塚のマチ古墳群

岡山県備前市 2008年3月訪問

1号
墳丘?石材が一部露出


2号
横穴式石室
位置:34°41′20″N 134°09′59″E (日本測地系)
    34.69212256 134.16370493(世界測地系)
開口部、かなり狭い


石室内部、残存長4m程度


(見学記)
上記T字路を右に行くとすぐ右側に1号がありますが石室が僅かに露出しているから古墳かなと思う程度。更に十数m東の畑の中に2号石室がありますが墳丘は全く分からず開口部も道から見えません。下の水田から見ると開口しているのが分かる。入り口が大変狭く内部もかなり埋没しているが何とか奥壁まで見えている。所有者のおじさんが側にいるとやはり入っていく気になれない。わざわざ入るほどでもないし。

天神山古墳

岡山県備前市 1989年4月訪問

前方後円墳、TL110,R50
円墳という説もある、前方部と見られる地形は不自然なほど細長い
位置:34°42′30″N 134°06′52″E (日本測地系)
    34.71156348 134.11176464(世界測地系)

道路右側の丘の上、左側に花光寺山古墳がある、道路が備前市、長船町の境界をなしているが当然両者はペアの古墳


(見学記)
丸山古墳から南側の山を越えた麓の独立丘陵にある古墳です。全長110mの前方後円墳といわれていますが,前方部が細長く端に向かって傾斜しているところから円墳の可能性が強いようです。竪穴石室から舟形石棺が出土しています。市史跡。

惣田奥古墳群

岡山県備前市 2008年3月訪問

1号
円墳、R10,H2
横穴式石室、全長10.5m、玄室長5.5,幅1.7-2,高1.7m
位置:34°41′23″N 134°09′53″E (日本測地系)
    34.69295576 134.16203838(世界測地系)
谷出口辺りに立地


良好に残る墳丘、これだけ雰囲気のいい墳丘も珍しい


墳丘南側、説明板の数値よりずっと高そう


大きな玄室、朝日が射して明るい


ストロボ撮影した玄室


巨石の鏡石を据えた奥壁、落書きが残念


奥から外、両袖式


8号
横穴式石室
位置:34°40′30″N 134°09′57″E (日本測地系)
    34.6782352 134.16314987(世界測地系)
天井石露出、内部埋没、残存長4m程度


石室後方から


天井石横から


12号
横穴式石室
石棚
位置:34°41′33″N 134°09′53″E (日本測地系)
    34.69573324 134.16203834(世界測地系)
墳丘


