稲荷霊園古墳群

岡山県岡山市北区 2015年4月訪問

最上稲荷遠望:南東大平山からの眺め

稲荷霊園古墳群は稲荷霊園の中にある

(番号は「古墳奮闘」に従う)

その1
横穴式石室、全長8.3m、玄室長4.8,幅1.7,高2.2m(現状)
位置:34°42′22″N 133°49′57″E
造成地段差に開口とよくあるパターン


天井を失うが割と残る羨道、右側が押されて崩壊間近


良好に残る玄室、側壁は僅かに持ち送り


〃縦位置、ストロボ無し


奥壁は巨石1枚+平石、手前の白いのはひょっとして骨壷?


奥から外、ストロボ無し、柱状袖石を立てた左片袖式


〃縦位置、天井に金属棒があって幕で張っていた可能性がありそう


墳丘は割と残っていたようです


その2
横穴式石室、玄室長4.5,幅1.7,高2.1m(現状)
やはり段差部分に開口


左右に柱状の石があるのでこれが袖石だろうな


良好に残る玄室、その1に比べると石材小型で壁面もやや粗い


〃縦位置、ここもやや持ち送り


ちょっと変わった奥壁、小型の鏡石を2個左右に並べ上に石材を積む、中間に平石があるのが特徴的


奥から外、左片袖式、ストロボ無し


ストロボオン、古代の墓から現代の墓への眺め


その3
横穴式石室、玄室長5,幅1.2,高1.6m
開口部、羨道はほぼ壊失のようだ、他は南向きだがここだけ東向き


長い玄室が残るも全体が左側に歪んでいる


奥壁は四角い鏡石を据え右と上に平石を重ねる、右側壁が迫り出して奥壁を一部隠している


奥から外、無袖式かな


一部崩壊した側壁、「古墳奮闘」では崩れてないからここ数年の内のようだ


その4
横穴式石室、玄室長4,幅1.7,高1.8m
園内道路脇にハッキリとした墳丘


やはり段差部分に開口


開口部、奥の天井が一段下がっているのがまぐさ石かな


開口部から玄室内部


玄室、奥壁がなんか変


〃縦位置


奥壁前に土壇があるようです


奥から外、ここも柱状袖石を立てた左片袖式、何故か羨道床面が掘られている


その5
横穴式石室
知らないと見過ごしそうな場所


石室入り口には蓋


内部は意外と良好、その1と同様の奥壁のようだ、奥壁前に土壇、かっては人が出入りしていたんでしょうね


おまけ
石室前に咲いていたシュンラン


見学記
7基からなる古墳群で5基が霊園の中に現存しています。一番下のその5以外はどれも段差部分に開口していて見学容易です。大きな霊園でよく5基も保存してくれたなというのが正直な感想。一番上西側にあるのがその4、羨道玄室ともよく残っいます。袖石を立てた左片袖式、奥壁沿いに石と土で造られた土壇がありますが後世に何らかの宗教的利用があったんでしょうね。すぐ東側にあるのがその3、細長い石室で無袖式でしょうか、全般に小型の石材、全体がやや下方に傾いてきていて側壁の一部が崩壊しています。「古墳奮闘」を見ると側壁は崩れてないからここ数年の内でしょうか。ここの最大の特徴は東向き等高線に平行に開口していること、この日見た周辺の古墳群は殆ど全て斜面下方南寄りに開口していてここが殆ど唯一例外です。どんな理由があったんでしょうね、余程隣のその1と中が悪かったとか(笑)。石室前にシュンランが咲いていた。墓地の中で咲くわけないから開発前の環境が残っているんでしょうね。早春の岡山で古墳巡りをしていると時々見かけます。下の段の西側に開口しているのがその4、上の段に墳丘の頭が少し残っています。羨道前部は壊失していますが後部や玄室は完存、袖石を立てた左片袖式、奥壁は巨石鏡石+平石、周辺の古墳群の中では一番大型の石室です。東側にあるのがその2、羨道は完全に壊失していますが玄室完存、ここも左片袖式ですが袖石はやは短い。奥壁は変形五角形の石を左右に並べ上に小石を重ねその上に平石更に上に小石と変わった構造です。一番下のその5は石で塞がれていて分かりにくい。隙間からカメラを突っ込んで撮影してみると石室は割と良好に残っているようです。最上稲荷周辺の古墳群でここは唯一藪こぎしないですむ場所です。(古墳番号は古墳奮闘に従う)
[ 2016年11月24日 19:10 ] カテゴリ:岡山市北区 | TB(-) | CM(0)

