山部大塚古墳

広島県安芸高田市(旧吉田町)1998年4月訪問

円墳、R8-10,H2.5-8、7C
T字型横穴式石室、全長5.9m,玄室長1.9,幅3.4,高2m
位置:34°41′11″N 132°42′43″E (日本測地系)
   34.68960079 132.7093978(世界測地系)

墳丘、山奥、尾根をやや下った斜面に立地


羨道、先端天井はかなり壊失、入り口前はかなり急斜面になっている


玄室、中央下部の石が一番大きく奥壁らしい、中央の天井が一段高い中高式


右側側壁、ここだけ見ると奥壁部分とも見える


左側壁


羨道側壁、左側壁、玄室部の奥行きはあまりない


奥から外、羨道先端はかなり埋まっている


(見学記)
毛利元就で有名な郡山城の北方約1.8kmの丘陵南側山腹に孤立して存在する径13mの円墳です。県道6号から北に行く県道326号を北に1.7km行くと大きく西にカーブした辺りの左側に簡単な案内板が出ています(こんなもので分かれば苦労しないって。ここから田圃の中の砂利道を東に行くと谷に入る道があり(通せんぼされていますが気にせずに)その先に中国電力の作業道に表示柱がありそこに書かれた甲田支線No17方向に100m程行くと案内板がありそこから約600mの山道です。ここまで来れば後は一本道ですから迷うことはありません(オーコへの道より楽,これからは困難な山道をこう表現しよう)。古墳はやや幅広い谷状地形の西に突き出た尾根上に立地,斜面をカットして墳丘を作り出しています。墳丘脇に説明板が立っていますが,これはここまでたどり着けた人だけが読めるというご褒美のようなものですね。南向きに全長5.9mの横穴石室が開口,T字型の石室(「探訪・広島の古墳」では平入りの玄室と書かれている)で玄室は奥行き1.9m幅3.4m高2mの大きさで,石室下部にやや大きな割石を使いその上に小型の石を積み上げています。奥壁下部の3枚の石の内中央が他より大きくここが奥だと意識しているようです。天井石は3枚,中央の一枚が左右の石の上に積み重ねられていて中央が一段高くなっていますがこのような構造は鳥取市周辺によく見られます。あちらから工人が出張して来たんでしょうか。場所といい,石室構造といい大変特異な古墳です。県史跡。

後原1号

広島県安芸高田市(旧高宮町)1998年4月訪問

円墳、R11,H2.5
横穴式石室、全長6.3m,玄室幅1.33,高1.6m
位置:34°46′28″N 132°41′29″E (日本測地系)
   34.7776474 132.68884261(世界測地系)

墳丘、石室正面、羨道天井部は破壊


羨道、玄室に対してやや捻れてついている


玄室


奥から外、無袖式?


(見学記)
町役場西方6.5km後原地区を南北に走る広域農道脇に案内板があります(ここから20mと書かれているがすぐ上に墳丘が見えている)。丘陵北側麓近くに立地径11mの小型円墳で南側に石室が開口,全長6.3m無袖式で中央部の幅が広い胴張りの玄室,奥壁以外は小型の割石を使用しています。入り口に立って奥を見ると素人目にもはっきり分かるほど玄室と羨道が捻れています。入り口部分の地形に余裕が無いわけで無し,何故こんな構造にしたんでしょうか。儀式の場所を北側の平野から望めるようにしたんでしょうかね。町史跡。

塚ヶ鼻古墳(塚ヶ鼻1号)

広島県安芸高田市(旧吉田町)1998年4月訪問

円墳、R15、7C
横穴式石室、全長7m以上
位置:34°40′57″N 132°40′36″E (日本測地系)
   34.6857116 132.6741242(世界測地系)
石室開口部、墳丘はすっかり削平


