宿後山古墳(仮称)

岡山県総社市 2017年4月訪問

横穴式石室、残存長4,8m、玄室幅1.2,高1.1m
位置:34°38′21″N 133°47′53″E
林の中にポツンと存在する、南側に開口、これだけならどうと言うこともないのですが


林と言うより集落自体がゴルフ場にすっかり取り囲まれている


石室前部は少し破壊されている


小型の石室、終末期程じゃないけどかなり後期かな


鏡石を右に偏らせて据えている


奥から外、右袖があるかな


見学記
総社市宿、ゴルフ場のど真ん中にある古墳です。と言ってもゴルフ場内ではなく(正確には敷地内かもしれない)ゴルフ場に囲まれた数軒程度の集落がありその西側にあります。集落内一番西側の家から西方100m程、道路が逆への字に曲がった辺りの北側林の中です(すぐ北側は6番コースグリーン)。石室自体は小型、側壁は殆ど持ち送りはありませんが割石積み、奥壁は鏡石を右側に偏って据え他は側壁と同様割石積みです。単独で存在しているようで立地からすれば終末期なんでしょうけど石室自体はそれ程新しくは感じません。
[ 2019年01月31日 18:15 ] カテゴリ:総社市 | TB(-) | CM(0)

砂子山古墳群

岡山県総社市 1988年4月訪問、2017年4月再訪

前方後円墳3他

(2017年)
竪穴式石室、長2.5,幅1,高1m
位置:34°40′15″N 133°39′46″E
30年ぶりの訪問、こんな高い場所だったのか、初心者の当時、よく見つけたなとつくづく思う


竪穴石室が開口


滅多に見られない良好に残る竪穴石室


6号
以前はこれが後円部だと思われていた


9号
13号から尾根筋を登ると出会った、10号かと思ったが更に上に10号があったので9号にしておこう


墳丘上方から


10号
9号上、これも最初は11号かと思った、石室開口がないので違うと分かった


11号
前方後円墳
位置:34°40′19″N 133°39′28″E
10号すぐ上、後円部かな


墳頂部に天井隙間開口、入るのは躊躇した、万が一を考えるとな


カメラを突っ込んで撮影、巨石を使った玄室


反対側、こちらも一見奥壁風、アクロバチックな姿勢で撮ったので傾きの修正が出来ず


13号
前方後円墳、TL45
横穴式石室、玄室長4,幅1.5、高0.7m(現状)
位置:34°40′20″N 133°39′34″E
古墳群のある丘、下からの風景、墓地の奥に13号がある


林に入ると大きな墳丘が見える


前方部から後円部、よく残る


後円部から前方部、低く短い


後円部南側に激狭開口、入ろうとも思わないレベル、絶対以前より狭くなっているぞ


隙間から撮影、かなり埋まった横穴石室


(1988年)
前方後円墳(追記:隣接する2基の円墳と判明)
前方部竪穴石室開口部


石室内部


見学記
(2017年)
総社市新本、ここは初心者の頃1号の竪穴石室を見ましたがまだ他に横穴石室を持つ前方後円墳があるので再訪してみました。まずは1号、石室を撮った様子は何とか覚えているのですがどうやって行ったか全く覚えていない、今回東側から登っていきましたが痕跡道さえ無く初心者の当時良くたどり着けたなと思いましたね。ただ斜面自体は下草も殆どなく最上部以外は通過容易です。竪穴石室傍にあった看板は無くなっていましたが竪穴石室は変わりなし、以前は前方後円墳と言われていましたが2基の円墳(1,6号)だそうです。丘陵北側に廻り小さな墓地辺りから山道を登るとすぐに古墳に突き当たる、これが前方後円墳の13号、山裾急斜面をカットした墳丘はよく残っている。後円部に横穴石室が開口しているが激狭、カメラを突っ込んで撮影しても内部はかなり埋まり側壁の一部しか写っていません。ここから上はもう痕跡道さえ殆ど無い、それでも何とか登っていきましたが上の前方後円墳11号との間に10号がありますがその手前にももう1基円墳があるようです。上部が広く平で前期の古墳かもしれない。11号は墳頂に天井石が一部露出して隙間開口しています。隙間は大きいが中に入るには内部が高くて多分大丈夫だろうと思いつつ万が一を考えて入室は断念、かなりアクロバットな姿勢で撮ってきました。横穴石室は明らかですが玄門部分が埋まっているのでそのようには見えません。1号は東麓に公民館がありそこに駐車可、13号は墓地手前に駐車スペースあり。

