田川内古墳(田川内1号)

熊本県八代市 2015年3月訪問

円墳
肥後型石室、玄室長2.4,幅2.3,高1.96m
線刻円文、2重円文多数
位置:32°23′20″N 130°35′22″E

丘陵麓近くに立地、細長い墳丘は殆ど保存の為の盛り土


入り口閉鎖、下の家で鍵を借りられる、留守のこともあるので運次第


中に入ると羨道ではなく単なる通路、画面右下に見えているのが3号(所在不明)から出土した石材、線刻円文(画面左下)があるが円がやや歪、その奥の石材は全く不明


奥の扉を開けると短い羨道、左右上とも板石で構成され通路状になっている


玄室前に2重Uの字状繰り込みが入った石障、2重円文があり赤い顔料も残っている


石屋形を備えた玄室、こちらも赤い顔料が残る


平石を持ち送りにし最上部は更に繰り出してドーム状にしている


石屋形、左右に板石で区画した屍床、円文があるのだがストロボで撮ると殆ど分からない


右側屍床


左側屍床、石材が傾いている


奥から外、石障は巨大な1枚石


石障右側


懐中電灯の光で撮った2重円文


石障左側、こちらも2重円文があるのだが


右側壁、原画だと2重円文が何とか分かるのですが


石屋形下方、手前の石材も浅い繰り込みがある


石屋形右側、複雑に組み合わせた石材


〃左側、左側壁は剥落が著しい


2重円文の数々、どれも真円ではありません


見学記
日奈久新田町、国道3号から踏切を渡ってすぐに公民館がありそこに案内表示があります。向かい側の民家で鍵が借りられます。天満宮の前に細長い墳丘があり長い石室があるんだなと思いましたが扉を開けて見るとそこはほとんど通路でした。でも石室前は普通に石室の開口部みたいな石材だしこれはなんだろ。通路の奥にもう一つの扉があリその奥に本物の石室があります。板石で通路状に造られた玄門、そこに凹状の平石石があり二重円文が浮き彫り、その先の玄室が肥後型石室です。奥に石屋形、左右には板石で区画された石障、石室上部は小口積み持ち送りですがそれ程背は高くありません。壁面や石屋形には赤い顔料が残っていて今でも十分赤く見えます。石屋形や石障などいたる所に二重円文がありますがそれ以外はないというのも不思議です。通路には板石がありますが2号や3号の石材だそうで一つで円文線刻が見えています。石室自体は小型ですが見応えあり、もう2度と来ないだろうと思うと撮り忘れがないかとつい後ろ髪を引かれてしまいます。初め来た時は家の方が留守、他の古墳を廻ってもう一度来たら帰っていました、粘り勝ちだな。読みは”たのかわち”です。公民館に駐車可。県史跡。

竹之内古墳

熊本県八代市 2015年3月訪問

鬼の岩屋式石室
位置:32°26′02″N 130°35′13″E

荒れた竹林の中に石室露出、状態悪い、標柱のおかげでなんとかわかった


傾いた巨石、天井石それとも側壁


殆ど埋まった側壁


こちらは1枚石ではなさそう


見学記
神社脇の谷筋を登って行くと一番奥の民家裏にありますが一旦そこを通り過ぎ竹林の中に入る小道があるのでそこを通って引き返します。白い標柱が目印です。かなり破壊された鬼の岩屋式石室が露出、内部は埋没、斜めに傾いているのは天井石でしょうか。側壁材も片側が何とか残っています。市史跡。

竹内神社石棺

熊本県八代市 2015年3月訪問

石棺底石
位置:32°26′02″N 130°35′10″E

神社本殿左側に石棺石材が立てられている、直接には行けませんが後方に竹之内古墳がある


側板を嵌めこむ溝が彫られている、文字は彫られていないようだ


背後、短い脚があるようにも見えます、石棺底石でしょうか


見学記
日奈久竹之内町、神社本殿脇に石棺石材が1枚立てられています。平石で片側には石材を嵌めこむ溝が掘られているので底石でしょうか。前に踏切がありますが軽自動車でも通れそうにもありません。線路向こうは他にも道がなさそう。国道脇に空き地があったのでそこに車を止めて見学。

