僧都奥古墳群(仮称)

岡山県矢掛町 2013年4月訪問

2基

1号
横穴式石室、現存長4.5,幅1.4,高1.4m
位置:34°37′45″N 133°34′39″E (日本測地系)
    34.63239787 133.57487156(世界測地系)

墳丘は良好に残る


隙間開口


石室は割と良好


縦長の奥壁、数個の石を1枚石のように見せている


2号
横穴式石室、現存長4.7,幅1.9,高1.2m

1号すぐ上にある墳丘


頂部が大きく抉られ石室開口


隙間開口だが入って入れないことはない


やや埋まり気味の石室


奥壁らしい台形の石


(見学記)
矢掛町小林、09年に訪問した僧都古墳(仮)の更に北側にある2基からなる古墳群です。土手の上の道を行き着くとこまで行くと山側に墓地と古い小屋のような神社があります。その手前で右側林の中に入る道があり奥にまた墓地、更に林の中に入っていくと上下に2基の古墳が並んでいます。どちらも墳丘は割と残っていて下側のが1号、開口部は狭く内部もかなり埋まっています。すぐ上に2号、墳頂部が盗掘され石室開口、こちらも狭く内部は大分埋まっていますが入って入れないことはありません。ただ無袖式で奥壁が見えているとあまり入る気になれませんね(この前の小林古墳でエネルギーを使い果たし入らなかったよ)。土手上に駐車可。そこにヤマハコベの群生があった、なんでこんな場所に、な場所でした。

だん神様古墳

岡山県矢掛町 2012年3月訪問

横穴式石室
位置:34°35′49″N 133°33′54″E (日本測地系)
    34.60017947 133.56237336(世界測地系)

丘陵麓近くの尾根先端に構築


石室完全露出、前部破壊


天井石がすこぶる巨石でも大分ずれている


側壁や奥壁も巨石なんだけど天井石と比べると小さく感じる


玄室奥をお宮として利用


こちらの側壁はさすがに後世の物だろうな


側面から


玄門袖石でしょうか、天井石も一部平面に仕上げられているけど文章でも彫られていたのかな


(2012年)
矢掛町浅海、高柳公民館南東100m丘陵裾に短く突き出た尾根先端上に構築されています。墳丘はすっかり流失して石室露出、巨石を使った石室ですがかなり崩れかけている残念、巨石の割に側壁が薄く封土が流失して天井石の重量を支えきれなくなったのでしょうか。奥壁前に祠が三つ並んでいてその横側の石材は小さく後世の物のようです。下の道路が広く駐車に問題なし。

熊古墳群

岡山県矢掛町 2012年3月訪問

2基

1号
横穴式石室
墳丘は比較的残る、上のお墓については案内表示がある


僅かに天井石露出するのみ、内部埋没


2号
横穴式石室
位置:34°36′46″N 133°32′40″E (日本測地系)
    34.61601098 133.54181867(世界測地系)
尾根先端にある墳丘、ここまで細い道がある


巨大な天井席露出、1枚は前の斜面に落下


開口部正面


内部は多少埋まるもよく残る


奥壁は下が埋まっているが2段積みかな


奥から外


(2012年)
矢掛町小田、小田小学校西側丘陵にある2基からなる古墳群です。熊林田公会堂辺りから小田政清夫妻の墓の案内表示があるのでそれに従って行く。尾根先端にある墓地を通り抜けるとはっきりした墳丘があってこれが1号、上に夫妻の墓が建っていて側に石材が露出している。更に山道を登ると2号の案内板があるのでそこを曲がって50m程行くと尾根先端に墳丘がある、これが2号。南東に開口していて先端の天井石が落下しかけているが幅の広い開口部が口を開けている。やや埋まっているが内部は良好、奥壁は2段積みでしょうか。右片袖式だが明瞭な袖部はなくやや不細工な感じです。当時使っていた地形図を見ると印が付いているので初心者の頃1号は来ているようだが2号は探せなかったのかな。案内表示がなかったのは確かだし、と言い訳しておこ。当時はフィルムなのであの1号程度では写真に撮ってなかったようだ。公民館に駐車可。

泉川原古墳群

岡山県矢掛町 2012年3月訪問、2013年4月再訪

3基

1号
横穴式石室、玄室長4.6,幅1.1,高1.1m(現状)
位置:34°37′38″N 133°33′40″E (日本測地系)
    34.63045374 133.5584839(世界測地系)
下から見た墳丘、側壁露出、右側赤いテープの木辺りが開口部


