ビワクビ古墳群

兵庫県福崎町 2018年3月訪問

2基
1号
横穴式石室
位置:34°57′17″N 134°46′36″E
岩尾神社裏山に2基


比較的大きな墳丘


ここが羨道辺りのようで埋没


激狭開口と言っても内部埋没


背後に回ると奥壁露出、かなり動いている


結構分厚い、隙間が開いている


カメラを突っ込んで撮影、正面はまぐさ石のようです


2号
1号と同じくらいの大きさの墳丘、こちらは石材見られず


おまけ
石仏:2号脇に2体の石仏、左側のに正徳2年(1712年)の文字、右のは倒れていたので起こしてみたら顔面剥離(汗)


鳥居:かなり古そうなので撮ってみました、慶長16年(1611年)の銘文あり


石橋:鳥居の前に石橋、さすがにこれは渡れない、共に町史跡


(見学記)
福崎町東田原、神積寺南東200mに岩尾神社があり背後の丘陵にある2基からなる古墳群です。神社前の道を南に歩いていくと案内板があります(倒れてましたが)。そこから70m階段を登り林の中に入ると2基の古墳が並んでいますがどちらも背はそれ程高くはなく状態は悪い。手前の1号は奥壁が露出、隙間からカメラを突っ込んで撮影するとまぐさ石らしき巨石が写っています、下は埋没しているようです。2号は石材殆ど見られず。側に2体の石仏があって一体は倒れていたので起こしてあげたら顔面がきれいに剥がれていた(汗)。左側のには正徳2年(1712年)の文字、300年以上ここで立ち続けていたんでしょうか。神社鳥居がかなり古いようです、後日調べたら慶長16年(1611年)の銘文があるそうです。その前に石橋もありどちらも町文化財。神社前に駐車可。

妙徳山古墳

兵庫県福崎町 2005年4月訪問、18年3月再訪

円墳、R35,H6、6C末
横穴式石室、全長12.4m、玄室長6m
位置:34°57′25″N 134°46′30″E
(2018年)
案内板があるが墳丘は目の前


開口部正面、05年と比べると木が育ってきている


羨道前部は埋まるが後部はそれ程でもない


大型石室、側壁はやや持ち送りがある、石材が荒々しい


〃縦位置


巨石天井石


3段積みの奥壁、下段が1枚じゃないのがちょっと残念


奥から外、右片袖式、羨道が埋まっているのがよく分かる


〃縦位置、袖石はほぼ1本の柱状


墳丘背後から


(2005年)
墳丘、石室正面、入り口辺りはかなり埋没


羨道


背の高い玄室


奥から外


(見学記)
(2018年)
福崎町東田原、神積寺前にある古墳です。ここは新規だと思っていったが帰ってから再訪だったことに気がつく(汗)。普通なら地図を見るとか現地で気がつくんだけど全く気が付かなかった。あらためて当時の写真を見てみると古墳前から撮ってますが現在では林になっていてあのアングルで撮るのは無理です。お寺前に駐車場あり。

(2005年)
同町加治谷、播但道路東側にある神積寺の東側にあります。背の高い墳丘が残っていて南側に石室が開口、入り口付近はかなり土砂で埋まっていますが内部まではそれ程流入しておらず巨石を使った玄室は完存、やや持ち送りがあり長さは6m程ですが背が高く3.5mくらいあります。寺の前まで道路が通っていて車で行けますが遙か南側に山門がありそこからが境内だと思って歩いていってしまった。町史跡。

神谷古墳

兵庫県福崎町 2018年3月訪問

方墳、L20、7C前半
横穴式石室、全長11m、玄室長4.7,幅1.32m
位置:34°57′40″N 134°44′26″E
醫王寺本堂左後方に墳丘が見えている