長迫古墳

熊本県八代市 2015年3月訪問

古墳消滅、石棺石材一部残存
位置:32°26′29″N 130°35′21″E

日奈久阿蘇神社境内に石棺石材残存


鳥居足元に何の説明もなく無造作に置かれている


円文があるそうですが消滅しているそうだ、手前には矢穴があって割られているようだ


見学記
比奈区大坪町、国道3号沿いに比奈区阿蘇神社があり正面鳥居足元に石棺石材が放置されています。説明などは一切なく石棺とも分からない状態で国道脇で序でなので寄ってみましたが少し離れていたらまず寄らなかっただろうな。円文があるそうですがもう見えなくなっているようです。古墳自体は消滅、他にも石材が保存されているようだ。駐車場あり。

温之浦古墳群

鹿児島県長島町 2015年3月訪問

5基、現存3基、積石塚横穴式石室
位置:32°11′34″N 130°06′50″E

全景:手前1号、奥2号、右奥3号


1号
小さな湾に面する丘陵斜面に立地、開口部は湾の方に向いている


積石塚で状態は良い、背後に専用駐車場、ここまでの道路は大変狭い


開口部正面、羨道は天井を失うもよく残る


玄門、正面の石は閉塞石でしょうか


玄室は奥行きがあまりない


縦位置、大きな鏡石、上に薄く割った平石を重ねる


右側壁、下部は巨石


左側壁も同様


奥から外、両袖式でまぐさ石がある、袖石は板石で左右の幅が大きく異る


左袖石、薄い板石なのが分かる


2号
背後上方から見た積石塚、天井部は復元だそうだ


1号と反対側に開口している


羨道も割と残る、玄門は柱状袖石を立てる


左側は玄門からやや離れて立柱石が埋め込まれている


右側は玄門と立柱石の間に隙間がない


玄室は基部に巨石、上部に平石を積み上げたドーム状


〃縦位置、どこまでが復元なんでしょうね


左側壁


右側壁、1号より大分洗練されてきています


奥から外、両袖式で幅はほぼ同じ、板石を使ったまぐさ石もある


3号
上方から見た様子、上部は破壊され復元だそうです


結構斜面に立地しているのが分かる、開口部は2号の方を向いている


石室正面、羨道は下部が残る


玄門に閉塞石、1号と似ている


巨石の腰石、上部は平石積み


〃縦位置、これもどこまで復元か


ドーム状の天井


幅広の袖石を使った両袖式、1号に比べて板石が厚そう


奥から見た側壁、板石が厚い


反対側、大きな平石があって構造がだいぶ違う


(おまけ)
その1
敷地内にある古墳もどき、移築でも復元でもありません


奥壁を重ねているようなあり得ないパターン


もう機械で切っているような石材


反対側側壁もあり得ない重ね方


その2
もう1基、見かけは古墳らしく作られているんですけどね


前のよりは少しはマシ、でも奥壁も側壁もいかにも機械で切っている


天井は一応ドーム状


見学記
小さな湾に面した南向き斜面に立地した古墳群で現存3基でどれも積石塚、4,5号は史跡指定前に破壊されたそうです。1号は南南西に開口、羨道天井は殆ど失っているが全体に良好、玄門前に平石が立っていますが閉塞石でしょうか、まぐさ石も平石が立っています。玄室は平石袖石を立てた両袖式ですが左右の大きさが極端に違い3倍位の差があります。奥壁は巨石1枚石(多分薄い)を据え上部に平石を重ねて持ち送り状に少しずつ突き出して天井を支えています。