千畑古墳

宮崎県西都市 2001年5月訪問、17年2月再訪

前方後円墳、TL60m
横穴式石室、全長9.2m,玄室長5.4,幅2.9,高2.8m
位置:32°08′12″N 131°24′17″E

(2017年)
階段の下に説明板


途中に石材、羨道石材でしょうか


羨道前部上部壊失、左側壁は面が整えられている


羨道後部はよく残る


大きな玄室、側壁はやや持送り


〃縦位置


奥壁は巨石を据え上に3段積み


天井は2枚の巨石


奥から外、袖石を立てた両袖式


〃縦位置


羨道奥から


(2001年)
石室正面、日向では珍しい横穴式石室


玄室


両袖式


(見学記)
(2017年)
西都市穂北、茶臼原から県道313号を更に西に行くと大地を下る坂道を下に降りきる手前で小さな案内表示があります(下りだと反対向きになっている)。そこから500m程、公民館脇に案内板がありそこから100m程(案内板だと200mになっているけど)石段を登ると巨大な石室が開口しています。横穴石室の少ない宮崎県でいきなりこんなに巨大な石室が出現したのも不思議です。畿内勢力の橋頭堡でしょうか。古墳前に専用駐車場有り、でも公民館脇に空き地があるからそこに停めるよね。案内板に専用駐車場も書いてくれればいいんだけどね。国史跡。

(2001年)
千畑集落内東側、台地端の急傾斜地に立地している。遺跡としての登録は円墳だが実際は前方後円墳、しかし樹木に覆われて墳丘は殆ど視認できない。後円部に日向には珍しい横穴式石室が開口している。全長9.2m、玄室長5.4m、幅2.9mで割石巨石を使った両袖式、やや持ち送りがあり奥壁上部も内側に傾いている。国史跡。
[ 2018年04月26日 18:56 ] カテゴリ:西都市 | TB(-) | CM(0)

百合野古墳群

宮崎県木城町 2017年2月訪問

畑の中に数基残る

その1
ファーム西側


その2
すぐ側にもう1基


その3
位置:32°09′31″N 131°26′20″E
ファーム南側茶畠の中に2基


これが一番分かりやすい


その4
その3東側、奥のファーム内にその5


その5
ファーム内なので望遠で撮影


その6
東側に離れた場所


(見学記)
木城町椎木、山塚原古墳群から川を越えた南側、丘陵上がすっかり農地になっていてその北端辺りにある群集墳です。牛舎(以前は養鶏場だったような)の中に1基、西側に2基、南側茶畑の中に2基、どれも標柱が立っていますが番号などは無し、ここも面白味は全くありません。県史跡。
[ 2018年04月26日 18:54 ] カテゴリ:木城町 | TB(-) | CM(0)

山塚原古墳群

宮崎県木城町 2017年2月訪問

山塚運動公園内31基、23基現存、5-7C
位置:32°10′06″N 131°27′12″E
駐車場近くの1基


墳丘削平、周溝が巡る


こちらも同様


老人福祉農園内に密集


柵があって近寄れない、近寄る気にもなれないけど


大きいのだけ望遠で撮影


(見学記)
木城町高城北山、山塚運動広場に保存されている古墳群です。5C-7Cにかけての群集墳で31基中23基確認、数は沢山有るのですが見られるのは墳丘だけあるいは墳丘を壊失した周溝だけ、墳頂に宮崎県でよく見られる石柱が立っていますがどれも木城町古墳と彫られているだけで番号はなし。初めは1基1基区別して撮っていたのですが殆どの古墳は農場内にあって近寄れずアホらしくなって止めました。駐車場有り、一応公園だけど週日ということもあってここも誰もいない。県史跡。
[ 2018年04月26日 18:53 ] カテゴリ:木城町 | TB(-) | CM(0)

永山古墳

宮崎県木城町 2017年2月訪問

6C後半
位置:32°09′52″N 131°28′20″E
城山公園駐車場に移築された石室


天井を失った石室、前日日が当たりすぎていたので翌日曇り空の時撮影


上から、無袖かな


奥から、床面に仕切り石がある


丸みを帯びた河原石を使っている


石室内部、床面に敷石があるが隠れている、日当たりが良いせいか苔が生えている


(見学記)
木城町高城、道路工事で横穴石室が発見され城山公園駐車場に移築されました。上部を失った石室ですが床面には敷石があったようです。6C後半の石室でそれ程大きなものではありません。宮崎県の古墳は殆ど国か県の史跡になっていますがこれは珍しく町史跡、それだけ発見が後の時代だったんでしょうね。
[ 2018年04月26日 18:53 ] カテゴリ:木城町 | TB(-) | CM(0)

