松尾大池北東古墳群

岡山県岡山市北区 2017年1月訪問

6号
横穴式石室、石室長6.5m以上、玄室長4.5,幅1.4m
位置:34°41′41″N 133°52′26″E
全く予想してなかった石室に遭遇


石室上部が露出、こんな場所でこんな石室が見逃されていたのに驚き


石室正面、この辺りが玄門か


一番前の天井石は丸みを帯びた自然石


背後のは板状に加工


内部はやや埋まるも概ね良好


奥壁は鏡石+平石、シートに雨水が溜まって重く外せなかった


奥から外、右片袖式、側壁の一部が内部に落下している


背後を通る道路からも見えている


7号
石室正面、巨石で構成


横から、墳丘は石室を覆う程度に残存


背後から、奥壁上部露出


巨石天井石、内部は埋没


見学記
「古墳奮闘」松尾大池北西古墳群の分布図には北東古墳群も2基載っている、でもマークが灰色なので大したものではななさそう、でも時間があるので探してみました。まずは池の畔にある4号、でも見当たらないし石室奥基部が残っている程度なので後回しにしてそのまま進めば7号に行くはずと思って進んでいくと果樹園の手前で殆ど露出した石室がありました。さすがにこんなのがあれば「古墳奮闘」にアップされているだろうから未発見の石室でしょうね(後で聞いた所によると6号らしい)。羨道は短く玄室は右片袖式で長4.5m、奥壁は鏡石らしい上部が丸みを帯び上に平石1枚。人の通らない果樹園とは言えこれ程の石室が未発見だったとはね。過去にも何度かあるけど道を間違えるのも偶にはいいこともある(笑)。7号は更に先にありましたが果樹園内が通れないので元に戻って迂回する必要があります。巨石が露出するも内部は埋没した石室でした。6号を見つけたことで気分はウキウキ、帰りに4号を探すのをすっかり忘れていた(汗)。
しかし大池北東と北西古墳群、殆ど接近した場所なのになんで2つの古墳群に分けるのか疑問、必要あるのかと思ってしまう。
[ 2017年12月28日 18:53 ] カテゴリ:岡山市北区 | TB(-) | CM(0)

松尾大池北西古墳群

岡山県岡山市北区 2008年3月訪問、17年1月再訪

(5,6号追加)

1号
横穴式石室、玄室長5,幅2.1,高1.8m
位置:34°41′42″N133°52′18″E

奥壁辺りの天井に開口


玄室、奥壁辺りに歪みがあり隙間を生じている


奥から外、羨道もかなり埋没


右が微妙だが片袖かな


3号
横穴式石室、残存長4m

果樹園の中に石室露出、羨道部は崩壊


石室正面


石室東側側面


石室背後から、露出した天井石、奥に見えているのが4号


石室内部、奥壁は2段積み、上下の曲面を巧くあわせている


奥から外


4号
横穴式石室、残存長4m

石室西側側面、3号東側に隣接


石室東側側面、奥に3号、左下に7号、遠方林の中に1号


石室背後から、露出した天井石、奥に8号


石室正面、羨道上部は壊失


持ち送りもなく整った石室、奥壁は鏡石を据えるが3号よりやや粗い


5号
横穴式石室
すっかり藪に覆われている、笹薮だけでなく蔓植物にも覆われ一番厄介な状況


上の方に開口、これでも掃除後


天井石が露出


内部も笹薮、掃除する気にもなれない


6号
横穴式石室、玄室長5,幅1.7,高1.5m
位置:34°41′44″N 133°52′22″E
笹薮の中に開口、以前は文字通り藪の中だった、右側の石だけが露出していたもよう


