貞丸古墳群

広島県三原市(旧本郷町)1988年4月訪問、2016年3月再訪

横穴石室墳2基

(2016年)
1号
墳形不明
横穴式石室、玄室長4.5,幅2.09,高2.15m
位置:34°23′33″N 132°56′48″E
お寺の前に大きな案内標柱、後方に復元墳丘が見えている


前とはすっかり様変わり、墳丘復元、説明板設置


特徴的な三角形の天井石の印象が薄れている、袖石は半分以上隠れている、これは改悪だな


玄室は変わりなしですが


石棺に水がたまりコケが生えている


奥壁は巨石2段積み、水が滲み出している


左側壁、面が整っている


右側壁、手前の石は奥壁より巨石


奥から外、両袖式


奥から左、天井から水が漏れているようには見えないけど何故水が溜まる


奥から右、逆光で見ると石を割った跡が分かる


2号
墳形不明
横穴式石室、玄室長5.1,幅2.12,高1.97m
1号後方にある、樹木伐採しただけかな


石室正面、こちらは特に変わりないかな


1号よりやや大きな玄室、奥壁は1枚石


奥から外、左のは袖石でしょうか


奥から左、画面右側で切石状石組み


奥から右、どちらも基本的に2段積み


天井石露出


寺境内、石碑土台石に石棺蓋石使用


縄掛突起のないシンプルな造り、1号の石棺身より小さく2号の石棺と推定されている


(1988年)
1号
墳丘、壁の一部となっている


石室開口部、羨道は消滅


玄室、刳抜式家形石棺、龍山石、蓋石は不明


奥から外


2号
墳丘、石室正面、羨道は壊失


玄室、ここにも家形石棺があったらしく近くに蓋石があるそうだ


(見学記)
(2016年)
三原市本郷町南方、国道2号上尾原交差点北北西50m、大きな案内表柱も見えています。1号の墳丘復元&石棺蓋石も未見だったので再訪してみました。2基からなる古墳群で1号はお寺の中、擁壁が取り払われ墳丘が復元され周囲に説明のパネルが設置されていますがもうかなり色褪せています。当然ながら石室内部は変わりないが石室前に石段が作られ左右の壁で玄室袖石が半分以上隠れています。石棺には水が溜まり苔が生えています。墳丘水漏れが無ければ溜まることは無いんでしょうけどね。2号は後方少し上にあり墳丘上の樹木が伐採された以外は特に変わりなし、墳丘ははっきりせず石室一部が露出しています。お寺の石碑の土台に使われているのが家形石棺蓋石、明らかに1号の石棺より小さく2号からの出土と言われています。それにしても前回も当然この側を通っているんだけど全く気がついていないな。お寺の中まで車で入っていけるようです。

(1988年)
御年代古墳から南西300m、山の斜面の大日堂脇に1号墳があります。階段状の斜面がブロックで保護され石室が開口,羨道は壊失していますが両袖式の玄室が残っています。正面に立つと両側の幅の広い袖石(奥から見ると袖はこの半分くらいしか突き出ていない)とその上の三角形をしたまぐさ石が印象的です。玄室は長4.5m、幅2.1m、高2.2mで奥壁,側壁とも割石積み2,3段に積まれています。龍山石製の刳抜式家形石棺が残存,蓋は行方不明。大日堂前の石碑の台石に家形石棺の蓋が利用されていますが,大きさが合いません。この蓋は6個の縄掛け突起が付いていましたが削り取られています。更に上に2号墳の石室が開口,こちらも羨道は壊失していますが1号とほぼ同規模の玄室が残存,こちらは奥壁は1枚,石棺は不明です。
[ 2017年08月31日 07:53 ] カテゴリ:三原市 | TB(-) | CM(0)

青田古墳群(青田1号)