(1988年)
前方後円墳3,円墳1からなる古墳群です。前方後円墳は全長30-50mの規模ですが林の中にあって形はわかりにくい。皆竪穴石室を有するが現在見ることは出来るのは東側の1号墳だけ、前方部に小型の竪穴石室が口を開けている。
[ 2019年01月31日 18:14 ] カテゴリ:総社市 | TB(-) | CM(0)

真神古墳群

岡山県倉敷市(旧真備町)2017年4月訪問

3基

1号
横穴式石室、全長7m、玄室長3.2,幅1.9,高1.6m(現状)
位置:34°38′33″N 133°40′26″E
大きな墳丘が良好に残る


北側に開口というのが変わっている


竹が生えていて石室正面が撮れず


長い羨道が良好に残る、完存


玄室も良好、羨道よりやや短い


上部が半円形をした鏡石らしい奥壁


奥から外、右片袖式、まぐさ石はない


羨道奥から


2号
横穴式石室、玄室長5,幅1.3,高1.7m(現状)
位置:34°38′25″N 133°40′19″E
1号南西かなり離れた場所、谷筋奥に立地


盗掘されて開口、確実に石室の位置を掘っている


激狭の開口部、せっかく来たのだから入ってみたかったがお尻がつかえた


身体を突っ込んで撮影、やや埋まるが細長い玄室が残る


小型ながら鏡石らしい半円の石を据える、手前にあるのは石棺材か


3号
横穴式石室、玄室長5,幅2,高2m(現状)
1号に隣接、でも番号は何故か一つ飛んでいる、墳丘が削られ石室前部破壊、右後方が明るいのは採土場の為です


大きく開いた開口部、玄門辺りか


玄室は良好、1号より石材が大きそう


ほぼ1枚石の奥壁、僅かな詰め石も隙間が殆ど無い


奥から外


奥から左側


〃右側、こちらの方が石材が大きそう


側壁沿いに箱式石棺がある


奥壁前にも箱式石棺があるようだ


見学記
倉敷市真備町市場、3基からなる古墳群です。採土場(この辺りに何ヶ所かありますが溜池側です)に入っていく直前で左の林の中に入ると良好な墳丘が見えてきます、これが1号、南側に石室開口、入り口は狭いですが入るのはそれ程難しくはない。長い羨道と玄室がよく残っています。全体に石材はそれ程巨石ではなく奥壁は半円形の鏡石らしい石を据えています、袖石を立てた右片袖式。採土場側直ぐ側にあるのが3号、南側が大きく抉られ石室開口、前部は破壊されていますが後部はよく残っています。1号より大分大きく石材も大型、奥壁もほぼ1枚石の巨石です。奥の方に石材が散乱していますが箱式石棺でもあったのでしょうか。採土場ギリギリの場所破壊されずよく残ったものです。南西250mの所にあるのが2号、こんな場所では250mなんて見当もつかず取り敢えず歩きやすい谷筋を歩いていきました。途中から廃道状態の山道に気がついたのでそれを登っていきこれ以上行けなくなった辺りで右手の小さな谷を超えて笹薮をほぼ真っすぐ行くと墳丘に突き当たりました、行き過ぎなくてホッ。やや平坦面に造られた墳丘はよく残っていて南東に開口、せっかくここまで来たのだからと突入を試みましたがお尻が引っかかって入れず。でもやや埋まり気味ですが何とか奥壁辺りまで見えています。ここも中ほどに大きな石材が転がっていますが石棺があったんでしょうか。帰りは山道を歩いて帰りましたが下の方でははっきりしなくなっています。丸木を使った橋があってそれから上でははっきりしてきます。採土場手前の墓地前に駐車スペースあり、溜池堤でも駐車可。
[ 2019年01月23日 22:45 ] カテゴリ:倉敷市 | TB(-) | CM(0)

勝負ヶ谷古墳

岡山県倉敷市 2017年4月訪問

横穴式石室、全長5.5、幅1.5,高1.4m
位置:34°39′04″N 133°48′42″E
標高120mの丘陵上に立地、眼下に平野を望むが見せる為の古墳ではないでしょう


