高塚古墳群(鎮守様塚古墳他)

岡山県倉敷市(旧真備町)2009年3月訪問、22年3月再訪

(22年)
4号
 横穴式石室、全長3.5,幅1.14,高1.4m(現状)
 位置:34°38′48″N 133°40′23″E(日本測地系)
    34.64989465 133.6704164(世界測地系)
尾根筋東斜面に立地、初めルートを間違えたので見つけた時はホッ


東向き斜面だがほぼ南向きに開口


迫力のある天井石


横から見ると奇妙な顔のように見える、当時のままなのか、後世加工されたか


前に羨道基部が残っている


石室内部は入り口がやや埋まるもよく残る


ストロボ撮影の方がハッキリクッキリ


奥壁は1枚石、将棋の駒のような形


奥から外、天井は2枚残存


(おまけ)
4号に行く前にルートを間違えて別の尾根で見つけた石仏、もう痕跡程度の道もないし誰も来てないだろうな


1号(鎮守様塚古墳)
 横穴式石室、全長8m、玄室長5.4,幅1.5,高1.8m
 位置:34°38′39″N 133°40′14″E (日本測地系)
    34.64739484 133.66791671(世界測地系)
県道から見えている、せっかく来たので序でに撮影


まぁ~るい墳丘


13年前と全く変わりなし


短い羨道、竹があるのも変わりなし


明るいので撮りやすい玄室


大きな天井石が2枚、入口側に小が1枚


右側壁


左側壁、面を整えているのとないのがある


奥の方には小石の敷石


奥壁は鏡石+平石、モルタルが塗られていたかも、左側中段の石材は斜めに架けられている


奥から外、右片袖式


〃ストロボなし


(09年)
1号(鎮守様塚古墳)
県道から見えている


墳丘が良好に残る


石室正面


短い羨道、まぐさ石が一段下がる


細長い玄室


奥壁は鏡石+上に1枚、左側辺りがちょっと雑


天井石が巨石、底面も平面に整えられている


奥から外、片袖式


(見学記)
(22年)
以前訪問した鎮守府様塚古墳は高塚古墳群1号、4号があると言うので行ってみました。1号東側にある集落背後から谷筋に入っていく。小さな溜池辺りから右側尾根筋を登っていく、尾根上方の東側斜面に立地、墳丘は殆ど流失し南向きに開口、石室前上部が壊失していますが全長3.5m程の石室が残っています。奥壁は1枚石で将棋の駒のような形でなかなか格好いい。小さな溜池と言いましたが殆ど水は溜まっておらず気が付かずに谷奥まで行き適当な場所で右側尾根筋に登ってしまった。これは間違えたと思ったがそこで石仏発見、よくある石仏巡りの為の石仏のようです。でも痕跡道もなくもう誰も来てないだろうな。傾いて側の木にもたれかかっていた、元に戻しておけばよかったか。しかし1号とは300m以上離れているのに同じ古墳群なのか。もっと接近していても別の古墳群になることもあるしほんと古墳群の定義はわからない。序でに1号も撮影したけど中の竹もそのままで以前と全く変わりなし。2号は埋没らしいけど3号はどこ?。

(09年)
倉敷市真備町市場、真備美しい森へ行く途中の道路沿いにあります。墳丘石室とも良好、どうしてこれ程の物が全く知られてなかったんだという感じです。羨道はやや短く一段下がったまぐさ石が目につきます。玄室は全長5.4m程、持ち送りも殆どなく奥壁は鏡石の巨石に一段重ねています。左側側壁との間にやや隙間があって上部は石を詰めているけどややその場しのぎな感じ。天井石は3枚実質2枚か、奥のが特に巨大で底面を平らに整えています。側の道路に駐車スペース有り。

矢砂大池古墳群

岡山県倉敷市(旧真備町)2020年3月訪問

2基

溜池堤を渡った先にある


1号
崖の上に立地(私的には急斜面)


墳頂は大きく盗掘、石材殆ど見られず


2号から、低い位置にあると分かる程度


2号
 横穴式石室
 位置:34°37′55″N 133°40′33″E (日本測地系)
    34.63517381 133.67319424(世界測地系)
1号から見た墳丘、大きな墳丘が残る


