内神古墳群(コウモリ塚古墳他)

岡山県矢掛町 2008年3月訪問、21年3月再訪

石室墳3基

(2021年)
これが目印となる神社、ここから尾根を登っていく


2号
 位置:34°37′55″N 133°35′22″E(日本測地系)
    34.63517516 133.5868149(世界測地系)
短い尾根付け根辺りに立地、手前の石辺りが先端か


天井石は後ろ半分くらいしか残っていない、大分右側にずれているような


石室内部


奥壁は1枚石、左右の側壁が手前の側壁より積み方がちょっと違うような


奥から外


ストロボ無し、左右で石材の大きさが異なる


奥から左側


奥から右側、明らかにこちらの方が石材が小型


墳丘背後から


天井石越しに1号が見えている


1号
石室を覆う程度に残る墳丘


天井は最後部だけ残存


正面から、手前が先端辺りか


現状開口部正面


ちょっと頭を捻った天井石、重ねたにしてはおかしいし、割ったのか割れたのか


奥壁は鏡石+平石2枚


(2008年)
コウモリ塚古墳(内神3号)
円墳、R16.5
横穴式石室、玄室長10.3,幅2.3,高1.8m
位置:34°37′55″N 133°35′30″E (日本測地系)
    34.63517513 133.58903691(世界測地系)

標高130mの丘陵尾根に立地


短い羨道


長大な玄室


天井もレベルが揃っている


巨石の鏡石を据え不足分を小型の石材を詰める


奥から外、片袖式


(見学記)
(2021年)
未発見の1,2号、矢掛町史によれば毘沙門堂の裏を200m程登ったところにあると書かれているが肝心の毘沙門堂がわからない。前年地元の方に聞いて言ってみましたが御堂はあったが随分新しくちょっと疑問でした、その時も背後の斜面一帯を探してみたが見つからず、結局3号墳辺りの道路に出ました。1年後K氏が見つけたので再訪してみました。どうやら3号がある尾根西側にある尾根上にあるもよう、ただ地形図を見るとその間にも微妙な尾根があるが現地に行ってみるとハッキリした尾根でした。なので目標の尾根は更に西側にあるはず、去年出てきた道路脇から入っていって一度下の方まで降りて等高線に並行に西側に移動していくと御堂がありました、これが毘沙門堂のようです。ならばと御堂右手に痕跡道があるので尾根上に上がっていくと傾斜が変化する尾根付け根辺りに2基の石室が露出していました。手前のが2号で石室前部は破壊されていますが現存長5.1m程です。天井は後しか残っていないからそれより小さい感じです。そのすぐ右後に1号があります、こちらはずっと小さく全長3.4mです。こちらも天井は最後部しか残っていない。ただこの天井石が首を撚る状態、2枚重なったように見えますが天井石を重ねているのなんて見たことがない、しかも下側右が側壁に達してないので多分割れたんでしょう、自然に割れたのか、誰かが割ったのか。場所がはっきりすれば背後のキャンプ場に通じる道路から行けばもっと短時間で行けるでしょう、多分。上を通る道路に駐車スペースあり。

(2008年)
矢掛町内神、井原鉄道矢掛駅北側から育成牧場へ登っていく道があります。一車線の細い道ですが途中ですれ違い用でしょうか幅が広くなっている場所があります。ここから下の斜面を見ると巨石が露出していますが古墳はそこではありません(体験者は語る(笑))。この待避場所の一番下側辺りから下に降りていく階段がある(上からは見えないけど)。20mほど行くと右手に墳丘が見え反対側西向きに石室が開口しています。羨道は元々短かったんでしょうか、そこを入ると全長10mクラスの長い玄室が完存しています。標高130mの山の上にあるとは思えないほどの大型石室です。奥壁が巨石の鏡石を据え右と上に小型の石を詰めています。上部は天井石で少し隠れている。

圀勝寺裏古墳

岡山県矢掛町 1990年4月訪問、2020年3月再訪

横穴式石室、全長2.3m
位置:34°37′05″N 133°37′13″E (日本測地系)
    34.6212878 133.61764533(世界測地系)