石室は極めて良好、群最大クラス


側壁は垂直、天井面のレベルも揃っている


奥壁は巨石1枚+平石、左側壁と共に面が整えられている


奥から外、多分無袖かな


奥から左、側壁上部が平らでないため積み重ねるのに苦労したかも


右側はそれ程でもない


7号
横穴式石室、残存長5m

墳丘東側、天井石が露出


墳丘西側、羨道部は崩壊


石室正面


石室内部、ゴミ溜め状態


持ち送りがなく整った玄室


鏡石を据えた奥壁、上に重ねた平石が右に偏って不安定感を与える


奥から外、無袖式かな


8号
横穴式石室

天井石の一部が露出


隙間からカメラを突っ込んで撮影、白いのは蜘蛛の巣


7号と同規模のようだ


(見学記)
(2017年)
北区松尾、前回訪問後に新たに6号が発見された、しかも一番状態が良さそう。でもここは道が狭くて車では訪問しづらいし後回しになっていましたが吉備SAにウエルカムゲートがあって歩いていけるのでどうせSA泊だし行き掛けの駄賃とばかり訪問してみました。場所は4号のすぐ側10mも離れていないけど当時は笹薮の中で全く分からなかった(存在を知らないから探してもないし)。今は石室入り口の笹薮が刈られ石室が丸見えになっています。巨石を使った玄室は無袖式かな、奥壁は巨石1枚+平石、天井のレベルが揃えられていて高度な技術を思わせます。発見当時は側壁のごく一部が笹薮の前に出ていたようだけどこれを小学生が見つけて発見に至ったとか、恐るべし。序に5号も見学、こちらはすっかり藪に包まれていますが南側になんとか石室が見えています、内部はかなり埋没し笹薮状態で入るの困難。

(2008年)
岡山市松尾、山陽自動車道吉備SA北側に松尾大池がありその北西の果樹園の中にある古墳群です。吉備SAがスマートSAになっていてここから直接外に出られます。ため池西側の堰堤から真っ直ぐ北の丘に登ると左手に小さな林がありその北東隅辺りに1号があります。外側から墳丘が見えたのでどこから入ろうかと思案しているとちょうど農作業の方が通りかかって教えてくれました。笹藪を押し分けて中にはいるとすぐに開口部があります。と言っても羨道入り口でなく奥壁近くの天井部に隙間が出来ていてそこから中に入れます。石室長5mほど羨道もかなり埋まっていて奥壁辺りも石積みに乱れがありますが全体に良好に残っています。
古墳群とあれば他も探すのが常道、ここから東に50m程行くと4基の石室墳が露出していました。道北側の2基はほぼ石室が露出前部も崩壊内部も大分埋まっていますが共に残存長4m、幅1m程の石室です。その下側にも2基の石室があり西側のは残存長5mほど、少し物置となっていますが立派な石室が良好に残っています。その東側は天井石の一部が露出している程度隙間からカメラを突っ込んで撮影しましたが西側のとほぼ同規模のようです。
今年の岡山県(そして来年からも)の古墳はかまどねこさんのブログ古墳奮闘を参考にしていますが(と言うか殆ど頼り切っていますが)、あれ程困難な石室を探し出している方がここを見逃したというのが不思議でしょうがない。
[ 2017年12月28日 18:52 ] カテゴリ:岡山市北区 | TB(-) | CM(0)

丸小山古墳

山口県下関市 2017年6月訪問

円墳、R10程度、6C後半~7C前半
横穴式石室、全長4.2m、玄室長2.4,幅1.25-1.54m
位置:34°00′25″N 130°56′26″E
半独立丘陵上、頂部よりや役立った斜面に立地、丘陵南半分は以前の工事で削られた


上部を失った石室、それ以外残り具合は良い、床面前面に敷石


羨道先端まで残っている、前面に列石を配置


敷石は羨道途中まで、仕切り石で区画


右斜前から


左斜め前から


真横から


右後方から、見納めなので色んな角度から撮影


真後ろから、奥壁下部の石背後が見えている


出土遺物


丘陵頂部辺りで出土した鉄鏃、別の埋葬施設が予想される


見学記
下関市延行、丘陵から派生した小さな半独立丘陵上にある古墳です。遺跡自体は以前から知られていましたが1986年住宅開発に伴う事前調査で石室が見つかり見つかり新たに丸子山古墳と命名されました。17年本格的な発掘で石室全貌が判明、上部を失っていますが玄室や羨道下部が良好に残っていました。丘陵頂部よりやや西に下った斜面に構築、南側に平野が広がっているのに何故か北西に開口、全長4.2m、玄室長2.4、幅1.25-1.54m、両袖式ですが左袖はあまり明確ではない。床面には角礫が敷かれ一部羨道にまでおよび仕切り石で区切られている。奥壁沿いには平石が敷かれ明らかに違った区画、この片隅から臼玉が出土しています。石室前面だけに列石がある。市内では良好に残る石室だけど残念ながら発掘後消滅するようです。
(追記)17年12月現在、丘陵ごとすっかり削平されていました。移築もないようです。
[ 2017年12月21日 18:48 ] カテゴリ:下関市 | TB(-) | CM(0)

