横大道古墳群
広島県竹原市 1988年4月訪問、1995年4月再訪、2016年3月再々訪
現存11基
(2016年)
1号
円墳、R14,H3
横穴式石室、全長9.4m、玄室幅2,高3m、6C後半
位置:34°23′43″N 132°53′58″E (日本測地系)
34.39852836 132.89688382(世界測地系)
新しい石柱が建っていた、1,2号は後方丘の上

左後方が1号、右手前低い高まりが2号

石室入り口まで階段整備

西向きに開口

石室正面、羨道前部天井壊失

羨道後部良好、既に立ったまま入れるほど背が高い

巨石を積んだ玄室、少し右に歪んでいるかも、前回も今回も水が溜まっている、何時もではなさそうでついてないな

〃縦位置、持ち送りがあり天井部が狭い

奥から外、少しでも奥に入って撮影、左片袖式、袖石は1枚岩

羨道奥から

2号から見た1号

山側から見た墳丘

2号
円墳
横穴式石室、全長6.6m,玄室幅2.4m
1号墳頂から見た2号

左1号、右2号、合わせて前方後円墳という説もある

石室正面、1号と比べると墳丘が引く

羨道上から、天井壊失

ここも大きな開口部

1号より一回り小さい石室、それでも十分大きい、石材は全般に小型

〃縦位置、上部が大分持ち送り

奥壁は基部に大型腰石、全般に左右対称な石積み

奥から外、右片袖式、まぐさ石が落ちかけてギリギリで留まる

奥から右側側壁、ストロボ無し

11号
横穴式石室
位置:34°23′41″N 132°53′59″E (日本測地系)
34.39797289 132.89716157(世界測地系)
標柱を設置、11号と判明

右側の道で墳丘半壊、道を迂回させたほうが楽だったろうにな

石室も半壊、よく残ったなよく残したな

古い写真と比べると側壁の石3個が無くなっている

手前の石が落下した石材のようだ

東群遠望
東方400m程、谷の奥に6-10号が集中、左上の墓地辺りから林に入り小道を東に進む

6号?
窪みが残っているだけ

7号
横穴式石室、玄室長5,幅1.5,高1.8m(現地実測値)、7C初頭
位置:34°23′44″N 132°54′14″E (日本測地系)
34.39880613 132.90132765(世界測地系)
この辺りの盟主墳、墳丘もよく残る

