久米大池古墳群

岡山県総社市 2009年4月訪問、21,22年3月再訪
  多数の石室墳、前方後円墳1基
  (古墳番号はHP「古墳奮闘」に従う)

久米大池堤からの遠望


東支群(仮称)
(見学順)
26号
山道から適当に藪に入って出会った墳丘


墳頂に石材露出、一応石室らしい石組みが残る


28号
上にも下にも墳丘が見えていたが取り敢えず下へ、28号か、結局上へは行き忘れた


27号
 位置:34°42′10″N 133°46′11″E(日本測地系)
    34.70600118 133.76707148(世界測地系)
更に下に明瞭な墳丘、色々考察して26号


南側に開口、この支群では唯一入れた


羨道から玄室


奥壁側壁とも小型石材


〃縦位置、持ち送りがあり背が高く古式な雰囲気


奥から外、無袖かな


〃縦位置


羨道奥から、長い羨道が残るのも珍しい


29号
低い穏やかな墳丘、石材見られず


30号
これも大きさの割に背が低い


これも石材見られず


不明
大きいが低い高まり、古墳かどうかも不明


20号
斜面に石材露出


天井石らしく見える


隙間開口


内部は殆ど埋まっている、一段下がっているからまぐさ石か


天井にも隙間


入り口方向に明かりが見える、完全埋没じゃないけど意味はなし


奥壁が見えている


21号から見た墳丘、この辺り3基集中


21号
20号上に低い高まり


斜面上から


石材露出も石室らしさはなし


22号
傍らにも穏やかな墳丘


墳頂に石材露出、手前の2個が天井石で左奥は側壁か



西支群(仮称)
4号
 位置:34°42′15″N 133°45′48″E(日本測地系)
    34.70738992 133.76068331(世界測地系)
(21年)
墳丘は藪の中、石室前だけ藪刈されていた


長い石室が良好に残存


中程から、天井以外特に巨石は無し


腰石+平石3段の奥壁


奥から外、左袖があるかな


(22年)
藪が刈られ道ができたいた、小川に橋も架かっている


墳丘も藪が刈られ見やすくなっていた


上部が多少平坦になっているがこれだけ残れば十分


石室正面、上が平らになっているのがわかる


内部は明るいのでストロボ無しでも撮りやすい


側壁石材の面が整えられている


前年も撮ってますが何度も撮ってしまう


奥から外、ストロボ無し、天井のレベルが揃っている


奥から左


奥から右、こちらの方が石材がやや小型


5号
(21年)
4号下方に5号、この時は藪が酷く大変、墳丘上の山桜が目印になりました


墳丘は低く南側に開口


開口部正面、天井石が大きさの割に薄い、左から伸びているのは山桜の根、なんでここまで伸びてくるか、正面の木は別の樹木です


内部は多少埋まっています


奥壁は平石を重ねる、左右2列になっているよう


奥から外、無袖だが天井が一段下がるか


墳丘上の山桜、満開だったらさぞかし見事なんでしょうが


(22年)
こちらも通路が出来ていて墳丘がよくわかります


石室前の木は上部が切られていた


山桜が満開の頃来てみたい、山桜のこれ程の巨木も珍しいかも


A号
4号背後にも古墳があった


石材が僅かに露出


一部の天井石が露出


正面から、内部は殆ど埋没



中支群(仮称)(見学順)
15号
ため池北側の山道沿いに6基程の古墳が並びます、最初に出会う14号、高まりが残る程度


14号
これも薮の中に高まり


南側に盗掘跡


隙間開口していました


土砂が流入するも内部は意外と良好


13号
この後は北側に墳丘があります


12号
どれも藪の中、墳丘は割りと残っているんですが


11号
これは大きく盗掘されていた、石材見当たらず


10号
これでも墳丘がわかる方


番号不明1
この辺りから登道になります、墳丘は良好に残っていたが開口部見つからず


番号不明2
これは17号かと思ったが違ってた、石室かどうかも不明


9号?
盗掘跡状態


側壁でしょうか


8号
古墳らしい墳丘


墳頂部に僅かに石材が露出するのみ、袖石でしょうか


7号
 位置:34°42′10″ 133°45′50″(日本測地系)
    34.70600115 133.76123886(世界測地系)
やっと本格的な墳丘に出会いました、草が茂っているとこれでも見逃すことがあったとか


大きな墳丘だがかなり上の方に開口


開口部正面、腹ばいで入る必要がある


羨道天井に隙間があり土砂流入、余計入りにくくなっている


玄室は完存


奥壁はほぼ1枚石の巨石


奥から外、左片袖式


天井奥から、側壁上部が持ち送り


羨道奥から


墳丘背後から、結構斜面に構築


3号
 位置:34°42′12″ 133°45′52″(日本測地系)
    34.70655666 133.76179432(世界測地系)
(21年)
墳丘前面が草刈りされていて開口部がよく見えていた


立ったまま入れる程の大きさ


天井石が2段重ねかと思ったらカットされた状態でした


無袖だがまぐさ石が一段下がる


巨大な玄室、ただ側壁材はそれ程大きくない


〃縦位置


奥壁は縦長2枚を並べ上は平石、中央の石はもう少し斜めにすれば印象的になっただろうにな


奥から外、左に僅かに袖があるかも


〃縦位置


奥から右方向


〃左方向、最上部は調整用の平石


(22年)
翌年、墳丘全体が草刈りされていました


開口部横から


墳丘横から


墳丘背後から、遠くに平野部が見えています


前年撮っているけど入りやすいしまた撮ります


〃縦位置


入り口から天井部


奥壁ストロボ無し


奥から外、ストロボ無し、やはり左に袖石があるな


天井奥から



19号(元13号)
 横穴式石室、玄室長4.0,幅1.9,高2.2m(現状)
 位置:34°42′00″N 133°46′06″E (日本測地系)
    34.70322361 133.76568284(世界測地系)
堤からの遠望、手前の空き地に駐車可


