豊野火の釜古墳(豊野火の釜1号)

岡山県美作市(旧作東町)2003年4月訪問

円墳、R24,H6
横穴式石室、全長9.4m、玄室長5.8,幅1.8m
位置:35°02′06″N 134°15′15″E (日本測地系)
    35.03819782 134.25146455(世界測地系)

石室正面、羨道はかなり壊失


玄室、手前の天井石が巨大な1枚岩


奥から外、今にも崩壊しそう


(見学記)
県道5号に案内表示が出ているというので川戸古墳群から南下、豊野の集落がある辺りに小さな案内板がありました。ここで県道をそれるとすぐにT字路、こういうところにも表示が欲しいのだが何もない、左折して暫くいってみたが何もなさそうなので引き返してみると元の道を右折してすぐのとこにもう一つ案内表示があった。ここを曲がってほぼまっすぐ行くと窯元の側に古墳がありました。丘陵平坦面の端に立地、東側川の方向に石室が開口しています。羨道はかなり失われていますが玄室はほぼ完存、内部は土砂で埋まり気味で少々狭い。片側の側壁がかなり傾いていて今にも崩壊しそうでちょっと怖いです。天井石は2枚ですが、入り口側の天井石が長3m程度の巨石なのが印象的でした。側に説明板が立っていますが高6mと言うのはちとオーバー、しかも奈良時代の円墳、石槨蓋石(多分天井石のことか)と書かれているのは訂正して欲しいぞ。町史跡。

緑青塚古墳

岡山県美作市(旧美作町)1995年3月訪問

前方後円墳、TL36
位置:35°00′33″N134°12′05″E (日本測地系)
    35.01236605 134.19869171(世界測地系)

前方部から後円部


くびれ部


(見学記)
作東町との境界近く、R179北側の尾根を利用して作られた全長36mの前方後円墳です。墳丘は藪の中だがくびれ部辺りだけがバリカンで刈られたようになっていて墳丘は良好のようだ。後円部頂に石の祠が幾つかあり。竪穴式石槨があるそうだが全くわからず。町史跡。

楢原寺山古墳

岡山県美作市(旧美作町)1989年4月訪問

前方後方墳、TL54,R48,FL28、5C前半
位置:35°00′48″N134°10′21″E (日本測地系)
    35.01653188 134.16980558(世界測地系)

後方部、下から


石室開口部


(見学記)
美作IC南東約1.5km丘陵中腹にある全長54mの前方後方墳です。側に説明板が立っているが墳丘は藪の中。盗掘坑に竪穴石室天井石らしき物が見えている。町史跡。

小ノ谷火の釜古墳群

岡山県美作市(旧作東町)2003年4月訪問

2基

1号
横穴式石室、玄室長5,幅1.5m
露出した天井石、内部は埋没


2号
横穴式石室、玄室長6,幅1.7m
位置:35°02′40″N134°15′57″E (日本測地系)
    35.0476416 134.26312995(世界測地系)
段々畑に露出する石室、手前に羨道の石が落ちている、右奥杉林に1号がある


露出した天井石、下を流れる川が吉野川


石室内部


(見学記)
窯元のおじさんに話を聞いていると、もう少し上流の小ノ谷地区にもやはり石室墳があるというので帰り道なので行ってみました。段々畑の中に露出した石室が2基あって説明板も立っていました。下の県道からも見えているがさすがに知らないと気づかない。ともに玄室長5,6m程度で豊野の古墳とそれほどかわりはないようですが内部は殆ど埋没、特に上の1号の方は畑の整地の際に出た砂利を投げ込んだそうな。側の墓地に古い五輪塔が幾つもあり古くから開けた集落のようです。町史跡。

上相中塚古墳

岡山県美作市(旧美作町)1995年3月訪問

前方後円墳
位置:35°02′03″N134°09′13″E (日本測地系)
    35.03736265 134.1509176(世界測地系)

前方部から後円部


石室?