(2020年)
30年前と変わらない佇まい、手前石材の前にあった杉はなくなっている


石室も変わりなし、前のスギがだいぶ太くなっている、右側壁上のスギは無い、さすがにあそこに生えるのはまずいか


厚い板状に加工された天井石


奥壁は1枚石、縦に走っているのは割れ目じゃなく低い段差


右側壁


左側壁


上から見た天井石、手前側が割られているかもしれない


高まり程度の墳丘が残る


(1990年)
斜面にある石室、手前に石材が落下


石室正面


小型玄室


(見学記)
(2020年)
矢掛町東端にある的場古墳群が行方不明になっているそうなので来てみました。初心者の頃撮っているけどその写真を見てみるとどうもただの穴ぼこだったみたい(汗)。矢掛町誌によれば畑の中に小型石室が2基開口しているそうです。やって来てみたら圀勝寺近くに多少畑があるけど勿論石室はなし、その東側だろうけど畑らしいものはもう殆どない、多分もう畑でなくなっているんだろうな、で結局見つからず。せっかくなので圀勝寺裏古墳を30年ぶりに撮影、勿論変わりは無いけど当時の写真と比べると石室前の杉が太くなっている、でもまだ材木として使われるレベルじゃない、側壁に生えていた杉は切り倒されている、石室保護か単なる間引きかな。前部が崩壊しているけど単独墳にしては小さな石室、群を造れる程の後継者がいなかったんでしょうか。寺に駐車場有り。

(2009年)
圀勝寺西北緩斜面上,墳丘殆ど無し,玄室のみ残る。下に石室の石材が転がっている。入室可。

正蓮寺谷古墳群

岡山県矢掛町 1992年4月訪問、2013年4月、19年1月再訪

(2019年)
3号
天井部が露出開口、ちょっと掃除しました


石室内部、奥壁は一応小型鏡石を据える


奥から外、まぐさ石が見えていて羨道埋没


4号
特徴的な三角屋根型の天井石露出


内部はトンネル状と言うか、残存天井辺りしか残っていない


石室後部側から


ブロックを積んだ側壁、一部表面を割っているようだ


反対側は大型石材


5号
大きな墳丘が残る


南側に開口、群中最大の石室、最初訪問時なんで見逃したか


開口部は狭いが横幅があるので入るのは難しくない


良好に残る石室


やや持ち送りのある側壁、狸のせいか靴などが散乱


おむすび型のほぼ1枚石の奥壁


奥から外、まぐさ石が一段下がっている、右片袖でしょうか


奥から左側


反対側、基本割石を積み重ねている


6号
これも大きな墳丘が残る


ただし隙間開口、流石に入るのは無理


内部はそれ程埋まってないようです


7号
こちらも隙間開口、でも入れます


側壁奥壁とも小型石材、奥壁下部は若干左右対称を意識しているかな


奥から外、これも側壁に持ち送りがある、まぐさ石が一段下がる


8号
天井部が露出開口


斜め前から


開口部から奥壁が見えているので期待できず


割石を積んだ奥壁、隙間石が割と残っている


9号
これだけ南側緩斜面に立地


墳丘が良好に残る、期待大だけど


南側に開口、やや狭いがなんとか入れる


石室内部、だいぶ土砂が流入


奥壁は土砂に埋もれて最上部しか見えず


奥から外、大分埋まっているが無袖かな


10号
群東端、斜面際にある、左側のは側壁石材か


絶望的な隙間開口


内部は土砂が流入するも石室自体は良好のようだ


初回訪問時見ていた最東端石室はどうもどれにも当てはまらないようだ


(2013年)
1号
横穴式石室、全長5.7m
位置:34°37′40″N133°34′31″E (日本測地系)
    34.63100916 133.57264956(世界測地系)
外見は以前と特に変わりない石室