広島県竹原市 1988年4月訪問、2016年3月再訪

横穴式石室
位置:34°22′52″N 132°53′22″E

(2016年)
丘陵麓近くの急斜面に立地


斜めから見ると多少墳丘が分かるが殆ど流失、盛り土は少ないけど墳丘を大きく見せたんでしょうね


墳頂近くに石室設置、斜面が結構きつい


石室正面


石室自体は小型、終末期の気配が漂う


側壁や天井も平面に整える


奥から外、左の石が突き出ていますが


袖石ではなく土圧で押し出されているのかもしれない


奥から右側


墳丘背後から、高まりは殆ど分からない


横から見ても同様です


(1988年)
石室正面、羨道壊失、天井石が屋根型のよう


小型の玄室


(見学記)
(2016年)
竹原市東野町、賀茂川中学校南方600m程、これも序でなので再訪してみました。改めて見てみると丘陵麓辺りとはいえとんでもない急斜面に構築されていますね。正面から見てみると何となく円墳の様子が見えるような。でも殆ど地山で封土は殆ど流失しているんでしょうね。背後から見ても斜面の区画も全く分かりません。説明板には古墳後期(5C)と書かれていますが後期はともかく5世紀はないでしょう。後期も後期、終末期に近い古墳と思われます。前の道路が広いので駐車可。

(1988年)
R2と432交差点を南に1km程行き,賀茂川に架かる橋を西に行って突き当たった丘陵麓近くに石室が開口,これが1号墳で下の道路からも見えています。羨道は壊失,小型の玄室が残存,割石を使い特に天井面は平らに仕上げています。斜面を登った頂部に2号墳があるようです。1号の南に昆沙門岩がありここから陶棺の破片が出土しています。
[ 2017年08月31日 07:48 ] カテゴリ:竹原市 | TB(-) | CM(0)

葛子古墳

広島県竹原市 1988年4月訪問、2016年3月再訪

横穴式石室
位置:34°23′59″N 132°53′45″E

(2016年)
国道432号脇に開口、以前はなかった表示版設置


地形的には谷筋斜面に立地


石室正面、以前より少し埋まっているような


内部は半ば埋没


天井石露出


背後から、天井石の大きさが不揃い


(1988年)
墳丘流失、天井石露出


石室正面、内部は埋没


(見学記)
(2016年)
竹原市新庄町、国道432号沿いに石室が露出しています。わざわざ再訪するものでもないですが前はフィルムの時代だったし横大道古墳群に行く途中なのでデジカメで撮り直してきました。でも国道に停める場所が無いのでおちおち観察できません。無袖式のようで内部は奥壁まで見えているようですが石室内に草が生えていたりしてよく見えません。以前は無かった表示板が設置されていました。地元の自治会が立てたようです。

(1988年)
R432を更に北へ800m程行くと右側畑の石垣に石室が開口,墳丘は流れ去っていますが天井石3枚が露出,中が覗ける程度に空間があいています。
[ 2017年08月31日 07:46 ] カテゴリ:竹原市 | TB(-) | CM(0)

横大道古墳群

広島県竹原市 1988年4月訪問、1995年4月再訪、2016年3月再々訪

現存11基

(2016年)
1号
円墳、R14,H3
横穴式石室、全長9.4m、玄室幅2,高3m、6C後半
位置:34°23′43″N 132°53′58″E
新しい石柱が建っていた、1,2号は後方丘の上