開口部


石室内は状態良い


平面に仕上げた2段積み奥壁


奥から外、右側側壁がやや乱れているかも


2号
横穴式石室、玄室長4.5,幅1.5,高1.8m(現状)
位置:34°37′47″N 133°33′27″E (日本測地系)
    34.63295347 133.5548729(世界測地系)
丘陵中腹にある墳丘


石室開口部、ほぼ残っているかな


石室正面、急傾斜なのであまり下がれない


良好に残る石室、側壁も全く持ち送り無し


巨石1枚石の奥壁


奥から外、多分無袖


3号
横穴式石室、玄室長4.1,幅1.2,高1.3m(現状)
位置:34°37′47″N 133°33′27″E (日本測地系)
    34.63295347 133.5548729(世界測地系)
1号東側、1号と同様丘陵麓に立地


開口部上から、板状の天井石が落ちている


石室内部、奥の方は埋没


奥から外、右側(下方)に傾いているかな


(見学記)
(2012年)
矢掛町宇内、丘陵麓辺りにある古墳群ですが前を川が流れているので直接には行けません。上流側(西側)に木造の橋があるのでそこを渡って丘陵裾を流れる水路沿い(水は流れていない)を東に行く。途中神社があり更に先水路に懸かる石橋を渡ると1号があります。墳丘は殆ど分からず東南に開口、4mくらい残存奥壁は2段積みです。2基からなる古墳群ですが3基はあるみたい、でも他は分からず。木橋辺りに駐車スペースあり。

(2013年)
他の2基も発見されたので再訪してみました。川に架かる橋の少し上流に堰がありそこを渡って麓の畑の奥に山道があります。トタン板で通せんぼされていますが問題なし。登っていくと山道脇に墳丘があります。南側に石室開口、巨石石室で奥壁は長方形の鏡石1枚、左右の側壁も大型石材で持ち送りがありません。多分無袖式で最前部の天井石が一段下がっています。かまどねこさんが苦労して見つけましたが見つけてみるとここを訪問するのが一番楽かな(3号はその前に訪問)、地元の人も当然知っていて塚を見に来たの、と聞かれてしまった。橋に戻って川沿いにある側溝沿いに東に行くと稲荷神社があります。ここから西に痕跡道をたどって50m程行くと3号があります。墳丘はなんとか残っていて南側に開口、でも崩壊して開口しているような。小型の石室で中に入っても奥の方が狭まっている。ただこちらが本来の入り口だとすると北向きになるし地形的にも不自然、やはり南側が本来の開口部かな。2号があれば当然これが3号ですが、公式にはこの古墳群は2基となっているので仮3号となっています。橋のやや下流側県道沿いに駐車スペースあり。

岡本谷古墳群

岡山県矢掛町 2012年3月訪問

3基

1号
横穴式石室
位置:34°38′13″N 133°34′25″E (日本測地系)
    34.64017472 133.57098277(世界測地系)
果樹園西端、かなり急傾斜地に立地


墳丘、石室正面


開口部、羨道は壊失、天井石は平らに加工されているもよう


玄室は良好、左側壁がやや孕む


縦長の石を2枚並べた風変わりな奥壁


奥から外、無袖かな、まぐさ石が一段下がる


3号
横穴式石室
果樹園の中に残る、墳丘殆ど流失


段差部分に開口とよくあるパターン


玄室奥辺りしか残っていない、小型ながら鏡石らしい三角形


(見学記)
矢掛町小林、大通寺北側の果樹園内にある古墳群です。果樹園下に行くと西端に1号、東側石垣に3号が開口しているのがすぐ分かります。1号は急斜面に立地しているが墳丘は割と残っていて南側に石室開口、持ち送りのない側壁で奥壁は縦長の石材を2枚左右に並べた少し変わった配置です。3号は奥壁辺りが残っているだけだけどおむすび型というか三角形の奥壁が印象的です。こういう所によくあるゴミというか物置状態になっているのが残念。2号はよく分からず。寺庭園が県の名勝になっているようで広い駐車場有り。

井手の手古墳群

岡山県矢掛町 2008年3月訪問、12年3月再訪

2基

1号
横穴式石室
位置:34°38′18″N 133°35′18″E (日本測地系)
    34.64156326 133.58570371(世界測地系)
丘陵料斜面に構築、低い墳丘しか残っていない、開口部はかなり埋まっている


多少埋まるも内部は良好に残る


玄室中程、左側壁が一部崩れている


奥壁は基部に巨石を据え上に平石を重ねる


奥から外、無袖かな、天井が一弾下がっている


おまけ:墳丘上にある祠、屋根はゴムシート


2号
横穴式石室
位置:34°38′19″N 133°35′15″E (日本測地系)
    34.64184102 133.58487045(世界測地系)
天井石が外され状態の悪い石室