立ったまま中に入れる背の高い玄室、ここでこのタイプはこれだけ


側の民家が無人になったせいか中の荷物が少ない


〃縦位置、左側壁が少し押されているようだ


ブロック状の石を2列に積み上げる、石の加工度が悪いのか少しずつ右に傾いている


奥から外


2号
横穴式石室、全長4.6m
石室はかなり藪に包まれてきている、中間の天井石はなくなっている


石室正面、天井石がずれているかな


内部は殆ど埋没


(1992年)(一部画像追加)
1号
丘陵麓にある墳丘、1,2号は麓、他は尾根上に位置する


墳丘上方から


石室正面、背が高い


内部は物置状態


玄室奥から


右1号、左2号


2号
石室正面、右墳丘は山道で削られる


露出した石室


3号
開口部、手前の羨道は埋没


玄室


4号
露出した天井石


入り口から右側壁


6号
上部が凹んだ墳丘、左下に開口


石室内部


7号
開口部


玄室、思いがけず状態がよい


8号
開口部


奥壁辺り


?号
半ば埋まった開口部、群東端、丘陵斜面最上部に位置


右側壁


左側壁、何故か奥壁は撮っていない、改めて見ると9号とも10号とも違う


(見学記)
(2019年)
矢掛町小林、10基程の古墳群ですが最大の5号は見逃しているし初心者の頃の訪問で石室内に入ってないのも多く27年ぶりに再再訪してみました。この日は同行者と3人連れ、その方は行ったばかりなので見つかるのは確実、楽しく見学できました。場所は尾根上の林の中、少々歩きにくいけど6年前の藪のような場所ではなかった。個々の古墳は省略しますが5号は大きな墳丘と石室が残っていました、これをなんで当時見つけられなかったんだ。それはともかく石室に入るのも楽で内部も良好、でも石室内に靴が多く散乱、それも片方ばかりで狸の仕業でしょうか、石室前にも散乱していました。9号だけが南側斜面に立地、これも墳丘石室ともよく残っています。南東側斜面に10号、初めての時はこの下から登ってきました、その時は山道があったけどもう痕跡もなかった。ただ石室入口の様子や墳丘など違うような気がしないでもない。南側に大元鵜江神社があり駐車場有り。

(2013年)
最大の5号を見逃していたので再訪してみました。まずは1,2号から訪問、1号石室自体は変わりませんが倉庫として利用されていた内部は道具類が少なくなっていました、側の民家も引っ越したようで無人になっていました、ポツンと一軒家程ではないですがやはり住みにくかったんでしょうか。背後の2号もヤブに覆われて見づらくなっていました。ここまでは準備段階、本命の3号以下を見るために藪に突入、ここで磁石を利用することもなく直感で飛び込む性格が災い、藪の中を東西に2往復くらいしたが1基も見つからず。ちゃんと東端の急斜面も確認したし場所は間違いなさそう、4月末だし藪が酷くなっていたので見つからなかったかなと自分に言い聞かせて退却。後から地図を確認してみるとどうも1,2号の北側一帯を捜索していたようです。実際のは東方向でした(汗)

(1992年)
美山川,星田川の間の丘に10基分布。1,2号以外は尾根上。すべて横穴石室で玄室がやや持ち送りのある構造,奥壁も多数の石で構成されているのが特徴です。1号は丘の麓墓の側に墳丘が残っていて南に石室が開口,羨道壊失。玄室は奥壁,壁とも中型の石を組み合わせて構成されている。入室可中は物置状態。2号は1号のすぐ西側に石室露出,かろうじて構造がわかる程度に残存。3号は天井石が1枚露出,奥壁も失われている,入室可。4号は封土がかろうじて残っている,羨道は埋没もしくは壊失,玄室残存,入室可。5号は「矢掛町史」に載っている写真を見る限り一番立派な石室のようだが発見できず。6号は開口部分は狭いが玄室はあまり埋まっておらず以外と広い。,入室可。7号は開口部分に見えている天井石はかなり大きいが玄室の石材は小型,半ば埋まっていて入室困難。8,9号はともに天井石が露出,小型の石材からなる玄室は半ば埋まっていて入室困難。10号は不明。

岡ヶ市古墳群

岡山県矢掛町 1992年4月訪問、2019年1月再訪

(2019年)
8号(仮称)
横穴式石室
位置:34°37′31″N 133°34′39″E (日本測地系)
    34.62850946 133.57487166(世界測地系)
前年新たに古墳が見つかったと言うので再訪、低い墳丘だけど藪になっているわけでもない


