造山古墳群

造山古墳他6基、全て国史跡

千足古墳(2009年10月10日発掘時の石室写真)
開口部から見た石室内部、デジカメの調子が悪く色がおかしくなっている


緻密な小口積み奥壁


天井石


右側壁


左側壁、ストロボだと色はおかしくはない


石槨手前右側


〃左側


石障の線刻壁画、下部が消えている、上面に線刻があるが撮ってなかった


左側拡大


〃ストロボ無し


右側拡大


〃ストロボ無し


板石を使った玄門、閉塞石が残る、手前石障にU字状の彫り込みがある


古墳群立体模型、現地にある。前方部の切断の様子がよくわかる



造山古墳
 前方後円墳、TL350,R200,FW215,RH24
 位置:34°40′14″N 133°48′25″E (日本測地系)
    34.673782 133.80429418(世界測地系)
(95年)

6号墳からの眺め、88年_4と同じアングル


前方部から後円部、とにかくだだっ広い、後円部が遙か彼方に見える、高松城攻めの時陣地が設けられて改変されている


後円部から前方部、88年に比べてだいぶ整備


北側にある庚申山からの遠望


造山古墳石棺
(95年)
前方部上の石棺、阿蘇凝灰岩製、造山古墳から出土したかどうかは不明

(09年)
覆い屋が架けられていた


小口部にも彫り込みがある、組合式を模したんだろうか


内部には石枕


家形蓋石の一部が残る


内側の刳り貫き状態、水銀朱もはっきり残っている


線刻があったけど漢字のような感じ

(88年)
南東からの眺め、赤い重機がある辺りが多分駐車場工事中


前方部から後円部


後円部から前方部、この頃はまだ整備されていない


6号からの眺め、右に造山前方部正面、左に榊山古墳の乗った残丘


1号(榊山古墳)
 円墳、R40
(95年)
馬形帯鈎の出土で有名

(88年)
手前に造山古墳前方部周溝がある


2号
 円墳
(95年)
1号の北側麓、一段下にある


下側から


上側から


後方に3号(右)、4号(中央奥)

(88年)


3号
 円墳
(95年)
西側から


上側から


北西から、後方に4号、一段上なのがわかる


後方に3号(右)、4号(中央奥)

(88年)
これも一段下にある、後方に2号


4号
 円墳
(95年)
88年_1と同じアングル


上と反対側から






左4号、右3号

(88年)
造山前方部から


5号(千足古墳)
 前方後円墳、TL74,R56,FW24,RH18,FH3
 装飾竪穴式石室
 (23年墳丘復元、石室公開)
 位置:34°40′01″N 133°48′16″E (日本測地系)
    34.67017125 133.80179471(世界測地系)
(95年)
88年_1と同じアングル


これも造山前方部から


これは4号辺りからかな、手前左に前方部


88年_2と同アングル


当時使っていた川崎KSRⅡ、手前の前方部の存在は殆どわからない


西側からの眺め


後円部から前方部、すっかり畑になっていた、後方に4号

(88年)
造山前方部からの眺め、墳頂標柱が立っている辺りに水没石室が見えていた、フィルム時代ではあの様子は撮れなかった


更に近寄って、このアングルで撮っているのが多い


6号
 円墳
(95年)
少し離れた山側斜面にある


斜面を削って作った様子がよくわかる、後方に千足古墳墳頂に立っていた標柱が見えている、更に遠方に造山古墳

牟佐北古墳(仮称)

 横穴式石室
 須恵質陶棺
 位置:34°43′44″N 133°58′27″E(日本測地系)
    34.73211346 133.97150154(世界測地系)