石室は大きく破壊、この辺りが入り口付近か、奥の白くなっている辺りが奥壁辺り


玄室最奥辺りしか残っていない


石棚がはっきり残っている


斜め上方から


石棚上部、奥壁も少し抜かれているようだ、左の側壁が石棚の上にのっかっている


(見学記)
備前市佐山、瀬戸内市との境界辺り県道39号を東に行くとため池を越えるとすぐに備前市に入り100mほど行くと左に折れる小道がありそこを曲がって山裾に突き当たったT字路を左折する。奥にため池があり西の谷越しに端正な墳丘がありこれが1号、県道からも墳丘が見えてます。墳丘は極めて良好周りの風景と一体となっていい雰囲気を醸し出しています。側の説明板に高さ2mとあるけどどう見ても4,5mはありそう。東側に開口した石室は確か額田さんが入り口は狭いと書いていたのに広くなっている。しかも石室前に新しい土がばらまかれて足跡が多数付いている(これについては後述)。まー楽に入れるにこしたことはないので入ってみると中は大きな玄室が良好に残っています。玄門は柱状の石を立てた両袖式、上のまぐさ石も巨石、側壁はほぼ垂直に立ち上がっています。奥壁は巨石の鏡石を据え右と上にプラスα、古いけど落書きがあるのが残念。この鏡石が将棋の駒型をしているけど他の玄室でもよく見られるように片側に偏っている。中央に置けばもっとすっきり思うんだけど当時の人はどうだったんでしょうね。この後塚のマチ2号の所であった地元の方に話を聞いたところ入り口が狭いので一週間前に羨道の埋まった土を掘り出したとか。それはちとやりすぎだよ。でもこの後12号に案内して貰ったからまーいいか(苦笑)。
12号(その時は名前も分からなかったけど)はこのおじさんに地面に地図を書いて教えて貰いましたがさすがにこれでは分からないと思ったのか直接案内して貰いました(確かに案内して貰わなかったら分からなかっただろうな)。1号東側の上に墓地があり南東側から車で上って行けて墓地に駐車場があります。墓地から北側の道を行きすぐ左側の道を曲がると斜面をカットした駐車スペースがあります(軽自動車用)。その側に天井石3枚が露出した小型石室がある。内部は埋没し長さも4m程度。山道を更に進み1m四方の池がある場所を更に進むと右に鋭角に曲がった小道があるのでそちらに曲がり十数m、左に篠竹を刈り取ってつくった小道があるのでそこを曲がると12号に到達篠竹を刈り取られたばかりで墳丘が見やすくなっています。手前に石材が露出して石室も大きく破壊されているようですが上に登っていくと玄室奥が露出、なんと石棚があるじゃないか!、広さは1m四方程度と小型だが石棚は石棚、はっきり言って初めはそれ程期待してなかったけどもう狂喜乱舞(心の中で)しちゃいました。石棚の下も埋没し奥壁も一部抜かれ天井石も1枚しか残っていないなど状態は凄く悪いですが石棚だけが奇跡的に残っていますね。
ため池まで車で入って行けますが方向転換に苦労しそうで運転に自信がない人は入らない方が賢明です。

大内古墳群

岡山県備前市 2001年4月訪問、2008年3月2011年2月再訪

二十数基

1号
横穴式石室
位置:34°44′09″N 134°08′14″E (日本測地系)
    34.7390611 134.13453986(世界測地系)
大きな用水路の向こうに石室開口


望遠で撮るとなんとか内部が分かる


西側に大きく迂回して元に戻る、石室後部しか残っていない


2段積み奥壁


側壁も面が整えられている


2号
横穴式石室、玄室長8.6,幅1.7,高1.9m
位置:34°44′07″N 134°08′14″E (日本測地系)
    34.73850562 134.13453986(世界測地系)
石室正面


やや胴張りの玄室


玄室中程から


2段積み奥壁


奥から外


3号
横穴式石室、玄室長5,幅1.6,高1.7m
位置:34°44′06″N 134°08′19″E (日本測地系)
    34.73822791 134.13592861(世界測地系)
石室正面


玄門、少し傾いているかも


自然光で見た玄室、やや胴張り


ストロボ撮影


2段積み奥壁、右側辺りに苦労の跡が


奥から外、片袖かな


5号
横穴式石室

奥壁辺りが何とか残る石室


2段積み奥壁


左側壁は石材が小型


右側壁は一部大型石材が使われている


6号?
横穴式石室

水路で墳丘が削られている


7号
位置:34°44′06″N 134°08′24″E (日本測地系)
    34.73822794 134.13731737(世界測地系)
墳丘良好、石室不明


9号(池灘古墳)
円墳、R20,H4.3、6C後半
横穴式石室、全長9.5m、玄室幅2.5,高2.3m
位置:34°44′05″N 134°08′32″E (日本測地系)
    34.73795025 134.13953938(世界測地系)
墳丘、羨道前面壊失


羨道


巨石を使った玄室


奥から外、両袖式


10号
横穴式石室

石室は大きく破壊


天井石が落下


12号
横穴式石室

かなり狭い開口部


玄室


ほぼ1枚石の奥壁


13号
横穴式石室

墳丘背後から


墳頂部がざっくり掘られている


僅かに残った石室石材


14号
横穴式石室
位置:34°44′10″N 134°08′11″E (日本測地系)
    34.73933883 134.13370661(世界測地系)
天井石が露出した墳丘