慕田谷奥北古墳群(仮称)

岡山県岡山市北区 2015年4月訪問

最上稲荷遠望:南東大平山からの眺め、慕田谷奥北古墳群は稲荷霊園北側にある


4基

1号
横穴式石室、玄室長4.5,幅1.7,高1.5m(現状)
位置:34°42′27″N 133°49′55″E
小川沿いの斜面に立地、墳丘は割とよく残る、開口部左側


石室正面、羨道壊失


こんな場所でこれだけ開いていれば十分


石室も良好


奥壁は右に鏡石、少しずつ石材を小型にして構成


奥から外、最前面の石は傾いている、右に小さな袖石があるようだ


2号
横穴式石室、玄室長5,幅1,高1m(現状)
1号東側上方に位置する、前面に石材散乱、羨道かな


墳丘上部が盗掘で凹んでいる


開口部、楽に入れるけど


すぐ奥は埋まっている、天井石が一段下がっているのでここが玄門のようだ


後方の天井石が1枚抜かれて開口


側壁と同じく小型石材を積んだ奥壁


奥から外、左側がかなり孕んできている、これでよく崩壊しないもんだ


3号
1号南側、割と良好のように見えます


石室正面


残念、中は埋没


巨石天井石露出


4号
盗掘で窪み石材が散乱する程度


見学記
慕田谷奥古墳群北東にある4基からなる古墳群です。霊園最奥から林の中に入ると小川が流れていてそれに沿って登っていく痕跡道があります。小川を渡る辺りの正面に3,4号、更に小川沿いの上方に1,2号があります。1-3号はどれも小型の石室だが比較的墳丘が残る、1号は石室も良好、2号は入口近くが埋まっていますが奥の天井部が開口していて中に入れます。3号は内部殆ど埋没、4号は石材が僅かに露出する程度です。
[ 2016年11月17日 19:22 ] カテゴリ:岡山市北区 | TB(-) | CM(0)

慕田谷奥古墳群

岡山県岡山市北区 2015年4月訪問

最上稲荷遠望:南東大平山からの眺め、慕田谷奥古墳群は稲荷霊園北側にある


4基

1号
横穴式石室、幅1.3,高1.3m
位置:34°42′26″N 133°49′53″E
左1号、右奥2号


石室は大きく崩壊


奥の天井に隙間がある


小型だが三角形の鏡石らしい奥壁


2号
横穴式石室、玄室長4,幅1.4,高1.7m
石室正面


重量感のある天井石


小型ながら奥壁は1枚石、側壁も上部に積み重ねがない


奥から外、側壁が傾きつつある


3号
横穴式石室、玄室長5,幅1.7,高1.3m
位置:34°42′26″N133°49′53″E
道路したから開口部が見えている、一番最初に見つかるのがこれ


石室正面、羨道はかなり壊失


玄室はよく残る


土砂が流入して奥壁の一部が隠れる、側壁と同じく小型石材を積んでいるようだ


奥から外、全体が左(下方側)に傾いているようだ


4号
かなり破壊された石室、正面は天井石、右は側壁のようだ



見学記
最上稲荷の西側に稲荷霊園がありその一番奥の林の中にある4基からなる古墳群です。一番東側の3号が霊園から見えています。その左手から登る階段があり登った所にあるのが1,2号、1号は天井が落下奥壁が見えていますが小型の石室。2号は奥壁1枚石、天井石がかなりの巨石です、全般に大型石材で構成。1,2号はかなり接近していて墳丘が重なっていると思われ峠古墳群1号を思わせます。3号は細長い石室が残っていますが奥壁側壁とも小型石材で構成が2号と大分違います。西側にある4号は天井石がひっくり返り状態はよくない。
[ 2016年11月17日 19:21 ] カテゴリ:岡山市北区 | TB(-) | CM(0)