お墓の中にお墓


これだけは早い段階から知っていたが、ここまで大規模な古墳群だったとは


一応開口部があり完全には埋まってないが入室無理


墳丘背後から


開口部からの撮影


入ってからの撮影、背の高い玄室、明るいのでストロボ無しで十分


〃縦位置、以前は蔓が垂れ下がっていたがなくなっていた


天井石、やや持ち送りがある


左側壁


右側壁


奥から外、左片袖式


以前あった蜂の巣は除去されたが新しいのが作られていた


1号
 前方後円墳
 位置:34°42′11″N 133°46′00″E(日本測地系)
    34.70627892 133.76401629(世界測地系)
尾根筋先端を整形して造られた前方後円墳、前方部端正面、手前に平坦面が広がっている


山の上なのでもっと小型かと思っていたので、意外な大きさに驚いた


横から見るとハッキリ直線状になっています


前方部隅から後円部


前方部から後円部、主軸上だと木が邪魔になる


前方部端上部に大きな盗掘跡


後円部から前方部


くびれ部東側に造出か


葺石が露出


後円部正面、尾根筋が大きくカットされている


(2009年)
13号
墓地の中で存在感を示す墳丘


背後から


天井石2個露出、石仏が乗っているのは羨道天井石


正面から。羨道埋没


天井石隙間から撮影、奇妙な物がと思ったらスズメバチの巣だった


雑然と積まれた奥壁


側壁も同様


おまけのスズメバチの巣


(見学記)
(2021,22年)
(東支群)
この古墳群は丘陵を超えた東側斜面にも広がっています。去年赤坂山古墳群として見つけたその5もこちらの古墳群に属するそうです(33号に変更)。その近くでも幾つも古墳が見つかっているので訪問してみました。33号より大分下方山道西側に何基も密集していましたが手前の藪が酷く見透かしてみてもまずわかりません。適当に突っ込んでみると低いが大きな墳丘がありました。上部は大きく盗掘されて窪んでいる、羨道側壁の石組みだけが残っていました。これを何号に同定するかで上に行くか下に行くかになる。取り敢えず下に行くとハッキリした墳丘があって南側に開口した石室がよく残っていました、これで27号と決定、なので前のは26号、その間に28号となりました。更に下に29,30号もありました。下に行ったので上の23-25号はスルー。更に西に行って20-22号を見つけて終了。藪はそれ程酷くはないがあまり見通しの聞かない場所、分布図の地形より更に細かな地形が見えて現在地がわかりにくい。結局19号(元13号)がある墓地上部まで行ってしまった。砂川公園に駐車場有り。

(西支群)
西側谷筋を超えた尾根筋に4,5号があります。この時はどのような古墳なのか全く分からず藪もひどかったので諦めかけましたが後で案内してもらいました(現在は山道が出来て行きやすくなっています)。上側のが4号でこれも石室がよく残っています。南西に下った場所にあるのが5号、石室自体はそれ程大したことはないのですが(一応入れる)上に生えているヤマザクラが巨木、高さは20m以上あるでしょうか、幹自体も大きいけど太い根が石室を抱え込むように伸びています。ちょうど花が咲き始めていて感動しました。ヤマザクラの巨樹は検索すると幾つも出てきますがベスト20くらいは入りそうな巨樹です。

(中支群)
以前は墓地の中にある13号しか知らなかった久米大池古墳群、久米大池北側にもあるにはあったけどわざわざ見に行く程でもなかった。でも最近幾つもの石室が見つかったので早速訪問、上物の石室も多いです。溜池北側のはサラッと流して山道を登っていくと途中に鉄骨製の砂防ダムがあります。初めはなんでこんなとこに建物がと驚かされました。更に登っていくと草刈りが行われて見通しが良くなった中に7号、斜面に大きな墳丘、中腹辺りに開口していて狭いですが中に入れます。今は一目瞭然ですが以前は林の中で藪に覆われ気が付かなかったとか。更に登っていくと一帯はまだ笹薮状態、その中に更に大きな石室を持つ3号があります。藪の中でわかりにくいですが痕跡道を辿ればなんとか見つけられます。手前に天井石擬きがありそれを見つければ石室はすぐ先、立ったままで入れる程の大型石室です。

(1号、19号)
去年見つけそこねた2号を探しに行きました。その際麓辺りの古墳を探していて林を抜けると墓地の中に19号があるのに気が付きました。去年は神社から行ったけどこちらから行った方が楽そう。林の中に入るとほぼ1本道の山道、これを行けば2号に至ると思いましたが行けども行けども2号どころか古墳らしきものにも出会わない。もう通り過ぎたと思ったけどこのまま行けば1号に行くだろうと登っていくとやはり1号に出会いました。山頂かと思っていましたが細長い尾根先端をカット整形した墳丘のようでカット部分や墳丘自体もよく残っています。前方部前面は広い平坦面になっていて儀式の場だったんでしょうか。墳丘は削られた跡はありませんが前方部上部端に盗掘跡、後円部にも浅い窪みがあります。造出もあるようなないような。2号には出会えなかったけどこれはこれでいいものでした。
13号(現19号)は天井部が開いているので以前は入れませんでしたが私より小さい人が入ったと言うので入ってみました(20年)。いざ入ってみると開口部から流れ込んだ土砂が下に溜まっていて床面が少し高くなり足をかける壁面もあるので出るのはそれ程困難ではなかった。でもそれは結果論、やはり万が一を考えるとなかなか単独では入れません。以前あったスズメバチの巣は撤去されていたけど同じ場所に新たな巣が出来ていた、どんだけお気に入りなんだか。

