通山古墳群

岡山県瀬戸内市(旧邑久町)2014年1月訪問

25基(横穴式石室)

1号
横穴式石室、玄室長6.5,幅1.6,高1.6m
位置:34°39′07″N 134°11′03″E (日本測地系)
    34.65518205 134.18148202(世界測地系)
まず最初に出会う1号、墳丘は良好、遠くの建物が養老園


道路側にある開口部、側壁奥側


内部は土砂で殆ど埋没、羨道開口部が見えているが藪でたどり着くのが大変


奥壁は何とか見えている


4号
横穴式石室、玄室長4,幅1.4,高1.3m
位置:34°39′10″N 134°11′07″E (日本測地系)
    34.65601536 134.182593(世界測地系)
養老園側、墳丘は割と残る、ここまで来るのが大変


なかなか格好良く開口


開口部正面


内部はちょっと変


土砂が流入して奥壁見えず


巨石の天井石


奥から外、両袖かな、堆積した土砂を半分だけ掘り出したようです


5号
円墳、R14,H3.5
横穴式石室、全長4.8m、玄室長3.5,幅1.6,高1.8m
石室正面、羨道は基部だけ、手前に仕切りがあるような、天井石が分厚い


玄室は良好、側壁はやや持ち送り


奥壁は2段積み


奥から外、左片袖式、羨道天井石が下がる


6号
円墳、R13,H2.5
横穴式石室、玄室長6.3,幅1.5,高1.7m
左6号、右5号、見ての通り冬場でも接近困難


石室正面、羨道上部は壊失


玄室良好、側壁の面が整えられている


奥壁はほぼ1枚石


奥から外、無袖式、入り口からかなり土砂が流入


7号
横穴式石室、玄室長6.8,幅1.3,高1.2m
墳丘はそこそこ残る、こういうパターンでは石室奥しか残ってないことが多いが


石室正面、奥まで残っているようだ


半ば以上埋まるも奥壁まで見えている


8号
横穴式石室、玄室長3.8,幅1.1,高0.9m
道路脇に隙間開口


奥壁側が開口、入るのは困難


内部はかなり土砂流入、羨道入り口も開口


林の中に入ると墳丘良好に残る


基部だけ残る長い羨道、奥に開口部が見えている


カメラを突っ込んで撮影、下部が埋まるが3段積みかな


9号
円墳、R12,H2.5
横穴式石室、玄室長4.5,幅1.3,高1.2m
位置:34°39′11″N 134°11′12″E (日本測地系)
    34.65629315 134.18398175(世界測地系)
擁壁の上に開口、左右がなく古墳の為の擁壁かな


羨道天井壊失、奥壁天井露出


内部は土砂が流入


奥壁下部が埋まるも形からして下のが鏡石かな


奥から外、左片袖式、まぐさ石、羨道天井が一段下がる


12号
円墳、R10,H2.5
横穴式石室、玄室長6,幅1.4,高1.6m
位置:34°39′09″N 134°11′09″E (日本測地系)
    34.65573761 134.18314851(世界測地系)
墳丘は藪の中


開口部正面、左は羨道側壁でしょうか


石室は良好、側壁の面はそれ程整ってない


奥壁は変形6角形の鏡石、不足分の上と右に詰石と割とあるパターン


奥から外、無袖式


19号
横穴式石室
上部を失った石室露出


側壁の積み方は粗い


反対側も同様


奥壁でしょうか


20号
横穴式石室
位置:34°39′16″N 134°11′41″E (日本測地系)
    34.65768214 134.19203662(世界測地系)
上部を失った細長い石室露出、藪の中倒木有りと見学困難


側壁はブロック上の石を積み上げている、19号直ぐ側だが随分違う


左奥壁、右側壁


奥壁は小型ながら整った3段積み、これも19号とは全然違う


22号
横穴式石室、全長6.6m、玄室長4,幅1.8,高1.9m
位置:34°39′04″N 134°11′21″E (日本測地系)
    34.65434886 134.1864816(世界測地系)
道路から開口部が見えている、冬季限定だが