石室前部が露出、遠くに見えているのが神社


天井石左側には後世の割口、石仏でも彫ろうとしたんでしょうか


開口部は狭いが下が落ち葉なので入るのは楽


割石積みの玄室


奥壁も側壁と同様の小型石材


側壁の一部が崩れている、比較的最近のような感じ


奥から外、両袖かな、まぐさ石が一段下がっている


9号(仮称)
石灯籠の下に小型石室、同行者さんが見つけてくれました


開口部正面、やはり石室でしょうね


奥壁はなく内部はトンネル状、側壁の一部がずれ落ちている


背後の天井石、切石に近い


1号
円墳、R12.5,H2.6
横穴式石室、全長4.8m
位置:34°37′35″N 133°34′30″E (日本測地系)
    34.62962045 133.57237185(世界測地系)
せっかくなので1号も再訪、これは開口部反対側の墳丘、割と残っている


石室正面、墳丘は大きく抉られている


石室後部しか残っていない


玄室後部、右と左で側壁の積み方が大分違う


上部が半円形の見事な奥壁、加工じゃなくて自然石そのままなんでしょうか


奥から外


奥から左側、こちらはブロック状石材を積んでいる


反対側、こちらは平石を積み重ねている


2号(仮称)
1号北側に大きいが背の低い墳丘


墳頂が盗掘で窪む、僅かに石材が見えている


(1992年)
1号
墳丘、石室正面


玄室、石室が見られるのはこれだけ


この頃はバイクで直ぐ側まで行けたけど今は無理


2号
以下多分仮番号



4号
左奥にも墳丘が見えるような



6号


(見学記)
(2019年)
大元鵜江神社北西辺りに分布している古墳群で「矢掛町史」には7基記述がありますが今年になって神社北東に新たな石室墳が発見されたので行ってみました。行ってみれば低いけど古墳らしい高まりはあるし石室も開口しているしすぐ古墳と分かるのになんで今まで認識されてなかったのかなと思う場所でした。岡ケ市の他の古墳より余程分かりやすいよ。町史に載っている7基の記述とはどれもあわないので新規の石室なのは間違いないようです。石室内部はやや土砂が流入し側壁の一部も崩れていますが中に入れます。この近くでも小型の石室らしきものがありました。序でなので1号にも行ってみました。これまた27年前なので当時の記憶は全く無いけど神社北西から藪の中を通っていく道があるのでそこを入っていきます。途中に低い墳丘が幾つかありますがそれらは無視、とにかく進むと左側に大きな墳丘があります、それが1号で反対側に開口、石室前部は破壊されていますが上部が円形の鏡石らしい奥壁が印象的です。昔の写真と比べると藪が酷くなっていて墳丘の写真は殆ど撮れません。この北側に斜面をカットした低い墳丘が残っていて石室があったようで細長い窪みが見えています。大元鵜江神社に駐車場有り。

(1992年)
正蓮寺谷古墳群の谷を挟んだ南側の丘の上に6基分布。1号丘頂近くにあり墳丘石室とも良好に残存,羨道は埋没もしくは壊失していますが玄室は奥壁が1枚石で壁も平面に整えられています。2,4,6号は墳丘を確認したのみ。

毎戸古墳群

岡山県矢掛町 1988年4月訪問、92年4月、12年3月、19年1月再訪

4基

2019年
3号
横穴式石室
位置:34°36′31″N 133°33′04″E (日本測地系)
    34.61184478 133.54848506(世界測地系)
鳶山山頂南斜面、標高110m程の高所に立地、墳丘流失天井石露出もかなり乱れている、高所だけど上方に巨岩が露出、石材には事欠かなかったようだ


この辺りから入れる、左が最後部の天井石


天井石背後から


隙間から覗いた内部、奥壁はほぼ1枚石


玄室奥から、左上の隙間からなんとか入れる


奥から右方向、後部側壁が巨石


反対側、こちらも巨石


天井部、崩壊せずギリギリ保っている


奥から外


その他
3号へ行く途中で尾根に高まりがあった、古墳だと直感


大きさの割に背の低い墳丘


上部が盗掘で窪むも石材露出なし、多分毎戸古墳群じゃなく中期の古墳かな


2012年
2号(毎戸荒神塚古墳)
位置:34°36′24″N 133°33′07″E (日本測地系)
    34.60990057 133.5493184(世界測地系)
神社前に石室露出