(見学記)
美作IC北西約1.5km低い丘陵上にある帆立貝式の上相東塚、上相中塚を含む古墳群です。5~6基の小古墳と中塚を確認したのみ。殆どが藪の中です。中塚で小型の石室らしき物露出。

川戸古墳群

岡山県美作市(旧大原町)2003年4月訪問

4基、6C末~7C初
1-3号を公園として保存

1号
円墳、R17
横穴式石室、全長8m、玄室幅1.5m
墳丘復元、石室は現状保存、山間の谷中平野の中にある


石室天井石、かなり細長い、内部は埋没


2号
方墳、17×15m
横穴式石室、全長12m、玄室長4.8,幅2.0m
位置:35°03′53″N134°16′37″E (日本測地系)
    35.06819549 134.27451739(世界測地系)
復元墳丘


石室正面、美作最大級、県内でも有数の長さ


玄室、床面に礫が一面に敷かれている、奥の方の敷石がやや大きい


石室後方から、右片袖と言うことがよく分かる、左右の側壁が非常に直線的に整えられている


石室斜め後方から、右奥に見えているのが3号、墳丘の一部しか残っていなかった


4号
円墳
横穴式石室、玄室長3.2m
露出した玄室天井石、1-3号の南西400mに離れてある


(見学記)
武蔵人気で賑わっている生家をしり目にひたすら古墳群へ直行。古墳群は公園になっていますが特に案内板はないようです。谷中を走る県道5号に各地区の表示があるので川戸の表示から道をそれて丘陵沿いの道を行くと見つかります。小さな公園ですが駐車場付き。ここに1-3号が保存されています。1号は径17mの円墳で石室天井石が露出、内部はすっかり埋没して現状保存、墳丘下部だけ復元されています。2号は一辺17mの方墳、全長12mの石室で天井石を失っています。それにしても中国山地奥深くに美作最大、県内でも有数規模の石室があるというのは驚き、しかも方墳と言うことでなおさらです。当時は交通の要衝だったのでしょうか。圃場整備の過程で見つかったようでその重要性に鑑み保存整備されました。3号もすぐ側にありますが墳丘の一部が残っている程度。4号が南西に離れた場所にありますが「吉備の古墳」に載っている地図での位置が若干違っているようで探すのに手間取りました。墳丘はすっかり分からなくなり玄室の天井石が露出している。多分4号に間違いないと思いますが確信は持てませんでした。

金焼山古墳

岡山県美作市(旧美作町)1995年3月訪問

前方後円墳、TL36
位置:35°01′47″N134°10′45″E (日本測地系)
    35.03291918 134.17647093(世界測地系)

丘陵頂に構築


(見学記)
中国自動車道美作IC東約1.5km丘陵頂にある全長36mの前方後円墳です。墳丘は良好、山頂を平らにして墳丘を形作っているようだ。墳頂に四角く細長い石が露出、竪穴石室の石材か。登る道がなく無理やり登っていった。登りは一点を目指して登るからいいが下りは目標がなく迷ってしまった。兎を追う猟師山を見づの心境。しかしこんな場所でもゴミが落ちている(捨てるなよ)、誰か登ってくるんですね(自分のことは棚に上げて)

上経塚古墳

岡山県美作市(旧美作町)1989年4月訪問

前方後円墳、TL33
位置:35°01′34″N134°11′07″E (日本測地系)
    35.02930855 134.18258163(世界測地系)

後円部、尾根上に立地


(見学記)
金焼山南東約1kmの尾根上にある全長36mの前方後円墳で墳丘良好。これは2号墳で南側に円墳の1号墳あり。1回目に行ったときは尾根上の疎林の中で形のいい墳丘がよく見えていたが2回目に行ったときは探せども探せども全くわからず、疲れて一休みしたらなんとその背後の藪の中に古墳があった。墳丘など全く見えずこれではわからないはずだ。あまりの違いにただ々呆然。

平福陶棺出土地

岡山県美作市(旧美作町)1989年4月訪問

平福陶棺出土地

(画像無し)

(見学記)

緑青塚から国道を約1km西に行った辺りの丘陵南側斜面から陶棺が出土、装飾のある切妻家形の棺だが今は現地に説明板があるだけ。現物は東京国立博物館にあり。
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