天井石がずれて開口


乱石積みの玄室、古い感じだが割とよく残る


下部に大型石を据えた奥壁、石材は不揃い


奥から外、入り口はかなり埋まる


S13号
横穴式石室

多少墳丘が残る、石室前部はかなり破壊


開口部


玄室後部は割と良好、奥壁は1枚石+α


奥から外


S14号
横穴式石室

墳丘前部が削られ開口


開口部


石室内部、奥壁は3段積みか


奥から外


S15号
横穴式石室

墳丘、石室前部破壊、手前の2個の石材は天井石か


開口部


石室内部、奥壁が抜かれてトンネル状、側壁はやや孕み気味


奥から外


S16号
僅かに石材露出


S17号
横穴式石室

石室正面、ここも前部破壊


開口部


石室内部、側壁の石材が揃う


石室後部、奥壁3段積み


奥から外


S18号
横穴式石室

墳丘


開口部、石室前部破壊


石室内部、奥壁は3段だが上部は小石


奥から外


S20号
盗掘で僅かに天井石露出


S21号
墳丘


(見学記)
(2001年)池灘古墳(大内9号)
新幹線が池の上を走っている大池という溜池がありこの堤防の少し北側の住宅地の中に古墳があります。径20mの円墳で背の高い墳丘が林の中に残っていて北側には周溝も確認できます。南側に石室が開口、羨道前面が壊失していますが他はよく残っています。巨石を使った両袖式で全長9.5m程です。市史跡。

(2008年)
備前市大内、十数基の石室墳からなる古墳群で以前紹介した池灘古墳もこの群に属します。山裾に天神社がありこの東側広場に大きな墳丘があります。これが7号、墳丘は良好だけど石室は全く顔を見せていない。神社西側から水路沿いの道を西に行く。途中で水路北側に墳丘がありだいぶ削られていますが石室がちらっと開口しています、これが6号?。水路の向こうだし帰りに寄ろうと思ったけど帰りは石室を幾つも見た後だったのでわざわざ見る気がなくなった(汗)。この辺りから斜面下に墳丘が見えていますが降りられそうもない。降りられそうな場所を探して更に西に行き小さなため池辺りで下に降りられる場所があったので降りてみると大きな石室がぽっかり開口、これが2号墳でした。前部が少し破壊されているようですが残存長8mほど、やや胴張りの石室です。石材は荒々しいけどなかなか緻密な積み方、奥壁は巨石の鏡石の上に平石1枚その上にも少しありそう。ここから林の中を東に戻って行くけど移動が結構大変、でも石室がほぼ直線上に並んでいるから見逃すことはないな。すぐ東にあるのが5号、石室上部は大きく破壊されているが奥壁辺りは比較的良好に残っている。2段積みの奥壁は基礎の石に石碑を建てたような姿。左側壁は小型の石材を揃えて積んでいるけど右側壁は小型の石材に大型の石が混じるなどちぐはぐ。お隣の3号も石室が大きく破壊天井石が落下して奥壁が見えません。更に隣の3号は墳丘石室とも比較的良好、玄門まぐさ石が少し傾いているように見えるけど玄室完存、奥壁は2段積みで下の巨石の不足部分に小石を詰め込んだ辺りに苦労の跡が見える。その隣の12号は開口部が狭くカメラを突っ込んで撮影、小型ながらも奥壁はほぼ1枚石です。無理して入れないこともないけど狭い石室にはいるにはそれなりの支度が必要。墳丘の周りがネットで囲まれていてあまり入ってはいけないような雰囲気なので長居は出来ませんでした。
結果的に2号の先にもまだあったんだけどそれは後の祭り、他人様の上方にばかり頼っているとこうなる(苦笑)。しかしこの古墳群番号の付け方に統一性がない。どういう基準でつけたんだろう。
事前に地図で見ていたら天神社までは道が入り組んで狭そうだったので大ヶ池の側にある公民館に車を止めて歩いていったら楽々行けるほどの道だった(汗)。