説明板の背後に良好な墳丘


一見して円墳でないのは分かる


石室正面、最前部の天井壊失


細長い石室、やや土に埋まるが元々高くはなさそう


中程で天井が一段下がっている、測量中のようでした


石室後部は土砂が埋まっていない


2段積み奥壁


奥から外、無袖だが天井が下がっている辺りが玄門でしょうか


羨道奥から


石棺蓋石がお墓の土台に使われている


縄掛突起のない整美な蓋石、サイズは小さくあの石室にはあっているが成人をそのまま入れるのは難しそう


(見学記)
福崎町高岡、醫王寺境内、本堂背後にある古墳です。1辺20m2段築成の方墳で7C前半、もうこの地域最後の古墳でしょうか。全長11mの石室もよく残っていて無袖式、まぐさ石が下がって玄室と区別しているようです。石室があまり高くない上に土砂が大分溜まっているので入りにくい、なのに内部がストリートビューで見られるのには驚き、何も持たないで入るのもきついのにストリートビュー用のカメラを持ってよく入ったな。因みに神谷の読みは”こだに”です。寺に駐車場有り。町史跡。
神谷醫王寺石棺:本堂手前左、古い墓石の土台に家形石棺蓋石が使われています。縄掛突起はなくシンプルなデザイン、石棺としては新しいタイプ、サイズもかなり小さく神谷古墳の石棺と考えてもおかしくありません。しかしこのサイズだと子供でもそのまま入れるのは無理、お骨にしてから入れたんでしょうか。

新池石棺

兵庫県福崎町 2018年3月訪問

新池石棺
家形石棺
位置:34°57′44″N 134°44′25″E
墓石として利用されている、左側に延享5年(1758年)の文字が入る


分厚い家形石棺蓋石


屋根部分が幅広いタイプ


(見学記)
醫王寺の溜池を超えた北側に墓地がありその一角に家形石棺蓋石を利用した古い墓石があります。一部欠けていますがほぼ元のまま、屋根部分が幅広い重厚なデザインです。似たようなのを県内何処かで見たな。墓石には延享5年(1748年)の文字が彫られています。徳川吉宗の頃なのか。この墓石もストリートビューで見ることが出来ます。

東広畑古墳

兵庫県福崎町 2005年4月訪問、18年3月再訪

横穴式石室
位置:34°57′28″N 134°46′12″E

(2018年)
石室が殆ど露出していたのを墳丘復元整備


石室は柵で閉鎖


中は明るいので見学しやすい


以前は入口付近にあった家形石棺底石、奥壁前に移されていた


落下していた奥壁上部の石も元通り、ピッタリし過ぎな感もある


持ち送りがあり幅の狭い天井


(2005年)
すっかり露出した石室


石室正面側、羨道は殆ど壊失


開口した奥壁側


玄室に落下した奥壁、この数週間前に落下、落下前の状況は大和國古墳墓取調室から


背の高い玄室、床面に敷石が残っている


〃(ストロボ)奥に落下した巨石


奥から外、入り口近くに石棺が残っている


石棺底石と蓋石の一部、側石を填める溝がよく分かる


(見学記)
(2018年)
福崎町西田原、復元整備され公園として公開されたので再訪してみました。東広畑古墳は石室が露出していましたが墳丘復元されていました。当然石室は柵で入れず。床面敷石はそのまま、入口近くにあった石棺は奥壁前に移されていました。レプリカじゃなく本物だろうな。玄室内に落下した奥壁も当然元に戻されていた。しかしどうやって戻したんでしょうね。石室は解体したわけではなさそうだし入口は狭いしやはり開口した奥壁側からかな。かなり難しい作業じゃなかったろうか。車1台分の駐車場が出来ていました、かなり入れにくいけどこれは助かる。ここは殆の人が車で訪問するだろうし道は狭いしね。東側の東新田古墳は整備されていたけどほぼ当時のままでした。

(2005年)
東新田古墳のすぐ西側にあります。封土が流れ去り石室が殆ど露出しています。東新田古墳と同じく西向きのようで羨道は殆どか遺失しています。入り口部分は板きれで塞がれていましたがちょっと失礼して中に入ってみると外見からは想像できないほど内部は良好で背の高い玄室です。床面には河原石を使った敷石が残っており(埋まっていたため残ったようだ)、入り口近くには石棺の底石と蓋石の一部が残存、側石を填め込むための溝も良好に残っています。暫く撮影したら工事をしていた人が見に来ました。聞いてみるとほんの数週間前に奥壁だか天井石だかの巨石が1個玄室内に落下したらしい。それで心配して様子を見に来たそうな。怖ぇ~。石材が落下している場面は何度か見ているがこんな直近なのは初めて。もう少し時期がずれていたら現場で遭遇していたかもだ。だからといって石室巡りを止めることはないけどね。(撮影日は05年4月17日)
奥壁が落下する前の状況は大和國古墳墓取調室で見ることが出来ます。
(追記)東新田古墳と共に復元整備されました