(2009年)
総社市久米、砂川公園入り口辺りの北側に久米大池があり堤を渡ると墓地がありその中にあります。割と大きな墳丘が残っていてすぐ分かる。羨道と玄室の天井石が1個ずつ露出、羨道は埋まっていますが玄門上辺りに大きな隙間があって中を覗けます。カメラを突っ込んで撮影したら何か丸い奇妙な物が写っている。よく見たらスズメバチの巨大な巣だった(汗)。冬場だから飛んでいないしどちらにしろ中にはいるのは無理だからいいけど撮影するにはすごく邪魔。カメラの視野にはいると巣が明るく写るので奥壁が暗くなってしまう。それはともかく石室が大きな割には石材は小さめ、側壁はやや持ち送りがある。奥壁も雑としか言いようのないような積み方。これだけの規模でこんなに雑なのも滅多にないぞ。墓地まで車で直接来れないこともないけど砂川公園の駐車場から歩いた方が無難。

稲井田古墳群

岡山県総社市 2022年3月訪問

多数の横穴石室墳(見学順、古墳番号はHP「古墳奮闘」に従う)

西支群(仮称)
東支群へジャンプ)
4号
尾根先端やや西寄りに立地、墳丘は多少削られている


西向きに開口、狭い開口部


苦戦して見つけたからこれは入らなくては


開口部からの撮影、羨道天井がやや傾く


玄室良好、右の山側がやや傾くか


奥壁は縦長で右は2段積みという変わった構成、右側壁がせり出して奥壁の一部を隠している


奥から外、左片袖式、玄室前部天井も傾いている


尾根上から見た墳丘


5号
すぐ上に大きな墳丘


頂部が窪んでいる


大きな盗掘跡、石材全く見られず、両宮山と同様未完成の古墳ということはあるのかな


K号
 位置:34°39′05″N 133°39′49″E(日本測地系)
    34.65461645 133.66097283(世界測地系)
更に上に大きな墳丘、大きく削られている、これ全部墳丘だとしたら石室はかなり下の方になる


北向きに開口、狭い開口部


内部は良好、床面に落ちている黒いものは先行者の落とし物のメジャー


右側壁がやや傾いている


ストロボ無し


〃懐中電灯で撮影


奥壁は四角い鏡石+平石2枚、奥壁手前の石材は何でしょう


奥から外、土砂が流入しているが右片袖かな


〃ストロボ無し


〃懐中電灯で撮影


3号
4号東側にある、上から見た墳丘


東向きに開口、ざっくり削られている、西支群は大きく削られているのが多い


開口部正面、倉庫として使われていた跡がある、しかしこんな場所でどんな使い方があったか


玄室は完存、左側に異物


〃縦位置


奥壁は巨石鏡石+詰石、何となく違和感があるのは隙間にセメントが詰められているせいか


奥から外、大きな立柱石の右片袖式


〃ストロボ無し


〃縦位置


天井石奥から、大きな隙間がある


一応異物も撮っておこ、何に使ったんでしょう


東側下から見た墳丘


1号
 位置:34°39′09″N 133°39′53″E(日本測地系)
    34.65572748 133.66208379(世界測地系)
緩い尾根先端に築かれて大きな墳丘が残る、西向きに開口、これも大きく削られている


この古墳群は開口部の向きがバラバラなのに的確に石室開口部側が掘られている


狭い開口部、入って入れないこともないですが


取り敢えずカメラを突っ込んで撮影、玄室はよく残っています


〃ストロボ無し


右側壁


左側壁、土砂が流入しているし入ったとこで玄門は殆ど埋没しているので断念


山側から見た墳丘


尾根上から見た墳丘


A号
1号脇に僅かな高まり、古墳かどうか不明


2号
1号のある尾根西側緩斜面に立地、墳丘はほぼ流失


石室前上部は壊失


石室後部はよく残る、無袖なので入るまでもなく


奥壁は2段+平石2枚、最奥の天井石が一段下がる


入らない時は右側壁を撮って


左側壁を撮ってこれで終了


東支群(仮称)
6号
 位置:34°39′08″N 133°40′00″E(日本測地系)
    34.6537832 133.66402809(世界測地系)
尾根先端辺りに立地、大きな墳丘が残る