みやばし古墳群

山口県下関市 1993年4月訪問、2017年1月再訪

7基以上

(2017年)
その1
位置:33°59′14″N 130°58′01″E
墓地北側、最初に出会う


現状ではこれが最大かな


その2
僅かな高まりだがこれでもましな方


その3
取り敢えず高まりがあれば撮る


その4
肉眼だとハッキリ分かるんですが


その5
写す方向も大事、なるべく障害物がないようにね


その6
障害物がないと写真でも比較的分かりやすい


その7
これはもう肉眼でないと分からない


(1993年)
画像無し

(見学記)
(2017年)
下関市延行、延行送信所南方150m、丘陵最高所辺りの平坦面に分布する古墳群です。前回訪問した時は墳丘だけだったのでアップはパスしたので再訪してみました。記憶の中では開放的な墓地の中に土饅頭のような墳丘があるイメージがあったのですが行ってみるとまるで違っていました。頭の中で他の古墳と混乱していたかも(実際経験あり)、とは言え違いすぎたな、四半世紀くらい経っているからいたしかたないか。送信所東側の住宅脇を通って林の中に入ると墓地があります。その手前に背の高い墳丘があってこれが一番良好(後で古墳群に属さない岡古墳と判明)、墓地の手前にも1基、更に墓地を通り過ぎて竹林の中に5基確認できました、どれも低い墳丘です。幾つかの古墳で頂部が盗掘されていますが石材は全く見られず木棺直葬かもしれません。前回は6基、今回は7基確認したからほぼこれくらいの規模かな。送信所脇に駐車スペースあり。

(1993年)
更に東に行くと海上保安庁送信塔の南側墓地周辺にある古墳群です。小型の円墳が7基確認できました。内部主体は不明。更に東側仁馬山古墳との間にも2基有り。
[ 2017年12月21日 18:47 ] カテゴリ:下関市 | TB(-) | CM(0)

岡古墳

山口県下関市 2017年1月訪問

位置:34°00′33″N 130°56′23″E
みやばし古墳群北東100m辺りにある、単独墳のようで固有名が付いていました


高さ3m程、径の割に背が高い


見学記
みやばし古墳群の手前にある古墳です。てっきり古墳群に属していると思っていましたが岡古墳という別の名前が付いていました。そういう目で見るとみやばし古墳群の墳丘と比べると随分背が高いです。高さから後期古墳かと思われますが周囲が多少削られているのにもかかわらず石材は全く見られません。墳丘には太い竹が密生しています、裸の状態だったらまだ見応えがあったんですけどね。
[ 2017年12月21日 18:47 ] カテゴリ:下関市 | TB(-) | CM(0)

迫山石棺(安岡八幡宮石棺)

山口県下関市 2014年2月訪問

箱式石棺
位置:34°01′39″N 130°55′10″E
偶々訪問した神社で偶然見つけた、標柱は安岡八幡宮古墳となっている


標柱反対側にある、背景は一見円墳のよう、祀り事の対象になっているようだ


蓋石3枚露出、棺身も見えている、原位置のままでしょうか


蓋石の下に棺身、内部は埋没


見学記
下関市安岡、別の目的で神社に行ったら境内に”神功皇后ゆかりの武将の石棺”なんて説明板(石柱)があった。神功皇后はともかく石棺に惹かれて慌ててゴー、どうやら箱式石棺のようで現在は御霊屋のように祀られているようです。神社が低い丘陵上にあってその頂部が一見円墳風、その裾辺りにあります。蓋石3枚と身の一部が見えているが内部は埋没、3世紀のものだそうです(出土品からより神功皇后関連ということで3世紀としたのかな)。ひょっとして頂部にも別の主体部があるかもしれない、と勝手想像。実は説明板を見る前にこの脇を通っていたのですが円墳そっくりの地形だなと思ったけどここに古墳があるはずないなと通り過ぎ箱式石棺も気が付かなかったよ。現地標柱は安岡八幡宮石棺となっていますが県遺跡地図では迫山石棺となっています。神社駐車場あり。
[ 2017年12月21日 18:46 ] カテゴリ:下関市 | TB(-) | CM(0)