開口部正面、後方にも天井石露出


激狭の開口部


羨道が多少残っているのでカメラを突っ込んでも奥まで写りません


枯れ葉を掃除、大して変わらないけど


玄室はやや埋まるも良好に残っている


鏡石と上の平石の間に薄い板石を挟んだ奥壁


奥から外、まぐさ石が目立つ、無袖かな


奥から右側


奥から左側


天井はレベルが揃っている


(見学記)
09年一度訪問しましたが見つけられず失敗、どうも下から3番目の溜池と覚えていましたが2つ目の溜池が道路からやや離れて小さく見逃した為に4番目の溜池を3番目と勘違いしたようです。その後も石室はあるけど激狭だし道路も狭いので敬遠している内に忘れていました。今回再訪してみたら古墳への訪問自体は楽でした。溜池堤を渡ると正面に急傾斜、そこを登ってもいいし右側を迂回してもいいです(因みに地形図では道があるように表示されていますが全くありません、キッパリ)。2基からなる古墳群で下側のが1号、墳頂が盗掘で窪んでいますが石材は見られません。すぐ上にあるのが2号、1号と同じくらいの大きさで上部に石材が2枚露出しています。南東に開口、確かに激狭ですが幅があるので何とか入室できました。それでも少しでも上下を広くと落ち葉を取り除きましたがこれが失敗、前日の雨で落ち葉が濡れていて泥だらけになりました。入口付近は埋まっていますが奥はそれ程でもなく奥壁も見えています、鏡石+平石とよくあるタイプです。しかしここは短い尾根上ですが平坦面があるわけでもなくなんでこんな場所に造ったんでしょうね。溜池手前や奥に駐車スペース有り、とこれは歩いてきたから分かった話、私の腕ではとてもこんな奥まで入ってこれないので箭田大塚駐車場から歩いてきました、15分程度です。でも2往復したけど(汗)、1回目来た時何番目の溜池だったか確認してなかったのでもう一度引き返してしまった。

真神古墳群

岡山県倉敷市(旧真備町)2017年4月訪問

3基

1号
横穴式石室、全長7m、玄室長3.2,幅1.9,高1.6m(現状)
位置:34°38′33″N 133°40′26″E (日本測地系)
    34.64572832 133.67124973(世界測地系)
大きな墳丘が良好に残る


北側に開口というのが変わっている


竹が生えていて石室正面が撮れず


長い羨道が良好に残る、完存


玄室も良好、羨道よりやや短い


上部が半円形をした鏡石らしい奥壁


奥から外、右片袖式、まぐさ石はない


羨道奥から


2号
横穴式石室、玄室長5,幅1.3,高1.7m(現状)
位置:34°38′25″N 133°40′19″E (日本測地系)
    34.64350629 133.66930554(世界測地系)
1号南西かなり離れた場所、谷筋奥に立地


盗掘されて開口、確実に石室の位置を掘っている


激狭の開口部、せっかく来たのだから入ってみたかったがお尻がつかえた


身体を突っ込んで撮影、やや埋まるが細長い玄室が残る


小型ながら鏡石らしい半円の石を据える、手前にあるのは石棺材か


3号
横穴式石室、玄室長5,幅2,高2m(現状)
1号に隣接、でも番号は何故か一つ飛んでいる、墳丘が削られ石室前部破壊、右後方が明るいのは採土場の為です


大きく開いた開口部、玄門辺りか


玄室は良好、1号より石材が大きそう


ほぼ1枚石の奥壁、僅かな詰め石も隙間が殆ど無い


奥から外


奥から左側


〃右側、こちらの方が石材が大きそう


側壁沿いに箱式石棺がある


奥壁前にも箱式石棺があるようだ


見学記
倉敷市真備町市場、3基からなる古墳群です。採土場(この辺りに何ヶ所かありますが溜池側です)に入っていく直前で左の林の中に入ると良好な墳丘が見えてきます、これが1号、南側に石室開口、入り口は狭いですが入るのはそれ程難しくはない。長い羨道と玄室がよく残っています。全体に石材はそれ程巨石ではなく奥壁は半円形の鏡石らしい石を据えています、袖石を立てた右片袖式。採土場側直ぐ側にあるのが3号、南側が大きく抉られ石室開口、前部は破壊されていますが後部はよく残っています。1号より大分大きく石材も大型、奥壁もほぼ1枚石の巨石です。奥の方に石材が散乱していますが箱式石棺でもあったのでしょうか。採土場ギリギリの場所破壊されずよく残ったものです。南西250mの所にあるのが2号、こんな場所では250mなんて見当もつかず取り敢えず歩きやすい谷筋を歩いていきました。途中から廃道状態の山道に気がついたのでそれを登っていきこれ以上行けなくなった辺りで右手の小さな谷を超えて笹薮をほぼ真っすぐ行くと墳丘に突き当たりました、行き過ぎなくてホッ。やや平坦面に造られた墳丘はよく残っていて南東に開口、せっかくここまで来たのだからと突入を試みましたがお尻が引っかかって入れず。でもやや埋まり気味ですが何とか奥壁辺りまで見えています。ここも中ほどに大きな石材が転がっていますが石棺があったんでしょうか。帰りは山道を歩いて帰りましたが下の方でははっきりしなくなっています。丸木を使った橋があってそれから上でははっきりしてきます。採土場手前の墓地前に駐車スペースあり、溜池堤でも駐車可。