慕田谷古墳群(仮称)

岡山県岡山市北区 2015年4月訪問

最上稲荷遠望:南東大平山からの眺め、慕田谷古墳群は稲荷霊園西側にある


1号
横穴式石室、玄室長4,幅1.3,高1.4m(現状)
位置:34°42′22″N 133°49′51″E
斜面変換点辺りに構築、石室前部は破壊されているようだ


開口部正面


石室は比較的良好に残る


奥壁は2段積み、下がやや埋まるが上の石の方が大きいかも、右側壁が奥壁の一部を隠している


奥から外、無袖かな


3号
2号が見つけられず代わりに見つけた3号、大きく盗掘され巨石石材が僅かに残るのみ


後方上から


見学記
霊園中程の西側林の中にある古墳群です。まず適当に突入して石室を見つけた、道路の関係から1号と思ったがもこの時点では1号か2号か分からず、前部は盗掘で破壊されているようですが後部はよく残っています。この部分だけでも他の慕田谷*(ワイルドカードw)古墳群の石室より大きいかな。奥壁は下部が埋まっていますが2段積みのようです。これが1号なら南側に2号があるはずだが見つからず。ならばと北側を探して墳丘がありました。盗掘で大きく窪み大型石材が2個露出している程度ですが古墳だと思われます。これで最初のが2号、後のが1号と思ったが帰ってから古墳奮闘を見てみたら違っていた(汗)。かまどねこさんが見落としたのを見つけたから良しとしよう(笑)。
[ 2016年11月17日 19:20 ] カテゴリ:岡山市北区 | TB(-) | CM(0)

