裾を修復中、墳丘というより溜池としての修復か


西側周溝を北から


茶須山からの遠望、林がなくなっている部分は88年当時から変わりなし


東側渡り堤を通って前方部にある神社へ、見えているのは養蜂用の巣箱


前方部に神社、建物は新しそう、埴輪も葺石も発見されていないそうです


外堤南東隅から


周溝東側を南から、東側がやや高くなっているのかこちらがわは水が奥まで入っていない


前方部は手前右斜め方向にあったようです


茶臼山越しに両宮山


(94年)
後円部北側周溝を西から、西側は満水だとこの辺りまで水が来ている


幅広い周溝、ここに水が溜まっていたことはないだろう


後円部北東側崇高を北から


茶臼山から見た両宮山、だいぶ高い位置にあるのがわかります


南側から見た茶臼山


東側から


西側から、農業用ハウスはなくなっている


北側から、これもほぼ定番のアングル


(88年)
22年_1と同じアングル、満々と水を貯めた水面が美しい


これも22年_2と同じアングル、20年以上経っても同じアングルで撮ってるな


北側主軸線上からの眺め、西側周溝の方が地形が低いのがわかる


西側外堤、ストリートビューで見るとあの家はまだあった


この頃はまだ上に説明板がなく円墳だと思っていた


(見学記)
山陽町穂崎,県道27号のすぐ北側にある全長190m,後円部径104m,高21.7m 県内第3位の大型前方後円墳です。墳丘の保存状況もよく両側に造出も残っていますが全体が森になっていて墳丘上に行けるのは前方部にある神社までです。ここに説明板が立っていますがこちらは両宮山古墳群となっています。この説明板の位置も別の位置にした方が多くの人に見て貰えると思いますが(こういう例はよくありますね)。廻りに広い周溝があって現在南側に堤防があり北側を除いて水が貯まっていますが古墳が緩斜面に位置していますから本来は水は 貯まっていなかったんじゃないでしょうか。北側に陪墳の茶臼山古墳があり径20m の円墳ですが前方後円墳集成ではこれも前方後円墳となっています。両者とも国史跡。

小山古墳(西高月古墳群)

岡山県赤磐市(旧山陽町)西高月古墳群 1988年1月訪問、94年4月、22年3月再訪
両宮山古墳・和田茶臼山古墳、小山古墳、朱千駄古墳森山古墳廻り山古墳

小山古墳
 前方後円墳、TL55,R35,FW16、4C末
 舟形石棺
 位置:34°43′52″N 134°00′44″E (日本測地系)
    34.7343366 134.00955229(世界測地系)
(94年)
西側から、88年_1と同じアングル


南西側から


西側側面は裾のラインがよく分かる


南東側から


東側から


溜池越しに、壁紙サイズでは粗くてとても使えない


後円部北東から


南東丘陵上から、高速道路が出来、両宮山が見づらくなった


少し近寄って


後円部から前方部、神社参道になっている


前方部から後円部


舟形石棺破片、破片自体は動かされていない感じ


(88年)
西側側面、いい姿で残っています


南東から、遠方に両宮山が見えていました


社殿背後に舟形石棺破片散乱


(見学記)
朱千駄古墳の東方,盆地南側の火打山麓に位置する全長53mの前方後円墳です。後円部に神社があり前方部が参道になっている以外墳丘の保存状況はよくシンプルな形が良く見えます。神社の建物背後に阿蘇石製の舟形石棺の破片があります。破片ですが特徴のある蓋の丸みや両端の縄掛け突起が見えています。すぐ近くにある同規模の朱千駄,小山古墳の石棺の違いが興味深いですね。なお火打山を越えた南側麓(旧瀬戸町)に玉井丸山古墳があります。墳丘上に郷土資料館などの建物があって変形が著しいですが全長137mの前方後円墳です。「日本の古代遺跡(岡山)」には載っていますが「前方後円墳集成」には載っていません。

朱千駄古墳(西高月古墳群)

岡山県赤磐市(旧山陽町)西高月古墳群 1988年1月訪問、94年4月、22年3月再訪
両宮山古墳・和田茶臼山古墳小山古墳、朱千駄古墳、森山古墳廻り山古墳

前方後円墳、TL60、5C
 長持形石棺
 位置:34°43′50″N 134°00′08″E (日本測地系)
    34.73378068 133.99955326(世界測地系)
(22年)
竹林が少し伐採され後円部が見やすくなっていた、県道で少し削られているようです、説明板の位置が変わっているが基本的には変わりなし