山道脇に開口、だいぶ掃除しています


石室前上部は壊失


奥に陶棺が原位置で残っている


石室後部や陶棺下部は埋まり気味


奥壁は下が埋まるが岡山によくある鏡石+平石か


奥から外、陶棺を壊さないよう慎重に撮影


蓋の方は2つに割られているようです


須恵質の陶棺、高さはそれ程なさそう陶棺が元のまま残っているのも非常に珍しい


割れ口が真っ直ぐじゃないから後から割れたようです


蓋を開けてみました、衣装箱のような感じ


蓋石や身も非常に薄い、よく残ったもんだ


内部に破片の一部か


大人を入れるには長さが足りないか


蓋石の様子、撮影後は元に戻しておきました


陶棺の前に円筒形のものがある


少なくとも奥にある陶棺の脚ではない


(見学記)
牟佐北古墳群から山道を更に登っていきます。上りから緩い下りになり浅い幅広い谷を越えてすぐ右側に石室開口しています、標高300m辺りです。小型の石室ですが内部に陶質陶棺が残っています。身も蓋もほぼ完全に残っていて蓋が二つに割れている程度です。蓋の方がやや大きく印籠式というより弁当箱と言ったほうが適切か。下に大きな1枚石がありますが棺台でしょうか。二つに割れた蓋石の手前のは動かされている気配があったので開けてみました。奥の方はヒビが入っているので注意が必要。棺身は完全に残っていて上部が下部より小さくなっています。全体は小さく遺体を普通に入れるのは無理、骨にして入れたんでしょうか、その場合でも頭骨を入れるのは無理そうです。手前に陶棺脚の基部が残っていますが材質が陶棺と合わないし陶棺には脚はなさそうです。そもそもこれはちょくちょく動かされているみたい。それにしても陶棺が破片でも残っているのは滅多に無いのにここまで完全に残っているのは奇跡的です。こんなに素晴らしいのに名前が無いというのも岡山的と言うべきか(笑)。

牟佐北古墳群(仮称)

岡山県岡山市北区 2022年3月訪問

牟佐北古墳群】(仮称)
 横穴式石室、3基か

その1
 位置:34°43′41″N 133°58′41″E(日本測地系)
    34.73128029 133.97538998(世界測地系)
山道脇に墳丘があるが開口部は藪の中


小型石室、入れないこともないがパス


持ち送りのない側壁、岡山ではよく見られる


その2
直ぐ側にその2の墳丘


下から見ると墳丘がよく残っている


正面から、なんとか石室構造が分かる程度


墳頂から見た石室天井の並び


その3
すぐ下に大きな墳丘


3基の中で一番大きく状態も良い


墳頂から見た石室、羨道は残るが天井壊失


下から見ると側壁は割りと分かる状態、右側の石は羨道先端辺りか


玄室先端の天井が転落しかけて開口


玄室内部は土砂が流入するもよく残る、奥壁は2段積みか、上の石材の方が大きそう


奥から外、転落した天井石が塞いでいる


奥から右、面が整えられている


奥から左、やはり持ち送りはない


墳丘横から


背後に斜面カットした跡が残る


(見学記)
岡山市北区牟佐、牟佐大塚北側の山中、標高180m辺りにある3基からなる古墳群です。下の高蔵神社参道入口辺りから舗装された道を登り四角い石垣のある施設辺りから左の山道を登っていきます。ほぼ1本道だから間違えることはないでしょう。かなり急傾斜の山道を登り上に送電線が通っている辺りから上空が開けてきます。細竹の藪の中をよく見ると墳丘が見えていて痕跡道があるので入っていくとすぐ石室開口、中にも細竹が生えるなど写真と撮り方的にはあまりよくない。直ぐ側にも石室、天井石が露出していますが内部埋没です。その下に斜面をカットした大きな墳丘が見えています。下側に開口、羨道は下部しか残っておらず天井石が落下していますが玄室は割とよく残っています。こんな場所で思いがけない墳丘&石室でした。麓高速道手前に牟佐スポーツ広場があり駐車場があります。

大平山古墳群

岡山県岡山市北区 2016年3月訪問、21年3月再訪

横穴石室墳、10基以上
(数字は「古墳奮闘」に従う)

