サザラシ1号

岡山県瀬戸内市(旧邑久町)2017年1月訪問

方墳
横穴式石室、玄室長5,幅1.3,高1m(現状)
位置:34°40′18″N 134°09′02″E (日本測地系)
    34.67490193 134.14787377(世界測地系)

参道途中にある案内板、古道沿いに行ったつもりが右手でなく左手に古墳があった


低いが大きな墳丘が残る、単独で存在、方墳ということもあり後期も後半でしょうか


南向きに開口、手前まで羨道跡がある


露出した天井石


開口部斜め前から


開口部前にあるのは羨道仕切り石でしょうか


細長い石室、若干持送り


〃ストロボ無し


奥壁は基本2段積み、下部は下が埋まっているが鏡石らしい台形


奥から外、無袖のようです


おまけ、神社から見えた四国の屋島、独特な地形から判別可


(見学記)
邑久町尻海、美和神社(こちらは長船町西須恵)近くの山中にある古墳で1号とありますが2号以下はなく単独で存在しています。北側を通る県道39号にある須恵古代館東側に参道入口があり美和神社の案内板も立ってます。舗装された長い参道を登っていくと神社手前300m辺りに旧道の説明板がありそれに古墳が載っています。そこから旧道を行くと途中に古墳の案内板があるので山道に逸れて入っていきます、所々赤いテープの目印があるので間違えることはないでしょう。説明板から感じるよりは距離がある感じです。古墳はなだらかなピークからやや下った緩斜面に立地、割と大きな墳丘ですが上部がかなり流失して天井が露出しています。南東内開口する石室は羨道上部が失われていますが他は良く残っています。羨道は短く玄室が長いタイプでしょうか。床面がやや埋まっていますが入室楽々、無袖式で奥壁は2段+α、古墳の空白地帯に突然出現したような古墳です。案内板の所に駐車可。
美和神社からの眺めも良く、牛窓方面が見えています。この日は快晴で大気の透明度もよく小豆島が目の前にあるよう、遠くには屋島の姿もハッキリ見えていました。

経塚古墳群

岡山県瀬戸内市(旧牛窓町)2017年1月訪問

2基

1号
横穴式石室、玄室長3,幅1.7,高1.5m(現状)
位置:34°36′59″N 134°10′07″E (日本測地系)
    34.61962753 134.16592872(世界測地系)
平坦な丘陵頂部端に位置する、墓地で少し削られている


南側に開口、羨道先端まで残っているようだ


羨道奥、土砂で大分埋まるが入れないこともない


でも奥壁側が開口、こちらからの方が楽


奥から外、右片袖式、袖石下部が埋まるが多分1本


羨道奥から


玄室、奥壁下部は埋まって見えない


2号
横穴式石室、玄室長5,幅1.6,高1.6m
1号北東すぐの場所にある、左側墳丘はよく残るが右側はざっくり削られている


開口部、でもこちらは奥壁側


大きく破壊された奥壁側


玄室自体は良好に残る


玄門、無袖のようです、羨道完全埋没、1号の方を向いている


やや背の高い玄室、僅かに残った奥壁を見ると特に巨石でもなさそう


(見学記)
牛窓町牛窓、低い丘陵頂部にある2基からなる古墳群です。南側斜面一帯が墓地になっていてその最奥にあるのが1号、お墓の傍らに開口、羨道先端まで残っているようですが多少埋まっています。反対側に廻ると奥壁側が破壊されて開口、こちらの方が入るのは容易、右片袖式です。北東20mの所にあるのが2号、背の高い墳丘が残っていますが北側がかなり削られています、こちらも奥壁が破壊されて開口、無袖式でまぐさ石が一段下がり羨道は殆ど埋没、1号より大分規模が大きい。羨道入り口は露出していませんが1号の方向に開口しているようです。1,2号の墳丘が繋がっていてひょっとして前方後円墳?、ただ2号の石室は1号より少し低い場所にあるようです。墓地入口前の道路民家前に駐車スペースあり。

槌ヶ谷古墳群

岡山県瀬戸内市(旧牛窓町)2017年1月訪問

2基、見学出来るのは1基だけかな

2号
横穴式石室、全長7.1m、玄室長3.6,幅1.7,高1.8m
位置:34°36′59″N 134°07′53″E (日本測地系)
    34.61962734 134.12870968(世界測地系)

幅広い尾根筋に良好に残る墳丘、1基だけでも来る価値はある


南西に開口、お邪魔木が生えている


木を避けて開口部撮影


羨道前部は上部壊失


羨道後部


良好な玄室、やや持送り


奥壁は基本3段積み、厚みが不揃い


奥から外、左片袖式


墳丘脇の巨石、奥壁に最適なのにな、巨石過ぎて動かせなかったか


(見学記)
深谷6号からそのままほぼ平坦な場所を北に進んでいくと無人のプレハブ小屋がありその先に舗装されている廃道がありました。この道を右に行きすぐ笹薮で通れなくなるので右手の林の中に入り穏やかな頂部から東に下る尾根筋に痕跡道があるので辿っていくと槌ヶ谷古墳群2号に至ります。尾根平坦面を利用して墳丘は非常によく残っていて築造時の姿がそのまま残っていると思われる程、下草や木々もあまり生えていないので観察もしやすい。南西に開口する石室も羨道前上部天井を失っていますが他は良く残っています。玄室は左片袖式奥壁は3段積みです。とにかくこんな場所に非常に良好に残っているのが素晴らしい、千数百年間ノーメンテだと思うと尚更です。深谷6号に来るのは大変ですがそこからこちらに来るのは楽、セットでお得な古墳です(笑)。更に下方に1号がありますがこちらは根気と体力と運がなければ無理なので初めからパス。