内部は殆ど埋没


一枚石の奥壁、表面が平らに加工されている


(見学記)
(2008年)
矢掛町井出の手、県道35号脇に荒神社がありその南側の民家脇の細い道を入ると小さな墓地があり背後の急斜面を10m程登った平坦面にあります。墳丘流失石室露出天井石は奥の1枚のみ残存1枚は玄室に落下他は失われて石室内部も殆ど埋まっていますが1枚石の奥壁が残存表面が平面に仕上げられていて立派というかこれだけ浮き上がっている感じです。神社側の県道に駐車スペース有り。

(2012年)
矢掛町小林、2号から大分離れている1号を訪問。県道35号沿いにある荒神社から登っていく舗装路が途切れる辺りに右に曲がる未舗装の道がある(この辺りに駐車可)。そこを行って尾根筋を廻った辺りに山側に登る微かな山道がある。山道はすぐ消えるが開けた場所があるのでそこを通り抜け(茨が多い)最後は強行突破すると墳丘上にたどり着く。平坦になっていて朽ちかけそうな祠がある。西向きに開口入り口はやや埋まり狭いが入るのに問題なし。無袖式かな持ち送りのあまりない側壁で奥壁は巨石を据え平石を重ねている。開口部からは下の谷中平野がよく見えている。当時の支配地域だったんでしょうか。

池尻古墳群

岡山県矢掛町 1990年3月訪問、12年3月再訪

円墳6基

(1990年)

1号
円墳、R11,H3.5
横穴式石室、全長6.5m
位置:34°35′43″N 133°35′56″E (日本測地系)
    34.59851328 133.59625969(世界測地系)
墳丘、石室正面、良好なのはこれくらい


玄室


4号
横穴式石室、全長4.8m
開口部


奥壁


5号
横穴式石室、全長3.7m
奥壁辺り、天井部壊失


6号
横穴式石室
露出した天井石、内部は殆ど埋没


(2012年)
1号
墳丘横から


石室正面、大きな開口部


良好に残る玄室、他と比べて圧倒的に大きい


〃(縦位置)


奥壁は2段積み+平石、1段目上部が尖るから2段目との間に調整の詰石


奥から外、無袖かな


〃(縦位置)


2号
山道下に開口、意外と見逃されていた


小型の石室残存


奥から外、多分前部は壊失


3号
こちらも山道下に開口、石室は手前まであるが上部壊失


玄室後部残存


奥壁?、それにしては緩すぎるな


4号
山道上斜面に低い墳丘が残る


開口部正面、前部は壊失しているようだ


玄室後部残存


三段積み奥壁、幅が足らず左側にも詰石


(見学記)
(1990年)
山の東側麓の緩斜面,雷師宮神社南方に円墳6基が密集して分布しているがまともなのは1号墳のみ。1号は墳丘,石室(無袖式)とも良好,玄室両側の壁がやや内側に傾斜しています。奥壁2枚,入室容易。2号墳は天井石が露出,入室困難。4号墳は玄室のみ残存,入室可。5号墳は天井石が無くなり玄室露出、6号墳は天井石露出内部埋没、他は不明。
(追記)4,5,6号の番号名は当時分からず遥か後年判明。

(2012年)
こちらも序でに再訪、こちらも22年ぶりなので場所がよく分からず。南側の雷師神社の更に南側の神社辺り、行ってみると1号はすぐ分かりました。以前の印象はもっと大きくとんがった墳丘だったけど実際に見てみるとそれ程でもなかった。記憶の中でだんだん美化されているみたいです。それはともかくこれ程の石室なのに当時はフィルムのせいかあまり撮ってないな。反動でバチバチ撮影。林道を少し上ると下側に2,3号が並んでいます。共に石室露出前部が破壊されています。それでも2号は2,3m残りほぼ1枚石の奥壁が残存していますが3号は奥壁が崩れ欠けています。更に少し上ると砂防ダムの手前山側に藪の奥に墳丘のようなのが見えたので突入してみましたがそれは間違いだったけど側に4号がありました。墳丘は割と残っていて南東に開口、やはり前部は天井部を失っていますが奥が3m程残存奥壁は2段積みです。3号と4号の間に5,6号があるはずだが藪が深くて分からず。初心者の頃は今は楽勝の2,3号は見逃しているのに4,5号は見つけている。当時は藪があまり深くなかったんだろうな。