(2011年)
備前市大内、池灘古墳(大内9号)の頃から数えるとこれで3度目の訪問、後から後から出てくる。まずは神社西側の水路沿いの道を行く。以前訪問した中で一番西側にある2号から少し行くと水路向こう側にぽっかり石室開口、これが1号です(もう少し行っておけば見つかったのにな、と言っても行くことはなかっただろうな)。更に行くと13,14号の墳丘が並んでいます。この少し先に水門があるのでそこから渡れる。13号は大きく盗掘され奥壁が僅かに残っている程度、隣の14号は羨道が埋まるも天井隙間から中に入れます。やや持ち送りのある玄室、石材はそれ程大きくなく奥壁も2段積み+αです。それにしても13,14号は隣り合っているのにこの違いはなんなんだ。水路沿いに1号まで藪の中を進む。玄室は前部が破壊されていて後部残存、奥壁は2段積み側壁も面が整えられていて新しそうだ。神社東側の雑木林の中にも何基もの古墳が分布、その内5基で石室が開口良好に残っています(もはや個々の説明は止めた)。藪もそれ程酷くなく痕跡道もあるので見学は比較的容易(あくまでも比較的)。上の方にもあるそうだが道はなさそうなのでさすがに諦めた。S12だけ挑戦してみたが1基だけポツンとあると近くまで行くと地形の手がかりがなくどの辺りにいるのかも分からず結局見つからなかった。神社鳥居前に駐車可。

大滝道古墳群

岡山県備前市 2006年2月訪問、2008年3月再訪

1号
横穴式石室

東向きに開口、石室は大きく破壊


巨石の奥壁と側壁の一部が残る


4号
横穴式石室、現存長3,55,幅1.6,高1.9m
位置:34°44′16″N 134°08′04″E (日本測地系)
    34.74100562 134.14842741(世界測地系)
道路で石室前部壊失


背の高い玄室


5号
横穴式石室、玄室長4.8,幅1.8,高2.2m
位置:34°44′08″N 134°08′06″E (日本測地系)
    34.73878331 134.13231787(世界測地系)
南向きに開口した石室、羨道はかなり破壊


石室正面、右側のは袖石でしょうか


反対側にも袖石が抜け落ちた跡が


玄室(入り口辺りから)


玄室


奥壁


奥から外


(見学記)
(2006年)大滝道4号
同市大内、谷の中の道を上っていくと射撃練習場事務所の道路を挟んだすぐ上にある。道路で石室前部が破壊、奥の方3,4m程しか残っていない。元々背の高い玄室だったようだが道路がやや低い位置にあるため見上げるような感じで余計に大きく見える。

(2008年)
備前市大内、射撃場の手前にある墓地周辺の林の中に数基の石室があります。墓地西側林の中に小さな墓地の一角がありその北側に石室が南向きに開口これが5号。羨道は下部しか残っていませんが玄室はほぼ完存、開口部の手前に小さな袖石が立っていてその反対側にも袖石が抜け落ちたような跡が残っているからこの辺りが玄門なんでしょうか。玄室長は5m程、荒々しいながらもしっかりした石組み、奥壁は鏡石を据え上にプラスα、床面に大きな石が散乱しているけど石棺でもあったんでしょうか。入り口辺りに先行者の仕事らしい跡があった(笑)。南側30m程にあるのが1号(?)、背後をカットした墳丘は割とよく残っていますが東向きの石室はすっかり破壊、奥壁の1枚石と側壁の一部が見られる程度です。こちらは奥壁が見やすいよう少々お掃除。更に周辺も探したけど発見できず(5号の北側にあったみたい)。以前射撃場の北側にある4号墳を訪問したとき周辺も多少探したけどこんな南側だったのか。

大ヶ池南古墳群

岡山県備前市 2008年3月訪問

3基

1号
横穴式石室、全長5.8m、玄室長3.5,幅1.8,高2m
位置:34°44′03″N 134°09′01″E (日本測地系)
    34.73739497 134.14759417(世界測地系)
露出した2枚の天井石、知らなければまず天井石と思えない


開口部、羨門辺りか


入り口から石室内部


玄室


奥から外、片袖式


2号
横穴式石室、全長5.9m、玄室長3.4,幅1.5,高1.8m

3号から見た墳丘


石室正面


羨道、途中で天井石が一段下がる


玄室、側壁は一様に傾く、右側中段に長い平石がある


奥壁


奥から外、左片袖式、左上部の石だけ持ち送りが大きい


3号
横穴式石室、全長7m、玄室長4.1,幅1.6,高2.2m
位置:34°44′00″N 134°09′05″E (日本測地系)
    34.73656178 134.14870519(世界測地系)
良好に残る墳丘、3基とも北向きに開口