左後方が1号、右手前低い高まりが2号


石室入り口まで階段整備


西向きに開口


石室正面、羨道前部天井壊失


羨道後部良好、既に立ったまま入れるほど背が高い


巨石を積んだ玄室、少し右に歪んでいるかも、前回も今回も水が溜まっている、何時もではなさそうでついてないな


〃縦位置、持ち送りがあり天井部が狭い


奥から外、少しでも奥に入って撮影、左片袖式、袖石は1枚岩


羨道奥から


2号から見た1号


山側から見た墳丘


2号
円墳
横穴式石室、全長6.6m,玄室幅2.4m
1号墳頂から見た2号


左1号、右2号、合わせて前方後円墳という説もある


石室正面、1号と比べると墳丘が引く


羨道上から、天井壊失


ここも大きな開口部


1号より一回り小さい石室、それでも十分大きい、石材は全般に小型


〃縦位置、上部が大分持ち送り


奥壁は基部に大型腰石、全般に左右対称な石積み


奥から外、右片袖式、まぐさ石が落ちかけてギリギリで留まる


奥から右側側壁、ストロボ無し


11号
横穴式石室
位置:34°23′41″N 132°53′59″E
標柱を設置、11号と判明


右側の道で墳丘半壊、道を迂回させたほうが楽だったろうにな


石室も半壊、よく残ったなよく残したな


古い写真と比べると側壁の石3個が無くなっている


手前の石が落下した石材のようだ


東群遠望
東方400m程、谷の奥に6-10号が集中、左上の墓地辺りから林に入り小道を東に進む


6号?
窪みが残っているだけ


7号
横穴式石室、玄室長5,幅1.5,高1.8m(現地実測値)、7C初頭
位置:34°23′44″N 132°54′14″E
この辺りの盟主墳、墳丘もよく残る


1,2号は西に開口だがこちらの群は南向きに開口


立ったまま入れる程の開口部


石室も良好


1号に比べると石材は小型


〃縦位置、1に比べて天井部も広い


奥壁は巨石鏡石を据え上に平石を重ねる


奥から外、無袖式かな


8号
横穴式石室、玄室長5,幅1.2m(現地実測値)
7号すぐ後ろに標柱があるが古墳は斜面を登った所にある


墳丘はかなり流失、石室露出


石室前部は上部を失う


後部は良好に残る、天井席が薄い


石材は全般に小型


奥壁鏡石だけやや大きい石材


奥から外、ここも無袖かな


奥から左側


奥から右側


9号
横穴式石室
墳丘は割と大きそう


頂部に小型石室、入り口激狭


石室は意外と残っている、入って入れないことはないけどパス


小型石材の奥壁


10号
標柱が無いと分からないレベル


石材散乱


(1988年)
1号
墳丘、石室正面、墳丘、石室とも群中最大


羨道


玄室


奥から外、右片袖式


2号
墳丘、石室正面、1号すぐ下方に隣接


玄室、小型石材を持ち送りしている


奥から外、右片袖式


11号
側壁と奥壁の一部が残る


(見学記)
(2016年)
竹原市新庄町、「探方広島県の考古学」に7,8号の記載と地図が載っていたので再訪してみました。国道432号新庄町横大道交差点に案内板が出ています(ただし南行だと分かりにくい)。そこを曲がるとその後も案内板が出ていてそれに従って行くと1,2号近くの墓地辺りにたどり着きますが道は狭い。古い墓地辺りに案内板があるので歩いて行くと1,2号はすぐです。以前は2基の古墳だと思われていますがどうやら前方後円墳で1号が後円部、2号が前方部のようでそのようにも見えます。2号に石室が無かったらもっと早く前方後円墳と思われていたかもね。1号に比べて2号石室はひと回り小さく(と言っても十分大きいですが)1号は巨石で構成されているのに比べて2号は小型の石材です。1号石室には今回も水が溜まっていて奥まで入れず。前回すぐ近くで見かけた半壊石室は11号でした。他の古墳もそうですが墳丘脇に番号が書かれた石柱が設置されています。こういうのは整理する時に助かりますね。一度下まで降りて谷の奥目指して進んでいきます。谷の中は殆ど耕作地となっています。中程で斜面上方に小さな墓地がありその右手側から山林の中に入っていく小道があります。東に進んでいって途中に水の枯れた溜池、更に進んでいくと7号に突き当たります。入り口辺りから凡そ200m程でしょうか。墳丘は良好に残っていて背後をカットした跡もあります。南向きに開口した石室も良好、無袖式で全長5m程、奥壁の鏡石がやや大きいくらいで1号よりは小さい石材です。背後に8号の石柱がありますが古墳自体はそこから急斜面を30m程上った辺りです。墳丘は殆ど流失、全長5m程の石室が露出しています。天井石は後部3枚程度残存、高さは7号に比べて大分低そうです。それにしても7号周辺に幾らでも築造する場所があるのになんでこんな上の斜面に造ったんでしょうね。7号背後には更に9,10号があります。9号は小さな墳丘で左片袖の小型石室が開口、無理をすれば入れないこともありませんがパス、10号は盗掘跡があり僅かに石材が散乱している程度です。その側にも盗掘跡のある高まりがあり古墳のような気もしますが石柱はないので違うのかな。1号近くの古い墓地に駐車スペースあり。