(2021年)
その1-5は藪の中、その6は見落とし

その7
緩斜面に僅かな高まり、下草が生えてないからこの程度でもすぐわかります


_1とほぼ反対側から


正面側から、手前の天井石はずれ落ちているようです


天井石は最後部のが残る、スパッと切ったような切断面


奥壁はよくある鏡石+平石、右側のははめ込んだのか、割れたのか


その8
微かな高まり、石材があるので古墳と分かる


斜め前から


右前から


何もこんなとこに生えなくても、な樹木


奥壁は先端が尖ったややずれた将棋の駒型


その9
山道を下から上がってくると最初に目にするのがこれ、何号にするかでちょっと迷ったが9のようでした


斜め前から


正面から、基部は先端まで残っていそう


右斜め前から、後方の尾根筋に下から登ってくる山道がある


変形鏡石、最後部の天井石は抜かれる


後方離れた場所から


大きさに比べてかなり薄い天井石


その10
正面から、細長い石室


石室後部、最後部の天井だけ残るよくあるパターン


横から、天井石殆ど壊失


奥壁2段積み


その11
前部はかなり破壊、後方藪の中に1-5号がある


ここも良好なのは最後部のみ


1枚だけ残る天井石、割りと分厚い


下が埋まっているが半円形の鏡石


その12
完全に藪の中


石室なのはなんとか分かる


左が最後部の天井石、右は転落した天井石


その13
ハッキリした高まりにハッキリした天井石


斜め後方から、左側が奥壁


正面から、割と長い石室


ここも石室後部が残る、手前の天井石は加工度が低い


石室内部、一部天井石が落下


その14
上方から見た墳丘


横から、手前のも石室石材か


斜め前から


石室内部、半ば埋まっている


加工度の高い天井石


その15
一番下、斜面がきつくなっている


後方のが奥壁のように見えますがこれは上側からなのであれは転落した天井石


横から


_3と反対側から


奥壁は平石を重ねている


_1と反対側、メモしておかないと正体がわからなくなりそう


(2016年)
西側からの遠望、農地だったので山頂が裸


その1(2号)
横穴式石室、全長6.7、玄室長2,幅1.8,高1.6m
位置:34°41′16″N 133°50′51″E (日本測地系)
    34.69100195 133.84484727(世界測地系)
開口部、かなり掃除しました


長い羨道、多分群中最大の石室、保存状態も一番良い


羨道途中から、右に袖が隠れている


長い羨道に比べて小型の玄室、ほぼ正方形プラン


奥から外、左片袖式


袖部


羨道奥から、左に歪んできているようだ


その2
石室露出、周りは茅原状態


石室は意外と残っている、奥壁は1枚石のようだ


その3
石室正面、多分農地整理の際出た小石で埋められている


ここも石室は意外と良好


奥壁は平石3枚積み


その4
天井石露出、内部埋没


奥壁辺りでしょうか、三角持ち送りかな


その6(10号)
ここからは南側斜面、林の中


石室正面、前部は基部だけ残る


多少埋まるも後部は意外とよく残る


奥壁、鏡石+平石か


奥から外、入れるよという証拠写真程度


その7(4号)
斜面に低い墳丘が残る、この林は下草が殆ど生えていないので探しやすい


前部はかなり破壊、後部が残る


奥壁はかなり平面に整えられている


その8(7号)
僅かな高まり


石室内に大きな木が生える、わざわざそんなとこに生えるな


天井が残っているのは最後部だけ


小型だが5角形の鏡石らしい奥壁


その9(8号)
僅かな高まりに天井石露出


入り口辺りの薄い天井石


後部は石室らしさが残る


石室内部


その10(9号)
斜面に残る墳丘、これだけ残れば上等


石室正面、左右の石辺りが玄門かな


石室横から


奥壁は平石積み、しかし何故奥壁ばかり残る?