20年前となんら変わりなし、当然だけど


内部も相変わらず粗大ごみ散乱


奥壁は下が埋まるも1枚石だろうな


奥から外、改めて見ると側壁も上に積み重ねがないな


露出した天井石後部


4号
玄室長5.6,幅2m
位置:34°36′24″N 133°33′14″E (日本測地系)
    34.60990057 133.55126272(世界測地系)
墓地の中にある、20年前はどうだったかな、林の中だと思ったけどな


開口部に枯れ枝が積まれ中に入れず


露出した天井石


隙間から見た奥壁


入口側はかなり埋まる


(1992年)
1号
円墳、R30、中期
位置:34°36′19″N 133°32′57″E (日本測地系)
    34.60851183 133.54654083(世界測地系)
遠望


2号(毎戸荒神塚古墳)
石室正面、神社境内に露出


石室内部


4号
石室正面


玄室


奥から外


(見学記)
(2019年)
矢掛町浅海、3号が未訪問だったので行ってみました。鳶山から南に伸びる尾根上に立地しています、標高が110mもあり矢掛でも最高所にある古墳でしょうか。山頂手前に電波塔がありそこから尾根筋を降りていくと林の中に巨石石室が露出しています。天井石が折れて落下するなど状態は悪いですが最奥部分に何とか入られ巨石の奥壁を見ることが出来ます。電波塔のすぐ下辺りにとんでもなく大きな巨石が露出、下を通り抜けられる状態で登山道でもあればさぞかし名所になっただろうな。途中の巨大水道タンク北東尾根上に低い墳丘がありますが盗掘で真っ二つ、石材は全く見られないし墳丘もなだらかで木棺直葬の前中期の古墳かもしれない。南東側溜池辺りから入っていく舗装路があり水道タンク辺りまで行けて駐車スペースがあります。

(2012年)
3号を探すべく再訪、2号は相変わらずで中にゴミというか道具が入ってます。4号は当時は確か林の中だと思ったけど現在は墓地の中になっていて暫く探してしまった。入り口に枯れ枝が積まれ中に入れなくなっていた。3号は神社から直登してみたが途中で藪がひどくなって断念、やはり急がば回れかな。1号も古墳側まで行くつもりだったが3号の後ですっかり忘れてた。

(1992年)
鳶山南側麓近くに分布する古墳群です。1号はR486北側低い尾根の先端に位置する中期の古墳,主体部不明。2号は荒神社の鳥居脇に石室が露出。羨道はなく玄室のみ,壁の部分は石材がカットされ面が揃えられている。天井石も大型の扁平な石が使われている。入室可,でも中は物置状態。4号は更に東側,墓地脇の林の中に石室天井石が露出,石室も2号よりやや粗雑な感じ。内部は半ば土砂で埋まっているが入室可,芋の貯蔵穴が掘られている。なんちゅう利用法じゃ(-。-;)。3号は不明。

橋本古墳群

岡山県矢掛町 1988年4月訪問、91年4月、12年3月、19年1月再訪

15基以上

(2019年)
8号
荒神塚西方の尾根南斜面に3基並ぶ、欠番8-10号を仮番号として割り当てる


僅かな高まり


明確な石材は奥の1個だけ


9号
位置:34°35′56″N 133°35′46″E (日本測地系)
    34.60212394 133.59348199(世界測地系)
8号西側に同様の高まり、左後方に山道が見えていますが前年の豪雨で大きな雨裂があった


南向きに開口


開口部、左側に羨道側壁が残存


土砂流入も石室自体は良好


一部凹むなどちょっと変わった形の奥壁鏡石


奥から外、右片袖かな、まぐさ石が一段下がっている


10号
更に西側に同様の高まり


盗掘されたのか墳頂部が凹んでいる


露出した石材、元の状態がわからない程、手前の石は割られた跡がある、多分後世のもの


(2012年)
1号
はっきりした墳丘が残るも石材見られず


2号
崩壊気味の天井石露出


石室も前部は埋まるが後部で隙間開口


前部の崩れ落ちている天井石


石室後部、半ば埋まるも奥まで見える、鏡石が天井まで届いている


奥の隙間から


3号
横穴式石室
位置:34°35′54″N 133°35′44″E (日本測地系)
    34.60156844 133.59292652(世界測地系)
斜面に背の高い墳丘が残る


