龍光寺古墳

岡山県岡山市東区(旧瀬戸町)2014年1月訪問

横穴式石室、玄室長3,幅1.6,高1.9m(現状)
位置:34°42′30″N 134°01′32″E (日本測地系)
    34.71156202 134.02288532(世界測地系)

立派な石碑が立つが古墳自体は放置状態


石室正面、前部は壊失しているもよう


石室後部は良好に残る、朝日が奥までさしていた


ストロボをつけてもたいして変わらず、奥壁は大中小とある意味標準的


奥から外、閉塞石が残っているのかな


背後から見た墳丘は割と良好、手前の石は外護列石かそれとも現代の石か


(見学記)
東区瀬戸町菊山、ここは随分前にOBITOさんのHPで知っていたが場所が分かりにくいと言うことだし石室も大きくは見えなかったのでパスしていた。その後かまどねこさんが訪れてピンポイントで場所が分かったのでナビに案内させて訪問、楽勝だった。尾根先端に構築竹林の中にこじんまりとした墳丘が残り東南に開口、前部は破壊されているようで天井石が落下しているけど後部はよく残っています。奥壁は基本二段積み。訪問時ちょうど朝日が奥壁まで射し込んで私の影が奥壁に写っていました。天井のある石室で奥壁まで太陽が差し込むのも珍しい。

素盞鳴神社石棺

岡山県岡山市東区(旧瀬戸町))2011年2月訪問

素盞鳴神社石棺
刳抜式家形石棺180×65cm
位置:34°45′02″N 134°03′45″E (日本測地系)
    34.75378074 134.05982566(世界測地系)

神社境内、蓋は石碑として利用


身は長さの割に幅が狭く刳り抜きも浅い、前面に水抜き用孔が穿たれている


蓋石としてはあまり見かけない形状、一応縄掛け突起がある、多分下部も心棒として使われているかも


(見学記)
岡山市東区瀬戸町宗堂、須佐之男神社境内にあります。刳抜式家形石棺で身の方は見ず抜き穴が開けられていますがよく残っています。蓋石の方は下面に梵字が掘られ石碑として立てられた状態、上に縄掛け突起が1個付いていますが反対側は見えないがひょっとしたら楔のように台座に食い込ませているかもしれない。蓋石状面は加工度が小さいというか屋根型じゃなく曲面になっています。それにしても某氏がここでパトカーから職務質問を受けたそうだけどなんでこんな所で、な場所でした。

往来神社古墳

岡山県岡山市東区 2003年4月訪問

円墳
位置:34°41′16″N 133°59′35″E (日本測地系)

    34.69100675 133.99038821(世界測地系)

丘陵頂にある、すぐ東側にももう1基、知らないと古墳とはわからない


(見学記)
同じ独立丘陵の西端にあります。神社の長い石段を登ると本殿があり更にその後ろを暫く登ると頂上に小さな墳丘があります。側に祠があるが知らないと古墳とは分からないかもしれない。このすぐ東側にももう1基あります。場所的にはこちらの方が低いが大きさはやや大きい。

浦間茶臼山古墳

岡山県岡山市東区 1989年4月訪問

前方後円墳、TL138,R81,RH14,FH6.7
位置:34°42′24″N 134°04′11″E (日本測地系)
    34.70989575 134.06704744(世界測地系)

尾根先端を整形して築造、前方部がばち形に開く初期前方後円墳


後円部頂に大きな盗掘坑がある


(見学記)
岡山市中心部からR2を東に行き、吉井川に架かる備前大橋手前2kmの浦間地区にある全長115mの前方後円墳で前方部が撥形に開く古式古墳です。後円部が林ですが、前方部は畑でその様子がよく観察できます。後円部頂は平坦ですが中央に大きな盗掘抗があります。こんな大きなものは見たことがないですね。これでは埋葬施設は完全に破壊されているでしょうね。周りが住宅開発されていて前方部側にあった円墳も消滅しています。国史跡。

宍甘山王山古墳

岡山県岡山市東区 2003年4月訪問

前方後円墳、TL69
位置:34°41′07″N 133°59′50″E (日本測地系)
    34.6885072 133.99455454(世界測地系)