手前に巨石の天井石落下


開口部正面、天井石が分厚い、石室が少し右に歪んでいるような


石室良好、側壁も面が整えられている


奥壁は基本2段積み


奥から外、左片袖式、袖石は1個の柱状のようだ


背後から見た墳丘は良好に残る


23号
横穴式石室、玄室長5,幅1.8,高1.9m
22号北西、前面に石垣


ここも天井石がずり落ちている


天井石は板状に加工されているようだ


内部はやや埋まるも良好、側壁は22号より粗いかな


奥壁は2段積み


奥から外、無袖かな


見学記
瀬戸内市邑久町尻海、老人ホーム鎮海荘から東側の通り山にかけて分布する古墳群で入室可能な石室が幾つもありますが藪が酷く接近困難なのも多い。
老人ホーム手前にあるのが1号、いかにも古墳らしい墳丘が残っています。南側高い場所に開口していますが笹藪がひどく接近困難、反対奥壁天井部も開口していますが内部はかなり埋まる。老人ホーム前を過ぎて左手斜面に畑がありその西側にあるのが12号、墳丘石室ともよく残っている。更に登っていき分かれ道を左に行くと右側擁壁の上にあるのが9号で石室開口、石材は大きいですが内部は多少埋まる。道路反対側に8号があり奥壁側が開口している、細長い石室。ここから西に直線状に4-7号が並びどれも石室が開口しているが笹藪がひどく冬場でも接近困難、墳丘ははっきり残っているので無理矢理突入すれば見逃すことはないでしょう。一番手前の7号がちょっと分かりにくいかも。分かれ道に戻って更に東進すると道路北側林の中に22,23号が並んでます。22号はよく見れば道路から見えていると思いますが目印になるようなものがないから分かりにくいかも。更に進んで東屋のある駐車場を過ぎ右に大きくカーブする辺り、北側の山が通山でここにも13-15号があるのですが接近極めて困難。地図には細い道があるように描かれていてナビも通るように指示されたのですが道が消えていると言うより初めからなかった感じです。あそこに行った人がいるなんて信じられないような藪だよ。更に道路を下っていき右側果樹園の中に19,20号があります。果樹園の中のいかにも古墳があるよと言った雰囲気の藪が取り残されている。共に天井石を失った石室露出19号は小型、20号はやや細長くブロック状の石を積んでいて他の石室とは趣が随分違います。メインの道路はそれ程狭くなく所々車を停めるスペースもあり藪さえ気にしなければ入室可能な石室も多くてお勧めです。

亀山古墳群

岡山県瀬戸内市(旧牛窓町)2014年1月訪問、4月再訪

3基

1号
横穴式石室、全長8.5m、玄室長5,幅1.5,高1.1m
位置:34°37′10″N 134°10′28″E (日本測地系)
    34.62268303 134.17176151(世界測地系)
尾根先端に立地、はっきりした高まりが残る


石室正面、南に開口


斜め前から、羨道上部が失われている


開口部、天井石がパックリ割れている、落ちているのは側壁石材でしょうか


見事な割れっぷり、よく落ちなかったな、泥が絡まった根っこがぶら下がっていると入りにくい


石室内部はやや埋まるも割と良好


奥から外、左片袖式


2号
横穴式石室、玄室長3.9,幅1.5,高1.8m(現状)
位置:34°37′07″N 134°10′25″E (日本測地系)
    34.62184972 134.17092827(世界測地系)
丘陵麓辺り、僅かな高まり