狭い開口部、上のはまぐさ石か


激狭開口部、入った人はいるのだが前日の雨で下が濡れ入ると泥だらけになりそうなので断念


カメラを突っ込んで撮影、石室は良好、再訪するつもりだったのであまり撮らず、奥壁に何か模様がある、この後の12号でも見られました


7号
尾根斜面に良好な墳丘が残る


ここも激狭開口部


もう再訪するつもりだったので適当に撮影、一度来ると2度めのモチベーションが下がるな


8号
6,7号と同じ尾根だがこちらは尾根上に立地


尾根上側から


ここも激狭開口部


羨道はかなり埋没も玄室はそれ程でもない、左側壁が大きく傾く


奥壁上部で隙間開口


側壁の傾き具合がよく分かる、むしろこの状態で崩壊していないことに驚き


9号
前記東側尾根上、これは一番上(南)にある小型古墳


開口部、石が邪魔をしている


小型石材の玄室、入って入れないこともないがここもパス


10号
9号から北に下っていきます、これも少墳丘


墳丘は天井を僅かに覆う程度に残る


開口部正面


9号と違いこちらは平石系、奥壁は平石4段積み


11号
更に下ると大きな墳丘


東側がザックリ抉られています


僅かに石材残存、これは側壁か


12号
 位置:34°39′04″N 133°40′04″E(日本測地系)
    34.65433871 133.66513908(世界測地系)
更に下ると大きく良好な墳丘


東向きに開口、ここは開口方向がバラバラ


しゃがめば入れる開口部、今までが狭かったからもう楽々


良好に残る玄室、側壁は直立、側壁も大きく基本2段積み


ほぼ1枚石の奥壁、この模様はなんだろう、蔦が這った跡かな、こんな日が当たらない場所で成長できるのか


奥から外、左片袖式、側壁や天井も面が整えられている


〃ストロボ無し


奥から右側壁、ぶれた


〃左側壁


南側から見た墳丘、ここも尾根斜面に立地


13号
更に北側尾根斜面に緩い墳丘


南側に大きく開口、こういう場合は大抵前部が破壊されている


案の定良好に残るのは最後部だけ


天井も1枚だけ残存


ほぼ1枚石の奥壁


左側壁、小型石室なら奥壁として使えそう、側壁を正面から撮るのも滅多にない


(見学記)
総社市新本、園尾寺南方の丘陵上にある10基以上の古墳群です。中に入れる石室が幾つもありますが大きく東西に分かれています。
まずは仮称東側支群から。お寺南側に大きなため池がありそこから林の中に入っていく道があります。100m程行くと大きな墳丘(6号)山道側に狭い開口部、前日の雨で下が濡れていて入ると泥だらけになりそうなので内部はカメラを突っ込んで簡単撮影、更にすぐ上にも7号、こちらも6号と同様の状態なので簡単撮影、どちらも後日訪問するつもりだったがその前にブログアップの日が来てしまった。一度行くとモチベーションが下がるしこの狭さではもう行かないかもな予感(汗)。更に上に8号、こちらは6,7号と違い尾根上でちょっとわかりにくい。石室はあるが隙間開口、内部を撮ってみると山側側壁が大きく傾いています。奥壁側も隙間があるがこちらも入るのは無理。隙間開口でよかったが楽に入れるのなら多分入ってる(汗)。東側尾根にも幾つかの古墳がある、まずまっすぐ東に行って小さな石室に遭遇、9号か10号か、多分9号だろうと思い北側に行くと小型の石室遭遇、これで9,10号確定、場所が確定すると後は尾根上を北に下がっていくだけ。次に遭遇するのが11号、大きな墳丘が残っていますがザックリ掘られ石材が僅かに見られるのみ。更に北に12号、この支群では最大でしょうか、南側に開口、前部が破壊されていますが玄室はよく残っています。奥壁は1枚石、まるで装飾のような模様がありますが植物か何かの痕跡のようです。更に北側尾根筋斜面に13号、これも南側開口前部が大きく破壊され後部しか残っていない、これも奥壁はほぼ1枚石です。溜池堤下辺りに駐車可。
仮称西側支群、東支群とは大きな尾根を挟んだ西側に分布、だいぶ離れていて別の古墳群としてもよさそうなんですけどね。ここはかなり苦戦しました。HP「古墳奮闘」指定の駐車場所(ここも最後50mは未舗装で厳しかったけど)から山道を奥に入っていきます。多分奥にある砂防ダムの為の作業道、もう廃道同然になっています。北側から別の山道が合流してその辺りに古墳がある、と思って右側を注意していたんですが見当たらず結局砂防ダム辺りまで行ってこれは違うだろうなと思って引き返す。何とか4号を見つけて一つ見つけたら後はここの6基を見つけることができました。個々の古墳の説明は省略して3号南側尾根上に5号がありますが大きな墳丘に大きな盗掘跡、石材は全く見られません。盗掘するならもっと手前の3号や1号の方が楽だろうになんでこんな上のを盗掘した。ひょっとして未完成の古墳か。東支群の11,12号もそんな関係、奥の11号の方が盗掘されています。更に上に仮称K号があります。これも南側が大きく盗掘され下の方に開口部が見えている。中に入ってみると玄室は完存していました。この古墳群の中でも最大クラスか。しかし北向きに開口、石室の位置からして上部の墳丘が随分高いというか大きい、不思議な古墳でした。中に新しいメジャーが落ちていました。誰かが来たもようですがK氏でないのは確認している(笑)。見学が終わって車の場所に帰る際に探していた合流する山道を見つけました。痕跡道という程ではないけどこれは気がつかないわ。 

竜王古墳群(龍王古墳群)

岡山県総社市(旧山手村)2022年3月訪問

(見学順)
9号?
最初に見つけた墳丘、藪に覆われるが石室見られず8号と10号の間なので9号か


10号
 横穴式石室
少し登るとハッキリした墳丘


墳丘裾に石材、転落した石室石材か


墳頂部は盗掘で細長く窪んでいる


奥の方に小さな開口部


石室最後部がかろうじて残る、下がやや埋まるが鏡石を据えているようだ


8号
横穴式石室
位置:34°39′09″N 133°47′22″E
   34.65572828 133.78679648(世界測地系)
通り過ぎていたようなので下の方を探すと墳丘