(1988年)
国道を更に西に行き峠を越えると細長い谷状の盆地に入ります。R432との交差点を北に500m程行き東のやや広い谷に500m程行くと北側丘の斜面に横穴石室墳が11基分布しています。西端の1号が一番大きく最初に構築されたようです。墳丘もよく残っていて西側に石室が開口全長9.4m右片袖式で奥壁は2枚,他もやや大きな割石が使われています。幅(2m)に比べて高さ(3m)が高いのが特徴,玄室に水が溜まっていて奥まで入れないのが残念。すぐ南側下に墳丘を接するように2号墳が有りやはり西側に開口,全長6.6m右片袖式で袖部に立石が使われています。奥壁下部にやや大きな石が使われている他は小型の四角い割石が使われ壁上部はやや持ち送りになっています。3号は参道で石室が切断,側壁と奥壁の一部が露出しています。更にやや離れて東側に4号以下があるはずですが全く見つからず,特に「本」には7号の立派な石室の写真が載っているだけに大変悔しい。
[ 2017年08月24日 19:34 ] カテゴリ:竹原市 | TB(-) | CM(0)

市用横穴墓群

大分県竹田市 2016年2月訪問

11基(番号は全て仮)
位置:32°58′03″N 131°20′52″E

全景
神社横の崖面に開口、左端が1号


右から2-7号、右に向かって少しずつ位置が高くなっている


1号
一見平凡な開口部ですが周りが広く家形になっている


2号
二重額縁の開口部


上部に赤い顔料が残っているようだ


3号
2重の家形が浮彫りされている、これだけが特異な姿


開口部は直線的な四角形


腕を伸ばして内部撮影、コの字型の屍床、左右と奥との間の区切りはなさそう、中央通路部も掘り込まれていない


4号
二重額縁、このタイプが多い


上部にハッキリ赤い顔料が残る


内部右側に通路があるように見える


5号
こちらも二重額縁、開口部がスッキリ四角い、やはり赤色顔料が残る


右5、左4号、4号開口部下側に足場となる出っ張りがある


内部に4号への通路、当時のでしょうね


6号
中央6、左5、右7、屋根で隠れる


拡大、赤い色はないかな


7号
こちらはハッキリ色が残る、赤い円文のようにも見えます


反対側から


8号
二重額縁、どんどん高くなってきます


隣に整形した跡がある、作ろうとして止めたんでしょうか


9-11号
更に高くなり入り口も藪状態です


(見学記)
竹田市市用、市用集会所側に天満神社がありその崖面に11基の横穴があります。一部社殿の屋根で隠れていますが全部見られます。ただ開口している場所が高くて中には入れません。左の方は2mくらいの所ですが右に行くほど高くなって右端の方は5,6mも上ですね。2基を除いて開口部は四角い額縁状、一部で赤い顔料も残っています。左から3番目(仮3号)のが入り口が特異で大きな切妻屋根状、説明板ではこれは後世のものだそうですが外のは左右との間隔がそれ程開いていないのにここだけ大きく開いていて初めからこのようにするために開けておいたとしか思えないんだけどな。一番左端のも入り口は四角でなく切妻風になっています。仮3号だけ何とか内部が覗けてコの字型の屍床が彫り込まれています。ただ区画がある程度で中央通路部は掘り込まれておらず奥と左右の屍床の間も境がありません。因みに読みは”いちもち”です。集会所前や神社境内に駐車可。
[ 2017年08月17日 19:27 ] カテゴリ:竹田市 | TB(-) | CM(0)