その11(6号)
前部はかなり破壊


最後部だけが残る


如何にも鏡石らしい奥壁


(以下古墳奮闘には載っていない)

その13
ハッキリした墳丘に天井石露出


群の中で一番良好に残る天井かも


横から


割と隙間がある


石室正面、倒木が邪魔


多少埋まるも石室良好、石材は落下した天井石か


その14
これも割と大きな墳丘が残る


天井石露出、一部石材散乱


手前の天井石は少し動いているかも、右側の石が玄門袖石かな


横長の天井石


内部はかなり埋まる、何とか奥壁が見えている


その15
急斜面に残る墳丘


天井石露出


奥の天井石以外は動かされている


平石を重ねた奥壁


見学記
(2021年)
ここは一度見学しているのでパスしようかと思いましたがせっかく分布図があるので撮り直してみました。とは言え東古墳群を撮影した後、昼食&水分補給で一度下まで降りたので2度目の登山となりました、下の溜池から20分程度ですけどね。石室が割と良好に残る1-5号はもうすっかり薮の中で見学困難です。南側にある7-15号は石室はそこそこ残っていますが入れるようなのは殆どありません。疎林がはえる斜面に低い墳丘や石室が見えているのが見どころといえば見どころ、眺めるだけなら割と好みの場所ですが。

(2016年)
岡山市北区立田、大平山山頂南西の緩斜面に分布する十数基からなる古墳群です。山頂一帯はかってはキャベツ畑でしたが現在は廃園となって茅畑になったかと思うくらい変貌、HP古墳奮闘で見られる様子とは全く様変わりしています。カヤは多分オガルカヤ、これは冬場でも茶色く立ち枯れしたままなので見通しが悪く古墳を探しにくい、その中で2号墳はナワシログミが生えてて比較的分かりやすい。石室も完存していて古墳群の中では一番状態が良い。羨道長が4.7mなのにたいして玄室長は2mと短く変わっています。この東側にも3基程ありますがせいぜい内部が覗ける程度です。元農地が見学困難なのに比べて南側の山林内は見学容易です。ここで9基程見つけましたが石室良好なのは少なく内部に入れるのは1基だけ、でも他のも一応奥壁までは見えています。下草の生えていない見通しの良い疎林の中に多少墳丘の残る古墳が点々、一番好きな状況だな。石室がもっと良好だったら最高でしたけどね。初めは全10基の古墳群だったようですがだんだん増えているような。南にある大池(山陽道が通っている)辺りから登っていく道路がある、かっては山頂近くまで入っていけたようですが現在は不法投棄防止の為中池辺りで通行止め後は歩いて行く事になります。通行止め辺りに駐車スペースあり。

大平山東古墳群

岡山県岡山市北区 2021年3月訪問

横穴石室墳、10基程度
 (数字は「古墳奮闘」に従う)

大平山縦走路、ここを左に行く、古墳群の案内表示はない、画面背後を行くと大平山


その2
 位置:34°41′12″N 133°50′57″E(日本測地系)
    34.68989096 133.84651392(世界測地系)
低い墳丘、ここはどれも同様、画面左中から下中にかけて山道がある