伊勢ケ浜古墳群

宮崎県日向市 2017年2月訪問

全景、海水浴場駐車場背後にある、説明板があるがかなり消えかかっている


5号
道路脇にある高まり、標柱がないと分からないレベル


6号
隣に6号、墳頂が窪む、何故か富高古墳になっている、富高古墳群はかなり離れた場所にあるそうだ


7号
横穴式石室
位置:32°24′39″N 131°39′21″E
更に東側、林際に墳丘


石室は前部、天井部壊失


奥壁は角状石材を積み上げる


側壁奥壁は基部だけやや大きな石材


板石を使った袖石


(見学記)
日向市日知屋、伊勢ケ浜海水浴場北側の丘陵麓辺りにある古墳群で4-7号が現存しています。海水浴場北側に駐車場がありそこに説明板が立っていますが文字は殆ど消えかかっています。説明板の背後、高さ10m辺りにあり道路沿いに5,6号の標柱が立っています(でも伊勢ケ浜じゃなく富高古墳となっているのが宮崎県のややこしい所)。5号は僅かな高まり、墳丘なのかと思うくらい、6号は低い高まりと墳頂が窪んでいて少しは古墳っぽい。東側の林の中に入ると7号、天井壊失前部もかなり破壊されています。巨石は使われていませんが結構大きな石室です。左側に薄い板石が立っていて袖石でしょうか。道路北側に4号があるはず、開けた場所になっていますがそれらしいのは見当たりません。
[ 2018年04月12日 19:00 ] カテゴリ:日向市 | TB(-) | CM(0)

鈴鏡塚古墳(草場古墳)

宮崎県日向市 2017年2月訪問

円墳、R20、6C前半
位置:32°25′29″N 131°37′26″E
住宅街の中に保存、説明板が何故か道路側でなく家のある北向き、思うに日光で文字が消えるのを防ぐためか


県内で唯一の八鈴鏡出土、名前も変更、とは言え面白みのない円墳


(見学記)
富高古墳群北側200mの場所にありますが狭い道路を大廻りする必要があります。当然歩いてゴー、墳丘だけなので遠くはなれていたらパスしていただろうな。名前の通り獣文八鈴鏡が出土しています。説明板が立っているが何故か道路側ではなく民家側に向いている。説明板の方が古そうなので立てた当時は民家がなかったのか、それとも北向きにして日光で文字が消えないように配慮したのでしょうか。
[ 2018年04月12日 18:59 ] カテゴリ:日向市 | TB(-) | CM(0)

富高古墳群

宮崎県日向市 2017年2月訪問

前方後円墳1、円墳1

公園案内図


1号
円墳、R50、6C
位置:32°25′20″N 131°37′27″E
大型円墳、下側も墳丘なのかな


案内図の右上側から、上に神社


2号
前方後円墳、TL80,437,FW24、4C末~5C初
1号から見た2号、100年くらいの時代差がある


前方部斜め前から、全体に低い墳形


低平な前方部


前方部から後円部


後円部から前方部


(見学記)
日向市富高、若宮近隣公園内にある前方後円墳1、円墳1からなる古墳群です。1号が計50mの円墳で上に若宮神社があります。背も高くとにかく巨大です。2号は南側にある前方後円墳で全長80m、前方部側面が少し削られていますが状態は良さそうです。こちらは4C末~5C初、1号は6Cで前方後円墳の方が先行しています。体積比からすれば1号の方がずっと大きい。前方後円墳と円墳1基づつの組み合わせは時々見かけますが円墳の方が大きいのは少ないですね。住宅街の中で公園駐車場がなく一苦労、北側にお寺があり(寺らしくありませんが)そこから真っ直ぐ南に伸びる道が行き止まりなのでそこに駐車出来ました、結果的には1号の真下になりました。しかし駐車場がないので利用者は当然近隣の人だけでしょうね(それで近隣公園か(違))、ウイークデイということもあって人っ子一人いませんでした。県史跡。
[ 2018年04月12日 18:59 ] カテゴリ:日向市 | TB(-) | CM(0)