南向きに開口、天井石は明らかに加工、内部に不思議な三角形の石


開口部の半分以上を占めています、出入りするにはどう見ても邪魔


一応袖石なんでしょうね、天井に接していませんが、側壁手前にも石積みがあるようです


側壁は真っ直ぐ立ち如何にも終末期の様相


左側壁は石材を立てて並べ上に高さ調節用でしょうか平石を積む


右側も同様ですがやや乱れがあるかな


奥壁は1枚石+平石と側壁と同様の構造、右下が欠けているのはひょっとしてわざとかな、時折こんなのを見かけます


奥から外、やはりあの袖石が大きすぎる


見学記
倉敷市山地、養護施設あしたばの南側にある古墳です。上から見ると墳丘はあまりはっきりせず上に石碑などが立っています。南東方向に開口、石室自体は小型ですが奥壁はほぼ1枚石側壁もあまり積み重ねはなく垂直に立ち上がっていて終末期仕様の石室です。入り口辺りにおむすび型の石材がありますが袖石にしては出すぎているし閉塞石にしては中途半端だし後世のものとも思えずなんでしょうね。施設前に駐車可。
[ 2019年01月17日 19:32 ] カテゴリ:倉敷市 | TB(-) | CM(0)

高鳥居山南麓古墳

岡山県倉敷市 2017年4月訪問

横穴式石室、全長5m、幅1.4,高1.1m
位置:34°38′10″N 133°48′34″E
標高90mの丘陵中腹に立地、溜池北側にあります、堤から撮影


石仏巡りの山道があり後方に石室開口


石室前部は少し破壊されているようだ、天井石が屋根型になっている


終末期の様相の石室、石積みが近くの勝負ヶ谷古墳に似ている


石材を立てて並べ上に平石、小型石材を積み重ねた部分は埋め込まれた袖石のよう、倒れている石はひょっとして袖石だったか


反対側も同様の構造、こちらの方が積み方が粗い


奥から外、見る限りでは無袖かな、やはり倒れている石が気になる


見学記
倉敷市二子、川崎医大北側の丘陵中腹にある古墳です。南東側麓にあるエスポワールメゾン(普通のアパートですが)辺りから巡礼道があります。初めははっきりしませんがその内はっきりした山道と交差するのでそこを左に登っていきます。所々に祠がある、大分登っていくと溜池が見える辺りから下り道になり(左に折れる道がありそちらに箱式石棺があるそうだがすっかり忘れていた)、堤を通って小さな橋を渡ると遍路と書かれた矢印板があるのでそこを左に曲がると祠がありその側に石室があります。古墳群の1基だそうですが”高鳥居山南麓古墳”と書かれた札が立っています。天井前部が壊失していますが他は良好、奥壁はほぼ1枚石、側壁も垂直に立っていてここも終末期仕様の石室です。勝負ヶ谷より少し大きく石材隙間の詰石も多用されています。
[ 2019年01月17日 19:31 ] カテゴリ:倉敷市 | TB(-) | CM(0)

二子14号

岡山県倉敷市 2000年4月訪問、17年4月再訪

方墳、L13
横穴式石室、玄室長4,幅1.5,高1.5m(概略値)
位置:34°38′42″N 133°48′37″E

(2017年)
前回はフィルム時代だったので序に再訪


折角の移築ながら放置感が漂う、セメントで復元じゃなかったら草茫々だったろうな


枯れススキは冬でも残るから厄介


ここも終末期の石組み


床面には大型石材の敷石、奥壁前はまた違った石組み


奥壁は1枚石、移築なので隙間には土が詰められている


奥から外


埋め込まれたような小さな袖石


天井石を露出させて復元


石室前は通路状


(2000年)
珍しい終末期の方墳、2段築成で各辺には石垣状に石が積まれる、山陽自動車道建設により移築復元


墳丘上部、背は低い


石室正面、羨道は下段に掘りこまれ前庭のよう


玄室


左手に小さな袖石が突き出ている


(見学記)
一辺13m、2段築成の方墳です。珍しい7C中頃の終末期方墳で各辺は石垣状に石が積まれ南側に石室が開口しています。玄室はおおよそ長4m幅1.5m高1.5m位。左片袖式ですが左袖は小さな板状の石が突き出ている程度。発掘寺の写真には板石の閉塞石が写っているが現在これはないようだ。山陽自動車道の建設時に発見され発掘後破壊される予定だったが篤志家の方が無償で移転地を提供され移築復元された 。復元されてからだいぶ時間が経っているようで墳丘や石室入り口までススキがはえてきている。場所がかなりわかりにくい(前方後円墳を思わせるが名だが二子は地名)。岡山方面から新幹線下の道路を西に行き山の麓あたりから新幹線下から離れていき高速道路の下をくぐるとすぐ右側に登っていく階段がある。殆ど古墳に行くためだけの専用道路か。古墳の脇に立派な石製の説明板が立っているがせめて階段下にも案内板が欲しかった。
[ 2019年01月17日 19:30 ] カテゴリ:倉敷市 | TB(-) | CM(0)