行部古墳

岡山県矢掛町 1996年4月訪問

横穴式石室、現存長3m
位置:34°37′07″N 133°36′28″E (日本測地系)
    34.62184353 133.60514667(世界測地系)

前部が半分以上削平


石室内部、小型ながら奥壁が一枚石


(見学記)
茶臼山東側の集落の片隅にあり,上に小さな祠があって南西に石室が開口,墳丘の大きさの割に小さな石室で,奥壁にやや大きな石の他は小型の扁平な石が使われていてちょっと竪穴石室ぽい感じです。羨道壊失,入室不可。

若林古墳群

岡山県矢掛町 1990年4月訪問、2009年再訪

円墳4基

(1990年)
1号(1号ではなかった)
横穴式石室
位置:34°37′41″N 133°36′27″E (日本測地系)
    34.63128662 133.60486868(世界測地系)
藪の中の石室


石室内部


2号
横穴式石室、現存長1.9m
位置:34°37′45″N 133°36′27″E (日本測地系)
    34.63239757 133.60486866(世界測地系)
前部破壊、露出した石室


かなり小型


3号
位置:34°37′42″N 133°36′25″E (日本測地系)
    34.63156436 133.60431318(世界測地系)
奥壁と側壁の一部しか残っていない、まるで巨大な肘掛け椅子の様


(2009年)
2号
石室内に生えた木が大きく枝葉を広げている


石室正面、後部が残存


石室側面


石室内部、木がすっかり大きくなっている


3号
石室前に小屋が出来ていた


笹藪に覆われてしまった


4号
円墳
横穴式石室、現存長4.6,幅1.7,高1m
位置:34°37′40″N 133°36′16″E (日本測地系)
    34.63100892 133.60181347(世界測地系)
背の高い墳丘が残るも大きく変形


前部が削られ石室後部残存


資料では高1mとなっているが、実際はもっと高い


大型石材を使った玄室


奥壁は2段積み、接触面が斜めなので何となく不安定な感じ


奥壁と右側壁


(見学記)
(1990年)
下池北側の緩斜面に4基分布,封土はなくなり石室が露出している。1号は集落背後の尾根先端に立地,竹藪の中に石室露出,天井石は奥側を除いて無くなっている,入室困難。2号は1号の 200m程北側畑の中,石室南側が無くなり奥部分のみ残存,石室としては小型で中に祠が祀られていることもあってまるで石の祠のよう,入室...入るまでもない。3号は1,2号の中間,奥壁と側壁のごく一部のみ残っていてまるで肘掛け椅子のように見える。奥壁の大きさからしてかなりの規模の石室と推定される。4号は不明。

(2009年)
最大の石室4号を見逃していたので再訪してみました。前回訪問の時参考にした矢掛町史(旧版)の方にも載っていたのに何で見逃したのかな。それはともかく場所は割と簡単に見つかりました。竹林の中に大きな墳丘が残っていますが南側が大きく抉られ石室も後部しか残っていません。それでも立ったままで入れるくらい大きな石室です。奥壁は巨石2段積みだけど上下の石の接触面が水平でなく少し傾いているため全体も何となく傾いているように見えます。序でに他の石室も見学、3号はすぐ前に小屋が建って隠されていましたが板壁がなくなっていて見通せる。ただ笹が茂ってきていてかっての巨大椅子の様な雰囲気はなくなってしまいました。2号は石室そのものは変わりないですが中に生えていた樹木が大きく茂ってきて石室の上に盛大に枝を伸ばしています。幹も太くなっていて天井石も少し動かされているんじゃなかろうか。このまま放置すると石室破壊に繋がるけど多分故人の所有物だろうからどうしようもないです。藪の中にあった1号は見つからず。

僧都古墳(仮称)

岡山県矢掛町 2009年4月訪問

横穴式石室
位置:34°37′40″N 133°34′44″E (日本測地系)
    34.63100914 133.57626037(世界測地系)

丘陵麓近くの斜面に立地


状態よく整然と残る石室


石材はそれ程大きくはない


二段積み奥壁、表面を平面に整える


奥から外、無袖式かな


(見学記)
矢掛町小林、正蓮寺谷古墳群のある丘陵の東側麓近くに単独である古墳です。川沿いの集落一番奥の民家裏辺りですがちょうど家の人が外にいたので挨拶をして訪問。家の人は存在を知っていたが古墳とは知らなかったみたい。急斜面に構築された墳丘で南東に石室開口、無袖式の石室で内部もよく残っています。側壁の持ち送りも殆どなく奥壁は2段積み、表面も平面に整えられています。堤防沿いに車が入れて駐車スペースあり。
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