移築石棺

宮崎県延岡市 2017年2月訪問

位置:32°33′53″N 131°38′31″E

公園の一角に保存、でも草茫々


西階公園出土石棺
凝灰岩製刳抜式、手前が丸くなっている


樫山古墳群出土石棺
結晶片岩組合式箱式石棺


小口部が3重になっている


赤城遺跡出土石棺
凝灰岩組合式箱式石棺・・・なのだがもはや窪みしか見えない


(見学記)
西階公園内にある児童公園西側の高まりに市内から出土した石棺3基が移築保存されています。説明板が立っていますがもう草茫々でよく分からない状態。右側のが西階公園で出土した凝灰岩製刳抜式石棺の身、刳抜式である証拠に水が溜まっています。真ん中のが樫山古墳群から出土した箱式石棺、結晶片岩製なので残りは良い、小口部の板石が3重になっている。左のが赤木遺跡から出土した箱式石棺ですが凝灰岩製なので状態はよくありません。
[ 2018年04月12日 18:58 ] カテゴリ:延岡市 | TB(-) | CM(0)

南方古墳群

宮崎県延岡市 2017年2月訪問

総数40基程、5支群に分かれ全て国史跡


天下支群大貫支群野田支群野地支群吉野・今井支群(クリックでジャンプ)


天下支群(あもりしぐん)
1号(天下神社古墳)
前方後円墳、TL71,R35,RH5.1,FW19
位置:32°34′08″N 131°37′59″E
低い丘陵上に立地する、鳥居から後円部が見えている


後円部正面、上に神社、頂部広く平ら


前方部から後円部、柄鏡型前方後円墳


前方部隅から後円部


低く細長い前方部


2号
円墳、R25
1号東、社殿裏にあるがかなり削られている


横穴石室と思われる巨石露出、割りかけた矢穴が残っている


3号
円墳、R14
1号後円側に低い墳丘、主体部は箱式石棺


4号
3号側に同規模の墳丘、こちらも箱式石棺


10号
前方後円墳、TL79,R52,RH5.2,FW28,FH3.6
位置:32°34′14″N 131°38′01″E
1号からの遠望、ほぼ同じ高さの丘陵上に立地


右が後円部、左に前方部が伸びているようだ


吉野・今井支群
14号
円墳、R22
舟形石棺
位置:32°33′48″N 131°37′22″E
道路脇に小さな案内板、奥に墳丘が見えている


大きな墳丘が良好に残る、宮崎県だから復元ではなく元のままだろうな


南側から見ると頂部が大きく抉られている


覆い屋の中に細長い舟形石棺を安置


蓋石小口部に太い縄掛突起


反対側の突起は形が随分違う、突起と言うより蓋石隅をカットしたような


15号
14号西側に小さいが形のいい墳丘


民家で少し削られているかも


石棺材でしょうか、HP「大和國古墳墓取調室」のと比べると少し違うような


これもそうでしょうか、少し埋まっている


野田支群
37号
刳抜式家形石棺
位置:32°34′22″N 131°38′24″E
道路脇に説明板、空き地の奥に石棺


阿蘇溶結凝灰岩製刳抜式家形石棺


蓋石側辺に2対、小口部にも1対の縄掛突起、蓋石一部が割れている


身小口部にも縄掛突起、反対側は無さそうだ


反対側とは縄掛突起の形状が微妙に違うような気がする、こちらは屋根部斜面まで流れているような


蓋石中央部に対の彫り込みがあります、当時のものなんでしょうか


野地支群
32号
円墳、R18,H2.2
位置:32°34′00″N 131°38′47″E
大きな説明板が立つが墳丘はずっと上、低平なようでわざわざ行く程でもない


33号
位置:32°34′10″N 131°38′46″E
丘陵上住宅街の中に保存


周囲が大分削られているようだ


大貫支群
24号
円墳、R21
横穴式石室、全長9.2m、玄室長4.36,幅1.58-2.13,高2.2-2.52m
位置:32°34′03″N 131°39′03″E
東西に長い尾根状丘陵頂部に立地