馬場古墳群

福岡県広川町 2015年3月訪問

6基あるらしい、石室完存3基

2号
複室横穴式石室
位置:33°14′30″N 130°35′23″E
丘陵裾に立地


横から見ると墳丘良好


石室正面、羨道壊失でこれは前室入り口


前室、入り口が上部に向かって狭くなる、袖石や左右の側壁石積みが対称を意識しているような


前室も背が高い、袖石上部の石材は側壁に食い込んでいる


前室天井、明るいのでストロボ無しで撮影


巨石1枚石の奥壁を持つ玄室、左右側壁平石をやや持ち送りしている


〃縦位置、背の高いドーム状


四角い天井、右が奥壁


奥から外、左右の袖石はほぼ同型


奥から左方向


奥から右方向


床面にある謎の石材


前室奥から、縦位置


3号
複室横穴式石室
位置:33°14′29″N 130°35′20″E
2号西側丘陵裾に立地、前が畑で石室正面が撮れません


墳丘は良好に残る


3基の中では唯一羨道が残っている


玄門は2号と同様の構造、ただ入り口幅は広い


巨石1枚石の奥壁、上部が一見石棚のように突き出ている


すぐ上は天井で他と違い高くない


縦位置


奥から外、奥行きがあまりないので左右が撮れません


奥から左方向、巨石を据え巨石平石を重ねる


〃右方向、こちらも同様の構造


前室奥から


4号
複室横穴式石室
位置:33°14′29″N 130°35′13″E
2,3号と違い丘陵中腹に立地、墳丘が道路で削られるが石室は無事


羨道壊失、左側に僅かに側壁が残る


石室正面、ここも入り口が狭い、袖石上部の石が側壁に食い込む様子が分かる


後室玄門、左右の袖石は1本で上部の石が無い


ここもほぼ巨石1枚石の奥壁


〃縦位置、背の高いドーム状


やや楕円形の天井


奥から外、入り口から見ると左袖石が大きいがこちらか見ると逆に反対側のほうが大きく見える


奥から左方向、基部は巨石だが2枚


〃右方向、こちらは基部1枚


前室奥から


見学記
水原、6基あるようですが良好なのは3基のみ。県道84号を東に行き願勝寺から150m程で公民館案内板があるので狭い道を曲がるとすぐ公民館があります。その後ろの山裾にあるのが2号、丸い墳丘が残り南向きに開口、複室で羨道は壊失していますが前室後室完存、前室も巨石を積み上はやや持ち送り背が高く天井狭くドーム状です。後室玄門は立柱石袖石を立てた両袖式、やや斜めに立てているので上部が狭くなっている。後室奥壁は巨石1枚石、側壁は大型平石を積み上部は持ち送りされ背が高く天井は縦長で狭い。床面に加工された板石がありますがこれは何でしょう、石屋形のようなのがあったのかな。西側30mの所にあるのが3号、2号と同様の立地で墳丘良好南側に開口、複室で羨道は多少残り前室後室完存、巨石が使われ硬い石のせいか岩肌が荒々しい。奥壁は巨石1枚石、その上の石を少し突き出し天井石を支えています。背はそれ程高くなく天井石は1枚ですが割と広い。願勝寺西側に県道から北に入る道があり一番奥の民家を左に見ながらセメント舗装の道を登って行くと4号があります。道に寄って墳丘が半分くらい削られていますが石室は何とか残っています。複室で羨道はほぼ壊失していますが前室後室完存、前室はあまり幅がない、後室玄門は立柱石袖石を立てているが左右で大分大きさが異なる。後室奥壁はほぼ1枚紙の巨石で上部で僅かに小型石材を持ち送りしている。奥壁表面を平に加工しようとした跡があるが石が堅いせいかそんなに整えられてはいません。側壁は基部に巨石を据え上部は小型石材を持ち送りしています。天井は狭く1枚だが2号と違い楕円上になっています。内部に照明がありますが点きません。他の古墳でも内部照明があるのを時々見かけます。ありがたいのですがまともに点いたためしなし、内部に入れないのならまだしも入れるのは必要ないです。つかない照明は邪魔以外の何物でもない。ここに説明板が立っています。公民館に駐車可。3,4号が町史跡。
[ 2016年11月10日 19:15 ] カテゴリ:広川町 | TB(-) | CM(0)

童男山古墳群

福岡県八女市 2002年4月訪問、15年3月再訪

3支群27基

(2015年)
分布図(説明板より)


1号(童男山古墳)
円墳、R48,H6.7、6C後半
複室石室、全長18m
石屋形、刳抜式石棺
位置:33°13′20″N 130°36′53″E
小丘頂部、大きな墳丘が残るがどこまで元の状態でしょうか、手前の巨石は多分羨道天井石