深谷古墳群

岡山県瀬戸内市(旧牛窓町)2005年4月訪問、17年1月再訪

6基、4,5号消滅

(2017年)
1号
横穴式石室、残存長4,幅1.6,高1.7m
位置:34°36′02″N 134°07′54″E (日本測地系)
    34.60379517 134.12898725(世界測地系)
藪のような林の中にあった墳丘はすっかり露出、ただの残土の山にしか見えません、背後は宴の跡のテニスコート


石室が心配でしたが無事でした


内部も変化なし


2号
横穴式石室、残存長3.5,幅2,高1.8m
墳丘がかなり削られているようだ


こちらも石室無事


前は接近困難だったが来やすくなったとは言える


3号
横穴式石室
前は藪状態だったが多少ましになっていた


1枚だけ残っている天井石、片側が円形、かなり加工されているんでしょうか


6号
横穴石室、全長5.8、玄室長3,幅1.5,高1.7m
位置:34°36′04″N 134°07′44″E (日本測地系)
    34.60435065 134.12620965(世界測地系)
尾根上に良好に残る墳丘、背後山側から


南側に開口、羨道前部は天井を失う


石室正面楽々入室、来るのは大変ですが


羨道後部


やや背の高い石室、側壁は一様に内側に傾く


〃ストロボ


奥壁は2段積み、上下の境目のカーブが見事に合っている


奥から外、左片袖式だが袖石はなし


羨道奥から


(2014年)
遠望、右側斜面に3基、左側尾根筋に6号


1号
後部が残存した石室


側壁、石材は中型


奥壁は三角形の鏡石、左に偏る


背後から見た墳丘


2号
こちらも天井石が残っているのは後部だけ


側壁は1号と変わらず


奥壁は大きく違い平石4段積み、最奥天井石も1段下がる


3号
上部を失った石室、藪で覆われよく分からず、中央に見えているのは天井石でしょうか


奥壁はどちらかと言うと1号似かな


見学記
(2017年)
牛窓町鹿忍、前回6号を探しそこねたのでリベンジすべく再訪してみました。谷西側の尾根筋にあるので取り敢えず尾根に登り尾根筋を登っていきます。ほぼ上りかと思いましたが僅かながら下りや上りになっています。その内やや急な上りになり登り尽きた辺りに尾根筋を目一杯に使った大きな墳丘に当たります。その先はまた平坦になっているので地形を利用した墳丘のようです。南側に開口羨道前部天井を失っていますが他は完存、玄室はやや持ち送りがあり左片袖式、奥壁は下が埋まっていますが2段積みでしょうか。こんな場所からは想像できない墳丘と石室でした。でも立地や墳丘石室構造等からすると深谷古墳群より槌ヶ谷古墳群に含めた方がいいような気もしますけどね。帰りは尾根筋を下っていく、つもりでしたが先端辺りで降りる方向を間違えたようで現在位置が分からなくなる状態(汗)、溜池が見えたのでそちらの方に降りましたが西側の谷筋に降りてしまい元の場所に戻るのに随分遠回りをしてしまった。この谷奥にも矢寄北古墳があるはずですが藪が酷いようなので敢えて近寄らず。
深谷1-3号はすぐ側でメガソーラーが出来ていて地形が大きく改変されていました。古墳自体が心配でしたが2号の墳丘が少し削られているようですが3基とも何とか残っています。まだ稼働前で以前より接近しやすくなっていましたが稼働し始めると入るのは難しくなるかもしれません。

(2014年)
瀬戸内市牛窓町鹿忍、谷筋斜面にある古墳群で6基からなりますが4,5号消滅。テニスクラブがありますが廃業しているので入るのは容易でもすっかり藪になっています。前と奥のコート中間辺り北側斜面に1-3号があリます。コート脇を入っていって3,4mの崖を無理やり登ると1号があります。墳丘は割と残っていて南に開口前部は壊失しています。三角形の鏡石を左に置き後は小型石材を積み重ねとデザインいまいち。すぐ西側に2号こちらも前部壊失、奥壁は下がやや埋まっていますが平石4段重ねと1号と比べてスッキリ。更に西に3号がありますが上部大きく損壊天井石が落下全体に藪に包まれるなど状況はよくありません。南側尾根筋に6号があるそうですが携帯に落とした地形図を読み違えて見つけられず、残念。北側の槌ヶ谷古墳群は相当難しそうなのでパス。廃業しているので門の前に駐車可。でも時間をおけばおくほどコート周辺でも通過が難しくなりそう。

阿弥陀山古墳群

岡山県瀬戸内市(旧牛窓町)2003年4月訪問、17年1月再訪

横穴石室墳、50基以上

今週51-57号追加(最終)
1-10号、12-27、36号28-41号42-49号51-57号(クリックでジャンプ)

