実相寺2号墳

広島県広島市 2022年11月訪問

円墳、R12.6m
 横穴式石室 全長7.2,玄室幅2,高2.6m
 位置:34°32′58″N,132°40′0″E (日本測地系)
    34.55267472,132.67245828(世界測地系)
民家裏にある墳丘、説明板とかは特になし


開口部前は崖なので正面に立てない


なんとか正面から


開口部が大きいので内部は明るい、側壁は持ち送りなし


側壁下部に大型石材、上部石材との差が大きい


天井石の1枚に大きなヒビ割れ


奥壁はほぼ1枚石、左右の石も大きく奥壁と遜色なし


奥から外、僅かな幅の両袖式


奥から右側


奥から左側、こちらの方が石材が大きい


袖石は側壁に埋め込んでいる、石室の高さの半分もない


反対側は袖石がなく羨道側壁が袖石代わり


墳丘背後から、広い谷筋の斜面に立地


見学記
福富町久芳、国道375号西側にありますが側を通る道がとにかく狭い。ストリートビューが通っていたが駐車できそうな場所が見当たらない。古墳側の墓地前の脇道、車はまず通らないだろうしここに駐車できそうと思って行ってみました。墓地脇に大きな墳丘、以前は日が当たっていましたが現在は薄暗い林の中です。南側に石室開口、全長8.5m右片袖式、状態はいい。奥壁の積み方が近くの宮ヶ迫古墳や光福寺古墳に似ています。右片袖式ですが袖石は小さく形式的です。側に小松古墳の立ち札がありますが小松西7号と書かれたのもありました。道路は北側に通り抜けられるようですが万が一倒木などで通れなくなっていたら困るので駐車場所で無理をして方向転換、元の道を戻っていきました、軽じゃないと難しいかもです。

小松古墳

広島県東広島市(旧福富町)1996年4月訪問、2022年11月再訪

円墳、R16,H3
 横穴式石室、全長8.5m,玄室長4.8,幅1.95,高1.82m
 位置:34°32′39″N,132°47′09″E (日本測地系)
    34.547412,132.783301(世界測地系)
(2022年)
駐車場所より見た墳丘


尾根筋よりやや南側に立地、多分96年7枚目と同じアングル


墳丘上の樹木がだいぶ成長、96年8枚目と同じアングル


開口部もよく見えなくなっている、崩壊した羨道側壁石材はなくなっていた


玄室は植物の侵入もなく変わりなし


〃縦位置


縦長の石を2枚並べる、近くの宮ヶ迫古墳と似ている


奥から外、右片袖式、まぐさ石と袖石が分離している


〃縦位置


もう形式的な袖石


小松古墳の表示版があったけど小松西第7号古墳のもありました


(1996年)
(プリントをスマホでデジタルスキャン)
古墳手前まで削られていた


墳丘石室正面、この時は墳丘上は殆ど木が生えていない


玄室、奥壁


奥から外、羨道側壁崩壊


奥から右


奥から左




墳丘背後から


見学記
(2022年)
安佐北区白木町大字小越、民家裏に大きな墳丘があり南側に開口しています、前は急傾斜なので羨道は元々短そう。大型玄室完存、奥壁はほぼ1枚石の巨石ですが上辺が不定形で小さい平井市を詰めています。玄門は一応両袖式ですが左袖は小さく形式的、右側は羨道側壁の厚みをそのまま袖にしています。天井石の1枚に大きなヒビがはいっています。背後の老人福祉施設に3号がありますが新型コロナのおりなので遠慮しました、普段見学できるかどうかもわかりませんが。西側を走る県道328号から脇道に入る辺りに駐車スペースあり。因みにこの県道北から通ってきましたが峠付近で狭いくねくね道、しかもそれまで広かった道が突然狭くなる、もう対向車が来ないことを祈りながら走りました。

(1996年)
国道375号線沿い民家の裏にあって墳丘,石室とも良く残っています。石室長8.5m玄室長4.8mあります。

宮ヶ迫古墳

広島県東広島市(旧豊栄町)1996年4月訪問、2022年11月再訪

円墳、R14,H5
 横穴式石室、全長9m,玄室幅2.1,高2.1m
 位置:34°33′56″N,132°47′58″E (日本測地系)
    34.5687851,132.79688803(世界測地系)
(2022年)
獣避けフェンスができていた