勝負ヶ谷古墳

岡山県倉敷市 2017年4月訪問

横穴式石室、全長5.5、幅1.5,高1.4m
位置:34°39′04″N 133°48′42″E (日本測地系)
    34.65433988 133.80901782(世界測地系)

標高120mの丘陵上に立地、眼下に平野を望むが見せる為の古墳ではないでしょう


南向きに開口、天井石は明らかに加工、内部に不思議な三角形の石


開口部の半分以上を占めています、出入りするにはどう見ても邪魔


一応袖石なんでしょうね、天井に接していませんが、側壁手前にも石積みがあるようです


側壁は真っ直ぐ立ち如何にも終末期の様相


左側壁は石材を立てて並べ上に高さ調節用でしょうか平石を積む


右側も同様ですがやや乱れがあるかな


奥壁は1枚石+平石と側壁と同様の構造、右下が欠けているのはひょっとしてわざとかな、時折こんなのを見かけます


奥から外、やはりあの袖石が大きすぎる


見学記
倉敷市山地、養護施設あしたばの南側にある古墳です。上から見ると墳丘はあまりはっきりせず上に石碑などが立っています。南東方向に開口、石室自体は小型ですが奥壁はほぼ1枚石側壁もあまり積み重ねはなく垂直に立ち上がっていて終末期仕様の石室です。入り口辺りにおむすび型の石材がありますが袖石にしては出すぎているし閉塞石にしては中途半端だし後世のものとも思えずなんでしょうね。施設前に駐車可。

高鳥居山南麓古墳

岡山県倉敷市 2017年4月訪問

横穴式石室、全長5m、幅1.4,高1.1m
位置:34°38′10″N 133°48′34″E (日本測地系)
    34.63934153 133.8067954(世界測地系)

標高90mの丘陵中腹に立地、溜池北側にあります、堤から撮影


石仏巡りの山道があり後方に石室開口


石室前部は少し破壊されているようだ、天井石が屋根型になっている


終末期の様相の石室、石積みが近くの勝負ヶ谷古墳に似ている


石材を立てて並べ上に平石、小型石材を積み重ねた部分は埋め込まれた袖石のよう、倒れている石はひょっとして袖石だったか


反対側も同様の構造、こちらの方が積み方が粗い


奥から外、見る限りでは無袖かな、やはり倒れている石が気になる


見学記
倉敷市二子、川崎医大北側の丘陵中腹にある古墳です。南東側麓にあるエスポワールメゾン(普通のアパートですが)辺りから巡礼道があります。初めははっきりしませんがその内はっきりした山道と交差するのでそこを左に登っていきます。所々に祠がある、大分登っていくと溜池が見える辺りから下り道になり(左に折れる道がありそちらに箱式石棺があるそうだがすっかり忘れていた)、堤を通って小さな橋を渡ると遍路と書かれた矢印板があるのでそこを左に曲がると祠がありその側に石室があります。古墳群の1基だそうですが”高鳥居山南麓古墳”と書かれた札が立っています。天井前部が壊失していますが他は良好、奥壁はほぼ1枚石、側壁も垂直に立っていてここも終末期仕様の石室です。勝負ヶ谷より少し大きく石材隙間の詰石も多用されています。

二子14号

岡山県倉敷市 2000年4月訪問、17年4月再訪

方墳、L13
横穴式石室、玄室長4,幅1.5,高1.5m(概略値)
位置:34°38′42″N 133°48′37″E (日本測地系)
    34.64822945 133.807629(世界測地系)