下側の方に開口


石室正面、前部破壊で奥壁が見えている


石室自体はよく残っている


奥壁は縦長の石材を2枚並べる、1枚の鏡石を意識しているのか上部のカーブが左右で揃っている


奥から外、無袖だが入り口の天井が1段下がるか


天井石


奥から右側、面はそれ程整ってない


〃左側


山崩れ跡から墳丘が見えていました、危ないとこだった、行き過ぎてはいけないとこのずっと下で林に入ったのが失敗


12-14号
 箱式石棺
狭い山頂に祠、錆びた覆い屋が侘しい


ここに3基の箱式石棺があるはずだが明瞭なのは2基、1基はよくわからず


蓋石がなくなり身が露出、縄掛け突起のようにも見えますが偶々だろうな


こちらは1枚石の蓋石が残る


小口石はなくなるも内部は埋没


側板はよく残っている


山頂辺りから遠望した作山古墳


15号
横穴式石室
位置:34°39′06″N 133°47′27″E(日本測地系)
   34.65489508 133.78818541(世界測地系)
山頂から南に伸びる尾根の東側に低い墳丘、谷を超えた向いの丘にササラ谷古墳がある


東向きに開口、狭いが入るのはそれ程困難ではない


やや土砂が流入も内部はよく残る


内部は明るいのでストロボ無しでも撮影可


なんだかまとまりのない奥壁、一応株に大きな石材を据え上部に平石を重ねる


奥から外、無袖でしょうか


奥から右側、面が整えられている、土圧でややせり出してきているか


〃左側、ブレてしまった


おまけ
2018年岡山を襲った西日本豪雨、山崩れの跡です、草が植えられ小さな堰が造られていました


一番下辺り、土砂は道路で止まったようです、後方林の中に1号がある、これはパス


土砂崩れを下から、狭い谷筋から扇状地のように広がったので勢いがなくなったのでしょうか


(見学記)
スポーツ広場東側に龍王山がありその尾根筋や西側斜面に分布する古墳群です。ただここも4年前の大雨で山崩れがあったようで古墳のある尾根筋の両側が大きく崩れていますが一応修復され植物が植えられています。山道はないのでこちらの方が歩きやすいだろうとかなり急傾斜ですが登っていきました。古墳の位置がはっきりしないので早めに尾根に入って藪漕ぎ、初めはシダに覆われた墳丘が見つかり盗掘跡もあるので古墳のようです。更に登っていくとハッキリした墳丘、転落した石材もあるので古墳に間違いなし、墳頂はやはり盗掘されていますが石室が見当たらず、シダに覆われて奥の方に開口部がありました。石室最後部が僅かに残っています。この位置からして墳丘を目一杯使って石室を構築されているようです。分布図だとこの斜面尾根は2基の予定だったので山崩れの場所に戻ろうと少し下るともっとハッキリした墳丘がありました、最初登っていく時は見落としたみたい(汗)。こちらも石室開口、前のよりもっと大きい、これが8号で上のは10号のようです。山崩れ跡から見ると墳丘が見えています。土砂流失防止の石堤があり2,3番の中間辺りです。この後は山崩れの一番上まで登ってそこから山頂南側の尾根を目指す、つもりだったが山頂に登ってしまった(汗)、殆ど岩登りです。でも山頂にも箱式石棺が3基ある、蓋石があるのが1基、無いのが1基、もう1基はハッキリしません。どれも短く大人の遺体を納めるには小さすぎる、しかも岩だらけで石棺を埋めるには岩を穿つ必要がありそう。山頂には石の祠があり屋根もかかっていますがもう機能してない状態、お参りする人はいるんでしょうか。ここからの眺めはよく作山古墳がよく見えています、ご褒美風景。ここから南側に降りて尾根平坦面東側に低い墳丘があり東向きに開口しています。開口部は狭く内部もやや埋まっていますがここまで来て入らないことはないでしょう。帰りは林の中の通りやすそうな場所を行くと割と楽に山崩れ場所に出て下山は楽でした。離れた場所にある1号はパス。山崩れも道路で止まって下の農地までは達していないもようです。麓の道路、果樹園入口辺りに広い駐車スペースあり。

前山北3号

岡山県総社市(旧山手村)2022年3月訪問

箱式石棺(移築)
位置:34°39′03″N 133°47′10″E(日本測地系)
   34.65406179 133.78346328(世界測地系)
竜王古墳群へ行く途中にあるので寄ってみました、なんたって駐車場付きだし(笑)


5基からなる古墳群、3号の箱式石棺を移築


板石を使った蓋石が4枚、右側のが大きく見えますが


アングルを変えるとそれ程でもなく、写真からでは大きさの比較は出来ません


薄い板石を使った棺


(見学記)
総社市宿、山手スポーツ広場の東端に箱式石棺が移築保存されています。駐車場付きの優良物件、でも薄味(笑)。5基からなる前山北古墳群で南東150m標高50mの尾根上にありましたが3号がこの場所に移築されました。蓋は4枚あり1枚を開けた状態で公開されています。割と豊富な遺物が出土したようです。