(2017年)
1号
位置:34°37′15″N 134°08′56″E (日本測地系)
    34.62407162 134.1462081(世界測地系)
群西端、これだけ飛び離れている


天井石露出、後方から


天井石、前から


石室正面、羨道天井石壊失


石室内部は殆ど埋まる


ストロボ撮影、一応奥壁は見えている


2-4号:藪の中

5号
位置:34°37′17″N 134°09′11″E (日本測地系)
    34.62462711 134.15037438(世界測地系)
藪の中にある墳丘


天井石2枚残存、1枚石室内に落下


横から、多分左側が入り口


手前が奥壁側かな


石室内部、奥壁は見えていない


反対側


6号
大きな墳丘が良好に残る、石室メインでもこういうのは嬉しい


墳丘上部に石室開口、西向き


前部は天井を失う


開口部正面、入るのに問題なし


内部はやや埋まるも奥壁まで見えている


奥から外、無袖かな


7号
位置:34°37′18″N 134°09′16″E (日本測地系)
    34.62490486 134.15176314(世界測地系)
これも墳丘はよく残る、丘陵頂部より僅かに西側に立地


石室正面、前部天井壊失、ここも西向き


間口が広い開口部


石室良好、殆ど埋まっていない


奥壁は平石を積み重ねる、基部だけやや大きい


奥から外、側壁は下部より上部の石が大きい


8号
7号北側に接する、5-9号は等間隔的なのにこれだけやや異質


天井石露出


石室正面、北向きに開口、北向きなのは群中唯一か


石室後方


天井石が抜かれている


奥壁は半ば埋まっているが平石積み科


石室内部から奥壁


9号
丘陵頂部から東に伸びる尾根筋に築かれた墳丘


石室は現墳丘上部にある


これは南東に開口


前部天井壊失もよくあるパターン


石室内部は大分埋まる


中間辺りで天井石が抜かれる


石室後方は良好、どれだけ長いんだ


ストロボ無し、奥が明るい


奥壁側も開口


奥から外、長い石室がよくわかる、中間が開いてなかったら匍匐で入るのは厳しかったかも


10号
位置:34°37′19″N 134°09′20″E (日本測地系)
    34.62518261 134.15287414(世界測地系)
東向き斜面に立地、多分群中唯一の立地場所


東向きに開口、向かい側斜面に密集している群に対自している


石室前部横から、天井を失う


持ち送りのない石室、殆どがそうですが


奥壁は大中小3段積み


奥から外、無袖かな


〃、ストロボ無し


14号以下遠望
西からの遠望、群中最大の密集域、藪の中で見学は困難、上方尾根からの接近は多分不可、12,13号は画面左外側


12号
情報を貰ってこの日新たに見つけた、墳丘は割と残る


石室正面、明らかに歪んでいるのが分かる


幅の狭い石室


角状の石材を積み上げている、この群の中では珍しいタイプ


奥から外、側壁石材が一部転落、全体が右に傾き天井石も傾いている


13号
谷筋に向かう緩斜面に立地


石室正面


上部壊失、天井石は最後部の1枚のみ残存


石室内に落ちているのも天井石か


石室後部、鏡石が三角形と変わっている


14号
尾根筋に立地、墳丘がよく残る


石室正面、入り口埋没


すぐ後ろで開口、ここが玄門か


石室内部、奥から土砂が流入


中央辺りでも天井が動かされ開口


石室後部


平石を重ねた奥壁


奥から外、途中が土砂で埋まる


15号
位置:34°37′21″N 134°09′25″E (日本測地系)
    34.62573811 134.1542629(世界測地系)
これも尾根筋に立地、墳丘はかなり流失


石室良好、側壁はやや持ち送り


ストロボ無しでも明るく撮れている


奥壁は下半分に台形の鏡石、上に平石の間に楕円形の石とちょっと変わっている


奥から外、無袖かな


18号
前上部を失った石室、よくあるパターン


開口部、狭いけど入るのに問題なし


石室後部良好


台形の鏡石、左をやや狭めて幅を合わせている


奥から外、入り口から土砂流入


21号
前部が破壊された石室


やや持ち送りがあり幅の狭い石室


将棋の駒のような鏡石、右下に小型の鏡石なのが幾つもある


奥から外、ここも無袖かな


22号
墳丘がやや残る


ここも前部が破壊


石室正面、余裕で入れる


石室良好、側壁石材小型


奥壁は2段積み、下が埋まるが上の石の方が大きそう


奥から外、石材が一部落下


23号
上部を失った石室、左側壁石材が落下


石室正面、奥壁2段積み


36号
天井石露出、手前が後部、23,24号の間にある


幅の狭い石室


小さな石室


奥壁にしては位置がおかしいかな


24号
すっかり上部を失った石室、23号とともに斜面最下部のは状態が悪い


割と幅が広い、落ちているのは側壁か


これは奥壁それとも天井石


25号
墳丘が残る、藪が酷くて撮りづらいですけどね


中間で天井石が動かされて開口


奥壁は平石積み


奥から外、一応入れます


26号
ここも前部破壊


石室正面、左の石は動いていてその内落ちるでしょう


幅の狭い石室、左側壁がやや孕む


角石を重ねた奥壁


奥から外


27号
ここも前部破壊、木が邪魔をしている


内部は良好


奥壁は2段積み+平石


奥から外、どこも似たり寄ったり


28号
墳丘はよく残る、元々の状態か


墳頂に盗掘坑、石材は全く見られず、遠方に前方後円墳がある黒島


30号
基部の一部しか残っていない


側壁


31号
位置:34°37′20″N 134°09′30″E (日本測地系)
    34.62546033 134.15565166(世界測地系)
これが一番わかり易い場所にある