くびれ部から後円部、前方部が撥形に広がる古式前方後円墳、墳丘は良好だが灌木に覆われている


(見学記)
せっかくだからメーリングリストに載っている他の古墳にも行ってみました。矢津の谷間からまっすぐ南に行くと養護学校、その背後に独立丘陵があり南側の尾根の頂にあります。でも登る道が分からない。取り敢えず新幹線のトンネルがある辺りに行くと中腹に公民館がありました。そこから上に登っていくと電波塔があるが道はここでストップ、側の畑にも入ってみたが上に登る道はなさそう。でも頂上まではそれ程でもなさそうだったので意を決して強行突破、結構大変だったけど何とか頂上の古墳にたどり着くことが出来ました。途中で前方部側に2基の円墳を見つけたのが成果と言えば成果。墳丘はすっかり灌木に覆われているが良好そう、前方部が撥形に開く前期前方後円墳らしいのだが、さすがにそこまでは分からず一見前方部が開いた後期前方後円墳のように見えました。後円部に小さな神社がありそこに至る山道が通っていました。帰りはこちらの道を下っていったら結局元の公民館下の駐車場にたどり着いた)。急がば回れとはこのことでした。岡山に始めてきた頃ここを探しに来たことがありますが登り道が分からずすっかり諦めていましたが、とにかく確認できただけでもちょっぴり満足、写真は1枚きりしか撮れなかったけどね。

西久保第一号古墳

岡山県岡山市東区(旧瀬戸町)2006年2月訪問

6C
横穴式石室、全長10m、玄室長7,幅2.2,高1.9m
位置:34°44′16″N 134°02′36″E (日本測地系)
    34.74100402 134.04066133(世界測地系)

丘陵斜面に立地、墳丘、石室とも良好に残る


石室正面


長い玄室


奥から外、無袖or左片袖


背後から見た墳丘


(見学記)
瀬戸高校背後の斜面にある。東側のブロック塀沿いに墓地に行く道がありここに案内表示があるので(どうせならもっと手前に欲しかった)、そこから50mほど。斜面にある墳丘は良好に残っており樹木も伐採されていて見学しやすい。。南側に石室が開口、羨道は欠損しているが細長い玄室は完存、長7mで無袖か左片袖式。ちなみに西久保1号でなく西久保地区にある第1号のようだ。側の石柱には大塚の名前もある。これによると戦時中近くの寺の曼陀羅を疎開させていたようだ。こういう利用法もあったのね。町史跡。

宮山西塚古墳

岡山県岡山市東区 2001年4月訪問

円墳、R25,H6、6C後半
横穴式石室、全長13.5m、玄室長5.4,幅1.6,高1.8m
家形石棺
位置:34°40′32″N 134°03′59″E (日本測地系)
    34.6787879 134.06371407(世界測地系)

石室正面


羨道、羨道奥に石棺の身だけが残存


玄室、1枚石の巨石を使った奥壁、県内有数の規模だがそれ程大きく感じない


奥から外、僅かな幅の両袖式


(見学記)
吉井川沿いの丘陵の南側麓に立地する径25mの円墳で良好に残っています。南側に石室が開口、全長13.5mと県内でも有数の規模だが細長い石室で巨大石室という感じはしない。羨道奥、玄門手前に家形石棺がある。蓋石は壊失し身が殆ど埋まっている。何とも中途半端な位置にあるがここに置いたのか奥に入らなかったか。玄室は長5.4、幅1.6,高1.8mとここも細長く袖幅の極小さい両袖式です。集落に入っていく道に案内板が出ています。市史跡。

角山西塚古墳 角山東塚古墳

岡山県岡山市東区 1995年4月訪問

角山西塚古墳

横穴式石室
位置:34°41′43″N 134°04′48″E (日本測地系)
    34.69850807 134.07732343(世界測地系)
茶の子山古墳を探していて偶然発見


意外と立派な石室


ほとんど袖部のない両袖式


角山東塚古墳
位置:34°41′36″N 134°04′59″E (日本測地系)
    34.69656396 134.08037877(世界測地系)
山上東側にある神社社殿裏、墳丘、石室とも半壊、まるでただの石垣のよう


奥に奥壁もしくは袖部がわずかに残る

一日市古墳

岡山県岡山市東区 1995年4月訪問

前方後円墳
位置:34°42′32″N 134°05′03″E (日本測地系)

    34.71211808 134.08149037(世界測地系)

前方部から後円部、尾根を利用して造られた細長い墳丘

茶の子山古墳

岡山県岡山市東区 1995年4月訪問

前方後円墳、TL25,R10,FW8,RH2.5,FH1
竪穴式石室
位置:34°41′47″N 134°04′47″E (日本測地系)
    34.69961904 134.07704566(世界測地系)

大日幡山山上の畑の中にあるが小型で大変わかりにくい


石室がわずかに見えている
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