(2017年)
前回はフィルム時代だったので序に再訪


折角の移築ながら放置感が漂う、セメントで復元じゃなかったら草茫々だったろうな


枯れススキは冬でも残るから厄介


ここも終末期の石組み


床面には大型石材の敷石、奥壁前はまた違った石組み


奥壁は1枚石、移築なので隙間には土が詰められている


奥から外


埋め込まれたような小さな袖石


天井石を露出させて復元


石室前は通路状


(2000年)
珍しい終末期の方墳、2段築成で各辺には石垣状に石が積まれる、山陽自動車道建設により移築復元


墳丘上部、背は低い


石室正面、羨道は下段に掘りこまれ前庭のよう


玄室


左手に小さな袖石が突き出ている


(見学記)
一辺13m、2段築成の方墳です。珍しい7C中頃の終末期方墳で各辺は石垣状に石が積まれ南側に石室が開口しています。玄室はおおよそ長4m幅1.5m高1.5m位。左片袖式ですが左袖は小さな板状の石が突き出ている程度。発掘寺の写真には板石の閉塞石が写っているが現在これはないようだ。山陽自動車道の建設時に発見され発掘後破壊される予定だったが篤志家の方が無償で移転地を提供され移築復元された 。復元されてからだいぶ時間が経っているようで墳丘や石室入り口までススキがはえてきている。場所がかなりわかりにくい(前方後円墳を思わせるが名だが二子は地名)。岡山方面から新幹線下の道路を西に行き山の麓あたりから新幹線下から離れていき高速道路の下をくぐるとすぐ右側に登っていく階段がある。殆ど古墳に行くためだけの専用道路か。古墳の脇に立派な石製の説明板が立っているがせめて階段下にも案内板が欲しかった。

矢部古墳群

岡山県倉敷市 1988年1月訪問、2017年4月、18年2月再訪

前期~後期の古墳群、全81基、半分以上消滅
(番号はHP「古墳奮闘」に従う)

(2017,18年)
その1(7号)
横穴式石室、玄室長5,幅1.4,高1.6m
位置:34°39′35″N 133°48′53″E (日本測地系)
    34.66295004 133.81207279(世界測地系)
耕作によって大きく改変された丘陵上部、画面右端辺りにその1、左側の林の中にその2、その6がある


こちらが羨道開口部だが埋まっている


背後奥壁側が開口、開口部を撮り忘れた、それにしてもよく残してくれたもんだ


開口部から内部、長い玄室が良好に残る、側壁下部は面を整えているが上部は自然石そのままを利用、床面に水が溜まった跡、ここは水が溜まっているのが多い


羨道は埋まっている


玄室内部、やや右に歪んできているか


その2(27号)
その1の山道を挟んだ南西側林の中、墳丘は割と残っている


石室正面、開口部掃除すればよかった


内部はすぐ奥が埋まっている


後ろの奥壁側も開口、天井石が平石のようだ


玄室内部、埋まっているのは後方だけか


その6
その2と同じ尾根筋南西に立地、開口部正面は期待できそうだが


内部は奥壁まで見えているが入るのは躊躇


奥壁は下が埋まるが1枚石かな、最奥の天井石が下がっているようだ


こちらも奥壁側が開口、天井も平石


奥から外、水が溜まっている、泥もたまり無理して入っても石組みの様子は見づらいだろうな


その4(6号)
位置:34°39′38″N 133°48′52″E (日本測地系)
    34.66378327 133.81179494(世界測地系)
北に伸びる尾根上、中間辺りに立地、墳丘は殆ど流失、石材露出


石室正面、前は急斜面


玄室は上部を失う


奥から入口方向


玄門辺り、内側から


(おまけ)
その4北側にあり初めこれがその4かと思った、尾根上部がすっかり平らにされ削り残された部分に巨石が残っていた、石室?


その5(20号)
横穴式石室、玄室長5.8,幅1.7,高0.8m(現状)
位置:34°39′36″N 133°49′02″E (日本測地系)
    34.66322783 133.81457266(世界測地系)
高速道東側、耕作で階段状になった段差部分に残る墳丘


墳丘背後から


西向きに開口、羨道は殆ど壊失


玄室内部はかなり埋まる


匍匐しなくても入れる程度


下が埋まるが奥壁は1枚石かな、上端を直線的に整えているような


奥から外、一応入れます・・・程度の写真


その12
位置:34°39′19″N 133°49′07″E (日本測地系)
    34.65850617 133.81596172(世界測地系)
丘陵麓にありますが移築だそうです、と言ってもせいぜい十数m程度の移動だとか