石室正面、石室基部と最奥天井石残存


横から、天井石も動かされている


石室背後から、1は見つからず


その3
低い墳丘に天井石露出


石室正面、前部かなり破壊


奥の天井石も少しずれているか


石室は半ば埋まるも奥壁まで見えている


ほぼ1枚石の奥壁


天井石背後から、3枚残存


その4
低い墳丘に天井石露出


露出しているのはほぼ天井石だけ


正面から、かなり加工された天井石


かなり大きな天井石、背後にも1枚


ここも半ば埋まるが奥壁まで見えている


奥壁はブロック状の割石積み


_2と反対側から、左奥にも墳丘その5か


その5
あるかないかの墳丘


あまり加工されていない大きな天井石


横から、中間の天井石が抜かれている


中間の天井石


隙間から覗くと袖石がある、奥側が開口だったようだ、2枚目の巨石が最奥の天井石のようだ


ストロボ撮影


こちらが本来の入口側


石室内部、_5と反対側から


_3と反対側、右が入り口のように見える


その6
大きな天井石が露出


正面側から、手前の天井石が前に転落


中間の天井石は壊失


奥の天井石も抜かれてトンネル状、前部も考えるとかなり長い石室


ストロボ撮影すると奥の天井が抜けているのが分からない


奥壁は2段積みか


奥から外


奥の天井石が抜けている状態


中間部


その7
殆ど高まりはない


小型天井石露出


後方にも1枚、内部埋没


その8
天井石を失った石室露出


左が側壁か、右はハッキリしない


その9
ハッキリした天井石露出


3枚残存か、右側も天井石か


後方から


内部は埋没


(見学記)
北区西辛川、大平山山頂南東、尾根の東側緩斜面に分布する9基からなる古墳群です。大平山周辺に山歩きルートがあるようでここも大平山から下っていくと道が分かれる辺りに案内表示があり左側に行くと古墳群があります。墳丘は流失して石室が露出しているのが多く石室の状態もあまりよくなく大平山古墳群と似たりよったりです。入ろうと思えば入れるけど入るほどでもなく中途半端。

隠里古墳群(仮称)

岡山県岡山市北区 2021年3月訪問

横穴石室3基

その1
 位置:34°41′07″N 133°50′34″E(日本測地系)
    34.6885024 133.84012534(世界測地系)
緩斜面に立地、墳丘は殆ど無い


下方から


前は急斜面で石材が落下している


分厚い板状の天井石


天井石がずれて開口


奥壁は1枚石、側壁は平石が多い


その2
その1すぐ東側、有るかないかの高まり


下方から、前部はかなり破壊


斜め前から


微妙に残る墳丘


開口部正面、ここも分厚い天井石


石室後部はよく残る


〃ストロボ撮影


奥壁は三段積み


奥から外、無袖でしょうか


〃ストロボ無し


その3
更に東側、天井石露出


正面、天井石が大きくずれている


この天井石は板状じゃなく円弧状


石室内部、天井石底面に割った時の段差


奥壁はほぼ1枚石


奥から外、2番目の天井石は今にも割れそう


中間の天井石は平石で変わった形状、これでは前側に大きな隙間ができそうだが


石室天井後部から


(見学記)
勝負ヶ谷古墳群から大平山山頂を目指して登って行く途中、山道が左右に分かれる辺りに右手斜面に3基の古墳が並んでいます。山道から見えているのですぐ分かります。どれも小型の石室なので詳細は省くけど上に大平山、下に勝負ヶ谷と中規模古墳群に挟まれた古墳群、どんな集団がこんなとこに古墳群を造ったのか気になります。

勝負ヶ谷古墳群

岡山県岡山市北区 2021年3月訪問

勝負ヶ谷古墳群
 横穴石室古墳群、大型石室もあるらしい
(番号はHP「古墳奮闘」に従う)
その1
 位置:34°41′01″N 133°50′18″E(日本測地系)
    34.686836 133.83568117(世界測地系)
南から行くと最初に出会うのがこれ、一見大きな墳丘のように見えます


尾根先端が削られ石室部分が突出しています


石室正面、前部はかなり破壊


奥壁はほぼ1枚石、縦長


奥行きはあまりないので左側壁


右側壁


その4
墳丘はよく残っている


極狭開口部


内部は殆ど埋まる


天井にも隙間があるが内部は撮れない


その5
 位置:34°41′03″N 133°50′22″E(日本測地系)
    34.68739148 133.83679221(世界測地系)
その4に隣接して墳丘がある


石室前部はかなり破壊


天井石が見事に割られている、多分後世のでしょうね


石室後部が残る、奥壁は1枚石、左上はひび割れのせいか


奥から外、天井も平面に整えられる


登山道からも見えています


その6
 位置:34°41′04″N 133°50′30″E(日本測地系)
    34.68766919 133.83901432(世界測地系)
自然石が露出、この辺り4基の石室が並ぶ、こういうのは近づくとたいてい本物の自然石だけど