側壁は左右とも巨石を据え上はやはり平石を重ねるがそれ程持ち送りはない。全体になんともチグハグな印象を受けます。言うなれば横穴石室が流行っているので自分たちで見よう見まねで作ってみた、と言った感じでしょうか。2号は西北西向き、こちらも羨道天井は失っていますが他は良好、柱状石を立てた両袖式ですが右側壁壁面に柱状石が埋め込まれ左側壁には少し離れてより細い柱状石が埋め込まれています、複室の可能性もあるのかな。玄室は奥壁側壁とも基部に大型石材を据え上部は小型石材小口積み、やや持ち送りがあるがそれ程高くはなく天井部も広くドーム状と言う程ではありません。3号は南東に開口、明らかに2号の方を向いていています。こちらも羨道天井を失った石室、玄門前には閉塞石の板石が残っています。やはり板石を使った袖幅の広い両袖式、2号と同様の石室構造ですがより洗練されてきているような。やはり1,2,3号の順に構築されたんでしょうね。専用駐車場あり、でもここまでの道は細く行きづらい。町史跡。ちなみに読みは”ぬくのうら”です。
(追記)HP大和國古墳墓取調室によると2号は天井部破壊されていて推定復元、3号も上部が破壊されていたので復元だそうです。

指江古墳群から国道を更に北上すると道の駅長島の向かい側に歴史民俗資料館があります。ここに古墳があるということなので行ってみました。確かに2基あるけど撮っている内に違和感ムンムン、石材に統一感がないし、それなら補修ということも考えられるけど構造もどうもおかしい。名前も説明板もないので館の方に聞いてみたらあれは移築でも特定の古墳をモデルにしたのでもなくある建築業者が古墳を破壊したので懲罰的に造らせたものだとか。なんとはた迷惑。この後訪問した温之浦古墳群で2基が業者によって勝手に破壊されたそうなのでひょっとしたらその代わりかもしれません。せめて石室図や写真でもあったらもう少しまともな復元が出来たかもしれないけど記録が全く残っていなかったのでしょうか。でもここにはこの後行く明神下岡遺跡28号の石棺が移築されています。また「ふるさとの文化財」200円を購入できます。駐車場あり、でも館への入り口がちょっと分かりにくい。

浜漉横穴墓

鹿児島県長島町 2015年3月訪問

1基のみ
位置:32°11′52″N 130°07′29″E

県内で2ヶ所しかないという横穴、海岸近くに立地


左右にまだ余裕があるのにこれ1基のみ


額縁型の開口部


内部は特に複雑な構造はなさそう、鏨の削り跡が残っている


見学記
平尾、ここも場所がピンポイントでは分からなかったけど鹿児島県唯一の横穴墓ということなので探してみました。公民館の近くということだが事前に公民館が分からずとりあえず現地に行ってみたら公民館はすぐ分かりました。その北側に神社がありその西方に説明板が立っていて何とか分かりました。結局海岸堤防沿いの道をくればすぐ見つけることが出来たかな。横穴といえば普通多数ありますがここは単独で存在、しかも海岸近くにあるというのも珍しいかな。説明板を見ると県内には志布志町に六月板横穴墓というのがあるそうです。残念ながら少し高い場所にあるので内部を除くことも出来ません。出土遺物は全く知られていないそうで後世の可能性もなくはないでしょうが額縁状の入り口はやはり古墳時代のものでしょうね。しかし両側に幾らでも横穴を掘れるスペースがあるのに1基で終わったのは集団そのものがいなくなったんでしょうか。前に駐車可。町史跡。