石室正面、もう奥壁が見えている


小型ながら奥壁は1枚石


何となく違和感を感じた、あまり正確でない移築だとか


その7
位置:34°39′37″N 133°48′47″E (日本測地系)
    34.6635055 133.81040613(世界測地系)
石室正面、手前羨道が通路状になっている、この辺りに7-11が密集、幅広い谷の出口辺りの緩斜面に立地


開口部、狭いが入るのは困難ではない


多少埋まるが細長い石室が残る


奥壁は下が埋まるが平石積み


奥から外、右側が大分傾いてきている


その8
良好に残る墳丘


背後(画面右)に斜面をカットした様子がよく残る


開口部正面、墳丘良好だし内部期待できそうですが


すぐ奥が埋まっていた


天井に隙間があり(これも撮り忘れ)内部が覗ける、すっかり水没しています、石室自体は良好そう


その9
僅かな高まりに天井露出


上記画面右下辺りに開口、内部埋没


その10
墳丘はそこそこ残る


開口部、内部は埋没


その11
石室正面


墳頂部辺りに開口、かなり期待できそうだが


内部埋没、石室自体も一部崩れているようだ


開口部前は羨道が通路状にのこる


その18(仮)
位置:34°39′34″N 133°48′47″E (日本測地系)
    34.66267226 133.81040621(世界測地系)
谷の奥の方に新たな古墳がありました、地形を読み違えた結果だけど何度かこういうことがある


墳丘背後から、斜面に立地


巨石の天井石が2枚露出


石室正面、ここが入口辺りか


玄室天井石、ほぼ未加工


内部はかなり土砂流入


身体を突っ込んで撮影、ここも奥で水が溜まっている、石室自体は良好そう


奥壁は平石3段積み、右側壁はせり出してきたのか奥壁の前に出ているような、左側も最奥を斜めに積んで曲面状になっている


その15
位置:34°39′28″N 133°49′03″E (日本測地系)
    34.66100587 133.81485059(世界測地系)
高速道東側、丘陵北側斜面に2基並ぶ


墳丘上部が削平され石室殆ど露出


こちらが奥壁側


右が入口側、東向きに開口


ここは多分側壁部分、内部は埋没


露出した天井石、幅はそれ程なさそう


その16
横穴式石室、玄室長3,幅1.2,高1.3m
15号東側に大きな墳丘が残る


これも東向きに開口、開口部は狭いが入るのは困難ではない


やや土砂が流入するが石室良好、一段下がっているのがまぐさ石でしょうか


大型石材を使った玄室、ここも奥の天井石が一段下がっているかな


下が見えないが奥壁は1枚かな、上端が整形されている様子が分かる


奥から外、巨大なまぐさ石、ここも斜面下方の左側が歪み石組みが乱れているようだ


羨道奥から、長い羨道が残るのも珍しい


矢部大ぐろ古墳(17号、瓢箪塚古墳)
前方後円墳、TL47,R26,RH4.8,FW21,FH2.5
位置:34°39′30″N 133°48′55″E (日本測地系)
    34.66156132 133.81262844(世界測地系)
尾根筋に立地した前方後円墳、林の中で写真ではよく分からず


前方部から後円部、竪穴石室は埋戻し


後円部から前方部


(1988年)
?号
位置:34°39′40″N 133°48′49″E (日本測地系)
    34.66433875 133.81096159(世界測地系)
88年当時、現在はどうなっていることやら(多分消滅)


石室正面


見学記
(2018年)
昨年に続き再訪(番号は全て古墳奮闘分布図の番号)、全基制覇を目指したけど流石に無理でした。まずは5基が密集している7-11を目指す。1から広い道を下っていく、ショートカットしようと適当な場所から林の中に入っていくと幅広い谷筋に出会う、特に深く考えることもなく谷奥目指していくと右手に自然石を使った天井石が露出した墳丘に出会う。石室入り口は埋没、後ろの天井石で開口していますが土砂が流入し奥は水溜り、でも何とか奥壁まで見えています、5,6mはありそうな石室でした。当然この付近に他の古墳があるはずと思って探してみたが全く見当たらず。おかしいなと思いつつ谷を下っていったら5基密集した古墳に出会いました。どうやら位置を誤認していたもよう、こういう経験は何回かあるけど新規石室を見つけたから言うことなし(笑)。他の古墳の説明は省略しますがあちこちに散らばっていて探し甲斐のある古墳群でした。