説明板も立っていた


周りの林が成長してきている


墳丘上の灌木も成長しているが伐採


開口部は見やすくなっていた


石室内部はそれ程変わりなし


ストロボ撮影、手前のがまぐさ石のようだ


玄室後部は割りとスッキリしている


奥壁、ほぼ同大の鏡石を左右に並べる


奥壁、ストロボ無し、右側の石が96年当時より突き出ているか


奥から外、倒木や引っかかった泥がない分見やすくなっている


奥から外、ストロボ無し


奥から右側


奥から左側


奥から左側、ストロボ撮影、ギリギリもっているけどかなりやばい


玄門辺りから外


(1996年)
(プリントをスマホでデジタルスキャン)
灌木が生えていた墳丘、周りの林自体はここでは空いている


開口部


石室内部は側壁が一部崩れ、倒木が入ってくるなどかなり危ない状態


奥壁


奥から外、側壁が崩壊している様子がわかる


奥から右


奥から左、天井石がギリギリもっている


(見学記)
(2022年)
豊栄町乃美、これも26年ぶりの訪問、古墳自体は覚えているが周辺の状況は全く覚えておらず車で行くのはちと怖かった。溜池南側、県道342号沿いにありますがこの県道が古墳辺りでは杉の落ち葉が積もっているような細い林道でした。幸い古墳手前に駐車スペースがありそこから墳丘が見えていました。墳丘前に獣避け柵がありますが入るのに問題なし。尾根先端を整形して造った大きな墳丘、南側に開口していますが天井の一部が崩れ内部に土砂が流入しています、側壁の一部も崩壊してかなり危険な状態です。ただ26年前の写真と比べると石室自体は大きな変化はなく危険な状態のままそれなりに安定しているようです、お勧めしませんが開口部は大きいので入るのは容易です。

(1996年)
県道脇に案内板がありため池の南側に位置しています。墳丘,石室とも比較的良く残っていて石室長9m程あります。石室右側の壁は元々なのかどうかは判りませんが少し傾いていて今にも崩れそうで怖かった。事実一部崩壊している部分もあります。

手島山墳墓群

広島県東広島市(旧豊栄町)2022年11月訪問

箱式石棺を主体とした墳墓群
 位置:34°33′28″N,132°50′10″E(日本測地系)
    34.5610085,132.83355058(世界測地系)



天井石5枚、大きさがだいぶ違う


中央の石はまるで切石


5枚の蓋石の形状がそれぞれ異なる


尾根先端が道路で切断、他の石棺は見当たらず


(見学記)
豊栄町安宿、山王古墳群南東、尾根が切られて不思議な形で残されています。そこが手島山墳墓群、ストリートビューで見ると藪状態ですがこの時は東側藪がきれいに刈り取られ古い説明板が立っていました。それによると三角部分だけでなく背後の丘陵上に墳墓が分布しているようです。説明板の前に移築箱式石棺を展示、側壁石材が薄く蓋石も切り石状でなかなかの出来です、これが見られただけでもよかった。背後の丘に登れるような道があったら登ってみようかと思いましたが全く見当たらずさっさと諦めました。

山王古墳群

広島県東広島市(旧豊栄町)2022年11月訪問

円墳13基、1-3,7号:市史跡、4-6号:公園造成で消滅、8-13号:現状保存

説明板、写真は消滅した6号


史跡全景


7号
 位置:34°33′34″N,132°49′45″E(日本測地系)
    34.562675,132.8266067(世界測地系)
僅かな高まりに石材露出


箱式石棺蓋石?


それにしては数が多いような、複数基あるのか


上側から


1号
こちらも低い高まり


石材露出も元の状態を想像できず


2号
高まりはあるけど石材見られず、奥に3号


3号
高まりははっきりしているが石材見られず


(見学記)
豊栄町鍛冶屋、東広島市豊栄支所背後の公園やすらぎの郷にある古墳群です。丘の上の古墳群だからまず中期の古墳群だろうと思って行ってみたらやっぱりでした。公園入口に山王古墳群の標柱がありますが園内に案内は全くなし。丘陵頂部辺りに説明板があり1-3,7号が保存、低い小さな墳丘で7号で箱式石棺が露出しています。この4基が市史跡です。4-6号は公園で消滅、8-13号は屋内競技場背後の丘に現状保存されているようです。1-3号の様子を見たら見に行く気にはなれなかった。公園に駐車場有り。

東迫古墳群

広島県東広島市(旧豊栄町)2022年11月訪問

10基程

(見学順)
説明板、分布図が載っている、この前に駐車可


4号
林道を歩き始めるとすぐ出会う


かなり削られていますが石材は全く見られず


下側から、石材が転落していますが石室材なのかな


石室?