明神下岡遺跡

鹿児島県長島町 2015年3月訪問

1C~6Cの埋葬遺跡群、確認30基
位置:32°10′29″N 130°06′03″E

道路脇に説明板、この道路も遺跡の一部破壊


林の中に埋葬施設密集、標柱が倒れたり無くなったりしているのも多い


1号
6Cの須恵器が出土、群中では新しい


巨大な蓋石だがこれ1枚では長さが足りないかな


左右小口部は1枚石のようだ、奥と手前の側壁は構造が違うような


右は板石で左は小口積み、竪穴と箱式石棺を合わせたような構造


6or8号
蓋石が割られている


四角い石組みがあるようだ


11号
蓋石の下に石囲いが見えている


大きな蓋石、2枚あるが割られているかも


15号
細長い小型石室


16号
これも小型石室


17号
割られた蓋石と石囲いが見えている


標柱は多分動かされている


21号
林に入るとすぐ目にする大きな箱式石棺


こちら側の小口部は大きな隙間


反対側の小口部は壊失


石棺内部、天井石や側壁は1枚石、奥の小口部は小型石材を組み合わせている


28号
歴史資料館内に移築


大きな箱式石棺


蓋石はかなりの巨石


見学記
明神古墳群のすぐ上にありこちらも案内表示があります。林の中に入るとすぐ目に入るのが21号、石棺か石棺式石室か。狭い範囲に古墳が密集していますが良好なのはこの21号くらい、石材が散乱して石室かどうか分かりにくいのも多く標柱も立っていますが倒れて移動しているのも多い。26号からは1Cの土器、1号からは6Cの須恵器が出土し地下式板石積み石室の祖形と考えられるそうです。500年くらいにわたって営まれた墓地のようで4,50基あるそうですがそれにしても何でこんな狭い範囲にと思わずにはいられません。

明神古墳群

鹿児島県長島町 2015年3月訪問

砂礫帯上に約30基、積石塚
1号:竪穴、2-5号:横穴系竪穴、6号横穴式石室
位置:32°10′27″N 130°06′04″E

古墳群入り口、標柱と説明板


1号
石室正面、手前の石は天井石でしょうか、積石塚ですが周りの様子から天井は初めから露出していたような


天井石2枚残存


斜め後方から


石室一端に小さな仕切り石、幅も少し広くなる


石室内部


反対側、特に変わりなし


2号
手前2号、奥に3号


中央部にくびれがあり2室あるようだ


反対側から


主室、奥がやや広くなる


副室側、間にあるのは敷石でなく倒れた閉塞石でしょうか


石室真上から


3号
手前3号、奥に4号


石室内部にはっきりした仕切り石


斜め前から


天井石は2枚残存


石室真上から、くびれは無くほぼ長方形


4号
細長い石室、天井石1枚残存


中間に仕切り石と言うより閉塞石になっている


石室上横から


副室側から


小さな副室、閉塞石が2重になっているような


閉塞石の前に敷石


手前の側壁は通路状になっている


5号
細長い石室、右側壁はほぼ真っすぐだが左は曲がっている


斜め前から、天井石2枚残存


上と反対側から


斜め後方から


天井石の間に閉塞石、天井より高くここの天井石はどう架けていたんだろ


閉塞石の手前にも小さな仕切り石


仕切り石、左側にも他とは違う石がある


仕切り部分から主室側


6号
これは横穴石室だそうですが入り口はあったんだろうか


奥に玄門と閉塞石


ここが玄室なんでしょうけど手前側より狭い


斜め後方から


板石を使った玄門、左右の幅が異なる


?号
標柱がなく番号不明


露出した側壁、元々ここに積石はあったのかな


指江古墳群でよく見られた井戸状の石室


1-6号とは全く違う


見学記
白金古墳と小浜崎古墳の中間辺りから海岸に降りていく道があり案内板も立っています。指江古墳群と同様砂礫帯に立地する積石塚群で規模は大分小さく30基程ですが竪穴系や横穴系などここも興味深い石室が多く見られます。良好に見られるのは1-6号ですが微妙に構造が変遷していく様子も見られます。側に駐車スペースあり。県史跡。
プロフィール

平家蟹

Author:平家蟹
古墳のお部屋
ブログ館

へようこそ。

基本的には

と同じ内容です。

ブログ内検索
市町村名、古墳名などを入力して検索してください
最新記事
FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

更新通知登録ボタン

更新通知で新しい記事をいち早くお届けします

各県市町村別
最新コメント
リンク
QRコード
QR