これは本物の天井石でした、自然石をそのまま使っている


石室内部、奥壁は台形鏡石+平石2


奥から外、入れると言った程度


下から見ると低い墳丘がある


その7
右奥に墳丘のようなのがあるが石室は手前


上部を失った石室露出


石室後部、この古墳群では珍しい平石を重ねた奥壁


左前から


横から、落ちているのは天井石か


後方から


その8
開口部正面


幅の割に背が高い石室


〃縦位置


こけし型の奥壁


奥から外


〃ストロボ


その9
7と8の間に9がある、天井石殆ど壊失


斜め前から


幅は広そう


最後部だけ残る天井石、随分平石に加工


その他
その6側、斜面に巨石


下から


天井石だと思うけど


(見学記)
北区立田、常昌院周辺に分布する古墳群です。ここは見た限りそれ程大した石室もなさそうだし道も狭いので敬遠してみました。でも東側で隠里古墳群(仮称)や大平山東古墳群が新たに見つかったので来てみました。お寺の手前で大きな石室が見えています、これが1号で立って入れる程の石室、奥壁は巨石1枚石ですが前部が完全に破壊されています。この手前にも2,3号があるがパス。1号の手前から大平山に登っていく道があります。その途中溜池手前の左側林の中にあるのが4,5号、同じような規模の墳丘が並んでいて石室があります。奥のが4号で殆ど埋没隙間開口です。手前が5号で石室が大きく開口しています。更に山道を登っていき溜池後方の谷あい、山道右手に4基の小型石室があります。その内東端の8号が少し毛色が変わっていて幅の割に背が高い玄室です。この付近に古墳モドキが幾つかあります。この古墳群は総数25基からなる古墳群で中には玄室長が6mを超すのも数基あるようですがどれも行方不明になっています。常昌院墓地に駐車場有り。常昌院手前で道を間違えて太閤岩の方に行ってしまった、すぐバックで元の道に戻ったけどその際車が大きく傾いて倒れるんじゃないかと冷や汗かいてしまった(大汗)。

鼓山3号

岡山県岡山市北区 2018年1月訪問

横穴式石室
位置:34°40′36″N 133°50′30″E (日本測地系)
    34.67989245 133.83901483(世界測地系)

平坦な丘陵頂部に位置する、白い看板は豊臣秀長本陣跡の説明板


天井石が露出


平坦面端、平野が望める位置に構築


本陣を構えるさいよく壊されなかったものだ


内部に多少空間は残るが殆埋没


見学記
杉尾6号から元の登山道に戻って山頂を目指します、20分くらいと書かれていたがせいぜい10分程度です。ただ巨大水道タンク脇を通りますがそれから上は登山道は殆ど消えている。山頂は広い平坦面になっていて高松城水攻めの時の羽柴秀長本陣があったそうです。一部高くなっている場所があってこれが鼓山3号墳のようです。天井石が4枚露出していますが内部は殆ど埋没しています。山頂だから前期の竪穴石室かと思ったが横穴石室でした。それなら杉尾古墳群に入れてもいいんじゃないかなとも思う。山頂は殆ど木はないが周りが林なので見晴らしはよくない。帰り道は山道に枯れ葉が積もっていて何度も脚を滑らしそうになった、上りより下りの方がおっかないよ。

杉尾古墳群

岡山県岡山市北区 2018年1月訪問

1号
位置:34°40′26″N 133°50′33″E (日本測地系)
    34.67711505 133.8398483(世界測地系)
丘陵麓に神社拝殿、ここが一応登山口


背後に小さな祠のような社殿、その脇に天井石露出


天井石が直線的に並ぶ


背後から


横から、あまり石室らしく見えない


2号
藪に包まれた墳丘


反対側に開口、天井石が傾き内部埋没


3号
神社から東に伸びる道を歩くと下方に天井石露出


開口部側、内部埋没


これは奥壁じゃなく最奥の天井石


4号
道を更に行くと石室の上を通っている


露出した天井石、枯れ葉が邪魔


石室前部崩壊


ここも内部埋没


6号
横穴式石室
位置:34°40′32″N 133°50′30″E (日本測地系)
    34.67878149 133.8390149(世界測地系)
1-4号と違いこちらは丘陵中腹に立地