下方斜面に石材がゴロゴロしていますが石室材ではなさそう


林道下側から、古墳なんだろうか


2号
 横穴式石室、玄室長3.8,幅1.1-1.3,高1.38m
 位置:34°32′30″N,132°51′04″E(日本測地系)
    34.54489911,132.84854975(世界測地系)
更に下っていくと2号


林道で墳丘が少し削られ羨道も埋没


開口部は狭いが下に降りる感じで入りやすい


石室内部は良好


奥壁は不定形の鏡石を左右に並べる


奥から外、肉眼でも入口側が狭まっているのがわかります


3号から見た墳丘


林道下から、斜面カットの様子がよく分かる


3号
 横穴式石室、玄室長5,幅1.8m程度
2号すぐ上に3号、新旧の表示版が立っている


石室前部は埋まり開口部は狭い


カメラを突っ込んで撮影、内部は良好、これは入らなくては


側壁は基部に腰石を据え上部は細長い石材を積む


2号とは段違いの奥壁、ずっと洗練されていてこちらの方が後だろうな


奥から外、まぐさ石が一段下がる


墳丘上から


10号
少し離れた場所にある、訪問時はグーグルマップに載っていたが現在は載っていない


墳丘はよく残っているが石材見られず


墳頂部が少し窪んでいる


1号
1号が見つからないので帰りに探してみました、これかな、石室なのは間違いなさそう


林道の直ぐ側だけどこれでは見逃す、画面外だけど右奥が2号


左が奥壁でしょうか


(見学記)
豊栄町能良、これもグーグルマップで見つけました。広い駐車スペースがあるし説明板も立っているのでこれも行かなくては。現地に行ってみると簡単な分布図に4基載っていますが10基あるそうです。林道(もう機能してないけど)沿いにあるようで見学も容易そう、結構傾斜のきつい場所でよくこんな場所に古墳を築造したなと思います。最初に出会うのが4号、林道で少し削られていますが大きな墳丘があり古い標識が立っています。下側に廻ってみると石室の一部が露出していますが石室自体は埋まっているようです。すぐ下の斜面に石列が並んでいて石室かなと思いましたが石室らしい構造は見られない、そもそもここに墳丘があったら4号の石室入り口の邪魔になるしまず石室ではないでしょう。更に行くと1号があるはずだが見当たらず。更に行くと2号、こちらは新しい標柱が立っています。これも林道で墳丘が削られていますが石室開口、梯子がありますがもう腐って登れません。開口部は狭いですがなんとか入れる、玄室長3.8m,幅1.1-1.3m、高1.38m,幅で分かる通り奥の方が多少広がっています。床面が少し埋まっているが高さはどうやって測ったんだ。すぐ上に3号、こちらも墳丘がよく残り墳頂辺りに石室開口、開口部は2号より狭いですが下に降りる感じで入るので2号より入るのは容易です。長さは5m,幅1.8m程度。この辺りは傾斜がやや緩やかなので他にあるかと探しましたが見つからず。林道を更に行くと藪が酷くなりその中に大きな墳丘が見えてきます、これが10号か、墳頂に小さな盗掘跡がありますが石材は全く見つからず。この先は傾斜が急になっているのでこの辺りでお終いか。引き返しながら1号を探してみました。4号の手前で地面に埋まるように小さな石室がある。奥壁と側壁の一部が残っている程度ですがまず石室でしょう。位置的にはここが1号でよさそうですが普通1号と言えば主墳か端辺りにつけられる。これは大きくもないし端でもないしそれがちょっと疑問でした。

天神原古墳群

広島県東広島市(旧豊栄町)2022年11月訪問
14基、見つけたのは1号のみ

県道脇に古い説明板がある、1号はこの後方やや離れた位置


説明板の分布図(色褪せしているので強調)、人が通れる山道は載っておらず1号はちょっと迷った、右側の集中地は探したが全く見つからず


1号
 横穴式石室、玄室長6,幅1.5m
 位置:34°35′18″N,132°52′17″E(日本測地系)
    34.59156101,132.86882498(世界測地系)
背後から見た墳丘


横から、背後の斜面カット部は埋まったか


倒木があってやばかったですが


入室は特に問題なし、南向きに開口


開口部正面、天井石が板状に加工


内部は良好、側壁は持ち送りなし


中程から、側壁はブロック状の石を積む


縦位置


奥壁はほぼ1枚石


奥から外(ストロボ無し)