石室正面、ここは前室玄門


2重袖石を持つ玄門、袖石は切石状、まぐさ石上部に隙間、床面に敷石


前室左側、側壁は平面に整えられている


右側も同様の構造、首をすげ替えられた石仏が不気味


石屋形を持つ玄室


〃縦位置


石屋形内部に刳抜式石棺の身


石棺に石屋形袖石が食い込んでいる


玄室左側


こちらにも刳抜式石棺身、反対側には無い


ドーム状の天井、隙間がある


奥から外、両袖式


前室奥から外


2号
円墳、R22
複室石室
石棚、石障
1号南側、墳丘石室ともよく残る


石室正面、羨道はかなり破壊、通路の石は元のままなんでしょうか


あまり幅のない前室、左側は土圧でせり出している


巨石で構成された玄室、石棚と石障


〃縦位置、天井が見えている


石棚下部は巨石1枚石、上部は平石を重ねる


石障、床面は巨石敷石1枚か2枚か、手前玄室床面にも敷石


狭く四角く細長い天井


奥から外、両袖式


〃縦位置


前室奥から、天井が高くなっているのが分かる


3号
円墳、R17
複室石室、全長8m
石屋形
2号南側、これも墳丘石室良好


石室正面、羨道先端までよく残る、天井石が一段下がり床面には敷石


羨道


前室、袖石は柱状1本石


前室左側壁、見事に平面に整えられている


反対側、こちらも1枚石だが平面度はやや粗い


玄室はあまり奥行きが無いので左右が写らない、これは石棚でなく石屋形でしょうね


上部の石も石棚ではありえない構造でせり出している、その上は天井


奥から外、両袖式


前室奥から、天井は高くない


4号
位置:33°13′23″N 130°36′55″E
大きな墳丘が残るが石材見られず


5号
表示版があるだけ、墳丘不明


6号
後方の高まりが墳丘でしょうか


7号
複室石室
位置:33°13′20″N 130°36′57″E
シダに覆われた墳丘


極狭の開口部、ここを探すだけでも大変、でもここに入った人がいたとは


カメラを突っ込んで撮影、複室石室で長い羨道も残る


後室、石棚を持つようです


8号
複室石室
下から見た墳丘


ずり落ちた巨大な天井石、右後方に石室


天井部を失った石室


後室玄門、12号に似ている


前室左側壁、平石を重ねる


前室玄門奥から、羨道は埋没


後室、鏡石以外平石を重ねる


奥から外、右側はシダや土砂で隠れている


側壁、こちらも平石


9号
僅かな高まり程度だがシダが生えてないので分かりやすい


10号
斜面に僅かな高まり


盗掘坑があり石材が僅かに散乱


12号
複室石室、石棚
位置:33°13′18″N 130°36′56″E
車で来ると真っ先に目にする、右後方に13号、背後の林の中に7-10号


石室正面、羨道は殆ど消滅


前室はそれ程大きくはない、まぐさ石も巨大で前後に突き出ている


石棚のある後室、鏡石だけ巨大、他の石材は概ね平石を積み重ねる


〃縦位置、背が高い


石棚上部の奥壁


やや縦長の天井石


奥から外、上部が斜めになった特徴的な袖石


〃縦位置


奥から左、最下部の石だけが1枚石で大きい


奥から右、下部がやや大きいが1枚石ではない


前室奥から


13号
複室石室
林縁に開口、羨道は消滅


前室、後室玄門、袖石は切石のよう


鏡石だけ巨石、他は平石、石棚がないだけで他は12号と似ている


〃縦位置、背が高い


狭い天井


奥から外、両袖式


〃縦位置


前室奥から、ツル植物が入っているが状態は良い


墳丘背後から


18号?
分布図の推定位置にありました


平石と間に丸い石材、石室?


直ぐ側にも石組みがあった、奥に見えているのが1枚目の写真の高まり


21号
横穴式石室
位置:33°13′17″N 130°36′50″E
道路から離れた谷のような場所にある、不自然な地形で右側は多分盛り土、19,20号は埋戻しかな