東新田古墳

兵庫県福崎町 2005年4月訪問、18年3月再訪

横穴式石室
位置:34°57′30″N 134°46′14″E

(2018年)
新たに説明板設置


石室自体は元のままのようだ


石室後方から、画面後方に東広畑古墳


斜め後方から


(2005年)
下部しか残っていない玄室、整備にむけて工事中


玄室横から


(見学記)
妙徳寺古墳から播但道路を挟んだ西側、北向きの緩斜面上にありますが玄室基部が残っているだけ。訪問時に工事をしていましたが何らかの保護が行われるようです。

大谷古墳

兵庫県市川町 2018年3月訪問

大谷古墳
横穴式石室
位置:34°59′35″N 134°45′18″E
墓地への入り口、鍵はかかっていない


墓地の奥に上部を殆ど失った石室露出、無袖で手前が羨門のようだ


石室斜め前から


側壁は薄い板石を縦に並べる、裏込め石はなさそう


最後部で天井石が残る


奥壁はほぼ1枚石+薄い平石


奥壁前に石棺底石がある


小口側だけに板石を嵌め込む溝がある


奥から外


天井石は2枚残存


羨道後方上から、側壁材がほんとうに薄い


石室前にも石棺材がある


右側のは側面側に溝がある、石室内の石棺底石より大きい


左側の石、蓋石でしょうか


墓地内でベンチ代わりに使われている石材


下から見ると側面側に溝がある、石棺だけど底石でしょうか


(見学記)
市川町近平、丘陵麓近くにある墓地の中にある古墳です。麓に獣避け柵がありそこに説明板、そこからすぐです。古墳は墳丘が殆ど流失、天井石も最後部2枚しか残っていません。石室内後部に石棺底石が残っています。もう完全な切石で短辺側に嵌め込み用の溝が彫られています。石室入口辺りにも2枚の蓋石があります。一つは長辺側に嵌め込み用の溝が彫られています、表側は見えず。もう1枚は嵌め込み用溝は見えませんが表側が浅い屋根型になっています。墓地の中にテーブルになった石がありこれも石棺底石です。下側を見ると長辺側に嵌め込み用溝が彫られています。

山王古墳群

兵庫県市川町 2018年3月訪問

1号(山王1号)
円墳、R15,H4、6C末
横穴式石室
位置:35°02′20″N 134°45′29″E
神河町との境界辺りに立地、ここに広い駐車スペースがあるので訪問容易


説明板も立っています、古墳は背後の藪の中


藪の中に大きな墳丘、石室前部は崩壊埋没


上の方で開口、本来なら立ったまま入れる程の高さですが


開口部から内部、羨道後部は良好に残る


羨道でも立ったまま入れる


大型玄室、左側壁は巨石だが右はそれ程でもない


〃縦位置


天井石は巨石3枚


奥から外、大分左に傾いている


〃縦位置、右片袖だがあまりはっきりしない


羨道奥から


2号
水路脇にあった、高まりもあるし古墳でしょうか


石材らしきものも見えます


3号
位置:35°02′11″N 134°45′25″E
猿田彦神社入り口


社殿脇に石室露出、古墳の案内表示は無し


上部を失った石室、右側壁も大分乱れている


鏡石を据えた奥壁


(見学記)
山王1号
市川町澤、神河町から県道404号を南下すると神河町と市川町の境界標識があります。まさしくその場所に古墳があります。広い駐車スペースもありサービス満点な古墳(笑)。墳丘は竹藪になって分かりにくいですが大きな墳丘が残っています。南側に開口する石室は羨道前部が崩壊するも他は良好です。巨石を使った玄室、奥壁は巨石2段積み、玄門は右片袖かな。ここも全体が道路側に傾いている、巨石だけにちょっと怖い。両町境界と書きましたが正確には古墳は市川町ですが道路は神河町です、どうでもいいけど。町史跡。

山王3号
1号南側400mに猿田彦神社があります。社殿脇に上部を失った石室露出、前部も壊失しているようです。石材も1号よりは小型です。

実は3号の位置がよくわからず探していたら1,3号の中間辺りで水路沿いに墳丘らしきものがありました。水路自体も墳丘を避けて曲がっているようにも見えるし墳丘上には石材も見えているような、ただ水路が大きくとても超えられる状態ではないので確認はできませんでした。