(2017年)
倉敷市矢部、北区との境辺りにある丘陵広い範囲に分布している80基以上、尾根筋上に立地する前期と横穴石室を主体部とする後期の古墳群ですが開墾や高速道などで半数以上消滅しているようです。高速道路が通っているし近くに産廃処理場もあってややこしそうなので敬遠していましたが今回は案内してもらって4基の石室(分布図1,2,5,6)を見てきました。まだ見学可能な石室が幾つかあるので再訪しなくちゃ。今回は前方後円墳の矢部大ぐろ古墳を紹介、高速道西側の尾根筋に築かれた前方後円墳で竪穴石室を持ちますが埋め戻されています。墳形は非常によく残っていて後円部を北側に向け上からは平野部がよく望めます。北側にも古墳が幾つかあります。墳丘としては前方部の方が低いはずですが地形的に高くなっているので後円部と前方部の見かけの高さは殆ど変わりません。前方部端は広がってもいてやや新しい形式かな。初めて岡山に来た時はこの前方後円墳も目的だったのですが果たせず30年ぶりの目的達成となりました。因みに”大ぐろ”の”くろ”は土偏に丸、和製漢字なので漢字表には載っていません。あの時見つけた石室は多分ここより大分離れた北西方向産廃処理場辺り、多分あの石室はもうないだろうな、内部も撮っておらず今から思えば惜しいことをしました。

酒津山相生坂古墳群

岡山県倉敷市 2016年3月訪問、17年4月再訪

横穴石室墳十数基(13号以下は仮番号)

1号
横穴式石室、玄室長5,幅1.7,高1.9m
位置:34°36′36″N 133°44′29″E (日本測地系)
    34.61323262 133.7387444(世界測地系)
墓地の手前に大きく開口、でも見学しやすいのはこれだけ


石室正面、羨道完全に壊失


大きな玄室が良好に残る、開口部が大きくすこぶる明るい


変わった組み合わせの奥壁、左のが一応鏡石か、上部の尖りは敢えて残したか


奥から外、無袖でしょうか


奥から左、側壁の面が揃っている


反対側、こちらはかなり不揃い、如何にも削ったような跡が残っているのもある


3号
横穴式石室、玄室長6.2,幅2,高1.8m
位置:34°36′35″N 133°44′15″E (日本測地系)
    34.61295485 133.73485582(世界測地系)
石室正面、墳丘石室とも割と良好