石室正面


羨道


やや持ち送りのある玄室


奥壁


奥から外、右片袖式


奥から外(ストロボ)


古墳?
2号西側にある


(見学記)
備前市伊部、国道2号と大ヶ池の間の狭い場所にうどん屋がありその敷地内に1号があります。大きな2枚の平石が露出していてこれが天井石、北側の斜面を降りると石室が開口、羨門辺りでしょうか石が傾いて入り口が狭まっています。土砂やゴミで羨道は殆ど埋没していますが中にはいるのはそれ程困難ではない。中にはいるとこんな場所にと思うほど良好な玄室が残っています。この後見た2,3号より石材も大きそう。奥壁も大中2枚の石を並べて立てています。元の植生の名残でしょうか玄室内にかなり根っこが侵入していたのでしっかりお掃除しておきました。うどん屋さんはもう営業してないのかな(古墳の祟り?)、ロープが張られて入れないので車を歩道に乗り上げて止めたのでゆっくり見学できなかった。
この南側山麓に2,3号があるけどその間に国道と鉄道があるので一度国道を東に行き最初の信号を右に曲がって線路を越え鉄道沿いに西に行くと一番奥に窯元があるのでその脇の山道を50m程行くと左手上に3号、右手下に2号があります。共に墳丘石室とも非常に良好、特に林の中に石室がぽっかり口を開けている3号なんかは私好みです、だもんでちょっとお掃除(笑)。短い羨道をくぐると良好な玄室空間が広がっている。奥壁は下部に大型の石を2枚並べその上に平石を何段も積みかねている。玄門は右片袖で袖石は柱状、まぐさ石も3段積み重ねています。2号は3号とほぼ同規模、奥壁も全く同じ構造ですが玄門は左片袖で何個かの石を積み重ねまぐさ石も1枚と大きく異なります。2号の方が少し古いのかな。この西隣に墳丘状のものがあり一部石が露出石材を抜かれた跡もありますが古墳かどうか不明。窯元手前のアパート駐車場に車を止められそうだけど落ち着かないのでもう少し手前の道路がやや広くなった場所、祠の前に車を止めて見学。それにしてもこの前の国道2号は何十回と通っているのにこんな所に良好な石室があったとはね。1号なんかは通過の際天井石が視野の片隅に入っていると思うんだけどな。でも多分この店に入っていても庭の敷石か何かかと思っただろうな。それ程天井石らしくない天井石です。2,3号も墳丘石室とも揃った至福の場所でした。

奥谷古墳群

岡山県備前市 2011年2月訪問

9基

1号
横穴式石室、玄室長5.1,幅1.7,高1.8m
位置:34°43′55″N 134°07′38″E (日本測地系)
    34.73517243 134.12454091(世界測地系)
石室正面、羨道は壊失


玄室は良好、やや物置状態


置物を外して視線を右に、他よりやや古い印象


奥壁は2段積み


奥から外、両袖式


2号
横穴式石室、玄室長2.2,幅1.6,高1.5m(現状)
位置:34°43′56″N 134°07′37″E (日本測地系)
    34.73545017 134.12426316(世界測地系)
藪の奥に開口


玄室奥しか残っていない


天井石奥壁とも1枚石の巨石


左側壁、面が揃っている


右側壁、天井石が今にもずれ落ちそう


3号
横穴式石室、玄室長4.5,幅2.5,高2.8m
位置:34°43′58″N 134°07′39″E (日本測地系)
    34.73600568 134.12481866(世界測地系)
藪に包まれた墳丘


藪の中南東に開口、冬や早春でないと接近難しいかも


羨道前部崩壊


羨道、袖石が隠れている


巨大な玄室が良好に残る


〃(縦位置)、側壁上部持送り


奥壁は巨石1枚石


奥から外、両袖式


〃(縦位置)


6号
円墳、R13,H3
横穴式石室、全長7.2m、玄室長4.7,幅1.7,高2.5m
位置:34°44′00″N 134°07′43″E (日本測地系)
    34.7365612 134.12592965(世界測地系)
良好に残る墳丘、それでも大分小さくなっているんだろうけど