開口部、前部はかなり破壊


正面、天井が残るのは後部だけ


奥壁はほぼ1枚石、側壁石材は小型だが面が揃っている


奥から外、土砂で埋まる


3号
横穴式石室、石室全長5.5m、玄室長4,幅1.3,高1.6m
位置:34°37′12″N 134°10′32″E (日本測地系)
    34.62323858 134.17287252(世界測地系)
斜面の尾根上高まりを利用して構築、地形が読めると却って探せないというベテラン泣かせの古墳


石室正面、天井石が分厚い


前部がやや壊失も概ね良好


細長い石室は良好に残る、左側壁は根っこでガード、右側壁は腰折れ気味


奥壁は下部に四角い鏡石、上に小型石材


奥から外、僅かな幅の両袖式かな


見学記
瀬戸内市牛窓町牛窓、牛窓神社がある丘陵に分布する3基からなる古墳群です。神社から南の参道階段を下りていき鳥居の所から西に降りていく参道があるのでそちらに曲がり出口辺りの下側斜面に小さな墳丘が見えています。これが2号、南側に開口するも石室前部は破壊埋没、後部しか残っていません。奥壁は縦長の巨石1枚石です。1号はこの北東斜面にあるはずですが結構広範囲を探したが見つからず、それ程見通しの悪い場所でもないのでこれは根本的に間違った場所を探しているかなと思って方針転換、尾根の上に上ってみたら先端部にありました。墳丘は割とよく残っていて南に開口、先端天井部が割れ破片が落下それ以外は良好に残っています。細長い石室で無袖式でしょうか、奥壁は2段積み。しかし土が絡まった根っこがぶら下がっているような所は入りにくいな。ここから神社が見え歩いていくとトイレの裏側に出ました。結果的にトイレから行くのが一番近道みたい。3号は東側斜面にあるそうで結構探してみたが見つけられず。ありえないような場所にあるそうだ。神社北側に駐車場有り。
3号再挑戦してあっさり見つかりました。前回ここより下は傾斜が急でないなとパスした場所でした(汗)。僅かな尾根状高まりを利用しているようです。墳丘は殆ど流失石室が露出していますが細長い石室は割と残っているようです。奥壁は四角い鏡石+小型石材積み上げ。左側壁に木の根っこが這っていますが補強してんだか壊してんだか。右側壁は腰折れ気味です。

スクモ塚古墳

岡山県瀬戸内市(旧牛窓町)2014年1月訪問

横穴式石室、全長8.0m、玄室長3.2,幅1.6,高1.8m
位置:34°37′33″N 134°09′59″E (日本測地系)
    34.6290713 134.16370644(世界測地系)

丘陵尾根筋に立地、墳丘は割と残る


反対側、ここから下は急斜面


南南東に開口、手前石材が羨道入り口辺りでしょうか


開口部、入口前の木が邪魔


羨道は後部が半分くらい残る


持ち送りのある玄室、左側壁はやや孕み気味、奥壁は土砂が流入して殆ど見えず


奥から外、右片袖式、内部に石材散乱


墳丘後方から、右が高く左が低くなっている様子がわかる


奥壁上部が露出、動かされているかも


見学記
瀬戸内市牛窓町牛窓、牛窓オリーブ園北東に伸びる丘陵尾根筋にある古墳です。県道226号を下から上ってくると2度のU字カーブを過ぎて左下にため池があります。その辺りから反対側の畑の中のセメント小道を上っていきます。途中の交差する道を右に曲がり上っていきます。舗装は続いていますが尾根近くでは藪になるけど強行突破、尾根は元畑で開けていて下側の雑木林の中に入ると墳丘がよく残った古墳が見えてきます。南南東に開口していますが奥壁側もやや破壊されて開口、それ以外はよく残っていますが奥壁は土砂が流入して殆ど見えません。右片袖式で石室も割と大きいですが端正な墳丘が見所ですが奥壁が見られないのがマイナスポイント。

寒風古墳

岡山県瀬戸内市(旧牛窓町)2014年1月訪問

円墳、R6.5
横穴式石室(埋戻し)
位置:34°39′05″N 134°08′24″E (日本測地系)
    34.65462569 134.1373198(世界測地系)