墳頂部に石室開口


天井石露出


15号以外では一番良好に残る玄室、奥壁は下部に大型石材を据える


奥から外、無袖かな、若干左側(斜面下側)に傾いているよう


4号
低い墳丘が残る


上部を失った石室露出


奥壁辺り


5号
石室正面から


後部で天井石残存


内部も殆ど埋まる


6号
低い墳丘に僅かに石材露出


7号
傾いた天井石露出


石室の方向が分かる程度


分厚い板状に加工された天井石


(8-10号は欠番)

11号
横穴式石室、全長6.4m
位置:34°35′54″N 133°35′55″E (日本測地系)
    34.60156847 133.59598178(世界測地系)
相変わらず藪に包まれた露出石室


東側から、藪で隙間も伺えなかった


12号(仮)
低い墳丘に直線状に石材露出


石室だろうな


この辺りが奥壁でしょうか


13号
はっきりした墳丘頂部に石室露出


上記反対側から


こちら側が入口側天井


かなり加工された天井石


上記反対側から


内部は大分埋まっているが奥壁上部が見えている、側壁奥壁が黒くなっているが天井はそうでもない


奥から外、前部は完全埋没


14号
状態の良い墳丘


上記反対側、こちらが入口側


石室前部埋没、中程で開口


内部は半ば埋まるも奥壁まで見えている


15号(橋本荒神塚古墳)
円墳、R20,H5
横穴式石室、全長7.1m、玄室長5.85,幅2,高2.35m
位置:34°35′57″N 133°35′48″E (日本測地系)
    34.60240169 133.59403748(世界測地系)
20年前と殆ど変わりない状況


開口部正面


他と比べて隔絶した規模の石室


県内では一番見やすい石棚かな


割と低い位置にある石棚


石棚上部奥壁


石棚下部、下部が曲面で左側が抜け落ちそうなので支えを置いたかなと想像


奥から外、両袖式


墳丘横から、斜面をカットした跡がよく残っている


16号(仮)
緩斜面に僅かな盛り上がり


この石組みはどうみても石室


背後から


(1988、91年)
11号(88年)
露出した天井石


石室内部、奥壁辺り


15号(橋本荒神塚古墳)
お堂背後に開口


石棚のある玄室、下の支柱は当時のものかどうかは不明


奥から外


墳丘


(見学記)
(2019年)
矢掛町里山田、更に3基の古墳が追加されたので再訪しました。東に伸びる尾根筋の南斜面に3基の古墳がならんでいます。東から8-19号(欠番を当てた仮番号)、どれも古墳を思わせる高まりがありますが8,10号は石室が大きく破壊され9号だけ無袖式の石室が残り中に入れます。しかし7年前も追加があって訪問した時は殆が藪の中、今回のは藪でもなく荒神塚からすぐ歩いて1分程、今までで一番楽だった。前回通った道からも墳丘が見えているけど存在を知らなければ気が付かないな。昨年の豪雨の跡がこんな所にも残っていた、前の道が大きく抉られて2m近い深さの溝が出来ていました。荒神塚までの道が狭いので今までは下の県道に車を止めて歩いていっていましたが今回初めて荒神塚まで車で行きました、駐車場有り。

(2012年)
矢掛町里山田、以前は石棚のある15号と石室の露出した11号しか見てなかったのですが(これが普通)かまどねこさんが更に多く見つけてくれたので再訪していました。20年ぶりの訪問だけど辺りの様子は殆ど変わらず。まず1号を訪問ここを起点に南側の1-7号、13,14号を探してみました(8-10号は欠番)。15号南西杉林の中低い尾根先端に1号があります。明瞭な墳丘が残っているが石室は見られず。ただ矢掛町史(旧版)では開口した石室が載っているけどね、ただ本文は奥壁が残るとなっていてよく分かりません。ここから更に南西斜面裾辺りに2-6号が集中、石室が良好なのは3号くらいで他は大分破壊されています。更に藪の中を進むと7号かな、低い墳丘に石材散乱状態です。更に南に進むとやや開けた場所に13,14号があります。上側は14号で墳丘が良好に残っています。南向きの石室は現墳丘のほぼ中央辺りに開口しているので奥はそれ程残ってないかなと思ったが意外に奥まで残っていました。ただ土砂がかなり流入し中に入ると方向転換が出来そうにないのでカメラを突っ込んで撮影。すぐ下の13号も墳丘がよく残っているが天井石露出内部もかなり埋まっています。石材の一部が黒くなっているが中で何か燃やしたんだろうか。14号上にも破壊された石室らしきものがある。15号側に駐車場有り。