矢部古墳群

岡山県倉敷市 1988年1月訪問、2017年4月、18年2月再訪

前期~後期の古墳群、全81基、半分以上消滅
(番号はHP「古墳奮闘」に従う)

(2017,18年)
その1(7号)
横穴式石室、玄室長5,幅1.4,高1.6m
位置:34°39′35″N 133°48′53″E
耕作によって大きく改変された丘陵上部、画面右端辺りにその1、左側の林の中にその2、その6がある


こちらが羨道開口部だが埋まっている


背後奥壁側が開口、開口部を撮り忘れた、それにしてもよく残してくれたもんだ


開口部から内部、長い玄室が良好に残る、側壁下部は面を整えているが上部は自然石そのままを利用、床面に水が溜まった跡、ここは水が溜まっているのが多い


羨道は埋まっている


玄室内部、やや右に歪んできているか


その2(27号)
その1の山道を挟んだ南西側林の中、墳丘は割と残っている


石室正面、開口部掃除すればよかった


内部はすぐ奥が埋まっている


後ろの奥壁側も開口、天井石が平石のようだ


玄室内部、埋まっているのは後方だけか


その6
その2と同じ尾根筋南西に立地、開口部正面は期待できそうだが


内部は奥壁まで見えているが入るのは躊躇


奥壁は下が埋まるが1枚石かな、最奥の天井石が下がっているようだ


こちらも奥壁側が開口、天井も平石


奥から外、水が溜まっている、泥もたまり無理して入っても石組みの様子は見づらいだろうな


その4(6号)
位置:34°39′38″N 133°48′52″E
北に伸びる尾根上、中間辺りに立地、墳丘は殆ど流失、石材露出


石室正面、前は急斜面


玄室は上部を失う


奥から入口方向


玄門辺り、内側から


(おまけ)
その4北側にあり初めこれがその4かと思った、尾根上部がすっかり平らにされ削り残された部分に巨石が残っていた、石室?


その5(20号)
横穴式石室、玄室長5.8,幅1.7,高0.8m(現状)
位置:34°39′36″N 133°49′02″E
高速道東側、耕作で階段状になった段差部分に残る墳丘