ササラ谷古墳

岡山県総社市(旧山手村)2022年3月訪問

ササラ谷古墳
 横穴式石室
 位置:34°39′05″N 133°47′50″E(日本測地系)
    34.65461741 133.79457433(世界測地系)
この奥の林の中にあります、痕跡道さえ無し、手前は2018年豪雨で山崩れを起こした跡、藪の中を歩かない分だけ楽といえば楽


丘陵頂部南側の緩斜面に立地、天井石が見えその前に溝というか空間が見えていて古墳だとわかります


正面から、先端辺りの天井石、左側が一部割れている


別アングルから、不思議な形状、なんでこんな石を使ったのか


良好に残るのは最後部辺りだけ、ここに陶棺がありましたが運び出され資料館に展示


原位置を保っている天井石は最後部ののみ、上面がやや丸みを帯びている


幅は50cm程度、側壁は基部にやや大きな石を据え上に小型石材


奥壁は鏡石+平石とこの地方でよく見かけるタイプ


奥から外、殆ど埋まってます、陶棺を持ち出した時もこんな状態だったんでしょうか


奥から左側


〃右側


おまけ
ずっと東側ですが起点となる神社辺りから見た南側風景、中央赤い屋根の建物の背後に終末期古墳の勝負ヶ谷古墳がある


(見学記)
総社市宿、倉敷市との境界近くの丘陵尾根ピークの南側緩斜面に立地する終末期の古墳です。石室自体は小型で奥の天井石は元のまま残っていますがもう1枚は動かされているようです。陶棺があったそうですが今は資料館に保存されているそうです。しかし来るだけでも大変なのにどうやって運び出した。倉敷市側に日差寺(地理院地形図には載っていない)がありここまで車で行けて駐車スペースがあります。西側の仕手倉山まで散策路があり更にその西側のピークまで山道があります。ここまでは楽ですがその後が大変、200m程の距離ですが痕跡程度の道もなく藪漕ぎを強いられます、更に山崩れの跡まであるが逆にこれは目印にもなりますが古墳は更に先でもう説明は不可能(汗)、コフ友さんに案内してもらいましたが単独では無理、でもコフ友さんは僅かな手がかりを元に探し当てたのだから凄いの一言です。

ハザ古墳群

岡山県総社市 2010年2月訪問、21年3月再訪

(2021年)
その7
 位置:34°40′58″N 133°41′11″E (日本測地系)
    34.68600231 133.6837468(世界測地系)
新たにみつかった、更に奥にあるその2は藪が酷くなり到達困難


この古墳群の中では一番良好な墳丘


石室正面、高さもほぼ元のまま残っているかも


狭い開口部、ぎりぎり入れます


カメラを突っ込んでストロボ無しで撮影


玄室は良好に残っています、2種の先住者は無視


ビヤ樽型のほぼ1枚石の奥壁


奥から外、右片袖式、羨道はかなり埋まっている


奥から右側


奥から左側、上部が傾いているが元々でしょうか


羨道奥から、狭いのは入り口辺りだけ



その3の谷筋を越えた西側に5,6が並ぶ、これは南側でてっきりその5と思ったのですが


後から見ると違っていた


正面から、石室らしく見えるんですが


その5
前記の北側でこれが当然その6と思っていたがこれがその5でした


手前は基部しか残っておらずそれもかなり埋まっている


これくらい残っていれば石室確実


石室内部、半ば埋まっている、最後部の天井石が一段下がっているか


変わった割り方をした天井石


その3
序でなので以前撮影したのも再撮影、多少草刈りはされている


開口部はやや藪、この程度ならまずまず


多少掃除して撮影、内部に見えているのは床面


内部は特に変わりなし、当たり前だけど


奥壁


奥から外


ストロボなし、隙間があるので明るい


露出した側壁、ギリギリ破壊から免れました


その4
こちらは藪が酷くなってきている


植物は中までは侵入してないようです


南向きで開口部が大きいから中は明るい


縦位置


達磨さん型の2段積み奥壁


奥から外、鋼製ロープはそのまま


奥から右側、一部上部の方が巨石になっている


奥から左側、こちらは基本3段積み


(2010年)
24号(その3)
横穴式石室、全長6m、玄室長4.5,幅1.3,高1.3m(現状)
位置:34°40′52″N 133°41′10″E (日本測地系)
    34.68433582 133.68346913(世界測地系)
山道脇に小さな墳丘


開口部、羨道は壊失


玄室は良好、33号に比べて幅高がやや小さい


(ストロボ無し)


奥壁も33号に比べてやや劣る


奥から外、右片袖式


33号(その4)
横穴式石室、全長6.5m、玄室長4.5,幅1.6,高1.9m(現状)
位置:34°40′49″N 133°41′11″E (日本測地系)
    34.68350258 133.68374692(世界測地系)
石室正面、藪の中だが墳丘も割と残る


開口部から石室内部


良好に残る玄室、側壁はほぼ垂直に立ち上がる


2段積みの奥壁


奥から外、左片袖式


〃(縦位置)


その2
横穴式石室、玄室長3.7,幅1.1,高1.1m(現状)
位置:34°41′02″N 133°41′14″E (日本測地系)
    34.68711329 133.68457998(世界測地系)
多分群中最北