寒風古窯跡遺跡内にあるが石室埋戻し


県内唯一須恵器床を持つ(説明板より)


見学記
瀬戸内市牛窓町長浜、寒風陶芸会館北側に寒風古窯跡がありその中にあります。元々石室しか残っていなかったようですが現在は埋め戻され奥壁最上部が見えている程度です。県内唯一の須恵器床を持った石室で古窯跡との関連もあり学術的には貴重ですがわざわざ見に来るほどのものでもありません。会館に駐車場有り。

牛窓古墳群

岡山県瀬戸内市(旧牛窓町)1995年4月訪問、2003年再訪

前方後円墳5基、牛窓湾を囲むように立地

鹿歩山古墳
前方後円墳、TL84,R41,FW59,RH7,FH7
位置:34°36′43″N 134°08′42″E (日本測地系)
    34.61518328 134.14231962(世界測地系)
古墳は後方の藪の中で見るのは困難


横山1号
南側の尾根にある古墳、遠くに見えているのが牛窓湾


石室が露出している


黒島古墳
前方後円墳、TL70,R40,FW32,RH6.5,FH6.5
位置:34°35′42″N 134°09′45″E (日本測地系)
    34.59824027 134.15981874(世界測地系)
湾口に浮かぶ黒島の中央丘の頂にある


天神山古墳
前方後円墳、TL90,R50,FW36,RH9,FH5、4C末
牛窓最初の古墳
位置:34°36′48″N 134°10′06″E (日本測地系)
    34.61657219 134.16565105(世界測地系)
画面右奥港背後の丘の上、状態は割と良い、画面左下工場敷地内に波歌山古墳があるが殆ど破壊されている


二塚古墳(95年)
前方後円墳、TL55,R34,FW34,RH6,FH4、6C後半
横穴式石室
牛窓最後の古墳
位置:34°35′56″N 134°08′12″E (日本測地系)
    34.60212869 134.13398694(世界測地系)
天井の隙間、ここから入る


玄門、羨道は埋没


玄室奥側、墳丘自体は殆ど分からない状態


(見学記)
(1995年)
平野のほとんどない牛窓湾を囲む山の上に5基の前方後円墳があってまさに海を基盤とする4C末~6Cの古墳群です。しかし古墳を見るという観点では現状はちょっとがっかりしました。

天神山古墳
町の東側本蓮寺の裏山にある全長 90m の前方後円墳です。古墳群の中では一番古いようで自然地形を利用した墳丘は保存状況は良好ですが全体像は見にくいです。町史跡。

波歌山古墳
町の中央工場敷地内にあった(過去形で書かなければならないのがつらい)全長 60m の前方後円墳です。保存協定が結ばれたにも関わらず土取りによって一方的に破壊されました。しかしその跡を利用している形跡はなく邪魔者は消してしまえといった感じです。

鹿歩山古墳
町西側鹿歩山山頂にある全長 84m の前方後円墳です。山頂近くに駐車場があってその北側に古墳がありますが薮に覆われていて墳丘は全く見えません。細い道とも言えない道があって何とか後円部頂(多分)にたどり着くのが精一杯,石の祠があったので賽銭を置いて帰りました(額は内緒)。駐車場南側の畑の中に円墳があって崩れかけた横穴式石室が覗いています。

黒島古墳
牛窓湾口に浮かぶ黒島にある全長 70m の前方後円墳ですが行くすべが無く鹿歩山から眺めるだけ,何となく前方後円形をした森が見えるのがそうかな。

二塚古墳
湾の西側二塚山山頂近くにある全長 55m の前方後円墳です。すぐそばまで車で行けますが墳丘は目立たずよく注意しないと判りません。後円部に横穴式石室があり天井石が露出していて,奥壁側の隙間から内部に入ることが出来ます。半ば土砂に埋まっていますが片袖式の石室のようです。