古墳があるとは思えない場所、初めは見逃した


石室は基部しか残っていない


背後から、結構大きそうです


22号
複式横穴式石室
位置:33°13′15″N 130°36′48″E
大きな墳丘が良好に残る、手前の石垣は後世のでしょうね


墳丘上に巨木が何本も生える、わざわざこんな場所に生えなくてもな


石室正面、羨道は壊失


根っこが石材を割っている、巨木が倒れたら石室も大被害を受けそう


前室、後室玄門、袖石は割り石状


前室右側、面が整えられている


左側も同様、平石を積み重ねている


巨石で構成された後室、右側壁がかなり傾いている


〃縦位置、奥壁はほぼ1枚石の巨石


床面に敷石、奥壁前に棺台or屍床、内刳があり刳抜式石棺底石のように見えます


四角い天井、それ程狭くはない


奥から外、両袖式、側壁が傾いて袖石を隠している


前室奥から、まぐさ石と言うより仕切り石のよう


25号
複式横穴式石室、石棚
位置:33°13′18″N 130°36′44″E
道路脇に大きな墳丘大きな開口部


この古墳群の中では墳丘石室とも一番良好


大きな開口部、立ったままゆうゆう入れる


長い羨道も良好に残る、側壁は小型石材


羨道天井石も巨石で平面に仕上げられている


羨道左側、玄門が2重柱石、その手前にも柱状の石が埋め込まれている


右側も玄門は2重だが埋め込み石はない


前室、後室玄門、しきみ石が四角い切石


前室左側、側壁は巨石1枚石


右側も同様1枚石


石棚のある後室、薄い板石に加工されている、石棚は左右の巨石側壁に乗っているようだ、奥壁もほぼ1枚石で石棚の上に頭が出ている


縦位置、最後発の石棚墳でしょうね


それにしても見事な石棚、必見です


石棚上部の石組み


長方形の天井、天井石も1枚、左にわずかに見えているのが奥壁、右はまぐさ石


奥から外、両袖式、まぐさ石も巨石


奥から左側、巨石の側壁


〃右側、こちらも巨石


前室奥から


26号
位置:33°13′20″N 130°36′43″E
江戸時代の古い墓地の中にはっきりした高まり


墳頂が凹んでいるが石材は見られず


(2002年)
1号(童男山古墳)
丘陵頂にある墳丘、羨道は完全に壊失、手前の石が天井石か


前室、玄室玄門、二重構造のような玄門


玄室、石屋形、ドーム状、石屋形という肥後型玄室


奥壁左側、上部が隅丸でドーム状になっているのがわかる


石棺の身、玄室左右にある


天井石、上部が円形状になっている


奥から外、袖石は切石に近く、まぐさ石は自然石の巨石


2号
石室正面


前室、側壁が土圧で膨らんでいる


石棚のある玄室、それ程持ち送りはない


奥から外、下部に巨石を据え上は平石積み


3号
石室正面


前室


石屋形のある玄室、上の石は1枚石をカットして2枚重ねのように見せている、天井との間に隙間は殆どない


奥から外、玄室はそれ程大きくない


12号
石室正面


前室玄門、前室


玄室、巨石の奥壁の上に幅の狭い石棚がある、上部が丸くなっているのが分かる


奥から外、左右対称の袖石が特徴的


(見学記)
(2015年)
13年ぶりの訪問、前回は4基しか見てないので再訪してみました。今は2号の所に説明板があり詳しい分布図も載っていますが当時はどうだったかな、あれば探していたと思うんだけどね。分布図が2つあるけど八女古墳群自然遊歩道と書かれている方が微妙に正確なような気がする。とりあえず前回見学した1-3号は割愛。
4号:1号北側にふれあいの家が出来ていてその北側に裸の状態の墳丘があります。石材などは一切見られず。
5,6号:4号から東側の尾根に遊歩道がありますがもう誰も通らないようで草茫々の状態、尾根筋最高所に5号がありますが表示板があるから墳丘だなと分かる程度。その北側に6号があり表示板が立っているが全く分かりません。
7号:5号から尾根筋を南下、ふれあいの家の南側に尾根筋高所を利用した大きな墳丘があります。OBITOさんのサイトでは裸の状態だったようですがこの時はシダに覆われていて開口部を探すだけでも一苦労でした。南西方向に開口、入り口は狭く入るのは断念、多分これ一つだけだったら無理してでも入るだろうな。中の石室は良好のようです(どうやら石棚のある立派な石室のようです)。
8号:7号すぐ南尾根頂部を利用した墳丘がありますがこちらもすっかりシダで覆われています。ただ墳頂部に天井をほとんど失った石室が露出しているのでこれは分かりやすい。西向きに開口した複室石室で羨道は埋没、玄室は鏡石以外は側壁も小口積みです。
それにしてもコフニストの天敵”藪”その中でも最悪なのがサルトリイバラとここのようなコシダ、ウラジロ、常緑だけでなく枯れてもそのままの形で残っているのでシダの海となり石室は隠すし踏み分け道も分からなくなって移動も困難と最悪です。
9,10号:8号南側に東西に並ぶも低い小さな墳丘が残っている程度。
11号:駐車場の場所消滅
12号:墳丘が復元されて入室禁止となっていました。入り口だけ撮るつもりが撮っている内につい我慢できず・・・
13号:12号すぐ東林際にあります。8号から降りてきてもいいけど12号から行ったほうが楽でしょう(実際は13号から7,8号へ登って行きました)。林際に開口、羨道は失っていますた複室の前室後室は完存、後室は背の高いドーム状、奥壁鏡石以外は小口積み、他には特に構造などはありません。
14,15号:消滅
(16号:かなり破壊されているがどうやら石棚が残っているらしい)
18号:3号南側平坦面に石材が露出しているけど分布図からしてこれかな。もう殆ど石室とはわからない状況だし自信無し。この斜面下に17号、更に東側に16号があるはずだがこれも分からず。
21号:3号から西に行くと山側窪地になっている場所奥に表示板が立っています。玄室基部が残っている程度。この東側に19,20号があるはずですが地形からして大きく盛り土されて埋まっているようです。
22号:21号から少し行くと案内表示あり。茶畑の中を通って行くと竹林の中に大きな墳丘が見えています。南向きに開口、羨道は失っていますが複室の前室後室は完存、ここは全般に巨石が使われ前室後室玄門袖石は巨石立柱石、後室奥壁もほぼ1枚石の巨石、側壁も巨石ですが右側は少し傾いてきている。少し持ち送りがあり天井はそれ程高くはないが天井石は1枚石です。前室後室とも床面に敷石、奥壁沿いに棺台or屍床があります。刳抜式の石棺底部のようですが上部が破壊されてのではなく初めからこんな状態もしくは底石を再利用したようにも見えます。
25号:22号から更に西に行き突き当りを右に曲がると25号の案内板があります。林際に大きな墳丘が残り南側に開口、複室石室で羨道までよく残っています。前室袖石は立柱席だがその前にも左に2、右に1個の立柱石が埋め込まれています。熊本県で時々見かける構造です。後室玄門袖石も巨石立柱石、平石のしきみ石が置かれています。後室も奥壁側壁は基部にそれぞれ1枚の巨石を据え上部を少し持ち送りここは天井が高い。奥壁中段に石棚、かなりの巨石で奥行きもありますが大きさの割にかなり薄く造られている。ここまで薄い板石状に加工された石棚もそうそうありません。背後の奥壁も巨石1枚石、他の石棚は下部は1枚石巨石でも上部は平石を積み重ねているのが多いがここは石棚上部まで突き抜けています。多分この群の中でも最後の石棚墳でしょうね。この南側新しい家との間に23、24号があるはずだがそれらしきものは全く見られず。
26号:25号北西の斜面にあります。はっきりした墳丘が残っているが石材などは全く見られず。この辺りは古い墓地で江戸後期の年号が入った墓石があり昭和のもあってかなり長く営まれたようです。でも今は殆どの墓石が倒れ無残な状態、訪れる人もなく竹林の中に墓石が佇む状況は侘しいものです。
27号:26号西側にありますが間の谷が思った以上に深く急斜面、石室があるのなら無理してでも行けないことはないが26号の状況を見るとそれも期待できず諦めました。しかし手前に幾らでも古墳を作る場所があるのに何であんな離れた場所に作ったんだ。現代のコフニストが迷惑するじゃないか(笑)。