石室、切石に近い石を使用


玄室


奥から外、両袖式、中央の天井石が盗掘で落下している


2号?
近くに開口している石室、5基からなる古墳群


(見学記)
千川古墳東方1km市場地区にある5基からなる古墳群です。斜面に広がる田圃の上方に墓地がありその周辺に立地しています。最大の1号墳は墓地東側の杉林の中にあり墳丘ははっきりしませんが田圃との段差部分に東向きに石室が開口,天井石が1枚抜けてぽっかり穴があいているので落ちないように注意しましょう。石室は現存長8m奥壁は1枚で側壁もやや大型の切石に近い割石を使用,両袖式ですが袖幅は僅かです。石室に入るには田圃側から近づく必要があり水が張られていない季節でないと困難です。墓地南側にも南向きに石室が開口,半ば埋まっていますが玄室部分が残存,他の3基はそれらしいのはありましたが余りはっきりしません。

戸島大塚古墳

広島県安芸高田市(旧向原町)1998年4月訪問

方墳、L18,H3-5、6C末~7C初
横穴式石室、全長10.7m,玄室幅1.85,高2.3m
位置:34°38′21″N 132°44′24″E (日本測地系)
   34.64238593 132.73744991(世界測地系)

墳丘、石室正面、県内では珍しい横穴石室を持つ方墳


羨道右側から、かなり破壊されているが画面左端まで伸びている


羨道、袖石とまぐさ石をコの字に組んだ玄門


玄室、側壁もほぼ直立している


奥から外、両袖式


(見学記)
前記町道を更に南に行くと向原町には行って約200m墓地の所に案内板がありそこから林道を400m登って行くと大きな説明板が立っていてそこから墳丘が見えています。「探訪・広島の古墳」の写真では林の中になっていますが現在は伐採され裸の状態です。一辺18mの方墳で南向きに全長10.7mの横穴石室が開口,ここも羨道玄室はほぼ同幅で途中に袖石を立てまぐさ石をのせた両袖式,玄室も長6.1m幅1.8mと細長い玄室です。切石に近い割石を使用,奥壁も複数で壁も下ほど大きく上ほど小型になっています。天井部に出来た隙間に斜めに石を突っ込んでいるのがちょっと滑稽。説明板によればこの周辺は300基からなる大古墳群だそうです。県史跡。

千間塚古墳

広島県安芸高田市(旧向原町)1998年4月訪問

画像無し

(見学記)

役場東1.5km南に開く谷の東側丘陵麓近くにある古墳ですが分からず。「探訪・広島の古墳」の地図の位置(町道を600m),と本文説明(町道を1km)が違っているし。やむなく地元に人に聞いてみたがその人が最後に一言
「わかるかなー」
「俺っちベテランでい」
と,これは私の心の中。でもでもやはり分からなかった。「探訪・広島の古墳」の写真では奥壁部分のみ残存露出,それほど藪でも深い林でもないようだし,簡単に分かると思ったんだが,ただ千間塚と水間千間塚があるようでどちらかが混同しているのかもしれない。「日本の古代遺跡(広島)」の表紙を飾っている環状提瓶が出土した古墳なんだけど。

千川古墳(千川1号)

広島県安芸高田市(旧吉田町)1998年4月訪問

円墳、R17,H1-5、7C
横穴式石室、全長8m,玄室幅3.8,高2.2m
位置:34°41′00″N 132°39′57″E (日本測地系)
   34.68654454 132.66329179(世界測地系)

墳丘、石室正面


羨道、片側に袖石を立てた玄門


玄室、天井中央部が高く縦方向のドーム状


奥から外、右片袖式


(見学記)
吉田町中心部から県道6号を西に約2km程行くと送電線と交差する辺りの道路脇に説明板がありそのすぐ上に墳丘が見えています。斜面を削って墳丘を構築,径17mの円墳で南向きに石室が開口全長8mの右片袖式,袖部に板状の立石が使われ羨道にも少し突き出ています。奥壁側壁とも下部に大型の割石を使い上に行くほど小型の石が使用され天井石は4枚で中央部が高く奥や玄門辺りが低くなる縦方向のドーム状,この構造はこの付近の他の古墳でもしばしば見られます。