(2003年)
二塚古墳再訪、
木々が茂って石室の場所が分からないと言うので行ってみたら、確かに10年とは様変わり、松は茂り笹藪が覆っていて墳丘さえ分からない始末、説明板が立っているのでかろうじて分かるという状態でした。笹が茂っているので中にはいるのも困難でさすがに諦めようと思いましたがこのままでは名が廃る。と言うわけでよく観察してみるとかって人が通った後が痕跡のように残っている。それを辿っていくと何とか後円部にたどり着き、確か海側に石室があったなと思っていると玄室天井部の隙間がすぐ目に付きました。石室内部は殆ど埋まっていて玄門の構造が何とか分かる状態です。石室自体はわざわざ見に来るほどのものでもないですが県内の前方後円墳で横穴石室を持つものは十指にも満たないそうでその意味では価値があるかなと思われます。帰りも大変、とにかく側の道路に出ればいいので藪を強行突破して出てみると説明板からは大分上側に出てしまった。説明板からはほんの十数mの距離ですがかなり厳しい場所でした。

牛文茶臼山古墳

岡山県瀬戸内市(旧長船町)1989年4月訪問、2001年再訪

帆立貝式、TL55,R38,FW17.5,RH5.5
位置:34°41′27″N 134°07′48″E (日本測地系)
    34.69406623 134.12731935(世界測地系)

西側下からの遠望、右が茶臼山、左が小茶臼山古墳、共に墳頂部が大きく盗掘されている


上記反対側から


墳丘西側


墳丘南側、手前が前方部というわけではない


小茶臼山古墳
主墳すぐ北側斜面、共に平野を見下ろす丘陵上にある


(見学記)
以前も紹介しましたが長船中学校裏山にある帆立貝式古墳です。下草が刈られ下からよく見えていて以前は全く気が付かなかった小茶臼山古墳もよく見えていました。共に墳頂が大きく盗掘を受けています。町史跡。

城山古墳

岡山県瀬戸内市(旧長船町)2012年3月訪問

横穴式石室
位置:34°42′25″N 134°08′44″E (日本測地系)
    34.71017572 134.14287303(世界測地系)

墳丘ははっきりしない、画面右奥辺りが開口部


開口部、後ろは急斜面で下がれません


小形の玄室、立地的には後期だがあまり丁寧な造りではない


奥から外、閉塞石ではなく後世の物か、右側の立ち石も袖石でなく後世の物のようだ


(見学記)
瀬戸内市長船町磯上、長船美しい森西側にあるため池の堰堤西側、谷間の中の小さな独立丘陵状にある古墳です。堰堤を超えて雑木林の中を登るとすぐ開けた竹林になっていて右手に巨石が露出しているがこれは石室ではなくそのまま進むと墳丘の上を通り過ぎます。墳丘と言っても殆ど分からず崖面南側に石室開口していますがそれ程大きくはない。、入り口辺りは土砂で埋まっていますが玄室はほぼ完存奥がやや孕み気味です。入り口に平石が積み重ねられていますがその下は土だし閉塞石ではなさそう。右側に小さな柱状の石もありますがこれも平石の上に立っていて袖石ではなさそう。丘陵に城跡があったそうでその当時の物か、あるいはもっと後の物かな。単独や立地からしてかなり後期の古墳だと思われるがその割に石室の造りは粗い。

大塚古墳群

岡山県瀬戸内市(旧長船町)2001年4月訪問、2006年2011年再訪

総数20基以上(8,9,11号は06年、それ以外は11年撮影)

1号
墳丘はそこそこ残るが


石室部分盗掘


5号
僅かな高まりが残るも天井石露出


天井石が点々と残る


墳頂部辺り


最奥だけが僅かに残る、奥壁は1枚石っぽい


6号
横穴式石室
位置:34°41′53″N 134°08′27″E (日本測地系)
    34.70128778 134.1381515(世界測地系)
割と大きな墳丘、天井石露出