七ッ森古墳群

大分県竹田市 2016年2月訪問

現存前方後円墳2、円墳2

南西側からの遠景、左B右C号


A号
円墳、R20,H4
位置:32°56′55″N 131°18′45″E
一番西側にある円墳、周囲の細長い草はヒガンバナ、こちらの方が有名


小さな舟形石棺出土、石枕の大きさ6cm、幼児用と推定


B号
前方後円墳、TL51,R29,RH6,FW8,FH3
柄鏡型の古式前方後円墳


前方部は細長く低平


後円部正面


前方部右隅から後円部


C号
前方後円墳、TL53,R31,FW12
前方部右隅から後円部、B号とよく似ている


反対側から見てもよく似ている


やはり低平な前方部


後円部頂きは平坦になっているようだ


地形南側がやや高くなっているのでこちらから見ると前方部が目立たない


D号
円墳
一番東側にある


規模はB、C号後円部と変わりなし


(見学記)
竹田市戸上、国道57号沿いにある標高480mの高原にある古墳群です。かっては7基あったそうですが現在は前方後円墳2,円墳2が残存しています。2基の前方後円墳は共に50m程度の柄鏡式、後円部だけでなく極端に低い前方部もよく残っています。円墳のA号からは小さな舟型石棺出土、石枕の大きさが6cm程で生まれたばかりの幼児が埋葬されたのではないかと推測されています。墳丘規模から言えば前方後円墳の後円部とそれ程変わりないんですけどね。ここは国の史跡で公園になっていますが大きな説明板が一つあるだけです。古墳よりも秋のヒガンバナが有名なようで冬のこの時期、葉が足の踏み場もないほど出ていました。駐車場あり。
[ 2017年08月17日 19:26 ] カテゴリ:竹田市 | TB(-) | CM(0)

神下山古墳

大分県臼杵市 2016年2月訪問

円墳、R20(34)(資料によって異なる)
家形石棺
位置:33°08′09″N 131°47′35″E
丘陵麓に目立たない案内板


墳丘は良好そう


頂部は広い平坦面


頂部に家形石棺、箱式石棺があるそうで手前のがそれでしょうか


石棺蓋石と身、サイズがあわないような気がする


刳抜式の身、内側の彫り込みは浅い、底部に脚があるように見えます


棟部分が高い蓋石、小口部に縄掛突起がある


棟に縄掛け用の穴が3つ開いている、熊本県の石棺で時折見かけます


(見学記)
臼杵市諏訪、下山古墳北300m辺りにあるというので地元の方二人に聞いてみましたが全く知りませんでした。こういう時は根本的に場所を間違えている事が多い。少し離れた川沿いの方で聞いてみたら神下山古墳の名は知らないが石棺が露出しているのは知っているということで教えてもらいました。川沿い丘の上、登り口には確かに神下山古墳の案内板があります。登って行くと平坦な墳頂部に石碑と祠あり、祠の前に家形石棺蓋石露出、棟部が突き出たよりリアルな屋根型、最大の特徴は棟部に3個の四角い穴が開いていることです。熊本県で縄掛突起に四角い穴が開いているのを見たことがありますがこういうのは初めてですね。位置も中央より大分外れた場所、元々この場所だったんでしょうか。手前に手水鉢がありますがこれは何でしょう。蓋石とは長さが合わないし下に足のようなのが付いているし石棺加工じゃなくて本物の手水鉢なんでしょうか。それとも箱式石棺が出土しているそうなのでそれを加工したのかな。中央の石碑の周りにも石組みが露出していますがそれが主体部を表しているのでしょうか。ちなみに地元では石棺様と読んでいるようです。距離も下山古墳から北北東700m以上離れていたよ。因みに読みは”じんかやま”です。
[ 2017年08月10日 18:39 ] カテゴリ:臼杵市 | TB(-) | CM(0)