北に下がる緩斜面に立地なのがわかります


南側は溜池堤と一体化してわかりにくくなっている


前方部は畑、後円部に比べて前方部が長いか


右端辺りが前方部端のようです


(88年)
多分森山古墳からの遠望、現在は間に高速道路が出来たので直接には見えない


左側の前方部がハッキリしている


県立博物館に展示されている石棺(奥)、手前のは岡山市八幡大塚古墳(消滅)出土石棺


(見学記)
盆地の南側山麓,阿部に位置する全長65m の前方後円墳ですが,現在南側に溜池があり、その堤防のようになっています。名前の由来は明治時代の盗掘で大量の朱が出土したことによります(すぐ想像はつきますね。又後円部から出土した竜山石製の組合式長持ち形石棺が県立博物館に保存されています。県史跡。

森山古墳(西高月古墳群)

岡山県赤磐市(旧山陽町)西高月古墳群 1988年1月訪問、94年4月、22年3月再訪
両宮山古墳・和田茶臼山古墳小山古墳朱千駄古墳、森山古墳、廻り山古墳

前方後円墳、TL85,RH9、5C末
 位置:34°44′06″N 134°00′27″E (日本測地系)
    34.73822485 134.00483035(世界測地系)
(94年)
88年_2と同じアングル


88年_3と同じアングル


西側から、段築か耕作の影響か


墳頂から低い前方部、高速道路が出来ていた


北側から見た後円部


東側から、手前が1段高くなっているが外堤があったんでしょうか、グーグルマップで見ると周溝が巡っているようです


廻り山古墳からの眺め


(88年)
廻り山古墳からの遠望


南西側から、前方部はすっかり平らになっている


南東側から、後方に両宮山古墳が見えている


(見学記)
両宮山古墳の県道を挟んだすぐ南東側水田の中に位置する全長85mの帆立貝式古墳です。廻りが開けていて墳丘も畑ですから廻りをぐるっと回って観察できます。墳丘の保存状況も比較的よく周溝の跡も地割りとして残っています。前方部は低く平らで大きめの造出と行った感じですね。

廻り山古墳(西高月古墳群)

岡山県赤磐市(旧山陽町)西高月古墳群 1988年1月訪問、94年4月、22年3月再訪
両宮山古墳・和田茶臼山古墳小山古墳朱千駄古墳森山古墳、廻り山古墳

(94年)
西側から


東側から、円墳状だと撮る枚数が少ない


(88年)
森山古墳からの遠望


(見学記)
森山古墳の東側,水田の中に位置している全長45mの前方後円墳ですが墳丘の改変が著しくとても前方後円墳とは見えません。県史跡。

片山古墳群

岡山県赤磐市(旧赤坂町)2014年1月訪問

2基

全景:谷の奥、左斜面に1号、右斜面に2号、撮影地でさえ既に谷の奥なんですけどね


1号
横穴式石室、玄室長3.5,幅1.8,高1.3m(現状)
位置:34°50′32″N 134°01′47″E (日本測地系)
    34.8454364 134.02704743(世界測地系)
斜面麓辺りに立地、墳丘殆ど流失、段差になっていて前部崩壊


露出した天井石


内部は多少埋まるも良好


奥壁は平石を積み重ねる


奥から外、無袖かな、最前部天井が一段下がる


2号
横穴式石室、1.5,1.7,1m(現状)
位置:34°50′29″N 134°01′46″E (日本測地系)
    34.84460316 134.02676971(世界測地系)
山道から藪の奥に見えている


石室はかなり破壊され状態はよくない


奥壁辺りが何とか残っている


1号とよく似た奥壁の積み方、切り石状でこちらの方が新しいかな


左奥壁、右側壁


見学記
赤磐市惣分、福市八幡宮北東200m辺り谷奥の更に支谷の両側に分布する2基からなる古墳群です。見通しも悪くなんでこんな所にと言った場所、しかも1号は一応谷北側の南向き斜面だけど2号は反対側の北向き斜面で住宅物件ではないけれどかなり立地が悪そう。1号周辺に幾らでも立地出来そうなのにね。1号は斜面麓辺り元は果樹園だったそうで段差部分にあり墳丘殆ど流失石室前部は崩壊しています。内部は土砂が流入入り口にも木が生えていますが何とか入れます。側壁奥壁とも小型の石材を積む。2号は1号のほぼ南側で側を山道が通ってますが藪の中でちょっと分かりにくい。石室はかなり崩壊し奥壁辺りが何とか残っています。奥壁の積み方は1号とよく似ていますが切り石状でこちらの方が新しいかな。谷の中を舗装路が通っていて行けるとこまで行くと行き止まりなので駐車可。

塚畑古墳

岡山県赤磐市(旧吉井町)2014年1月訪問

横穴式石室、4.7,1.5,1.5m(現状)
位置:34°52′40″N 134°01′37″E (日本測地系)
    34.88098804 134.02426864(世界測地系)