低い墳丘が残る


石室正面、天井石が落下


石室後部はよく残る、奥壁は平石積み


奥から外


32号
位置:34°37′17″N 134°09′31″E (日本測地系)
    34.62462705 134.15592943(世界測地系)
生け垣に囲まれた墳丘、初めは気付かず通り過ぎた


入ると巨石奥壁が露出


でもかなり薄い、ずれ落ちて開口


奥から外、左片袖式、まぐさ石が割れている


玄室内は土砂流入、奥壁がずれているのも分かる


反対側に廻るとこちら側も開口


羨道もよく残っている


羨道奥から、天井が一部抜ける


34号
最近消滅か

37号
位置:34°37′21″N 134°09′34″E (日本測地系)
    34.62573808 134.15676267(世界測地系)
緩斜面にほぼ裸の墳丘


反対側から、石室天井石が露出


石室前から


石室内部は埋没


38号
37号斜め下方にやはり裸の墳丘


石室正面


天井石が随分割れやすそう、実際平石状に割られたのも見かける


玄室、側壁は殆ど持送りなし


奥壁はほぼ1枚石の巨石、このタイプのはあまりない


奥から外、無袖かな


39号
道路脇に小さな墳丘


小さな開口部


内部はよく残る、全般に小型石材


奥壁は平石積み


奥から外、左にやや歪むか


40号
位置:34°37′16″N 134°09′37″E (日本測地系)
    34.62434928 134.15759595(世界測地系)
藪に覆われた墳丘


頂部に石室露出、意外と残っている


奥壁は半円形のを2段積み


41号
こちらも藪の中、天井石が見えている


天井石露出、隙間がある


隙間からカメラを突っ込んで撮影、石室意外と良好、あまり期待できない状態だったのでビックリ


42号
畑側の藪の中、探すのにかなり手こずった


開口部


意外な程石室良好、この群はこういうのが結構あるから油断できない


下に鏡石、上に平石と正統的な奥壁


奥から外、天井はかなり危ない状況


43号
位置:34°37′13″N 134°09′37″E (日本測地系)
    34.62351601 134.15759597(世界測地系)
天井石がすっかり露出、後方から


横から、陰と日向の部分と撮影には最悪の状況


内部はすっかり埋没


44号
見落とす

45号
位置:34°37′20″N 134°09′36″E (日本測地系)
    34.62546031 134.15731818(世界測地系)
低い墳丘が残る


前と後ろだけ、中間はすっかり抜かれている


奥壁と最後部天井石が何とか残る


46号
良好に残る墳丘、石室前部露出


反対側から


石室正面、古墳の札はオリーブ園現役だった頃の名残か


平たく加工された天井石


石室良好、強烈な日差しが却って邪魔


ストロボ無しで撮れる明るい石室


奥壁は巨石2段積み


奥から外、側壁はやや持送りがあるか


天井のレベルが揃っている


47号
雰囲気良く残る墳丘


石室正面、ここも天井石平石


石室も良好


上部に大型石材、下に平石と普通と逆の奥壁、最下部は埋まっているがそれ程大きな石でもなさそう


奥から外、こもも無袖かな


48号
位置:34°37′19″N 134°09′40″E (日本測地系)
    34.62518254 134.15842919(世界測地系)
やや急斜面に築かれた墳丘


正面から


開口部、少し掃除しました


石室良好、ストロボ無しで撮ると雰囲気いいわ


ちょっと変わった奥壁、鏡石の上にくさび状の平石


奥から外、やや背が高く幅が狭い


49号
位置:34°37′12″N 134°09′45″E (日本測地系)
    34.62323823 134.159818(世界測地系)
尾根筋先端にポツンと存在


中に入ると天井石露出


開口部


殆ど埋まるが何とか奥壁が見えている、平石積みのようだ


51号
位置:34°37′22″N 134°09′39″E (日本測地系)
    34.62601582 134.15815142(世界測地系)
この辺りから林の中で探しにくくなる、墳丘は裸なのでわかりやすい


石室正面、大きく開いて期待できる姿


日が当たっているので奥壁まで見えている


良好に残る石室、ストロボ無しで撮れるのが嬉しい


台形の鏡石に平石を重ねる


奥から外、左袖があるのかな


52号
墳丘がよく残る


幅広い開口部


ここも良好かつ撮りやすい


51号とよく似た奥壁


奥から外、一番前の天井石が危うい状況


53号
杉林の中にある墳丘、下草もなく非常に好みな状況


前に廻ると前部がやや崩壊、この前は斜面が急になる場所


石室正面、余計な木が邪魔


天井が露出しているので明るい石室


右下に小型の鏡石、このタイプのは時折見かける


奥から外、前が急になっているのが分かるかな


天井石は2枚残る


これでよく残ったな


54号
大きな墳丘が残る


石室正面、分厚い平石状天井石


内部は良好、祠があり祀り事が行われていたようだ


風変わりな奥壁、なんでこんな積み方をした


奥から外、土砂が流入


55号
位置:34°37′48″N 134°09′27″E (日本測地系)
    34.6274046 134.16065117(世界測地系)
イベント広場に現状保存、早い話が放ったらかし