天井石、奥から


奥から右方向


奥から左方向


(見学記)
豊栄町吉原、光福寺古墳から300m行くと天神原古墳群の説明板が立っています。旧豊栄町の説明板は皆この形式、もう字がかすれて見えづらくなっているのが多い。簡単な絵図も載っていますが道路状況が実際とはちょっと異なり1号を探すのにちと苦労しました。説明板背後2,30mの距離、斜面に墳丘構築、南側に開口、無袖式で全長4m幅1m程、奥壁はほぼ1枚石、天井石も巨石です。天神嶽登山道入り口辺りにも古墳が分布しているようですが見通しはいいのですが巨石がゴロゴロ、石室なのか巨岩があるから高まりが残っているのか判別しづらく結局ハッキリ石室と分かるのは見つからず。でも1号だけでも見応えがありました。説明板前に広い駐車スペースあり。

光福寺古墳

広島県東広島市(旧豊栄町)2022年11月訪問

 横穴式石室、現存長6,幅1m程度
 位置:34°35′27″N,132°52′09″E(日本測地系)
    34.59406071,132.86660281(世界測地系)
県道脇に古い説明板、古墳は後方、下り斜面にある


小さな墓地脇に低い墳丘


東向きに開口、前上部はやや破壊


石室正面、落下しているのは側壁石材か


石室後部は良好に残存


やや平たいブロック状の石材を積み上げた側壁


奥壁は左右に同大の石を並べる、上に平石


奥から外、無袖式かな


おまけ、石室前にツルリンドウの果実、珍しくもないですが、開口部辺りに仕切り石があるのか


(見学記)
豊栄町吉原、民家裏にある古墳です。てっきりこの家が寺らしくない寺かと思いましたが光福寺は地名のようです。南側道路脇に古い説明板が立っている、そこから古墳まで下りの山道、ちょうど草刈りされていて歩きやすかった。墳丘は墓地で少し削られていますが概ね良好、南側に無袖式の石室開口、前部天井を壊失していますが他は良好、長さ4m幅1m程度と細長い石室です。古墳の案内はありませんが北側を走る県道161号に6地蔵の案内があり途中まで幾つか出ています。説明板辺りに駐車可。

黒谷古墳(黒谷暮坪古墳)

広島県三原市(旧大和町)1996年4月訪問、2022年11月再訪

 円墳、R9、7C初
 横穴式石室、全長6.85m,玄室幅1.6,高2.2m
 石槨 幅1.9、奥行き1.0、高さ0.3m
 位置:34°32′11″N,132°53′44″E (日本測地系)
    34.53962244,132.89299066(世界測地系)
(2022年)
県道に案内板、ここにも駐車可


墓地の奥に墳丘


墳丘が草刈りされてよく見えていた


石室正面、以前と比べて最前列の石が異なる、側壁も高くなっているようだ、補修したか


石室内部、多分全国唯一だろう空中石槨


下から見ると2枚の石材からなっている、天井石に穴が開いて石で塞いでいるような


石棚の下、1枚石の奥壁、左も1枚


奥壁上部、こちらは小型石材


石槨内部


石槨🔦


奥壁上部🔦


石槨左側🔦


石槨右側🔦


奥から左方向、ブロック状の石


〃右方向、こちらも同様、奥から外方向を撮るのを忘れた


2号
黒谷古墳西側、緩斜面に低い墳丘


正面から、天井石が並ぶ


最奥の天井に隙間


隙間から覗いた奥壁、左や上にやや大きな石材とちょっと変わっている


右側


左側


(1996年)
(プリントをスマホでデジタルスキャン)
石室正面、当時は墳丘草茫々


石室内部、なぜこのアングル


石室前部左側側壁


左側壁


右側壁


石槨の様子、右側壁が一部突き出ているが現在は直っているような


奥壁上部


奥から外、崩れそうな石があるがこれも直しているような


2号
低い墳丘が残る


露出した天井石


奥壁左側と側壁


奥壁右側と側壁


(見学記)
(2022年)
大和町下草井、ここも26年ぶりの訪問、フィルム時代はあまり撮ってなかったので再訪したかった。全国唯一であろう石棚と石梁を組み合わせた空中石槨とでも言えそうな特異な構造、なんでこんなとこにこんな特異な石室があるんだと思います。石棚の位置も結構高く天井との間はあまりなく遺体を納めるのも大変そうですけどね。保育社「日本の古代遺跡(広島)」だと黒谷暮坪古墳となっていますが側の説明板では黒谷古墳となっています。説明板はかなり古そうで前回来た時もこれだったんだろうか。”黒谷暮坪古墳”で検索するとマイブログ以外2件しか出てこない。広島大学のホームページに出てくるから間違ってはないんだろうけど。西側東西に伸びる尾根上の南側緩斜面に2号があります。低い墳丘が残り石室露出、状態はよくないです。県道に案内板あり、そこから脇道を登っていって上り詰めた辺りに古墳、舗装路が途切れる辺りに駐車スペースがあります。