城山古墳群

兵庫県神河町(旧大河内町)2018年3月訪問

4基

まるでお城のような石垣を持つお寺背後に立地


地形図(説明板より)


(下から見学順)
4号
16×10m、6C後半
各古墳に表示板が立っている


天井が開口


横から、入って入れないこともない


奥に見えているのが玄門辺り


下に隙間があるのでこれは奥壁ではなくまぐさ石


これが奥壁


3号
低い墳丘


天井石露出、手前のは動かされている


石室内部は埋没


2号
これも低い墳丘


上部を失った石室露出


奥壁は4号と変わらず


細長い石室


墳丘背後から


1号
13×8m,H4、7C前半
位置:35°03′58″N 134°44′30″E
一番上に位置する


説明板の地形図を見ると長円のような


石室正面


開口部、羨道前部は壊失


細長い石室、下がやや埋まる


奥はそれ程埋まっていない


奥壁は2段積み、他とだいぶ違う


奥から外、無袖かな


(見学記)
神河町寺前、西明寺裏山の丘陵斜面にある4基からなる古墳群でどれも石室が見られますが完存は1号だけです。寺西側林の中に入る辺りに説明板があります。そこから石仏を巡る山道沿いに古墳があります。最初が4号、天井部を失った石室露出、6C後半です。西側に接するように3号、天井石露出石室埋没。更に少し登ると2号、天井を失った石室で残存具合も2号より悪い。更に登ると1号、円墳ではなくはっきり長円墳と分かり13×8m、7C前半群中最後に造られたそうです。南南東に開口する無袖式石室は全長8.4m程、それ程巨石ではないですが奥壁2段積み、奥から外を見ると入口付近が右に曲がっているように見えます。寺の前は道路が広く駐車可。町史跡。

築ヶ鼻古墳群

兵庫県多可町(旧中町)2018年3月訪問

10基程

1号
斜面一番下にある、如何にも盗掘されたような姿


石材露出、側壁のようで細長い石室


背後から見ると墳丘は割と残る


2号
1号隣、状態は悪い


3号
R15程、TL9.5//,1.5,2m/
位置:35°04′48″N 134°53′52″E
1号上方、斜面をカットした墳丘、ここの見どころはほぼこれだけ


斜面下方側に開口


石室正面、既に傾いているのが分かる


開口部から見た石室内部、幅の割に背が高い


ストロボ無しで撮影、内部は明るい、右側壁は傾き左側壁は孕んできているのが分かる


縦位置、天井が狭い


奥壁は側壁と変わらない小型石材、下部に平石を積んでいる、普通とは逆


奥から外、無袖式


〃縦位置


墳丘背後から


4号
3号すぐ上、かなり急斜面に立地


頂部に石材露出も石室の様子は分からず


5号
更に上、低い墳丘


6号
更に上、同様の墳丘


石材露出、側壁のようです


上から、斜面に平行に開口しているようだ


7号
3-6号の列から東側に低い墳丘


8号
下方に僅かな高まり(7,8は番号が違っているかもしれない)


他1
9,10号は見つからず、と言うより少し離れたこれが9号かと思ってしまった


他2
近くにもう1基


(見学記)
多可町中区門前、杉原川左岸、丘陵麓から斜面にかけて分布する10基からなる古墳群ですが実質3号だけです。国道427号が川にかかる橋月が花橋東詰から川沿いの道を500m程行くと水利施設があり獣避け柵を越えると左側斜面に墳丘が見えています。これが3号で墳丘石室とも良好、細長い幅の割にやや背が高く天井は狭い。側壁も奥壁も小型石材乱石積み、全体が左に傾いているようです。この上に4-6号、斜面をカットした墳丘、6号で石室石材らしいのが見られます。下に1,2号、1号は石材僅かに露出、2号は半分以上削られています。他に7-10号がありますが高まり程度です。橋の袂から車で入って行けてグランドゴルフ場(もうやってないかな)辺りに駐車可。道が狭くて私は入っていけなかったので橋の辺りから歩いていったけど。
ナビで案内させたら対岸の川沿いの狭い道に案内させられた。確かにこの場所が一番近いかもしれないけど人が歩く橋さえないぞ。しかも対岸の丘陵は急傾斜でこんな場所に古墳があるとも思えず場所を間違えたかと思った。他にも最も近い場所だけど古墳は崖の上とかあるので古墳直接の場所より入口を案内させた方がよさそうです。
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