これが奥壁側、元の状態がわからない程崩壊


横から、天井石が露出、墳丘は殆ど無い


石室正面、羨道は入り口までよく残っているようだ


よく残る羨道


羨道に比べて玄室の状態は悪い、天井石も傾いている


右袖式の玄門、こんなにハッキリ分かるのもこの群では少ない


羨道奥から


56号
位置:34°37′25″N 134°09′50″E (日本測地系)
    34.62684911 134.16120669(世界測地系)
ここも藪の中で探すのに苦労した、近くに偽墳丘もあったしね


天井石露出、入り口殆ど埋没


入り口の隙間から撮影、石室自体は埋まらず良好、しかし殆ど日が当たらないだろうによく木が成長できたな


左が奥壁、意外としっかりした造り


57号
位置:34°37′18″N 134°09′48″E (日本測地系)
    34.62490479 134.16065123(世界測地系)
石垣に囲まれた墳丘、残されただけでも感謝しなくちゃ


反対側に開口部が見えている


開口部、かなり掃除しました


長い石室が良好に残る、天井が一段下がっている所が玄門でしょうか


明るい玄室


疑似五角形の鏡石に平石を重ねる


奥から外、やはり無袖かな


(2003年)
31号
墳丘背後、左遠方に黒島が見えている


玄室


37号
1号すぐ上にある墳丘


墳丘横から、石室は殆ど崩壊


かろうじて残った玄室奥、1号と比べて石材が小型


38号
横穴式石室、玄室長5.5,幅2m(目測値)
位置:34°37′20″N 134°09′35″E

墳丘


山頂近くの南側斜面にある


石室正面、羨道は殆ど壊失


玄室、奥壁は1枚石の巨石


奥から外、両袖か


45号
横穴式石室、玄室長8,幅2.2m(目測値)

墳丘


石室正面、羨道はかなり壊失


やや胴張りの玄室


玄室奥、一部の石で平面に仕上げられている


奥から外、無袖か


46号
石室開口部


玄室、下が埋まっている


奥から外


47号
石室開口部


玄室


奥から外、右に小さな袖石が立っている


49号
破壊された石室


(見学記)
(2017年)
前回03年に訪問した時も割と石室を見かけましたが更に50基以上の大古墳群と判明したので再訪してみました、駐車場が無料になったことも大きいですが(笑)。「古墳奮闘」に載っている分布図を参考に探しまくりました。かなり広い範囲に分布していて見やすい場所もあれば藪の中のもあり1日半かかりましたよ、でもお陰でほぼコンプしました(新たに12号1基追加発見)。群集墳にしては石室がよく残っているのも多い。分布図を持たない初心者(前回の私だ)でも旧オリーブ園内に幾つも石室が残っていて簡単に見つけることが出来るしベテランのコフニストでも探すのに苦労するのもあるしいろんなレベルの人でもそれなりに楽しめます。。
後から分布図を見て気がついたのですが同じ丘陵の東端に以前訪問したスクモ塚古墳があります。1号が何故か西端にポツンとあることを考えるとこれも同じ古墳群に含めていいじゃないのという気もする。
(追記)分布図を携帯に送る際トリミングして南側離れた場所にある44号を見落とす、更にこの後かまどねこさんによって2-4号が見つかる、でも深い藪の中だしな。流石に再訪はないだろ・・・。

(2003年)
町北側の丘陵、オリーブ園内にある40数基からなる大古墳群です。個々の古墳は全く分からないので取り敢えず言ってみたら園内に入るには一応バイクも駐車料金が必要ですが料金係のお兄さんに古墳見学に来たんだけど、と言ってみたら無料で入れてくれました。序でに古墳のことを聞いてみましたがあまり知らないらしく2基見たことがあると言っていましたが確かに正面に古墳が見えてます。これが1号(仮称、以下同じ)、頂上近くの急斜面に立地していて羨道は失われているようですが巨石を使った奥壁を持つ玄室はほぼ残っています。すぐ上に2号がありますがこちらは石室が大きく損壊、玄室奥辺りがかろうじて残っていますが、奥壁も小さな石を積み上げていて1号との違いを示しています。墳丘や石室自体の規模はそれ程変わらないんですけどね。この2基はすぐ分かったが他は不明、近くに巨石が露出しているのでそれを見に西側に行くともう1基あった。これが3号、やや小型の石室です。ここより西側は急斜面で古墳もありそうにないので東側を探してみると次々に見つかりましたね。4,5,6,7,・・・。特に4号は羨道が失われているようですが8m近いやや胴張りの玄室が良好に残っていました。他にも幾つかありましたがきりがないのでそうそうに退散しました。

亀ヶ原古墳群

岡山県瀬戸内市(旧長船町)2014年1月訪問

30基以上(番号は仮称、「古墳奮闘」に従う)
前方後円墳の亀ヶ原大塚金鶏塚もこの群に含まれる

1号
横穴式石室
位置:34°40′21″N 134°07′18″E (日本測地系)
    34.67573451 134.11898739(世界測地系)
斜面に大きな墳丘が良好に残る


石室正面側


羨道前上部壊失、閉塞石が残る


羨道後部、まぐさ石が一段下がる


石材は大きくないが良好に残る玄室


拘りの積み方をした奥壁、中央の石が一応鏡石でしょうか


奥から外、右片袖式


2号
横穴式石室
割と良好な墳丘


開口部正面


前部は破壊されているもよう


玄室は良好、床面の石は敷石?