(1996年)
県道脇に案内板がありそれに従っていくと横穴式石室が見えてきます。石室そのものは長さ6.85mとそれほど大きくありませんが奥壁の中断に石槨状の棚があるのが最大の特徴です。お隣の岡山県矢掛町の橋本荒神塚も同様の棚がありますがあちらが単純な棚なのに比べこちらはまさしく手すりの付いた2段ベッドの上段といった感じです(中で蛇が昼寝をしていた)。道路を隔てた西側の丘に2号墳が有ります。墳丘が良く残っていて小型の石室が開口しています。

亀乃尾2号墳

広島県世羅町 1996年4月訪問、2022年11月再訪

亀乃尾2号
 円墳、R15,H5、6C後半~7C初
 横穴式石室、全長8.1m,玄室幅2.4,高2.3m
 位置:34°34′41″N,132°58′54″E (日本測地系)
    34.58128464,132.97909261(世界測地系)
(2022年)
尾根筋に大きな墳丘


墳丘西側から


南向きに開口、手前の石材は天井石か


石室前部は多少破壊されているか


石室後部は良好、少なくとも天井部分は8mもない


右側壁


左側壁


奥壁はやや丸みを帯びた縦長の鏡石、左側に調整用の詰石がある


奥から外


奥から天井、3枚残存


奥から右、正面の石だけ何故か切り落としたよう


奥から左


(1996年)
(プリントをスマホでデジタルスキャン)
石室正面


石室内部


奥から外、左片袖式


奥から右


奥から左


墳丘背後から


(見学記)
(2022年)
賀茂、ここも26年ぶり、見学記だと溜池西側松林の中としか書かれていないから取り敢えず溜池手前まで行って西側の尾根に登ろうとしたが人が入ったような痕跡道も見当たらない。それでもじっくり探してみると痕跡道とも言えないような微かに入った跡があったのでそこを登ってみると尾根筋手前に獣避け柵が延々とありました。普通ならこれで入れなくなるけど幸運にも倒木があってそこから入ることが出来ました。今思うとそこから猪が出入りしてあの痕跡道が出来たんじゃないかなと推測。柵の内側には山道がある、古墳は何処にあるかわからないので取り敢えず上や下を捜索、すると下方尾根先端辺りに大きな墳丘を見つけてホッ。南側に大型石室開口、全長8.1mだそうですが前部破壊、後部5mくらいが残っています。幅も大きく2.4m程、これが一層石室を大きく見させています。2号とあるくらいだから1号もあるかと探してみたが少なくともこの尾根上では見つからず。後から参考にした本を見ると3号もあるみたい、しかも康徳寺古墳石室を半分にしたような規模、西側谷筋にあるそうだが。たしかに西側に袋状になった谷があった、でもそこは平坦に耕作されているような、水田ではなさそうだしわさび田でも造っていたのかな、とにかく古墳らしいものは見当たらず。しかし”亀乃尾2号”で検索すると「古墳のお部屋」くらいしか出てこない、”乃”を”ノ”に変えても「古墳マップ」が出てくるくらいでした、余程知られてないんでしょうか。前回もそうだったけど柵が出来て更に見学困難になったかもです。溜池南側民家前に駐車可。
幸運で見学できたけど大悲劇寸前のことが。スマホ落とした(T◇T)、それも山道も殆どない尾根、山道があれば来た道を辿って探せるけどここはそれも出来ず最悪の場所。尾根の上に上がったさー古墳の位置はとスマホを見ようとしたら無い・・・無い、何処にもない。溜池前で取り出したのでその後落としたことは確実、一瞬血の気が引いたけどここは冷静に考えた。スマホはポケットに入れているが普通に歩いて落とすことはまず無い。古墳巡りの時いつも使うベスト、石室内に入る時膝を強く曲げた時ポケットを下から押してメモ帳などを落とすことがあった。なのでここもそうだろうと考えて思い当たる場所は2ヶ所、尾根を最初に上がり始めた場所と獣避け柵を乗り越えた時そこを重点的に探したらありました、最初の場所だった、枯れ草の上に落ちたので音がしなかったみたい。以前携帯を落としたこともあり今は紐づけ、スマホもそうしなくては。

(1996年)
ため池西側の松林の中にありますがちょっと分かりにくい。墳丘,石室ともよく残っています。石室は自然石を使い長さ8.1mあります。
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