露出した天井石


天井部に大きな隙間


石室は殆ど埋没、奥が辛うじて見える


7号
横穴式石室
位置:34°41′46″N 134°08′18″E (日本測地系)
    34.69934353 134.13565178(世界測地系)
谷南側墓地の側、北向きに開口


墳丘は石室を辛うじて覆う程度


前面の天井石が上下とも平面に仕上げられている


羨道、側壁の一部がせり出している


巨大な玄室が良好に残る、側壁の持ち送りも殆どない


奥壁は巨石の上に半弧状の石を乗せる


奥から外、片袖式


8号
横穴式石室
箱式石棺
位置:34°41′46″N 134°08′34″E (日本測地系)
    34.6993436 134.14009582(世界測地系)
石室開口部、羨道は壊失している模様


玄室、奥がやや狭まる


奥から外、無袖式


9号
横穴式石室
箱式石棺
位置:34°41′49″N 134°08′30″E (日本測地系)
    34.70017681 134.13898479(世界測地系)
石室開口部


羨道


玄室、側壁が一様に傾く


玄室奥にある箱式石棺


奥から外、無袖式、羨道天井が1段下がる


10号
石室正面、羨道部はかなり崩壊


開口部


羨道から玄室、玄室に堆積した土を掘った跡がある


良好に残る玄室、床面の石は石棺破片か


三角形の鏡石を据えた奥壁、最奥の天井石が一段下がる


奥から外、片袖式


その他1
10号側、大きく盗掘


奥壁のみ残存、何故これだけ残した?


11号
横穴式石室
位置:34°41′43″N 134°08′38″E (日本測地系)
    34.69851038 134.14120686(世界測地系)
石室開口部


羨道


玄室、群中最大


奥から外、右片袖式


背後から見た墳丘


12号
よく残る墳丘、石室前部はやはり破壊


開口部


羨道から玄室


持ち送りのない玄室


上下2段積みの奥壁


奥から外、片袖式


その他2
12号側、低い墳丘が残る


上部を壊失した石室露出


玄門辺りでしょうか


17号
横穴式石室
位置:34°41′47″N 134°08′27″E (日本測地系)
    34.69962131 134.13815155(世界測地系)
急斜面に立地、石室前部は破壊されているようだ


背後から見ると急斜面の割に墳丘が良好に残る


細長い玄室


半ば埋まっていたのを掘り返した跡がある


奥から外


(見学記)
(2001年)
茶臼山北東に大塚の集落があります。谷筋を入っていくと奥に溜池があります。この直前で道を左にそれると北側に墓地がありその背後に崩壊した石室が2,3基見えています。元の道に戻って更に東に行くとやや広い山道と交差する手前右側に古墳があります(仮称1号)。石室が道と反対側に開口していてあやうく見逃すところでした。入り口はかなり狭いですが中に入れます。無袖式で羨道天井が一段低くなっています。玄室奥には殆ど埋まった箱式石棺が2基あります。更に道を東に100m程行くと右手に古墳がありますが(仮称2号)やや離れているので冬場でないと見逃すかもしれません。ここも南側に石室が開口、羨道はかなり崩壊しているようですが残存長7,8m程度でこれが主墳でしょうか。無袖式で奥がやや狭まっています。開口部左側に箱式石棺が半ば埋まっています。他にもあるかもしれない。更に東にも行ってみましたがこれ以上は無さそうです。

(2006年)
前回仮称2号から東はなさそうと書きましたが行き方が少々足りなかった。最大の石室は仮称2号墳から更に7,80m程奥、道路北側(山側)にあり道路から石室が開口しているのが見えています。羨道玄室とも良好に残っていて全長も10mほどありそう。玄室は右片袖式で長6m程、奥壁は鏡石の上と右に1個ずつ石を配している。それにしても最大の石室がこんな奥にあったとはね。(後日この背後にもう一基石室があったと聞きショック)
(更に後日もっともっと石室があると知って再々訪決定)