開口部、ここも南に開口


開口部から覗いた内部


小形ながら良好に残る玄室


奥壁も基本2段積み


奥から外、無袖か右片袖か


(見学記)
(2021年)
ここも追加があったので行ってみました。しかも追加のが一番状態が良いので行かざるを得ない(汗)。南側を流れる川に砂防ダムがありその辺りが入り口、以前は一番奥の2号まで山道が通っていましたが奥の方の道は笹薮になり通過困難、別の山道が出来ていてそこを通ると新規追加の7号脇を通るのですぐ分かります。墳丘石室とも良好ですが入り口は狭い、でもここまで来て入らない理由はないですね。序でに前回訪問してなかった5,6号を探してみました。小川の西側なので山道沿いにある3号辺りから川を渡って北側斜面を捜索、北側の6号は石室後半分が残っています。南側の5号は天井石露出だがひょっとしたらただの自然石集積だったかもしれない。更に西側に離れた1号はパスしました。砂防ダム脇に駐車スペースあり。

(2010年)
総社市久代、総社西小学校北側に水路沿いの集落がありその集落北西側に分布する古墳群です。30基以上あるようですが石室が良好に残るのは多分3基のみ。水路沿いの細い道を通り橋を渡って150m程行くと小さなため池があります。ここから山裾と右側の畑の間を通って50m程行くと左手にぽっかり石室が開口しています。これが33号、羨道はかなりか遺失していますが玄室完存、長4.5m持ち送りのない側壁で巨石を2,3段に積んでいます。奥壁は2段積み、玄門は左片袖式です。倉庫として使われていたようで玄門にセメントの跡が残っています。ため池に戻って山道を100m程北に進むと左脇に小さな墳丘があります。これが24号、羨道は殆ど壊失していますが玄室完存、長さは5.5mと34号と同程度ですが高さや幅、石材の大きさも34号と比べて一回り小さくなっています。床面に石材がゴロゴロしていますが石棺の破片ではなし敷石でもなさそうだしなんでしょうね。山道を更に奥へ奥へと200mくらい進んでいくと谷筋斜面に古墳があります(番号不明)。ここも南側に開口、更に一回り小さくなっていますが玄室完存しています。前の2基は前年にかまどねこさんに案内して貰ったけどここを案内しなかったのがよく分かった。冬場じゃないと無理だわ。ため池脇に駐車スペースあり。

浦越古墳群(仮称西群)

岡山県総社市 2021年3月訪問

数が多くなったので西側のを分離、以前のはこちらから
(見学順、番号は全てHP「古墳奮闘」に従う)

その20
位置:34°40′49″ 133°41′32″ (日本測地系)
   34.68350261 133.68957971(世界測地系)
山道急カーブの場所に石材露出


開口部正面、前部は殆ど破壊


玄室内部、転がった石材は破壊された前部のものか


奥壁は一応2段積み、右側の石は側壁奥壁兼用の適当感


奥から外、一段下がっているのがまぐさ石か


その19
位置:34°40′46″ 133°41′30″ (日本測地系)
   34.68266936 133.68902424(世界測地系)
19の手前、藪の中で最初見逃した


墳丘はそこそこ残っている


隙間開口


内部は良好に残っているようです、中間辺りで天井石が一段下がる


奥壁はほぼ1枚石


その18
位置:34°40′46″ 133°41′30″ (日本測地系)
   34.68266936 133.68902424(世界測地系)
竹が交じる雑木林の中に墳丘


天井石露出、内部埋没


墳丘上から下方


その24
位置:34°40′50″ 133°41′28″ (日本測地系)
   34.68378035 133.68846868(世界測地系
尾根頂部に立地、大きさの割に低い墳丘、これだけ異質で前中期の古墳かも


その21
位置:34°40′53″ 133°41′27″ (日本測地系)
   34.68461359 133.68819089(世界測地系)
24のある尾根付け根辺りに立地


狭い開口部


内部を撮ってみると奥壁側でした


こちらが本来の開口部、西向きに開口


石室内部、正面の石がまぐさ石のようです


カメラを下げて奥まで撮影、奥に隙間があるのでストロボ無しでも撮れる


望遠で奥壁撮影、上部は斜めになっているような


その22
21すぐ北側にある


これも西向きに開口


枯れ木を外して正面撮影


立派な石室が残る、内部は明るい


奥壁前に謎の巨石平石2枚、棺台なのかな


格好いい長三角形の奥壁、上の1枚は必要だったのか


奥から外、全体が左に歪んでいるような


加工跡の残る天井石


奥から右側、基本3段積み


奥から左側、こちらは加工がやや粗い


墳丘背後から


(見学記)
更に古墳が増えたので行ってきました。今まで見つかっていた場所より西側丘陵一帯です。まず溜池脇の駐車ポイントからスタート、道なりに北に登っていくと右側に溜池があり(その先に前年訪問した密集地帯がある)その先道路が急カーブしています。暫く行くとアンテナ基地がありその下方斜面に18号、天井石露出隙間開口程度です。因みに更に行くと八幡神社があり社殿背後に駐車場があります。急カーブの場所に戻って真っすぐ北に未舗装の道路があります。そこを進むと左手藪の中に19号、墳丘はよく残っていますが石室は隙間開口です。更に進むとまた急カーブがありそこに20号、石室後部が残っていて中に入れます。更に道なりに進むと西側丘陵上に24号、藪が酷いので直接はいけず道なりに進むと自然に尾根上に至ります。少し南下すると尾根頂部に低くなだらかな墳丘があります。横穴石室はなさそうで墳形や立地からして前中期の古墳のようです。更に北に行くと南北に2基の古墳が並んでいます。手前が21号で内部はかなり埋まり隙間開口、奥壁側にも隙間があり一応両方から見られます。奥のが22号、こちらは悠々入れる程の石室開口、床面に大きな平石が前後に2枚あります。棺台にしてはちょっとおかしいし箱式石棺の蓋石か、それにしてもこんな並べ方をするかな。この古墳群は石室が全般に南向きですがこの2基は西向きです、立地からして西向きの方が自然といえば自然ですけどね。更に奥に23,25がありますが流石に諦めました。5号のある尾根東側溜池東北隅に駐車スペースあり。