(1991年)
池尻古墳群北方緩斜面の広い範囲に15基分布していますが確認できたのは2基だけ。最も北側にあるのが15号(荒神塚古墳)で荒神社背後に墳丘があり南側に石室が開口,羨道は殆ど無くなっていますが両袖式の玄室が完存,この石室の最大の特徴は奥壁に石棚があることです。奥行き1.5m程で人一人が横たわるには十分の面積があります(と言っても遺体が置かれていたという証拠があるわけではありませんが。かなり分厚くそのせいでしょうか下に石の支柱があります。入室容易。ここから南東墓地の側に11号墳の石室が露出,最初はただの岩塊かと思いましたが近寄ってみると内部に何とか石室構造が残っていました。入室困難。

蓮華寺東古墳(仮称)

岡山県矢掛町 2019年1月訪問

横穴式石室
位置:34°37′23″N 133°34′02″E (日本測地系)
    34.62628754 133.56459474(世界測地系)

南から見るとそこそこ残る墳丘


でも天井石が殆ど露出している


南向きに開口、1月なのに随分葉が茂っている


開口部、玄門袖石が見えている、元々羨道は短かったか


石室内は大分埋まっている、袖石の様子から元々それ程高くなかったような


玄室、落下した天井石


奥から見た玄門、まぐさ石が下がる


石室背後から、玄室後部は殆ど壊失


(見学記)
矢掛町西川面、川面小学校西側の丘陵上に蓮華寺がありその東方尾根筋に立地した古墳です。ただ蓮華寺からははっきりした道がなく行きづらい。東側麓に蓮華寺と書かれた石碑があってそこから登っていく道があります。急な山道を登って尾根にたどり着くと左側50m程、空き地と林の境目辺りにあります。墳丘流失石室完全露出、玄室後部が破壊されて状態はよくありません。玄門は残っていて右片袖式かなと分かる程度です。川沿いの道路に駐車スペースあり。

だん神様裏古墳(仮称)

岡山県矢掛町 2019年1月訪問

横穴式石室、玄室長3.7,幅1.7,高1.5m(現状)
位置:34°35′48″N 133°33′54″E (日本測地系)
    34.59990172 133.56237337(世界測地系)

あると知ってて見れば見える墳丘、知らなければまず気が付きません


南向きに開口、墳丘もそこそこ残る


開口部正面、石室前に生えているのはシュンラン、岡山で古墳巡りしていると時折出会う


やや土砂が流入するが石室良好


一応左側の石が鏡石として意識しているかな


奥から外、まぐさ石が一段下がる


(見学記)
矢掛町浅海、だん神様古墳の南30mの場所にあります。墳丘もよく残っていてよく見れば見えているんですがここも存在を知らなければ気が付きません。間に猪避け柵がありますが丈夫なので却って乗り越えるのは楽です。南向きに開口、無袖式で残存長m程、だん神様の巨石に比べて石材は全般に小型です。ここも対の古墳でしょうが位置からしてだん神様の方が先行しているような気がします。下の県道に駐車スペースあり。

小迫大塚古墳

岡山県矢掛町 1988年4月訪問 96年、19年1月再訪

方墳、L23-27、終末期
横穴式石室、全長10.7m、玄室長6.5,幅2.4,高2.3m
位置:34°35′27″N 133°36′45″E (日本測地系)
    34.59406926 133.60986963(世界測地系)
(19年)
23年ぶりに訪問したら墳丘も周囲も様変わり、画面左上に見えているのが太陽光パネル