下山古墳

大分県臼杵市 2016年2月訪問

前方後円墳、TL68,R46,FW38、5C中
家形石棺、石甲
位置:33°07′46″N 131°47′41″E
前方部から後円部、丘陵頂部にあり状態は良い


後円部から前方部、説明板がある辺りがくびれ部


前方部にある石甲、草摺部分が残っている、形状からして男根信仰にでも使われていたかも


後円部に家形石棺、覆屋で保護、左手前の石は何でしょうね


棺身は組合式、円い縄掛突起がある


蓋石上部が斜めに突き出た珍しい形式


屋根には浅い浮き彫りがある


反対側の縄掛突起は削り取られているようだ、上部に軒瓦のような円弧状突起がある、反対側にはなかった


(見学記)
臼杵市諏訪、臼杵市総合公園西側丘陵上にある全長68mの前方後円墳です。公園駐車場向かい側に案内板があり妙法寺に行く道を登って行くと2つ目の急カーブの所に案内板があります。そこから林の中の小道を歩いて3,4分、丘陵頂に築かれた墳丘は良好に残っています。後円部頂に凝灰岩製組合式家形石棺露出、覆い屋で保護されています。蓋石は切妻屋根で表に浮き彫り、両端に縄掛突起がありますが西側のは削られています。棟部西端に円弧状突起がありますがこれはなんでしょうね、後の鬼瓦を連想させます。西側だけで東側にはないんだよね。身の側面に四角い平石がありますが支え石だそうで埋まっていますが反対側にもあるそうです。でも石棺自体は埋められているのになんで支え石が必要なんだ。くびれ部上にも石甲が一体、草摺部分しか残っていません。ここに説明板が立っていますが文字は殆ど消えかかっていて読みにくい。後円部を降りた所に小円墳があるようですが見忘れた。急カーブの所に駐車可。国史跡。
[ 2017年08月10日 18:38 ] カテゴリ:臼杵市 | TB(-) | CM(0)

臼塚古墳

大分県臼杵市 2016年2月訪問

前方後円墳、TL87,R45,FW45
舟形石棺2、石甲2
位置:33°08′25″N 131°47′19″E
神社社地となっている墳丘


北側から見た後円部


前方部側面、端が高くなっている


上に神社があり後円部の一部削平、右は石棺覆い屋


2基の舟形石棺(右1号、左2号)1号の方が新しそう


蓋石はかなり破壊、身に四角い縄掛突起


小口部は丸い縄掛突起、蓋石の方にはないようだ


2号の方がやや小さいが精緻な造り


蓋石と身側面に四角い縄掛突起が2組4個づつ


蓋石と身小口部に丸い縄掛突起


後円部から前方部


前方部にある家形石棺蓋石、札の文字が消えていてこの時は正体わからず、丸山古墳石棺の蓋石だそうです


もう一つの石材、こちらは大分新しいかな


墳丘脇に2体の石甲、くびれ部にあったが移築


右側の石甲、下側の石材も当時のものでしょうね


左側、こちらの方が精緻な造り、脚部に赤い色が残っている


背面から


(見学記)
臼杵市稲田、臼木神社境内と言うより古墳の上に神社が乗っています。全長87mの前方後円墳で神社本殿で後円部の一部が削られていますが他は良く残っています。本殿脇に墳頂から出土した舟型石棺2基を覆い屋で保護、若干大小があり大の方は長さ2.85m側面に縄掛突起3対,蓋石上部が破壊され造りはやや粗い。小の方は長さ2.25m、こちらは側面の縄掛突起2対、素人目にもこちらの方が造りが精巧です。くびれ部にも石甲2体、頭部は無くなっていますが鎧の部分が残っていて巨大な車輪石のような基部に四角い柱を射し込んで立てられています。こちらも造りに粗さの違いがありそれぞれ舟型石棺に対応していたんでしょうか。前方部上にも家形石棺蓋石と閂石のようなのがありましたがあれは何でしょう、側に倒れかけた文字が書かれた札がありましたが殆ど読めません、調べてみたら丸山古墳石棺の蓋石のようです。閂石の方はあまり風化しておらず新しいもののようです。県史跡。石甲は国重要文化財。
[ 2017年08月10日 18:37 ] カテゴリ:臼杵市 | TB(-) | CM(0)

丸山古墳

大分県臼杵市 2016年2月訪問

石棺底石
位置:33°08′26″N 131°47′19″E
公民館敷地内に保存、知らないと古墳とは分かりません


南側に臼塚古墳がある


石棺底石がある、刳抜式のようです、蓋石の方は臼塚前方部に移されている


(見学記)
臼塚北側に三重野公民館があり敷地内に丸山古墳がありますが説明などはなく知らないと古墳とは見えません。石棺底石が露出して、刳抜式のようで二つに割れていますが見ていて一番面白くないパターン。公民館に駐車可。臼塚周辺は車を停める場所がないのでここから歩いていった方がいい。
[ 2017年08月10日 18:36 ] カテゴリ:臼杵市 | TB(-) | CM(0)