観音岬古墳

山口県下関市 1988年4月訪問、2017年1月再訪

前方後円墳、R27、5C
位置:34°01′21″N 130°54′26″E

(2017年)
南西からの遠望、海に突き出た岬上に立地


墳丘のように見えますが殆ど林です


グランド側に保存、説明板がなくなっていた、林が透けていて墳丘が低いのが分かる


後円部墳頂は広く前期古墳を思わせる


江戸時代の墓石でしょうか、人工物があったのはこれだけ


(1988年)
響灘に突き出た岬上に立地、前方部削平


(見学記)
(2017年)
下関市安岡本町3丁目、岬に立地した前方後円墳です。北バイパスから岬の上に乗っかったような古墳が遠望できるので行ってみました。以前は説明板が立っていたがそれがなくなっているが他は変わりなし、全体が雑木に覆われていて中に入っていく道もありません。それでも強行突入、前方部が壊失していますが南西側に出っ張りがあり多少は残っているようです。後円部は上部は広く平坦になっていて前期古墳を思わせます。上には墓石が1個あるのみ(明治か江戸後期か)。入り口辺りに駐車スペースあり。

(1988年)
安岡の西側,海に突き出た村崎ノ鼻の南端に位置する前方後円墳ですが径27mの後円部のみ残っています。
[ 2017年12月21日 18:46 ] カテゴリ:下関市 | TB(-) | CM(0)

大門古墳

山口県下関市(旧豊浦町)1993年4月訪問、2017年1月再訪

前方後円墳、TL33,R17,RH3.5,FW16
横穴式石室、玄室長2.9,幅2.8,高2m
位置:34°07′23″N 130°55′27″E
(2017年)
南からの遠望、矢印が古墳、北西に伸びる舌状丘陵先端近くに立地、右下の作業小屋辺りから入っていける


四半世紀ぶり、見通しが良くなっていたが大きな説明板が倒れている


反対側から、前方後円墳なのがよく分かる


前方部から後円部


後円部から前方部、前回は所有者の方がベンチに座っていたのが思い出されます


全国的に稀有な土管羨道(笑)、左右の石はオリジナル?


ドーム状玄室、奥壁下部は隙間なく丁寧に据えている


合成して迫力を増してみました


右側壁は上部がかなり持ち送り


左側壁はそれ程でもない


狭く細長い天井、右が奥側


奥から外、両袖式、しきみ石が大きく入り口が狭い、床面には河原石の敷石がある


〃縦位置


(1993年)
後円部側面、羨道保護のため入り口に土管を埋設


持ち送りのある玄室、下部にやや大型の石を据えている


天井、かなり狭い


両袖式、写真では分からないが玄室床面が1段下がる


(見学記)
(2017年)
下関市豊浦町大字黒井、山地から長く伸びた舌状丘陵先端辺に構築された前方後円墳です。ここも四半世紀ぶりの訪問、場所は分かっているけどどうやって丘の上に上がったがすっかり忘れているので衛星写真で見てみたら北側からの方が接近しやすそうだったので行ってみたら藪状態で無理、麓を廻っていたら地元の方に会って案内してもらえました。墳丘廻りは果樹園ですが既に所有者が止めていて放置状態、開口部前の説明板も倒れています。その割には見学しやすく小さいながらも背の高い墳丘が残っています。羨道は土管状態だけど余程羨道の状態が悪かったんでしょうか、こんな例は他に見たことがないですね。羨道はガッカリ感が強いですが玄室は完存、これは見学の価値あり。背が高く天井が狭いドーム状、ただ天井は円形でなく長方形です。南西側から入っていく道があります、墳丘の上に桜があるのでそれが目印、高い木なので冬でも目印になります。市史跡。
地元の方に聞いた話によると所有者の方が入院され果樹園はされていないそうです。この日はまだそれ程ではなかったですが今後は荒れ果てることが予想されます。

(1993年)
山陰本線黒井村駅途方1kmにある全長32mの前方後円墳です。西に伸びる尾根の先端に立地主軸は尾根と直交していて後円部西側に横穴石室が開口,土管のような物(これはどうにかならなかったんですかね、羨道はどうなったんだろう)が突き出ていてここから入っていくと玄室にたどり着きます。両袖式で小型の割石を使った持ち送りの強い玄室で平面規模の割に背の高い石室です。墳丘は周辺がかなり削られていますが何とか前方後円墳と分かる程度,ミカン畑の中にあって近くまで行かないと存在が分かりません。町史跡。
[ 2017年12月14日 18:31 ] カテゴリ:下関市 | TB(-) | CM(0)