長い玄室が良好に残る、中間辺りに割と新しい土砂が堆積


中間辺りから奥


奥壁はほぼ1枚石


奥壁手前に分厚い敷石がある、石棚ではなさそう


奥(画面左側)にもう1枚ある


奥から外


まぐさ石が一段下がる、右片袖かな


墳丘横から、左が開口部、上部が平坦で少し削られているかも


4号
墳丘は殆どなく天井石2枚露出


天井石がずれて開口


石室は意外と良好に残る


奥壁はほぼ1枚石


5号
群中最小クラスの石室、前年は谷筋を通ったため見落とした


石室露出、保存状態は良さそう


反対側、側壁は露岩をそのまま利用しているような


内部は大人が横たわるのがやっと程度、天井や左側壁は平面だが右は突出部分がある、このままでは遺体を入れにくそうだけどね


小さいが割と深い谷脇に立地、当時もこんな状況だったのか、谷がもっと小さかったか


6号
斜面下方、墳丘はハッキリしない、林の中に入ると最初に出会うがこれを見つけたので却って迷路に入った


一見良好そうな開口部


内部はかなり埋没&崩壊、余計なパイプが入っているし


13号
開口部横から


石室正面、天井石の大きさの割に開口部が狭そう


ここも長い石室が良好に残る、3m程度


奥壁は2段積み


奥から外、無袖のようです、まぐさ石が一段下がる、下の出っ張りを切り落とせばスッキリするのにね


14号
かなり崩壊した石室


天井石は動いているもよう


石室どの辺りかも判然とせず


15号
ここもかなり崩壊した石室、右が側壁で左が傾いた天井石かな


一見奥壁に見えますが


側壁のようです、左側の石がそれ


16号
最奥にある、墳丘も多少残る


石室正面、石室も植生も荒れている


奥の方で天井石が並んで露出


天井隙間から内部が伺える


土砂が流入するも何とか奥壁が見えている


最奥天井にも隙間、奥壁が見えている


見学記
(2016年)
倉敷市酒津、十数基からなる古墳群です。山陽自動車道水江トンネルと酒津トンネルの間の南側に墓地がありその一角に1号があります。広い墓地ですが東端にあるしすぐ分かります。以前は笹薮だったようですがこの時はすっかり裸の状態、大きな石室が開口しています。全長5m程ですが幅1.7,高1.9mもあって内部はかなり広い印象です。奥壁は上部が尖った鏡石に右側に縦長の石、更に上部にブロック状の石を重ねています。全体に石材の表面加工度が粗い印象を受けます。墓地南側の道を進んで高速下をくぐると小さな砂防ダムがあり階段を登って山林に入っていきます。入ってすぐ左手の斜面を登ると6号、小さな開口部が見えていますが内部埋没、プラスチックパイプがあったりしてよく分かりません。谷部を進んでいくと緩傾斜地にあるのが3号、墳丘もよく残っていて南側に開口、全長6m程の石室です。奥床面に2枚の巨石平石があります。どう見ても左右の側壁に食い込んでいないから石棚ではないし下に空間があるようだから敷石でもないし棺台なんでしょうかね。後世にこれを入れるのも無理なようだし。すぐ東側に4号天井石が露出、内部は殆ど埋没していますが何とか奥壁が見えています。1号は超楽勝だけど3号以下は探すのが大変な古墳群です。探しそこねたのもあるので再訪決定。墓地に駐車スペースあり。

(2017年)
前回は奥の4基と5号を見逃していたので再訪しました。去年は入りにくかった入口辺りも随分楽になっていた、更に奥にも赤いテープが貼られている、古墳の為にしては多すぎるし奥も14号辺りまでしか無く不十分、とは言え他の目的も考えられないしな。それはともかく去年は見逃した5号もあっさり見つかる、正面から見ると小型ながらはっきりした石室だけど谷川から見るとただの露岩としか見えません。去年は谷筋を歩いてきたかもです。殆ど子供用かと思われるけど入り口にははっきりした仕切り石もあります。墳丘もあったんでしょうけど現状では右側は谷になって落ちている、当時は谷はまだ狭かったんでしょうか。奥の4基も5号からすぐの距離、なんで昨年見逃したかな。ただ入室可能なのは13号だけ、14,15号は埋没、最奥の16号も殆ど埋没状態です。一度で見学負えないといけないレベルでした。高速道を潜る手前に墓地駐車スペースあり。

内山池古墳群

岡山県倉敷市(旧真備町)2009年4月訪問、2016年3月訪問

4基、2号消滅

1号
横穴式石室
位置:34°37′48″N 133°39′39″E (日本測地系)
    34.63322959 133.65819584(世界測地系)
丘陵中腹に立地、墳丘は殆ど無いので探すのが意外と難しい


開口部正面


石室はよく残るもそれ程奥行きはない、奥壁は1枚石


奥から外、無袖かな


奥から右


奥から左


3号
位置:34°37′36″N 133°39′43″E (日本測地系)
    34.62989667 133.65930697(世界測地系)
丘陵麓辺りに立地、山側に明瞭にカットした跡が残る


墳丘背後から、非常に良好


墳丘しか撮るものがない


南側に開口、これでも少し掘りました、入口付近は埋没、未盗掘の期待があるな


4号
横穴式石室、玄室長5.5,幅1.6,高2.5m
位置:34°37′32″N 133°39′40″E (日本測地系)
    34.62878573 133.65847377(世界測地系)
擁壁の中に石室がポッカリ開口


石室正面


長く背の高い玄室が良好に残る


これで無名だなんてな


奥壁は2段積み+α


奥から外、両袖式


(見学記)
(2016年)
倉敷市真備町妹、溜池の内山池周辺に4基からなる古墳群ですが南北400mにわたって分布していて探すのは効率が悪い。一番北にある1号は溜池北側丘陵斜面にあります。溜池北東隅辺りから丘陵に開けた場所がありそこを登り山林の中に入ってから尾根筋を登ってきます。標高100m辺りに石室開口、墳丘はよく分かりませんがこじんまりした石室が残っていて奥壁はほぼ1枚石です。2号は消滅。池の東側に自動車修理会社がありその南50m辺りに墓地、その奥雑木林に入った辺りに3号があります。墳丘は非常によく残っていてこの辺りでは一番良く残っているくらい。南側に小さな石材が露出、ここが羨道入り口のようですが隙間もありません。落ち葉を掻き出して隙間を作りカメラを突っ込んでみたけど何も写らなかった。4号は以前仮称尾崎内山古墳としてアップされていたのが内山池4号と正式名称になりました。それにしても1号と2-4号の間には谷があり別の丘陵だし2-4号の丘陵南側には城山古墳群が分布しているしこの古墳群の分け方はよく分かりません。1号東側の道路脇や修理会社脇に駐車スペースあり。