民家敷地の間から見えています、これは訪問後なので普通は開口部は分からず


よくある段差部分に開口、石室確認の為少し開けたけどその前は全く見えてなかった


横から、墳丘は全く分からず


石室内部はやや埋まるも割と良好、多少掃除した後


奥壁も側壁と変わらない小型石材、最奥の天井が1段下がる、天井石落下寸前


奥から外、右片袖かな、最前部の天井石も1段下がっている


見学記
赤磐市仁堀東、丘陵麓近くの緩斜面に構築された古墳です。階段状の水田の段差部分に開口していますが墳丘の高まりもないし入り口も藪で隠され一見分からない状態です。でも内部を覗くと細長い石室がよく残っています。側壁奥壁も中小型の石材、右片袖でしょうか天井部も一段下がり玄室と区別しているようです。手前の民家に白い蔵のようなのがあるのが目印。段差部分に開口しているのはよくありますがここまで偽装されているのも珍しい。

高田古墳群

岡山県赤磐市(旧吉井町)2014年1月訪問

3基

1号
横穴式石室
位置:34°53′23″N 134°04′34″E (日本測地系)
    34.89293281 134.07343079(世界測地系)
完全露出した小型石室、背後の民家敷地内に2号がある


石室正面、羨道壊失


石室内部、これでよく崩壊しなかったなと思うレベル


石室背後、枯れ葉が積もっているが封土は全くなし


2号
横穴式石室
民家敷地内、前の道路から見えている


石垣の中でなく少し前にあるようだ


石室正面、左右の袖石が幅広い


石室内部、状態はよくない


3号は基底部のみ、勘違いで見つけられず

見学記
赤磐市稲蒔、3基からなる古墳群です。集落の一番上(南側)の民家敷地内にあるのが2号で石垣部分に開口しているのが道路からも見えていますが内部は埋没しています。その東側ため池との間にあるのが2号で小型の石室が完全露出しています。後ろ半分くらいしか残っていない模様。完全露出でも大型の石材だと自らの重みで安定して立っていられるだろうがこれ程の小型で崩れずによく残っているもんだ。更に上の方に鬼子母神堂がありその手前に3号石室基部が残っているそうだ。ため池東側にもお堂がありそれを鬼子母神堂と勘違いして見つけられなかった。

八塚古墳群

岡山県赤磐市(旧赤坂町)2011年2月訪問

双室墳に見えるが単なる移築


左1号、右3号、敷地に余裕があるから分ければいいのに


1号
横穴式石室、玄室長4.6,幅1.2,高1.8m
位置:34°47′55″N 133°58′43″E (日本測地系)
    34.80182898 133.9759419(世界測地系)
手前のは落下した天井石でしょうか


石室正面


背の高い玄室


〃(縦位置)奥壁は分かりづらいが2段積み


奥から外、左側石が突き出ているがそこまで復元するとは思えず移築後突き出てきたのかな


3号
横穴式石室、玄室長2.9,幅1.1,高1.4m
石室正面、左右で残存状態が違う


割石乱石積みの玄室、一見して1号より古い


〃(縦位置)手前2枚の天井石は花崗岩のようで後から補充したのかな


奥から外


(見学記)
赤磐市山口、県道53号を更に西に行き岡山市に入る少し手前辺りで右に入る細い道があります(入り口が一応とうせんぼされている)。2,300m程行ったまだ工事中な感じの場所に1,3号の石室が移築されています。一見双室墳な趣、左側の大きいのが1号、奥壁は2段積み天井石も巨石でなかなかの物、右側3号、こちらは規模も石材もやや小形、奥壁も側壁と同じような乱石積みです。野山で見つけたのなら規模も大きく状態も良好で嬉しいだろうけど移築だとちと味気ない。それにしても説明板も何もないけどここはどうするんでしょうね、公園でも造るのかな。入り口辺りに駐車可。

弥上古墳

岡山県赤磐市(旧熊山町)2001年4月訪問、2008年再訪

前方後円墳、TL30、後期後半
横穴式石室、現存長9m
位置:34°46′19″N 134°03′42″E (日本測地系)
    34.77516698 134.05899122(世界測地系)

石室開口部


背の高い玄室、左に大きく歪んでいる


〃(縦位置)


巨石2枚を縦に並べ上に平石、隙間のない巧みな積み方


奥から外、袖石を立てた片袖式


(見学記)
JR万富駅から県道254号を北上し、熊山町に入ってすぐ道路が大きくカーブしている辺りにあります。全長30mの前方後円墳ですが後円部がかなり削られていて前方後円墳とは分かりにくい。西側平野に向かうように石室が開口、右片袖式で現存長9m程、割とよく残っていますが全体に北側に傾くように歪んでいて、特に左奥の側壁は孕んできていて奥壁の一部に重なってきています。中から木棺や陶棺が確認されています。
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