(2011年)
ここも3回目、一度目はOBITOさんに存在を教えて貰って全く分布が分からない状況で訪問、二度目は最大の石室が他にあるというので訪問、更にかまどねこさんが現れて多くの石室があると分かったのでついに三度目。まずは最大墳の10号背後にある幾つかの石室を訪問。10,12号は墳丘石室ともよく残っている。前回11号を訪問した時墳丘がよく残っているのだから背後から撮っていれば気がついただろうにな、残念。どちらにしろ他にもあるから3度目はあったけどね。更に上の方にある幾つかはパス。ため池北側墓地辺りにあるのは1度目で気がついていたけど何故か写真に撮っていなかった。状態が良くないし銀塩の時代だからフィルム代が勿体なかったのかな。更にため池南側にある7号を訪問、墓地の奥まった場所にあり北向きに石室開口、羨道玄室とも良好に残っています。羨道は立ったまま入れるほどの大きさ、玄室は11号に匹敵する大きさ側壁は持ち送りが殆どなく奥壁は巨石2段積み、袖石を立てた左片袖式です。羨道最前面の天井石が少し滑り落ちかけているような、と言っても大きな地震がない限り数百年は持つだろうけど。これで一応全て終了、と思って帰ってからチェックしてみたら7号近くの17号を訪問するのを忘れていた(汗)、まあいいか。
(翌年行ってきました。さすがに奥のため池まで行くのが面倒で集落入り口辺りの空き地に車を停めたけどここから歩いていったってたいした違いはないじゃないか)

西山古墳

岡山県瀬戸内市(旧長船町)2008年3月訪問

横穴式石室、玄室長5.5,幅2,高2.5m
位置:34°41′18″N 134°07′45″E (日本測地系)
    34.69156651 134.12648619(世界測地系)

東からの遠望


羨道石材が落下


開口部


良好に残る玄室


2段積みの奥壁、下の鏡石も立派


奥から外、片袖式


(見学記)
現瀬戸内市長船町牛文、長船中学校南側にため池がありその西方にあります。ため池から見るとすっかり藪に覆われ大きな石が裾に落ちています。羨道石材と思われ墳丘もかなり削られているんでしょうね。崖のような斜面を登ると石室開口、中にはいると外見からは想像できないほどの大型石室が良好に残っています。側壁は持ち送りがあまりなく奥壁は2段積み、下の鏡石は見事な巨石です。隙間から光が射し込んでいるから背後の墳丘も殆どないんだろうな。ため池土手下に駐車可。

西須恵築山古墳

岡山県瀬戸内市(旧長船町)1989年4月訪問

前方後円墳、TL81,R37,FW65,RH9,FH10、5C末
家形石棺
位置:34°40′34″N 134°08′25″E (日本測地系)
    34.67934575 134.13759684(世界測地系)

丘陵麓に立地する墳丘


木が伐採されすっかり見やすくなった、写真では分かりにくいが前方部の発達している


西側から


後円部頂の家形石棺、阿蘇ピンク石凝灰岩製


かなり丸みを帯びた蓋石


(見学記)
牛文茶臼山から南側の桂山をぐるっと回って県道39号に出て西に行くと左側の山裾に西須恵築山古墳の墳丘が横たわっているのが見えます。全長82mの前方後円墳で現在ほぼ裸の状態でよく観察できます。後円部の一部が削られている他は良好、2段築成ということですが尾根を削って作ったせいかあまり築成は目立ちません。後円部上に二上山凝灰岩製の家形石棺があり蓋の一部が割れていますが全般に良好で丸い縄掛け突起も4個ついています。周りに石組みがありますがこれは竪穴石室でしょうか。
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