築山古墳

大分県大分市(旧佐賀関町)2001年5月訪問、16年2月再訪

前方後円墳、TL90,R40,RH10,FW45,FH8、5C中
箱式石棺2(現地埋戻し)
位置:33°14′09″N 131°48′16″E

(2016年)
国道脇に案内表示、道路反対側に駐車場がある


墳丘図(説明板より)周囲が大分削られているが高さはよく残っている


背の高い後円部、建物辺りが墳頂


前方部もよく残るがくびれ部切断、前方部端が高くなっている


墳頂平坦部に石棺覆い屋、1932年に緑泥片岩の巨大な箱式石棺出土


北棺埋戻し、被葬者は女性だそうです、礫槨のようにしたのは意味があるんでしょうか


南棺、こちらも埋戻し、被葬者は3人で中央の一人は女性だそうです


(2001年)
前方部から後円部、後円部建物の中に石棺が埋め戻されている


後円部から前方部上段、くびれ部が山道で切断、他の部分は良好


(見学記)
(2016年)
大分市本神崎、国道197号を更に西に進むと神崎小学校西100mにあり案内標識も出ています。神崎八幡神社境内に大きな墳丘が残っていて特に後円部が凄く高い。墳形は多少削られるも概ね良好、ただくびれ部が山道のようになって切断されているのが残念です。墳頂から緑泥片岩組合式箱式石棺2基出土、1基は女性1と不明2、もう1基は女性1の人骨が出たそうで女性が葬られた古墳です。石棺は埋戻し、白い石を被せた礫槨のようにして保存されています。国道向かい側に神社駐車場あり。

(2001年)
更に国道を500m程行くと小さな案内表示が出ている。そこを入っていくと神社境内に古墳がある。全長90mの前方後円墳で丘陵麓の斜面を利用して造られていてくびれ部が山道で切断されているが全体は非常によく残っている。後円部頂に祠があり中に箱式石棺2基が御神体として埋め戻されている。昭和7年の発見でなんでも夢のお告げがあり掘ったところ石棺が出土したそうで、当時は石棺参りで大賑わいだったそうです。中から人骨を始め多数の副葬品が出土している。国史跡。
[ 2017年08月03日 20:27 ] カテゴリ:大分市 | TB(-) | CM(0)

馬場古墳

大分県大分市(旧佐賀関町)2001年5月訪問、16年2月再訪

前方後円墳、TL60,R30,RH5,FW14,FH3
位置:33°14′12″N 131°47′09″E
(2016年)
後円部西から、周囲が削られているが割と良好


後円部北から、左が前方部


前方部から後円部


後円部から前方部、端に円墳状の高まりがある


(2001年)
画像無し

(見学記)
(2016年)
大分市馬場、国道197号沿い、大分市から佐賀関町に入ってすぐ左側の崖の上にあります。崖を登っていく細い道があって上がっていくと後円部が見えます。墳丘は割と良好に残っていますが北側横方向からの眺めがきかないので前方後円墳らしい姿に出会えません。前方部端が小円墳のような盛り土状になっているのはかって前方部端が高くなっていた名残でしょうか。国道脇の路側帯が広く駐車可。

(2001年)
国道197号を大分市から佐賀関町に入ってすぐ北側の丘の上にあり、崖に登る道がある。全長60mの前方後円墳だが大分小さくなっているようだが前方後円墳の形は分かる。
[ 2017年08月03日 20:25 ] カテゴリ:大分市 | TB(-) | CM(0)

野間古墳群

大分県大分市 2016年2月訪問

前方後円墳3,他

(2016年)
1号
前方後円墳、TL48,R25,RH3.5,FW22,FH2.5
位置:33°12′05″N 131°42′16″E
民家敷地内に保存、殆ど裸の状態


