岡山県備前市 2001年4月訪問、2008年3月2011年2月再訪
二十数基
1号横穴式石室
位置:34°44′09″N 134°08′14″E (日本測地系)
34.7390611 134.13453986(世界測地系)
大きな用水路の向こうに石室開口

望遠で撮るとなんとか内部が分かる

西側に大きく迂回して元に戻る、石室後部しか残っていない

2段積み奥壁

側壁も面が整えられている
2号横穴式石室、玄室長8.6,幅1.7,高1.9m
位置:34°44′07″N 134°08′14″E (日本測地系)
34.73850562 134.13453986(世界測地系)
石室正面

やや胴張りの玄室

玄室中程から

2段積み奥壁

奥から外
3号横穴式石室、玄室長5,幅1.6,高1.7m
位置:34°44′06″N 134°08′19″E (日本測地系)
34.73822791 134.13592861(世界測地系)
石室正面

玄門、少し傾いているかも

自然光で見た玄室、やや胴張り

ストロボ撮影

2段積み奥壁、右側辺りに苦労の跡が

奥から外、片袖かな
5号横穴式石室
奥壁辺りが何とか残る石室

2段積み奥壁

左側壁は石材が小型

右側壁は一部大型石材が使われている
6号?横穴式石室
水路で墳丘が削られている
7号位置:34°44′06″N 134°08′24″E (日本測地系)
34.73822794 134.13731737(世界測地系)
墳丘良好、石室不明
9号(池灘古墳)
円墳、R20,H4.3、6C後半
横穴式石室、全長9.5m、玄室幅2.5,高2.3m
位置:34°44′05″N 134°08′32″E (日本測地系)
34.73795025 134.13953938(世界測地系)
墳丘、羨道前面壊失

羨道

巨石を使った玄室

奥から外、両袖式
10号横穴式石室
石室は大きく破壊

天井石が落下
12号横穴式石室
かなり狭い開口部

玄室

ほぼ1枚石の奥壁
13号横穴式石室
墳丘背後から

墳頂部がざっくり掘られている

僅かに残った石室石材
14号横穴式石室
位置:34°44′10″N 134°08′11″E (日本測地系)
34.73933883 134.13370661(世界測地系)
天井石が露出した墳丘

天井石がずれて開口

乱石積みの玄室、古い感じだが割とよく残る

下部に大型石を据えた奥壁、石材は不揃い

奥から外、入り口はかなり埋まる
S13号横穴式石室
多少墳丘が残る、石室前部はかなり破壊

開口部

玄室後部は割と良好、奥壁は1枚石+α

奥から外
S14号横穴式石室
墳丘前部が削られ開口

開口部

石室内部、奥壁は3段積みか

奥から外
S15号横穴式石室
墳丘、石室前部破壊、手前の2個の石材は天井石か

開口部

石室内部、奥壁が抜かれてトンネル状、側壁はやや孕み気味

奥から外
S16号僅かに石材露出
S17号横穴式石室
石室正面、ここも前部破壊

開口部

石室内部、側壁の石材が揃う

石室後部、奥壁3段積み

奥から外
S18号横穴式石室
墳丘

開口部、石室前部破壊

石室内部、奥壁は3段だが上部は小石

奥から外
S20号盗掘で僅かに天井石露出
S21号墳丘
(見学記)(2001年)池灘古墳(大内9号)
新幹線が池の上を走っている大池という溜池がありこの堤防の少し北側の住宅地の中に古墳があります。径20mの円墳で背の高い墳丘が林の中に残っていて北側には周溝も確認できます。南側に石室が開口、羨道前面が壊失していますが他はよく残っています。巨石を使った両袖式で全長9.5m程です。市史跡。
(2008年)
備前市大内、十数基の石室墳からなる古墳群で以前紹介した池灘古墳もこの群に属します。山裾に天神社がありこの東側広場に大きな墳丘があります。これが7号、墳丘は良好だけど石室は全く顔を見せていない。神社西側から水路沿いの道を西に行く。途中で水路北側に墳丘がありだいぶ削られていますが石室がちらっと開口しています、これが6号?。水路の向こうだし帰りに寄ろうと思ったけど帰りは石室を幾つも見た後だったのでわざわざ見る気がなくなった(汗)。この辺りから斜面下に墳丘が見えていますが降りられそうもない。降りられそうな場所を探して更に西に行き小さなため池辺りで下に降りられる場所があったので降りてみると大きな石室がぽっかり開口、これが2号墳でした。前部が少し破壊されているようですが残存長8mほど、やや胴張りの石室です。石材は荒々しいけどなかなか緻密な積み方、奥壁は巨石の鏡石の上に平石1枚その上にも少しありそう。ここから林の中を東に戻って行くけど移動が結構大変、でも石室がほぼ直線上に並んでいるから見逃すことはないな。すぐ東にあるのが5号、石室上部は大きく破壊されているが奥壁辺りは比較的良好に残っている。2段積みの奥壁は基礎の石に石碑を建てたような姿。左側壁は小型の石材を揃えて積んでいるけど右側壁は小型の石材に大型の石が混じるなどちぐはぐ。お隣の3号も石室が大きく破壊天井石が落下して奥壁が見えません。更に隣の3号は墳丘石室とも比較的良好、玄門まぐさ石が少し傾いているように見えるけど玄室完存、奥壁は2段積みで下の巨石の不足部分に小石を詰め込んだ辺りに苦労の跡が見える。その隣の12号は開口部が狭くカメラを突っ込んで撮影、小型ながらも奥壁はほぼ1枚石です。無理して入れないこともないけど狭い石室にはいるにはそれなりの支度が必要。墳丘の周りがネットで囲まれていてあまり入ってはいけないような雰囲気なので長居は出来ませんでした。
結果的に2号の先にもまだあったんだけどそれは後の祭り、他人様の上方にばかり頼っているとこうなる(苦笑)。しかしこの古墳群番号の付け方に統一性がない。どういう基準でつけたんだろう。
事前に地図で見ていたら天神社までは道が入り組んで狭そうだったので大ヶ池の側にある公民館に車を止めて歩いていったら楽々行けるほどの道だった(汗)。
(2011年)
備前市大内、池灘古墳(大内9号)の頃から数えるとこれで3度目の訪問、後から後から出てくる。まずは神社西側の水路沿いの道を行く。以前訪問した中で一番西側にある2号から少し行くと水路向こう側にぽっかり石室開口、これが1号です(もう少し行っておけば見つかったのにな、と言っても行くことはなかっただろうな)。更に行くと13,14号の墳丘が並んでいます。この少し先に水門があるのでそこから渡れる。13号は大きく盗掘され奥壁が僅かに残っている程度、隣の14号は羨道が埋まるも天井隙間から中に入れます。やや持ち送りのある玄室、石材はそれ程大きくなく奥壁も2段積み+αです。それにしても13,14号は隣り合っているのにこの違いはなんなんだ。水路沿いに1号まで藪の中を進む。玄室は前部が破壊されていて後部残存、奥壁は2段積み側壁も面が整えられていて新しそうだ。神社東側の雑木林の中にも何基もの古墳が分布、その内5基で石室が開口良好に残っています(もはや個々の説明は止めた)。藪もそれ程酷くなく痕跡道もあるので見学は比較的容易(あくまでも比較的)。上の方にもあるそうだが道はなさそうなのでさすがに諦めた。S12だけ挑戦してみたが1基だけポツンとあると近くまで行くと地形の手がかりがなくどの辺りにいるのかも分からず結局見つからなかった。神社鳥居前に駐車可。