中畔古墳群

山口県下関市(旧豊浦町)2017年1月訪問

川棚神社裏山に分布


その1
位置:34°08′55″N 130°56′07″E
神社背後、山道脇にはっきりした墳丘


信仰の対象になっているようです


特に石材露出は見られず


その2
更に登っていくともう一つの墳丘、これは山道削り残しのようにも見えました


下方に石材露出、どう見ても石室のように見えます


石室天井石だよね・・・


後方の石が中心線よりずれているような気がしないでもない


見学記
下関市豊浦町大字川棚、川棚小学校側の川棚神社背後の丘にある古墳ですが情報は全くなし、神社なら目印になりやすいだろうと思って行ってみました。本殿脇を通って林の中に入るとすぐ墳丘らしいのが目に入りました、石材は全く見られませんがこれは古墳で間違いないでしょう。すぐ上にも同様のがあり初めは山道を造成した削り残しかと思いましたが石室らしい石組みも露出している、ただ100%間違いないかと言われると自信無し。他にも怪しいのは幾つかありましたがハッキリしていたのはこの2基だけでした。神社に駐車場有り。
ここは県の遺跡地図では水道山遺跡となっています。近くに古墳がありますが下畔古墳は神社西側にある小学校の西側、後楽古墳は更に西側、高迫山は古墳はずっと東側で明らかに位置が違います。保育社「日本の古代遺跡(山口)」では中畔下畔古墳群となっていたけどこれも2つの地名が合わさっているようにみえるので一応中畔古墳群としておこう、古墳群と思っていたから複数探したしね。遺跡地図が必ずしも正確とは限らないから実見した方を大切にしよう。
[ 2017年12月14日 18:29 ] カテゴリ:下関市 | TB(-) | CM(0)

上燈山古墳

山口県下関市(旧豊田町)2016年12月訪問

横穴式石室
位置:34°10′34″N 131°04′00″E
丘陵から突き出た小丘陵上に立地


案内板あり、右側の山道を行く、ストリートビューでも見えているが一部文字が判読出来ず


最初に見かける巨石、天井石でしょうか、石室からは10m以上離れている


板状の石で構成された石室下部残存


右側の石があるからややこしくなっているがやはり動かされた石でしょうか


右側(西側)が入り口側でしょうか


初めは上辺のここが玄門かと思いましたが石材が1枚抜かれているだけかな、奥壁にしては石材が薄いけどね


見学記
下関市豊田町手洗、江良古墳群南東200mにある古墳です。丘陵先端に構築されていますが丘陵が県道65号で切断され半独立丘稜のようになっています。丘陵西側林際に案内表示がありますがそれだけで他にはなにもありません。林の中に入ると天井石を思わせる巨石がありその奥に基部だけ残った石室がありました。残存長1.5m程度、石組みだけ見ると横穴石室よりは箱式石棺を思わせますが幅が5,60cmはあったのでむしろ石槨っぽいけどそれにしては大きすぎるかな。古墳がある場所は丘陵南端ですが先端が不自然に盛り上がっていて上部はまっ平らに整形されています。時代は分かりませんがかなり人間の手が入っているようです。
ここは古いパンフを整理していて偶々手洗古墳群と言うのを知りました。2005年に発掘され2基の石室を発掘、現状はどうなっているか分かりませんでしたが探しに行ったらこの古墳を見つけました。多分手洗古墳群の1基でしょうし県の遺跡地図でもこの場所が手洗古墳群になっているんだけどかなり広い範囲になっていて他を見つけるのは難しそう。遺跡地図には上燈山古墳の名前は載っていませんでした。それはともかく石室が見つかっただけでもラッキーでした。
[ 2017年12月14日 18:28 ] カテゴリ:下関市 | TB(-) | CM(0)

沓古墳

山口県山陽小野田市(旧山陽町)2016年12月訪問

横穴式石室、玄室長2.5,幅1.6,高1.5m(目測)
位置:34°03′50″N 131°10′29″E
構造改善センター敷地内に保存、どう見ても移築っぽいんですけどね