尾首8号

広島県安芸高田市(旧甲田町)1998年4月訪問

円墳、R15,H2-4
横穴式石室、全長8m,玄室長4.5,幅1.8,高1.8m
位置:34°38′32″N 132°44′33″E (日本測地系)
   34.6454411 132.73994964(世界測地系)

羨道、片側の袖石とまぐさ石で玄室と区別


玄室、石棺でもあったのか大きな石が転がっている


奥から外


(見学記)
芸備線南側,向原町との境近くの丘陵西側斜面にある径15mの円墳です。麓を走る町道脇にある荒神社から山の方に約500m登って行くと左(北側)藪の中に石室が開口,よく注意しないと見のがします(私の経験)。南向きで全長8m,羨道玄室幅はほぼ同じだが玄門に立石があり上にもまぐさ石が乗った右片袖式,天井石はやや大型だが奥壁も複数の石で全体に中小型の割石が使用されています。床面にも石が散乱していて何らかの施設があったのかもしれない。8号墳というからには他にも古墳があるはずだが全く分からず。

是光1号

広島県安芸高田市(旧美土里町)1998年4月訪問

円墳、R10,H2.8
横穴式石室、全長4.33m,玄室幅2.2m
位置:34°45′36″N 132°36′50″E (日本測地系)
   34.7632039 132.61134998(世界測地系)

墳丘、石室正面、丘陵麓近くの平坦面に立地


玄室、奥壁左下の石に注意


左側壁の奥に小副室がある


副室、0.6×0.9m程の大きさ


奥から外、無袖式


(見学記)
生田川沿いを走るR433を西に行くと生田川と桑田川合流地点を見下ろす丘陵の北側麓近くの平坦面に立地,国道脇の幼稚園から古墳と説明板が見えています。墳丘石室とも良好径10mの円墳で北向きに石室が開口,全長4.33mの無袖式,切石に近い割石が使用されています。この石室の最大の特徴は入り口から見て左側壁最奥下部に小型の副室(60×90cm)が設けられていることで,この側壁と玄室奥壁下部の石が1個の石からなっていますから最初から構築されたようですが,用途は不明です。町史跡。

金広山古墳群

広島県安芸高田市(旧吉田町)1998年4月訪問

谷入り口の尾根斜面に14基密集
(番号は仮称)

1号
横穴式石室
位置:34°38′57″N 132°39′13″E (日本測地系)
   34.65238305 132.65107057(世界測地系)
墳丘


石室開口部


玄室、かなり小さい


奥から外、両袖式


2号
墳丘、まわりにも幾つも墳丘が密集


石室開口部


玄室、中央部が高くなるドーム状天井


奥から外、左片袖式、右側壁にも袖石が立つ


(見学記)
中馬古墳群の丘を越えた南西800m東向きの谷の出口北側丘陵先端に位置する12基からなる古墳群で10基程確認できました。墳丘の残りも比較的よく,内2基で小型の横穴石室が開口しています。共に左片袖式で袖に石を立て縦方向のドーム状とこの地方によくある構造をしています。

土師大迫古墳

広島県安芸高田市(旧八千代町)1998年4月訪問

円墳、R12,H3、6C後半
横穴式石室、全長5.56m,玄室幅1.58,高1.54m
位置:34°39′23″N 132°36′27″E (日本測地系)
   34.65960364 132.60496414(世界測地系)

復元された墳丘、石室が露出していたが埋め戻された内部が赤色顔料で塗られていた


(見学記)
土師ダム東側湖岸にある径12mの円墳で現存長5.56mの横穴石室を持っています。石室全面に赤色顔料による彩色が施されていますが現在は埋め戻され墳丘が復元されています。湖岸を巡る道路の1段下にあって「探訪・広島の古墳」の写真では道路から見えていますが現在は木が茂っていて案内板もなく分かりにくい。石室が埋め戻されているのは分かっていたがやはり見に行くもんね。県史跡。
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