南側に開口、市内最大の石室


柵はあるが鍵はかかっていない


羨道まで良好に残る、明るいせいか苔が生えている


巨石石室、奥壁は3段積み、左側石材が明らかに土圧で突き出ている


〃縦位置、最奥の天井石が一段下がる


奥から外、柱状袖石を立てた両袖式


〃縦位置


石材表面を削った跡がよくわかる、石材それぞれで随分違いがある


25号
24号西側、墓地の中


26号
25号南側、割と背の高い墳丘


27号
低平だが割と大きな墳丘


29号
竹藪の中に墳丘


30号
円墳、R18
位置:32°34′02″N 131°38′59″E
雰囲気良く残る墳丘


39号(浄土寺山古墳)
帆立貝式、TL58,R35,FW20
位置:32°34′05″N 131°39′05″E
後円部、前方部は確認できず


(見学記)
延岡市内にある古墳群ですがあちこち散らばっている上にほぼ市街地なので車で訪問するには厳しい場所です。今井支群(7),天下支群(11),大貫支群(11),舞野支群(6)に別れています(数は現地説明板による)。一括して国史跡。
今井支群
延岡道路西側を平行して走る市道を南下していくと小さな案内表示がありそこから墳丘が見えています。見えていたのが14号で径22mの大きな円墳、南側が削られて刳抜式舟形石棺が露出覆い屋で保護されています。かまぼこ型の蓋石は両端小口部左右がカットされて縄掛突起のように加工されています。直ぐ側にある小さな墳丘が15号、こちらは民家で少し削られています。板状の石がありますが石棺材でしょうか、民家側にも半ば埋まった石材がありこちらは元位置のままでしょうか。

天下支群
14号から北上して最初の交差点を右折、600m程行くと右手高い場所に天下神社があります。境内に4基の古墳があります。1号が前方後円墳で上に社殿が建っています。墳丘は状態がよく後円頂部が平らで広く前方部は細長く如何にも古式な前方後円墳です。本殿の裏側にあるのが2号でだいぶ削られていて巨石が露出、横穴石室だそうですが石室を思わせる状況にはありません。矢穴があって割られかけたようです。側に3,4号があり主体部は箱式石棺だそうですが見られません。道路を挟んで北側に前方後円墳の10号があります。近寄ってみましたが上部が削平されているのかな。神社東側にもあるようだが分からず。ちなみに天下の読みは”あもり”です。

野田支群
天下神社から更に東に行き野田町5303にあるのが37号(途中の野田神社に38号があるがパス)、広い道路から狭い道路に入る必要がある。説明板が立っていて空き地に刳抜式家形石棺が完全露出、阿蘇凝灰岩製、大きさ2.7m程、蓋に短い縄掛突起2対、小口部に1対がありますが削られているようでわかりにくい。身小口部に1ついていますが反対側は無いか削られたか。蓋石上部に1対の彫り込みがあります。熊本県の石棺で見られた縄掛け穴にも似ていますが貫通はしてないし当時のものかどうかは分かりません。

野地支群?
西階町に西階運動公園があります。ここの遊泳場がある東端にあるのが32号、取り残された丘の下に説明板が立っていますが墳丘は頂部にある、道もないしわざわざ登る程のものでもありません。北側300m丘陵上の住宅街の中にあるのが33号、車で行くのも面倒なので歩いていきましたがあるのは裸の墳丘だけでした。周囲が大分削られているようです。

大貫支群
32号から東500mの丘陵上にも幾つかまとまっています。丘陵上が墓地になっていて南側にあるのが24号、ちょうど所有者さんらしい夫婦が農作業をしていたので挨拶して見学。墳丘もよく残っていて南側に石室開口こちらも羨道玄室とも良好です。袖石を立てた両袖式で奥壁は3段積み、最後部の天井石が明瞭に一段下がっています。側壁には鏨で削った後がハッキリ残っています。この丘陵は最頂部が平坦になっていてその端に立地しています。石材はどうやって運んだんでしょうね、この丘陵にはなさそうですけどね。更に西側の4基の古墳、その先の竹林の中にも6基あるそうですがこれはよく分からず。墓地の東端にも39号があり前方後円墳だそうですが後円部は残っていますが前方部はよく分かりません。ここも道が狭いので32号から歩いていきましたが南側住宅街の中で道に迷ってかえって遠回りしてしまった。帰りは北側を通る広い道路を通ったけど結果的にはこれが一番短かったかも。丘陵東端にコンビニが有りそこから墓地に至る道があります。南側からの道は狭いのでこれが一番楽かもね。
[ 2018年04月05日 19:02 ] カテゴリ:延岡市 | TB(-) | CM(0)
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