保存状態はよさそう


前方部端は削られているかも


後円部西側から


2号
前方後円墳、TL50,R25,RH2
位置:33°12′07″N 131°42′19″E
笹薮に覆われた高まり、多分これかな


手前が前方部でしょうか


円墳1
位置:33°12′11″N 131°42′25″E
畑の中に裸の墳丘、2,3号より一段低い段丘面にある


削られて変形しているようです


こちらはなだらかで原型を留めているかな


円墳2
1の近く、藪に覆われている


左側は大分削られている、後方にその1


(見学記)
(2016年)
大分市丹川、川添小学校北東の丘陵上にある古墳群です。民家脇にある前方後円墳がほぼ裸の状態で一番分かりやすい、前方部端が削られていますが他は良好のようです。ネット上で画像を見つけてこれが2号となっていましたが前方後円墳集成の墳丘図を見ると1号のような気がします。北東側笹薮の中に丸い高まりがあってこれが前方後円墳の2号かもしれない、後円部しか残っていないようです。3号は後円部の一部しか残っていないようです。更に北東側低位段丘上にも2基の古墳があります。ここは15年前来た時は探しだせずリベンジを果たしてきました。当時はまだなかったと思うgoogleのような強力な武器がありますからね。とは言え古墳群に関するデータはあまり出てこなかったけどね。北東側の円墳もgooglemapの衛星写真で見つけました。ただ17年7月現在で見てみると写真が更新されているようで古墳は却って分かりにくくなっていました。

(2001年)
前方後円墳3を含む10基からなる古墳群だが見つけることが出来なかった。野間の集落周辺を探し地元の人にも聞いたが古墳なんてこの近くにはないと言われてしまった。
[ 2017年08月03日 20:22 ] カテゴリ:大分市 | TB(-) | CM(0)

亀塚古墳

大分県大分市 2001年5月訪問、16年2月再訪

前方後円墳,TL118,R60,RH5.5,FW36,FH4、5C前半
箱式石棺
位置:33°13′54″N 131°44′31″E

(2016年)
雨あがり直後で他の古墳に行くのもしんどいのでゆっくり見学


葺石を部分的に復元


前方部から後円部、左くびれ部に造出


後円部から前方部、奥の白い建物が資料館


墳頂に緑泥片岩製巨大箱式石棺レプリカ、副室がある、もう箱式石棺の範疇を超えてますね


側にもう一つの埋葬主体、竪穴石室+石棺だそうです、遠くに海を望むことが出来る


箱式石棺
亀塚の側に説明も無しに置かれていた


もう1基、どこか他所からの出土でしょうか


(2001年)
復元された墳丘、公園化され海部古墳資料館がある


墳丘側面、くびれ部に造出


復元された箱式石棺、緑泥片岩板石を使用


小亀塚古墳
前方後円墳、TL35,R25、5C後半
位置:亀塚北東30m

(2016年)
亀塚北側にある復元墳丘


家形石棺レプリカ、本物は破壊、完全に想像で作られたそうな


後円から前方、奥に亀塚


(2001年)
前方部斜め後方から


家形石棺、近くの神社にあった石棺を参考に復元、本物は資料館にある


(見学記)
(2001年)
全長118m県内最大級の前方後円墳で海を望む丘陵上に立地している。現在古墳公園として整備され墳丘が復元されている。後円部に主体部が二つありかなり破壊されていたがそのうち箱式石棺が復元公開されている。緑泥片岩板石を使い副室を持つ県内最大の石棺です。すぐ北側に全長35mの前方後円墳小亀塚古墳がある。整備に伴う発掘で前方後円墳と判明、こちらも復元されている。亀塚は5C前半、小亀塚は5C後半で亀塚の後の王の古墳だが随分小型になっている。公園内に海部古墳資料館(入場無料)がある。発掘使用や模型の展示が主だが結構見応えがある。中にある家形石棺が近くの神社にあった本物でこれを参考にして作ったレプリカが小亀塚古墳に置かれている。
[ 2017年08月03日 20:21 ] カテゴリ:大分市 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

平家蟹

Author:平家蟹
古墳のお部屋
ブログ館

へようこそ。

基本的には

と同じ内容です。

検索フォーム
市町村名、古墳名などを入力して検索してください
旧市町村名は頭に旧をつけてから検索してください/検索で市町村名が出てこないときは頭に県名を付けると出てくることがあります/市町村名で検索するとスポンサーリンクを検出することがあるので県名をつけて検索した方が効果的です/漢字表記の違いで古墳名で検索すると出てこないことがあります、その時は市町村名で検索してみてください
FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

クリックして貰うと励みになります
各県市町村別
QRコード
QR