福井古墳群

岡山県総社市 2021年3月訪問

11基、8,9号消滅

(ほぼ見学順)
尼子山古墳(福井5号)
 円墳、R36,H5
 位置:34°41′12″N 133°45′15″E (日本測地系)
    34.68989132 133.75151873(世界測地系)
低い丘陵を登ると目の前に巨大な墳丘


北側から、他の古墳を圧倒する大きさです


斜面を登ると葺石らしきものが露出


広い墳頂、浅く窪む


南側から


その2
尼子山すぐ北側にある、尼子山に次ぐ大きさだが格差は歴然


向こうは新興住宅地になっています


その3
尼子山南側に低い墳丘


撮り方しだいでは墳丘らしく


大きさの割に背が低い


その4
どんどん南に下っていきます、これも比較的分かりやすい


近寄ると却って分からなくなる


後方にその3


その5
これもハッキリした墳丘


南側から


その6
古墳?、石材も微妙


その7
輪郭はハッキリしている、後方にその8


ハッキリしすぎて逆に古墳らしく見えない


その8
南端辺り、低い墳丘


竪穴石室露出


こんな場所での出会いに驚いた


8号で竪穴石室があったそうだが消滅だそうでこれとは違うのかな


南側から、割りと墳丘が残る


その9
すぐ南側、笹薮の中に高まり


枯れ草の山と言うことはなく墳丘でしょうか


(見学記)
総社北公園南側はすっかり住宅地として開発されていますがその中に泉中央公園として保存されている場所があり林の中に10基程度の円墳があります。中期の古墳群のようで横穴石室はなし。その中で北側に位置しているのが主墳で他を圧倒した大型円墳(尼子山古墳)、径30m程度でしょうか、斜面には一部葺石が見られ頂部は平坦、盗掘があったのか窪んでいます。南端辺りには竪穴石室露出、蓋石はなくなっていますが全体の様子はよく残っています。すぐ北側に溝が掘られていてよく破壊されなかったものです。多少樹木が伐採された程度で公園としてはまだ未開発、どのようになるかはわかりませんができればこのままで保存してもらいたいものです。南端辺りに竪穴石室が露出しています。蓋石はなくなっていますが保存状況は良好です。岡山GISによると8号(帆立貝式)で竪穴石室となっていますが消滅になっています。

ヒイゴ池古墳群(仮称)

岡山県総社市 2021年3月訪問

その1
 位置:34°41′59″N 133°45′14″E (日本測地系)
    34.70294596 133.75124015(世界測地系)
尾根筋ピークに石材露出


羨道天井・・・なのかな


羨道だとしても幅はかなり狭いぞ


開口部辺りが玄門なんですが


狭い開口部


開口部から撮影、奥が明るい


ストロボ撮影


玄室天井露出


奥の天井に隙間がありここから入れる


奥から外、右片袖でしょうか、若干持ち送りがある


奥壁


その2
その1南側尾根筋に穏やかな墳丘


狭い開口部


カメラを突っ込んで撮影、石室自体は良好


ほぼ1枚石の奥壁


奥から外、こちらは左片袖


(見学記)
湿生植物で有名なヒイゴ池湿地、その奥でGISにも載ってない石室墳が2基見つかったと言うので地元の方に案内してもらいました。3月で藪はそれ程でもないですが痕跡道もありません。尾根頂部辺りにハッキリした墳丘、天井石が露出しています。南向きに開口、入口は狭いが入れないこともない、でも奥壁上部の天井が開口、こちらから入ったほうが楽、細長い石室です。更に南側やや離れた場所にもう1基、こちらも開口しているがかなり狭い。前々日の雨で下がまだ湿っぽく何時ものように後ろ向きで入っていったら服がまくれて泥だらけになってしまった。こちらも石室がよく残っています。しかしこれ程の古墳が知られてなかったとはね。ヒイゴ池古墳群自体はGISに載っていますが4基、今回の2基は載っていません。駐車場有り。

福井大塚古墳群

岡山県総社市 2021年3月訪問

実質1基か

その1
 横穴式石室
 位置:34°41′53″N 133°44′53″E (日本測地系)
    34.70127952 133.74540757(世界測地系)
割と高所にあるが墳丘は良好


墳頂部が凹んでいる


石室正面、2段構えで開口


開口部から内部、一段下がるのがまぐさ石


羨道天井隙間、こちらから入った方が楽


やや背の高い玄室、奥壁は縦2列に並べる珍しい形式


奥から外、無袖でしょうか、まぐさ石の上で開口するのも時折見かけます


墳丘背後から


下からの眺め、ピークの手前です、手前に見えているのが青谷川3号


(見学記)
青谷池2号と墓地の間に山道があるので登っていきます。かなり急傾斜の山道、送電線鉄塔(下から見えている)側にハッキリした墳丘があり南向きに石室開口、状態も良好です。26基からなる古墳群で消滅しているのも多いようですがGISによる範囲が大きすぎて個々の古墳がどうなっているかよくわかりません。北公園に駐車場有り。
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