1,2号は西に開口だがこちらの群は南向きに開口

立ったまま入れる程の開口部

石室も良好

1号に比べると石材は小型

〃縦位置、1に比べて天井部も広い

奥壁は巨石鏡石を据え上に平石を重ねる

奥から外、無袖式かな

8号
横穴式石室、玄室長5,幅1.2m(現地実測値)
7号すぐ後ろに標柱があるが古墳は斜面を登った所にある

墳丘はかなり流失、石室露出

石室前部は上部を失う

後部は良好に残る、天井席が薄い

石材は全般に小型

奥壁鏡石だけやや大きい石材

奥から外、ここも無袖かな

奥から左側

奥から右側

9号
横穴式石室
墳丘は割と大きそう

頂部に小型石室、入り口激狭

石室は意外と残っている、入って入れないことはないけどパス

小型石材の奥壁

10号
標柱が無いと分からないレベル

石材散乱

(1988年)
1号
墳丘、石室正面、墳丘、石室とも群中最大

羨道

玄室

奥から外、右片袖式

2号
墳丘、石室正面、1号すぐ下方に隣接

玄室、小型石材を持ち送りしている

奥から外、右片袖式

11号
側壁と奥壁の一部が残る

(見学記)
(2016年)
竹原市新庄町、「探方広島県の考古学」に7,8号の記載と地図が載っていたので再訪してみました。国道432号新庄町横大道交差点に案内板が出ています(ただし南行だと分かりにくい)。そこを曲がるとその後も案内板が出ていてそれに従って行くと1,2号近くの墓地辺りにたどり着きますが道は狭い。古い墓地辺りに案内板があるので歩いて行くと1,2号はすぐです。以前は2基の古墳だと思われていますがどうやら前方後円墳で1号が後円部、2号が前方部のようでそのようにも見えます。2号に石室が無かったらもっと早く前方後円墳と思われていたかもね。1号に比べて2号石室はひと回り小さく(と言っても十分大きいですが)1号は巨石で構成されているのに比べて2号は小型の石材です。1号石室には今回も水が溜まっていて奥まで入れず。前回すぐ近くで見かけた半壊石室は11号でした。他の古墳もそうですが墳丘脇に番号が書かれた石柱が設置されています。こういうのは整理する時に助かりますね。一度下まで降りて谷の奥目指して進んでいきます。谷の中は殆ど耕作地となっています。中程で斜面上方に小さな墓地がありその右手側から山林の中に入っていく小道があります。東に進んでいって途中に水の枯れた溜池、更に進んでいくと7号に突き当たります。入り口辺りから凡そ200m程でしょうか。墳丘は良好に残っていて背後をカットした跡もあります。南向きに開口した石室も良好、無袖式で全長5m程、奥壁の鏡石がやや大きいくらいで1号よりは小さい石材です。背後に8号の石柱がありますが古墳自体はそこから急斜面を30m程上った辺りです。墳丘は殆ど流失、全長5m程の石室が露出しています。天井石は後部3枚程度残存、高さは7号に比べて大分低そうです。それにしても7号周辺に幾らでも築造する場所があるのになんでこんな上の斜面に造ったんでしょうね。7号背後には更に9,10号があります。9号は小さな墳丘で左片袖の小型石室が開口、無理をすれば入れないこともありませんがパス、10号は盗掘跡があり僅かに石材が散乱している程度です。その側にも盗掘跡のある高まりがあり古墳のような気もしますが石柱はないので違うのかな。1号近くの古い墓地に駐車スペースあり。
(1988年)
国道を更に西に行き峠を越えると細長い谷状の盆地に入ります。R432との交差点を北に500m程行き東のやや広い谷に500m程行くと北側丘の斜面に横穴石室墳が11基分布しています。西端の1号が一番大きく最初に構築されたようです。墳丘もよく残っていて西側に石室が開口全長9.4m右片袖式で奥壁は2枚,他もやや大きな割石が使われています。幅(2m)に比べて高さ(3m)が高いのが特徴,玄室に水が溜まっていて奥まで入れないのが残念。すぐ南側下に墳丘を接するように2号墳が有りやはり西側に開口,全長6.6m右片袖式で袖部に立石が使われています。奥壁下部にやや大きな石が使われている他は小型の四角い割石が使われ壁上部はやや持ち送りになっています。3号は参道で石室が切断,側壁と奥壁の一部が露出しています。更にやや離れて東側に4号以下があるはずですが全く見つからず,特に「本」には7号の立派な石室の写真が載っているだけに大変悔しい。
現存11基
(2016年)
1号
円墳、R14,H3
横穴式石室、全長9.4m、玄室幅2,高3m、6C後半
位置:34°23′43″N 132°53′58″E (日本測地系)
34.39852836 132.89688382(世界測地系)
新しい石柱が建っていた、1,2号は後方丘の上

左後方が1号、右手前低い高まりが2号

石室入り口まで階段整備

西向きに開口

石室正面、羨道前部天井壊失

羨道後部良好、既に立ったまま入れるほど背が高い

巨石を積んだ玄室、少し右に歪んでいるかも、前回も今回も水が溜まっている、何時もではなさそうでついてないな

〃縦位置、持ち送りがあり天井部が狭い

奥から外、少しでも奥に入って撮影、左片袖式、袖石は1枚岩

羨道奥から

2号から見た1号

山側から見た墳丘

2号
円墳
横穴式石室、全長6.6m,玄室幅2.4m
1号墳頂から見た2号

左1号、右2号、合わせて前方後円墳という説もある

石室正面、1号と比べると墳丘が引く

羨道上から、天井壊失

ここも大きな開口部

1号より一回り小さい石室、それでも十分大きい、石材は全般に小型

〃縦位置、上部が大分持ち送り

奥壁は基部に大型腰石、全般に左右対称な石積み

奥から外、右片袖式、まぐさ石が落ちかけてギリギリで留まる

奥から右側側壁、ストロボ無し

11号
横穴式石室
位置:34°23′41″N 132°53′59″E (日本測地系)
34.39797289 132.89716157(世界測地系)
標柱を設置、11号と判明

右側の道で墳丘半壊、道を迂回させたほうが楽だったろうにな

石室も半壊、よく残ったなよく残したな

古い写真と比べると側壁の石3個が無くなっている

手前の石が落下した石材のようだ

東群遠望
東方400m程、谷の奥に6-10号が集中、左上の墓地辺りから林に入り小道を東に進む

6号?
窪みが残っているだけ

7号
横穴式石室、玄室長5,幅1.5,高1.8m(現地実測値)、7C初頭
位置:34°23′44″N 132°54′14″E (日本測地系)
34.39880613 132.90132765(世界測地系)
この辺りの盟主墳、墳丘もよく残る