鏡石+平石の奥壁


奥から外、無袖かな


3号
横穴式石室
開口部正面、墳丘はそこそこ残る


天井石が分厚い平石


玄室良好、床面に石材散乱


鏡石+平石と2号とよく似た奥壁


奥から外、ここも無袖かな


5号
横穴式石室
道路下にある墳丘


狭い開口部


小型石室、やや埋まる


6号
横穴式石室
開口部正面、こちらも道路下にある


前部天井壊失


奥の状態は良い


将棋の駒形をした奥壁鏡石


奥から外、ここも無袖かな


(以下「古墳奮闘」に載っていない)

仮仮1号
横穴式石室
道路から開口部が見えている、冬場限定でしょうが


墳丘前部が削られている


開口部、前部は壊失


石室後部は良好、2,3号と似た奥壁


背後から見た墳丘


仮仮2号
横穴式石室
シダに覆われた墳丘、動きまわるだけでも大変


開口部正面、前部破壊かな


開口部、天井は分厚い平石


石室も良好に残る


奥壁は平石積み、手前の巨石はなんだろ、石棺のような構造は見られないが


奥から外、ここも無袖かな


仮仮3号
横穴式石室
前上部を失った石室


石室正面


玄室内にゴミが溜まっているのが残念、分かりにくい場所なのになんでわざわざ


小型鏡石+平石2、上の方が大きい、カメラのせいではなく多分平石が斜めになっている


尻無1号
横穴式石室、玄室長4.3,幅1.7,高1.8m
位置:34°40′13″N 134°07′22″E (日本測地系)
    34.67351254 134.12009849(世界測地系)
斜面下方から見た墳丘


巨石天井石が露出


最前面天井石がずり落ちかけている


開口部から見た内部、ここからは入りにくい


玄室は良好に残る、若干右側に傾いているように見えるけど


変形5角形の巨石鏡石、左下隅に詰石があるので側壁は初めから傾いていたようだ


奥から外、太い竹が玄室内に生えなくてよかった


見学記
(亀ヶ原古墳群)
瀬戸内市長船町西須恵、亀ヶ原大塚古墳北東一帯に分布する30基程の古墳群で亀ヶ原大塚古墳、金鶏塚古墳、尻無1号もこの中に含まれます。。ここは道が狭いのであまり行きたくはないけど石室多数ともなれば行かざるを得ず(汗)。古墳は藪の中にあるのが多いですがその分探しがいがある(笑)。道路東側に金鶏塚がありこの北東にあるのが1号、これが一番分かりやすく大きな墳丘が残っていて斜面をカットした跡も残っている。石室も羨道玄室とも良好、石室全面に残っているのは閉塞石でしょうか。玄門はまぐさ石が一段下がり右片袖式。奥壁は中型の石材を乱雑に積んでいるように見えますが中央の石はやや丸みを帯びていかにも鏡石を意識しているような、その下部や左右の石もかなり意識的に配置しているようにも見えます。この辺りに10基程石室がありますが他では6号がやや大きい程度です。北側少し離れた斜面にも5基程あるようですが藪が酷く断念。峠辺りに駐車スペースあり。
アップに際して改めて古墳奮闘の写真と比較してみるとあの分布図に従って見学し番号付けしていったのだが一致しないのが幾つもあった。まず11-15号は行っていないし7-9号も見逃している。10号は確認している。仮仮1号は道路から見えているからてっきり4号かと思ったが4号は基部だけなので違う。仮仮2号は多分その近く、初めは2号かと思っていたから多分上方辺り。仮仮3号は尻無1号を見た後10号を探そうと思って探したから多分あの辺りかな。

(尻無1号)
道路脇下に開口している亀ヶ原6号辺りから下って行くと墓地がありその下方竹林の中にあります。墳丘はかなり流失巨大な天井石が露出しています。前面で開口していますが天井石が落下しかけ太い竹も生えているので天井隙間から入ったほうが良さそう。玄室はそれ程埋まっておらず良好、天井石が巨石の割には側壁石材はそれ程大きくない。奥壁鏡石が将棋の駒のような形で格好いい。上や右にも詰石。石室全体が下方が側に歪んでいるようだ。ただ鏡石左側にも詰石があるので元々壁面は少し傾けていたかもしれない。
尻無1号とありますが尻無古墳群ではなく亀ヶ原古墳群に属します。なので尻無古墳群1号と書くと間違い。2号以下もないので尻無古墳でもいいと思うんだけどなんで1号とつけたのかな、ややこしい命名だ(2号以下があるかもとして1号と付けることはありますね)。