墳丘復元、羨道は天井壊失、右最前部の石は羨門の石かな


小型の玄室、全体に小型石材、奥壁も特に鏡石はなさそうだ


〃縦位置、天井石は割と大きい


天井一番手前の石材は現代の石っぽい


床面には敷石


右片袖式、カメラを突っ込んで撮影、石の隙間に土がありこれも移築を推測させる


見学記
厚狭大字沓山田、沓山田構造改善センター敷地内にある古墳です。墳丘は復元、横穴石室で玄室長凡そ2.5m、右片袖式の玄室はほぼ残るが羨道は一部のみ、床面に敷石がある。柵があって中には入れないけどこれが石材にボルトで固定、これでは係の人も入れないし内部で草が茂ったらどうするんだろ。場所的にも雰囲気的にも移築の匂いがプンプンするんだけど説明板には何も触れられてないな。高価そうなスレンレス製の説明板だがこの古墳自体の説明はあまりない。山口県遺跡地図を見てみるとここのすぐ近くだけど線路の西側にあったようだ、でも古墳の表示が点とはいえ面積を持った小さな円、この手の地図は位置がアバウトなこともよくあるし円の中心が古墳の位置とは限らないからな。後で検索してみると元は田圃の中にあったようです。線路西側は田圃だけどここは田圃だったとは思えないしやはり移築かな。センターに駐車場有り。
[ 2017年12月07日 19:07 ] カテゴリ:山陽小野田市 | TB(-) | CM(0)

七日町古墳群

山口県山陽小野田市(旧山陽町)2016年12月訪問

横穴石室3基(番号は仮称)

遠望
民家裏に3基、地形的には丘陵南側麓辺り


1号
位置:34°03′03″N 131°08′34″E
家の人に聞かないとまず分かりません


右側に廻ると石材が露出していました


かなり不安定な状況


右が奥壁、左が側壁でしょうか、かなり後期仕様のようだ


天井石が落下している


1枚目の場所に戻ると石室側壁が見えていた


2号
すぐ西側、ここも聞かないと分かりません


右側半分が崩壊した石室


正面辺りが奥壁でしょうか


前の写真右端に見えている石がこの右側の石


この辺りが奥壁かな


3号
転落した天井石でしょうか、他の石材は見当たらず


見学記
山野井七日町、低い丘陵麓近くにある3基からなる古墳群です。民家の裏にあるので家の方に挨拶して見学。家のすぐ後ろにあるのが仮1号、使われている石材から見てこれが一番大きそうですがかなり崩壊していてギリギリ石室だなと分かる程度です。すぐ西側に仮2号、こちらも大きく損壊し奥壁と側壁の一部が残るのみ。更に西側に仮3号、こちらは天井石らしい石材が転がっているだけで他は見当たらず。
この南西丘陵上に中ノ浴古墳があるそうなので探してみました。幸い丘陵に入る山道があったので入ってみましたがそれは送電線に通じる道(よくあることだ)、幸い藪もそれ程酷くないので結構広範囲に探してみましたが見つからず。頂辺りに僅かに膨らんだ地形があったけど多分違うな。そもそもどんな古墳か全く分かってないもんな。
[ 2017年12月07日 19:07 ] カテゴリ:山陽小野田市 | TB(-) | CM(0)

平松1号(平松古墳)

山口県山陽小野田市(旧山陽町)2001年4月訪問、16年12月再訪

円墳、R12,H3.7
複室構造横穴式石室
位置:34°00′03″N 131°07′29″E
(2016年)
県道脇に良好に残る墳丘、復元それともオリジナル?


入り口の柵はすっかり錆びついている、鍵を借りたとしても開きそうにない


長い羨道、やはりここは入ってみたい


複室だそうだが前室ははっきりしないな


前室左側、玄門袖石、玄室側壁も巨石


この辺りが前室右側だがあまり引っ込んでない


平松2号
2号墳があるというので探してみました、小さな尾根筋先端、これかな


石材は全く見られず、確度50%


(2001年)
墳丘、石室正面、九州を望める海岸沿いの高台に立地


中室、玄室


玄室


(見学記)
(2016年)
これもデジカメで撮り直すため再訪、前回の推定位置が300mもずれていた(汗)。古墳自体は変わりなし、入り口に柵があり施錠もされていますが錆びついていてこれでは鍵を借りても開けられそうにありません。もう相当期間誰も入っていないんだろうな。2号があるというので探してみました、道路反対側の林の中に不自然に膨らんだ墳丘っぽいのがありましたが確信は持てなかった。当然横穴石室だろうと思うけど一部削られているが石材などは全く見られず。

(2001年)
径12mの円墳で九州を望む海沿いの高台に立地しています。県道沿いに裸の墳丘があるのですぐ分かります。東向きに石室が開口していますが入り口に柵があって中に入ることは出来ない。複室構造の石室ですが入り口からはちょっと分かりにくい。
[ 2017年12月07日 19:06 ] カテゴリ:山陽小野田市 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

平家蟹

Author:平家蟹
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