(2002年)
丸山古墳から東に行って国道442号に出て2km程東に行くと案内表示があり、そこから少し上ると古墳群があります。一部公園になっていて駐車場もあり。丘陵頂部にあるのが1号墳の童男山古墳(県史跡)、径48mの大型円墳ですが南側が大きく削平され羨道も完全に壊失しています。でも複室構造の前室や玄室は完存、その構造の複雑さには驚かされます。前室も相当大きいのに玄室は肥後型ドーム状で更に上回る大きさです。奥壁沿いには石屋形があり左右には刳抜式の石棺の身が置かれています。それにしてもなんたる複雑、なんたる壮大な石室、羨道が失われているのが本当に惜しまれます。他に2,3,11号で石室が開口(他にもあるかもしれない)、それぞれ複室構造でなかなか個性的な石室、2,11号では石棚があります。
[ 2016年11月03日 19:19 ] カテゴリ:八女市 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

平家蟹

Author:平家蟹
古墳のお部屋
ブログ館

へようこそ。

基本的には

と同じ内容です。

検索フォーム
市町村名、古墳名などを入力して検索してください
旧市町村名は頭に旧をつけてから検索してください/検索で市町村名が出てこないときは頭に県名を付けると出てくることがあります/市町村名で検索するとスポンサーリンクを検出することがあるので県名をつけて検索した方が効果的です/漢字表記の違いで古墳名で検索すると出てこないことがあります、その時は市町村名で検索してみてください
FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

クリックして貰うと励みになります
各県市町村別
QRコード
QR