亀ヶ原大塚古墳

岡山県瀬戸内市(旧長船町)1989年4月訪問、1995年、2004年1月再訪
亀ヶ原古墳群に属する

前方後円墳、TL40,R20,FW20,RH3,FH4
両袖式石室
位置:34°40′18″N 134°07′13″E (日本測地系)
    34.67490119 134.11759863(世界測地系)

(14年)
前方部石室正面


短い羨道


床が多少埋まるが規模の割に背の低い玄室、奥の天井石が切り石のよう


奥から外、右片袖式、前の写真と比べるとカメラが広角になっていて効果は大きい


後円から前方、こちらの方が後円部に見える


(95年)
石室正面、こちらが前方部、後円部はかなり低くなっている


羨道


切石に近い巨石を使った玄室


典型的な右片袖式


(見学記)
西須恵から邑久町に抜ける峠に亀ヶ原の集落があり手前の竹林の中にある全長40mの前方後円墳です。南側の後円部に片袖式石室が開口していて全長7.8m,玄室長3.4m幅1.45m高1.75mと結構大きなものです。なおここで後円部と書きましたが「前方後円墳集成」ではこちらが前方部となっています。しかしどう見てもこちらが後円部に見えるけどなー、北側の墳丘は低いからさらに大きな石室があるとも思えないし。道路を隔てた東側に全長40mの前方後円墳金鶏塚古墳があります。名前のわりには現状は哀れなものでくびれ部は切断され前方部は祠があり後円部は薮に覆われその気になって見ないと判りません。平野を望まない峠で特に交通の要衝と言うわけでない場所に有力な前方後円墳が2基もあるのが不思議です。

金鶏塚古墳

岡山県瀬戸内市(旧長船町)2005年4月訪問、14年1月再訪
亀ヶ原古墳群に属する

前方後円墳、TL40
位置:亀ヶ原大塚東側

(14年)
最新画像と言っても説明板が追加されているだけ


(05年)
名前は立派だが現状は寂しい、祠が乗っているのが後円部、右手に前方部、亀ヶ原大塚と共に峠にある前方後円墳

亥子田古墳群

岡山県瀬戸内市(旧長船町)2014年1月訪問

6基

1号
横穴式石室、玄室長6,幅1.4,高1.8m
位置:34°40′24″N 134°07′45″E (日本測地系)
    34.67656801 134.1264868(世界測地系)
藪の中に開口、群中一番行きづらい


石室正面


長い石室が良好に残る、以前あったゴミは撤去


席室中程から、石材はそれ程大きくない


奥壁は一応鏡石らしい石を据えているが先が尖っているので上の積み方に苦労したようだ


奥から外、無袖式


2号
横穴式石室、全長9.6m、玄室長5,幅1.4,高1.8m
山道脇に墳丘、少し削られている


斜面下方側に開口


長い石室が良好に残る、特に崩れた様子もないが床面の石材は何でしょう


割と背の高い玄室、1号より石材大きい


奥壁は縦長の巨石+上に平石2枚、右に詰石


奥から外、一見左片袖のようですが


羨道奥から、左右に柱状袖石が見えている、右の袖石は壁面に埋まっている


3号
横穴式石室
2号東側、大きな墳丘が残る


石室正面、最前部は残っているが上部壊失


石室後部は良好に残る


側壁石材は小型、天井石は2枚残存


奥壁は巨石ほぼ1枚石


奥から外、無袖かな


4号
横穴式石室
2号南西下方、上から見ると墳丘良好


墳丘前面は大きく削られている


石室後部残存、ゴミが残念、奥壁は変形の鏡石


奥から外、天井石が1段下がっているのでここが玄門かな


5号
横穴式石室
4号東側、ここも上から見ると墳丘良好


前面は少し削られ開口


隙間開口、入るのはそれ程難しくない


隙間から見ると内部良好、これは入らなくては


奥壁は平石3段積み、側壁はやや持ち送り


奥から外、羨道は埋没、両袖式だがまぐさ石はなさそう


6号
横穴式石室
小さな墳丘が残る


上に巨木、石材露出


内部埋没、意外と残っているかも


見学記
瀬戸内市長船町西須恵、6基からなる古墳群で斜面上から1基、2基、3基と三角形状に分布し1号以外は疎林の中で分かりやすく6号以外は石室に入室可能でお得な古墳群です。南を通る県道39号からいのこだ建築の大きな看板が見えていてその背後の林の中にあります。1号は後回しにしてまず2号から。背後を山道が通っていて墳丘が少し削られているが南に開口する石室は羨道玄室とも良好、全長9m玄室長5mの大型石室です。羨道に石材が転がっているが側壁は特に崩れてないような。玄室は左片袖式で袖石は1本の柱状石です。奥壁は縦長の巨石1枚石+上に平石2枚と右に詰石です。山道沿いの東側に3号、こちらも墳丘良好、石室前部は上部を失っていますが奥の方は良好、側壁石材は小型ですが奥壁はほぼ巨石1枚石、上部の幅が狭くなりより奥壁っぽい。2号から西側下方にあるのが4号、背後から見た墳丘は良好で斜面をカットした跡も残っている。石室は前部がかなり破壊されているが後部は良好、奥壁は不定形の鏡石で積み方はやや粗い。奥壁前にゴミが溜まっているのが残念。更に東側にあるのが5号、墳丘は良好に残るも南側の開口部はかなり土砂で埋まっているが羨道部分だけで玄室はそれ程埋まっていない。奥壁は平石3段積み+α、両袖式だが柱状の袖石ではない。更に東にあるのが6号、例外的に小さな墳丘で石室も大きく破壊されている。上に巨木が生えているがこのせいではなさそう。1号は山道北側、藪が酷くて無理やり突入するしかない。三角形の頂点辺りで背の高い木(多分キリの木、冬でも黒っぽい実がなっている)が生えているのでその辺だろうと感で突入したら正解でした。長い石室が良好に残っていて無袖式でしょうか、奥壁は変形5角形の鏡石は半分くらいの大きさを占め跡は適当に石を積んでいます。古墳奮闘では中にゴミがありましたがこの時は綺麗に掃除されていました。背後に池か何かがあるようで床面に水が染み出してきています。前の水路沿いの道が広いので駐車可。