谷筋に向かう斜面に天井石露出


石室中程で開口


石室は良好に残る、側壁はほぼ垂直で3段積みと揃っている


奥壁は四角い1枚石


奥から外、入り口の天井が下がっているかな


奥から左側


反対側、個々の石材はそれ程面が整っていない


墳丘はそこそこ残る、石室の位置と多少ずれていますが


7号
横穴式石室
6号南東に小型石室露出


後部しか残っていない


石室内部、長さ1m程残存、奥壁上部の積み方が随分雑


左側は1枚石


側壁は更に外側まで突き出ている、天井石と側壁は立派だけど奥壁との差が大きい


墳丘は殆ど残らず


見学記
北区吉備津、鼓山中腹や山裾に分布する古墳群です。JR吉備津駅西北西500m、山の麓に山神社があり小さな祠の脇に天井石が露出しているのが1号、あまり大きくなく並んでいなければ天井石とも思えません、内部は埋没。ここから東、山裾に沿って山道があります。右手下林の中に点々と墓地がありそれがなくなる辺り、見通しのいい場所の下方に露出した石室が見えています。これが3号、内部は埋没していますが天井石が板状でレベルが揃っていて埋没していなければさぞかし見事でしょうね。奥壁は1枚石の巨石のようで上部が天井石より高くなっているのがちょっと変わっている。このすぐ西側にあるのが2号、ここも石室露出していますがすっかり藪に覆われています。板状の天井石が見えているがかなりの巨石のようだ。山道を更に進むと4号がある。巨石天井石が露出しているが内部埋没。山神社に戻って鼓山登山道を登っていく、途中小さな橋があり旧登山道の表示があるのでそこから林に入る。旧道とは言え道は無いに等しいが疎林なので谷筋を左手に見ながら登っていけば6号に至ります。斜面をカットした大きな墳丘が残っている、手前の天井石が落下して開口、奥の天井石も巨石、石室後部5m程度が残っていて奥壁は巨石1枚石です。すぐ南側に7号がありますがこちらは打って変わって随分小型、墳丘も殆ど流失しています。露出している天井石に比べて内部空間は随分小さい、少なくとも倍くらいの幅にしても余裕なんですけどね。左側壁は1枚石、右基部も同様だけど奥壁だけは小型角状石材を積んでいる、なんだかチグハグな石室です。鉄道踏切を超えた右側辺りに駐車スペースあり。

上条古墳群

岡山県岡山市北区 2018年1月訪問

3基

1号
横穴式石室、玄室長2.7,幅1.1,高1.2m(現状)
位置:34°44′43″N 133°54′13″E (日本測地系)
    34.74849909 133.90095064(世界測地系)
丘陵麓近くに立地、手前の石は外護列石か後世のか


墳丘は石室を覆う程度に残る


石室前部は壊失


開口部正面、あまり下がれない


石室後部はよく残る、側壁は垂直、面も整っている


奥壁は2段積み、何か燃やしたのか黒っぽくなっている


奥から左方向、一つだけやや大きな石材


右側、面の整え方がやや悪い


奥から外


2号
横穴式石室
1号北東、緩斜面に石材露出


手前の石材は天井石か、でも動かされているだろうな


墳丘はなく背後をカットした様子も見られない


石室正面


石室内部、奥行き1m程度、でも奥壁は鏡石+平石と本格的


見学記
北区菅野、幸福寺北北東300m辺り、丘陵麓辺りにある3基からなる古墳群です。民家裏に墓地がありそこから1号が見えています。石室前部が破壊されていますが後部3m程度が残っている、整った石室です。ここから北東120mの所に2号、山の中では距離感が分かりませんが通りやすい場所を通れば見逃すことはないでしょう。急斜面から緩斜面に変わる辺りに立地ですが墳丘は殆どなく小さな石室が開口、残存長1m程度、ここも石槨風ですが奥壁は小さいながらも鏡石らしい石を据えています。もう1基は分からず。
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