西側から、墳丘はほぼ裸になっていた、以前はこちらは林でこのアングルは撮れなかった


北西から、割と斜面なのがわかります


北側背後から、こちらは一段か、遠くに平野部が見えている、平野からも見えていたんだろうな


東側から、88年当時は植林されたばかりでした、まだ切り出すには程遠い


南側正面から、墳丘上の木が伐採


伐採されたのは割と最近のようです


相変わらず迫力のある羨道天井石、ここまで加工する必要があったんでしょうか


玄門袖石とまぐさ石は角柱状


なぜこんな場所にと思わせる大型石室


奥壁は巨石1枚石、詰石は殆どない


奥から外、側壁は基本2段積み


奥から左側、最奥の側壁だけ1枚石


反対側、上下2段の高さが見事に揃っている


(96年)
墳丘横から、丘陵中腹に単独で存在、方墳の形状がよく残っている


南側正面


羨道


切石に近い石材を使った玄室


奥から外、石材の積み方が非常に整っている


(88年)
大きさの割に背の低い墳丘


東側から、2段築成の様子がよくわかる


(見学記)
(19年)
矢掛町南山田、23年ぶりに再訪してみました。古墳自体は変わりありませんが周りの環境が随分違ってきています。墳丘上の樹木は殆伐採され下草も刈られて2段築成の方墳の様子がよく観察できます。30年前東側でスギの植林がされたばかりでしたが大分成長してきてこちらからの眺めは悪くなっている。一番変わったのが西側、林が伐採されて太陽パネルが設置されていました。こちらからの眺めは良くなりましたが雰囲気はよくないですね。登ってくる途中にも大量の太陽パネルが設置されていました。それにしても終末期の巨大方墳がなんでこんな場所に、と感じさせる場所です。太陽パネルがあるが案内表示があるので問題なくたどり着けます。入り口辺りの県道に駐車スペースあり。

(96年)
中山の南側中腹に単独で位置する町内でも珍しい方墳です。墳丘,石室とも良好。山道を登っていくと開けた場所に墳丘と石室入口上の巨石がまづ目に付きます。この石材は今切り出してきたばかりといった感じの角の鋭い石です。中は両袖式の石室ですが玄門部の壁と天井にほぼ同じ幅くらいの石の出っ張りがあってより明瞭に羨道と玄室を区別しています。玄室も巨石で構成され,奥壁も一枚石で壁や天井も平面が揃えられていて全体が非常に整った感じで,他の古墳とは明らかな違いがあります。この地方最後の古墳なんでしょうか。入室容易。町史跡

小林古墳

岡山県矢掛町 2013年4月訪問

横穴式石室、全長8.2m、玄室長5.5,幅2.1,高2m
位置:34°38′23″N 133°35′03″E (日本測地系)
    34.64295203 133.58153737(世界測地系)

尾根先端に構築、墳丘は殆ど流失


開口部正面、石室の状態は良い


開口部から内部、短い羨道、玄門でまぐさ石が一段下がる、右側だけ柱状袖石


良好に残る長い玄室、側壁若干持ち送り


長三角形の見事な奥壁、殆どこれが見たいが為に来たようなものだ、左側は小型石材を詰めて奥壁となっているが右側は側壁が湾曲してそのまま鏡石に接続している


奥から外、僅かな幅の両袖式


〃(縦位置)


見学記
矢掛町小林、井出の手古墳群の川を挟んだ西側尾根上にある古墳です。道はないけどHP「古墳奮闘」で魅力的な三角形の奥壁を見ると行かざるを得ないよね。痕跡道もなく取り敢えず急斜面を登っていく。尾根先端平坦面にあるそうだが尾根上は見通しが悪くコースによってはうっかり通り過ぎる可能性もあるから注意、私の場合も通り過ぎかけて脇に石材が見えたのでそちらに行ってみたらそれが石室でした。墳丘は殆ど流失して天井石が露出、石室は完存で無袖式のようですが羨道天井石が少し低くなり玄室はやや胴張りです。目的の三角形の奥壁は見事の一言、三角形ですから側壁とは隙間が出来るわけですが左は普通に小石を詰めていますが右側は側壁を微妙に曲げて奥壁の右辺に合わせています。両側ともそうすれば更に見事だったろうになんで片側だけなんでしょうね。これを見ただけでも来たかいがありました。こうやって書くと簡単に見つけたようですが実は尾根を間違えて南側の尾根に登っているんですよね、それもご丁寧にコースを変えて2度も(汗)。古墳のある尾根より更に急斜面と言うより殆ど崖で普通なら登らないけどかまどねこさんならこんなとこも登るだろうと思ってつい登ってしまった。私だけでなくやはり間違えたのが二人いるそうだ。これから行く人はしっかり確認してから登りましょう。ちなみに読みは”おばやし”です。
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