西向きに開口


羨道天井石が落ちかかっている


入り口から見た内部


玄室良好、持送りもない、天井石にひびが入る


奥壁は2段積み、間に小石を挟んで安定を図っている


奥から外、右片袖式


7号
横穴式石室
6号近く、奥壁辺り残存


小型ながら奥壁1枚石


右側壁


(見学記)
備前市香登本、香登小学校北方谷筋にある古墳群です。道が狭そうなのでちと敬遠していたけど奥の方は意外と広かった(手前の住宅街の中は凄く狭いですけどね)。谷の西側山裾沿いの道路脇にあるのが2号、南向きに石室が開口していますが前部が大きく損壊後部だけが残っています。奥壁は下部が埋まっているが多分1枚石の巨石、側壁や天井石も表面が平面に整えられています。2号道路向かいの林の中にあるのが1号、南西に開口していて羨道は完全に壊失していますが細長い玄室完存、袖石を立てた両袖式、奥壁は2段積み、石材は砂岩のようだ。少し物置状態になっているのが残念。2号から50m程北に行くと右側に3号があります。石室が南東に開口入り口は藪状態です。羨道前部は崩壊しているが玄室完存、墳丘が藪に覆われているのに内部は根が全く進入していず静謐な空間を形作っています。袖石を立てた両袖式、奥壁は巨石1枚石、天井石も3枚でかなりの巨石です。3号から北東150m程備前焼工房脇にあるのが7号、大きく破壊され奥壁辺りが僅かに残るのみ。そのすぐ北側杉林の中に6号、墳丘は周囲がかなり削られていますがそれでも割と残っていて西向きに石室開口、天井石がせり出してきて入り口が狭くなっていますが玄室完存、右片袖式奥壁は2段積み+α、天井石に1枚ヒビが入っているがこの程度は問題ないだろ。2号墳の前に広い駐車スペースあり、神社社務所前にも駐車場があります。

丸山古墳

岡山県備前市 1989年4月訪問

円墳、R60、4C後半
独立丘陵の頂を利用して造られた墳丘は極めて分かりづらい
頂は広い広場と石碑があるのみ、装飾石棺は現地に埋め戻されている
位置:34°43′16″N 134°07′23″E (日本測地系)
    34.72434016 134.12037472(世界測地系)

麓にある石碑と説明板


(見学記)
香登駅南方,鶴山山頂にある径60mの古墳です。南側麓に石碑と説明板があってここから登ることが出来ます。載頭円錐形の円墳で墳頂はだだっ広く石碑が建っているだけ、墳丘斜面は林になっているので古墳という感じは全然しません。墳頂に竪穴石室があって内部に特異な彫刻をした刳抜式家形石棺が納められていますが,現在は埋められていて全く見ることは出来ません。ここから鏡が三十数面出土しています。国史跡。

片山塚古墳

岡山県備前市 2008年3月訪問

横穴式石室、玄室長6,幅2.3,高2.8m
位置:34°44′26″N 134°09′25″E (日本測地系)
    34.7437832 134.15426022(世界測地系)

背の高い墳丘が残る


石室正面、ネットはもうボロボロ


羨道


巨大な玄室


奥壁は3段積み


奥から外、両袖式、左右の袖の構造が随分違う


(見学記)
備前市伊部、大ヶ池北側の市道を東に行き新幹線と交差する手前で北に左折400m程行くと左手山裾に墓地があります。墓地の手前から山裾沿いを行くと林の中に大きな墳丘があります。東向きに開口した石室はあちこちのサイトでお馴染みのネットがかかっていますがだいぶくたびれてきていて穴だらけ、ほんと何のためのネットなんでしょうね。それはともかく中にはいると羨道玄室は極めて良好、玄室は両袖式で側壁は大型の石材を使いやや内側に傾く、奥壁は下から大中小の三段積み、巨石の鏡石に対して上の石材は隙間なく積んでいますがやや捻れた印象を受けます。それにしてもこれ程の石室がつい最近まで全く無名だったとはね。今でも殆ど無名だけどさ。
古墳とは関係ないけどすぐ側の酒樽を模したお墓も見物。
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