墳丘背後から


西向きに開口、羨道は殆ど壊失


玄室内部はかなり埋まる


匍匐しなくても入れる程度


下が埋まるが奥壁は1枚石かな、上端を直線的に整えているような


奥から外、一応入れます・・・程度の写真


その12
位置:34°39′19″N 133°49′07″E
丘陵麓にありますが移築だそうです、と言ってもせいぜい十数m程度の移動だとか


石室正面、もう奥壁が見えている


小型ながら奥壁は1枚石


何となく違和感を感じた、あまり正確でない移築だとか


その7
位置:34°39′37″N 133°48′47″E
石室正面、手前羨道が通路状になっている、この辺りに7-11が密集、幅広い谷の出口辺りの緩斜面に立地


開口部、狭いが入るのは困難ではない


多少埋まるが細長い石室が残る


奥壁は下が埋まるが平石積み


奥から外、右側が大分傾いてきている


その8
良好に残る墳丘


背後(画面右)に斜面をカットした様子がよく残る


開口部正面、墳丘良好だし内部期待できそうですが


すぐ奥が埋まっていた


天井に隙間があり(これも撮り忘れ)内部が覗ける、すっかり水没しています、石室自体は良好そう


その9
僅かな高まりに天井露出


上記画面右下辺りに開口、内部埋没


その10
墳丘はそこそこ残る


開口部、内部は埋没


その11
石室正面


墳頂部辺りに開口、かなり期待できそうだが


内部埋没、石室自体も一部崩れているようだ


開口部前は羨道が通路状にのこる


その18(仮)
位置:34°39′34″N 133°48′47″E
谷の奥の方に新たな古墳がありました、地形を読み違えた結果だけど何度かこういうことがある


墳丘背後から、斜面に立地


巨石の天井石が2枚露出


石室正面、ここが入口辺りか


玄室天井石、ほぼ未加工


内部はかなり土砂流入


身体を突っ込んで撮影、ここも奥で水が溜まっている、石室自体は良好そう


奥壁は平石3段積み、右側壁はせり出してきたのか奥壁の前に出ているような、左側も最奥を斜めに積んで曲面状になっている


その15
位置:34°39′28″N 133°49′03″E
高速道東側、丘陵北側斜面に2基並ぶ


墳丘上部が削平され石室殆ど露出


こちらが奥壁側


右が入口側、東向きに開口


ここは多分側壁部分、内部は埋没


露出した天井石、幅はそれ程なさそう


その16
横穴式石室、玄室長3,幅1.2,高1.3m
15号東側に大きな墳丘が残る


これも東向きに開口、開口部は狭いが入るのは困難ではない


やや土砂が流入するが石室良好、一段下がっているのがまぐさ石でしょうか


大型石材を使った玄室、ここも奥の天井石が一段下がっているかな


下が見えないが奥壁は1枚かな、上端が整形されている様子が分かる


奥から外、巨大なまぐさ石、ここも斜面下方の左側が歪み石組みが乱れているようだ


羨道奥から、長い羨道が残るのも珍しい


矢部大ぐろ古墳(17号、瓢箪塚古墳)
前方後円墳、TL47,R26,RH4.8,FW21,FH2.5
位置:34°39′30″N 133°48′55″E
尾根筋に立地した前方後円墳、林の中で写真ではよく分からず


前方部から後円部、竪穴石室は埋戻し


後円部から前方部


(1988年)
?号
位置:34°39′40″N 133°48′49″E
88年当時、現在はどうなっていることやら(多分消滅)


石室正面


見学記
(2018年)
昨年に続き再訪(番号は全て古墳奮闘分布図の番号)、全基制覇を目指したけど流石に無理でした。まずは5基が密集している7-11を目指す。1から広い道を下っていく、ショートカットしようと適当な場所から林の中に入っていくと幅広い谷筋に出会う、特に深く考えることもなく谷奥目指していくと右手に自然石を使った天井石が露出した墳丘に出会う。石室入り口は埋没、後ろの天井石で開口していますが土砂が流入し奥は水溜り、でも何とか奥壁まで見えています、5,6mはありそうな石室でした。当然この付近に他の古墳があるはずと思って探してみたが全く見当たらず。おかしいなと思いつつ谷を下っていったら5基密集した古墳に出会いました。どうやら位置を誤認していたもよう、こういう経験は何回かあるけど新規石室を見つけたから言うことなし(笑)。他の古墳の説明は省略しますがあちこちに散らばっていて探し甲斐のある古墳群でした。

(2017年)
倉敷市矢部、北区との境辺りにある丘陵広い範囲に分布している80基以上、尾根筋上に立地する前期と横穴石室を主体部とする後期の古墳群ですが開墾や高速道などで半数以上消滅しているようです。高速道路が通っているし近くに産廃処理場もあってややこしそうなので敬遠していましたが今回は案内してもらって4基の石室(分布図1,2,5,6)を見てきました。まだ見学可能な石室が幾つかあるので再訪しなくちゃ。今回は前方後円墳の矢部大ぐろ古墳を紹介、高速道西側の尾根筋に築かれた前方後円墳で竪穴石室を持ちますが埋め戻されています。墳形は非常によく残っていて後円部を北側に向け上からは平野部がよく望めます。北側にも古墳が幾つかあります。墳丘としては前方部の方が低いはずですが地形的に高くなっているので後円部と前方部の見かけの高さは殆ど変わりません。前方部端は広がってもいてやや新しい形式かな。初めて岡山に来た時はこの前方後円墳も目的だったのですが果たせず30年ぶりの目的達成となりました。因みに”大ぐろ”の”くろ”は土偏に丸、和製漢字なので漢字表には載っていません。あの時見つけた石室は多分ここより大分離れた北西方向産廃処理場辺り、多分あの石室はもうないだろうな、内部も撮っておらず今から思えば惜しいことをしました。
[ 2019年01月10日 19:07 ] カテゴリ:倉敷市 | TB(-) | CM(0)
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