1,2号は西に開口だがこちらの群は南向きに開口

立ったまま入れる程の開口部

石室も良好

1号に比べると石材は小型

〃縦位置、1に比べて天井部も広い

奥壁は巨石鏡石を据え上に平石を重ねる

奥から外、無袖式かな

8号
横穴式石室、玄室長5,幅1.2m(現地実測値)
7号すぐ後ろに標柱があるが古墳は斜面を登った所にある

墳丘はかなり流失、石室露出

石室前部は上部を失う

後部は良好に残る、天井席が薄い

石材は全般に小型

奥壁鏡石だけやや大きい石材

奥から外、ここも無袖かな

奥から左側

奥から右側

9号
横穴式石室
墳丘は割と大きそう

頂部に小型石室、入り口激狭

石室は意外と残っている、入って入れないことはないけどパス

小型石材の奥壁

10号
標柱が無いと分からないレベル

石材散乱

(1988年)
1号
墳丘、石室正面、墳丘、石室とも群中最大

羨道

玄室

奥から外、右片袖式

2号
墳丘、石室正面、1号すぐ下方に隣接

玄室、小型石材を持ち送りしている

奥から外、右片袖式

11号
側壁と奥壁の一部が残る

(見学記)
(2016年)
竹原市新庄町、「探方広島県の考古学」に7,8号の記載と地図が載っていたので再訪してみました。国道432号新庄町横大道交差点に案内板が出ています(ただし南行だと分かりにくい)。そこを曲がるとその後も案内板が出ていてそれに従って行くと1,2号近くの墓地辺りにたどり着きますが道は狭い。古い墓地辺りに案内板があるので歩いて行くと1,2号はすぐです。以前は2基の古墳だと思われていますがどうやら前方後円墳で1号が後円部、2号が前方部のようでそのようにも見えます。2号に石室が無かったらもっと早く前方後円墳と思われていたかもね。1号に比べて2号石室はひと回り小さく(と言っても十分大きいですが)1号は巨石で構成されているのに比べて2号は小型の石材です。1号石室には今回も水が溜まっていて奥まで入れず。前回すぐ近くで見かけた半壊石室は11号でした。他の古墳もそうですが墳丘脇に番号が書かれた石柱が設置されています。こういうのは整理する時に助かりますね。一度下まで降りて谷の奥目指して進んでいきます。谷の中は殆ど耕作地となっています。中程で斜面上方に小さな墓地がありその右手側から山林の中に入っていく小道があります。東に進んでいって途中に水の枯れた溜池、更に進んでいくと7号に突き当たります。入り口辺りから凡そ200m程でしょうか。墳丘は良好に残っていて背後をカットした跡もあります。南向きに開口した石室も良好、無袖式で全長5m程、奥壁の鏡石がやや大きいくらいで1号よりは小さい石材です。背後に8号の石柱がありますが古墳自体はそこから急斜面を30m程上った辺りです。墳丘は殆ど流失、全長5m程の石室が露出しています。天井石は後部3枚程度残存、高さは7号に比べて大分低そうです。それにしても7号周辺に幾らでも築造する場所があるのになんでこんな上の斜面に造ったんでしょうね。7号背後には更に9,10号があります。9号は小さな墳丘で左片袖の小型石室が開口、無理をすれば入れないこともありませんがパス、10号は盗掘跡があり僅かに石材が散乱している程度です。その側にも盗掘跡のある高まりがあり古墳のような気もしますが石柱はないので違うのかな。1号近くの古い墓地に駐車スペースあり。
(1988年)
国道を更に西に行き峠を越えると細長い谷状の盆地に入ります。R432との交差点を北に500m程行き東のやや広い谷に500m程行くと北側丘の斜面に横穴石室墳が11基分布しています。西端の1号が一番大きく最初に構築されたようです。墳丘もよく残っていて西側に石室が開口全長9.4m右片袖式で奥壁は2枚,他もやや大きな割石が使われています。幅(2m)に比べて高さ(3m)が高いのが特徴,玄室に水が溜まっていて奥まで入れないのが残念。すぐ南側下に墳丘を接するように2号墳が有りやはり西側に開口,全長6.6m右片袖式で袖部に立石が使われています。奥壁下部にやや大きな石が使われている他は小型の四角い割石が使われ壁上部はやや持ち送りになっています。3号は参道で石室が切断,側壁と奥壁の一部が露出しています。更にやや離れて東側に4号以下があるはずですが全く見つからず,特に「本」には7号の立派な石室の写真が載っているだけに大変悔しい。