西谷古墳群

岡山県瀬戸内市(旧長船町)1995年4月訪問、2014年1月再訪

6基

(2014年)
1号
円墳、R12,H2
横穴式石室、全長8m、玄室長4,幅1.1-1.4
位置:34°40′50″N 134°08′09″E (日本測地系)
    34.68378969 134.13315262(世界測地系)
看板が変わっているだけで他は変わりなし


石室正面


羨道、長さの割に幅が狭い


玄室も良好、床面に石材がゴロゴロ


奥壁は縦長の巨石+平石、右側の詰石と鏡石のカーブが見事にあっている


奥から外、左片袖式


羨道奥から


墳丘も良好に残る


3号
横穴式石室、全長6.5m、玄室幅1.3,高1.6m
位置:34°40′46″N 134°08′09″E (日本測地系)
    34.68267868 134.13315267(世界測地系)
道路脇と言うより下側にある、竹林の中で接近が面倒


開口部は一応広い


内部はゴミが散乱、石室自体は良さそう、でも明らかに右側に倒れかかっている


奥壁は平石4段、でも各段は1枚石ではない


奥から外、天井も傾いている


5号
横穴式石室、玄室長8.4,幅1.5,高1.2m
位置:34°40′36″N 134°08′08″E (日本測地系)
    34.67990117 134.13287503(世界測地系)
新興住宅地内にある、珍しい古墳の売り物


平野を望む丘陵緩斜面に立地、側壁が所々露出


奥壁側から見た墳丘、早朝で霜が降りている


奥壁も露出、隅の部分が開口


開口部正面


細長い石室が良好に残る、奥が開口しているので内部は明るい


中程からストロボ撮影


奥壁は3段積み


奥から外、多分無袖式


他の古墳を見学後晴れてきたのでもう一度撮影


斜め前上方から


6号
住宅地の一角に残されている、石材が僅かに露出する程度


天井石でしょうか、住宅予定地の角隅をカットして保存


(1995年)

西谷1号
墳丘、石室正面、麓近くに良好に残っている


羨道、幅が狭く、左側壁が大きく傾く、袖石が僅かに突き出ている


玄室、こちらは右側が傾いている


奥から外、袖石上の天井も一段高くなっていて玄室羨道を区別している


見学記
(2014年)
瀬戸内市長船町西須恵、6基からなる古墳群です。95年に1号を訪問していますがその後HP古墳奮闘で更に追加があったので再訪しました。まずは北側の1号から、林の中に相変わらず丹精な姿を留めています。頭の中では最格好いい円錐形をしていたような記憶があるがやはり時間とともに美化されている模様。詳細は省きますが古墳奮闘では前の看板が4号になっていますがこの時はちゃんと1号になっていました。かまどねこさんの記事を見て立て直したか(笑)、修正ではなく明らかに建てなおされています。1号西側に溜池がありその出水口辺りに2号がありますが石室状態が悪いのでパス。更にその南側に3号、道路脇の竹林の中です。内部はゴミ溜め状態ですが石室自体は良好に残っています。ただ明らかに道路側から押されていて道路側の側壁は傾きが大きくなり反対側は立ち上がり天井も傾いているなど危険な状態です。4号は埋没。300m程南側の住宅地内にあるのが5号、なんと14年1月現在古墳付き住宅地として売出し中!、古墳を手に入れる絶好のチャンス、古墳の売り物なんて滅多にないぞ。それはともかく古墳はすっかり丸裸、封土も石室を覆う程度しか残っていません。細長い石室は良好に残っていて入口側だけでなく奥壁隅も開口しているので内部は明るい。側壁は僅かに一様に傾き奥壁は3段積みです。5号南西に6号がありますが僅かに石材が露出している程度。ここも住宅地として売りだされていますが6号の部分だけ四角くカットされているので住宅地としては使いにくいだろうな。古墳を保護するのに異議はないけどこんな状態なら発掘して埋め戻して住宅地としての利便性を高めたほうが余程いいんじゃなかろうか。

(1995年)
こちらも案内図に従って行くと上記古墳群の下方、林の中にあります。こちらは墳丘、石室とも良好でやや規模も大きいようです。石室は無袖式ですが壁の一部に出っ張りがあって羨道と玄室を区別しているようです。又奥に向かって右側の壁は垂直に立っているのに、左側は少し内側に傾斜しています。
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