(2009年)
倉敷市真備町尾崎、国道486号から内山谷川沿いの道を北に曲がる(信号機あり)。呉妹小学校を過ぎて400m程、右手墓地の擁壁に黒い穴がポッカリ開いてます。墳丘はサッパリ分からなくなっていますが玄室は外見からは想像できないほど良好、現存長5.5mの大きな玄室です。奥壁は2段積み+α、側壁は左はほぼ垂直だけど右はやは内側に傾いている。元々なのか土圧なのかは不明。少し高い場所にありながら内部は締めっぽく奥は水が溜まっているし入り口にはカラタチの木が生えていた。このままでは庇を貸して母屋を乗っ取られる状態になりそうなので早めに引導を渡しておきました。早い話が撮影に邪魔なんだよね(汗)。それにしてもこれ程の石室が無名であるとはね。川沿いの道に駐車スペース有り。
(追記)尾崎内山古墳(仮称)から内山池4号に変更

福田古城池古墳群

岡山県倉敷市 2013年4月訪問、14年4月再訪

見学可能石室4基

5号
横穴式石室、玄室長4.5,幅1.9,高1.8m
位置:34°32′55″N 133°45′39″E (日本測地系)
    34.55184971 133.75818898(世界測地系)
平坦な丘陵頂部南端に立地


こちらは奥壁側


南向きに開口、羨道上部は壊失


玄室良好、側壁は持ち送り無し


〃縦位置


奥壁は巨石鏡石+左に詰石


奥から外、袖石を立てた左片袖式、右端の石は側壁らしくなく立っている


7号
位置:34°32′56″N 133°45′52″E (日本測地系)
    34.55212753 133.76179985(世界測地系)
僅かな高まりに石材散乱、手前の天井石はかなりの巨石


中間辺りは石室とも分かりづらい状況


石を割ろうとした矢穴の跡が残っている


最奥だけが何とか残っている


奥壁は大小2個の鏡石+小型石材


側壁は平石が多い


9号
横穴式石室、玄室長4.7,幅1.8,高1.9m
位置:34°32′53″N 133°45′52″E (日本測地系)
    34.55129428 133.76179988(世界測地系)
雑木林の中に墳丘が残る


狭い開口部、羨道は殆ど壊失


玄室は良好、右側壁はやや持ち送りか


奥壁腰石だけが随分巨石


奥から外、両袖式、天井に穴があり土砂が流入


奥から左側、こちらがやや胴張りかな


奥から右側、こちらはほぼ真っ直ぐ


10号
位置:34°32′58″N 133°45′54″E (日本測地系)
    34.55268302 133.76235536(世界測地系)
露出した石室、うっかり見過ごしてしまった


石室はほぼ埋没


天井石は最後部の1枚だけ残存


奥壁上部が何とか見えています、多分1枚石の巨石だろうな


見学記
倉敷市福田町福田、墓地の周辺に3基の古墳があります。南向き谷筋に墓地が造成され墓地南側雑木林に入ってすぐに9号があります。墳丘は割と残っていて南向きに開口、入り口は狭いですがなんとか入れる。玄室完存やや胴張りで奥壁は巨石+平石2枚です。両袖式ですが袖石はありません。北側100m程の雑木林の中に2号があります。こちらは墳丘かなり流失石室露出、石室はかなり破壊され天井石を割ろうとした矢穴の跡も残っています。更に北東に10号、平坦地が傾斜面に変わる辺りにあります。大きな穴があって盗掘坑かと思ったらその脇にあった。墳丘流失天井石が1枚残った石室露出内部は埋没しています。5号は西側丘陵上にありこちらから行くより石屋谷古墳群から行ったほうがよさそうです。石屋谷3号から真直ぐ南下鞍部で山道が右に曲がっていますがそのまま真っすぐ斜面を登ります。その後尾根筋を南下、藪で通りにくい場所もありますが斜面を迂回してとにかく南下すると丘陵頂部平坦面南端辺りに丸い墳丘が見えてきます。奥壁側天井石が露出隙間もありますが反対側に開口、羨道上部は失うが玄室完存、おむすび型の鏡石+左側にα、袖石を立てた左片袖式です。行政区の関係で古城池古墳群になっていますが山系から考えると石屋谷古墳群に含めたほうがよさそうです。墓地に駐車場有り、でもそこに至る道がとても狭く急傾斜です。我ながらよく入って行けたもんだ。
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