千田古墳群
岐阜県恵那市 2006年3月訪問
二十数基
3号
石室露出

4号
殆ど分からない状態

5号
横穴式石室、現存長2.5m
位置:35°27′43″N 137°23′24″E (日本測地系)
35.46515552 137.38699106(世界測地系)
民家敷地下の斜面に開口

細長い石室

8号
横穴式石室、現存長5m
8号すぐ西側、石室前面は崩壊

石室開口部

細長い石室、小型ながらも奥壁っぽい

12号
円墳、R7
小さな墳丘が残る

16号
円墳、R15,H2
墳丘、頂部に盗掘跡

17号
円墳、R20,H3.5
横穴式石室、全長12m、玄室長5.5,幅2.5m
位置:35°27′42″N 137°23′10″E (日本測地系)
35.46487761 137.38310253(世界測地系)
群中最大の石室墳、羨道はかなり破壊

石室正面

やや胴張りの玄室、天井部が一部抜かれいる

片袖式、天井中央部が高くなるようだ

露出した天井部

21号
円墳、R17.5
横穴式石室、玄室長3.87,幅1.34m
位置:35°27′52″N137°22′55″E (日本測地系)
35.46765493 137.3789362(世界測地系)
背の高い墳丘が残る

石室正面、羨道はかなり壊失

整った玄室、奥壁はほぼ1枚石、側壁も面が揃っている

両袖式

22号
円墳、R11
墳丘

石室露出、内部は埋没

23号
円墳、R9.5
僅かな高まりが残る墳丘

石室の一部が露出

(見学記)
長島町久須美、川沿い約1kmの間に二十数基分布、主な古墳の側に標柱が立っているのでわかりやすい。
5,8,12号
恵那養護学校西側にため池があり、その北側民家と道路の間の斜面に2基の石室が開口しています。西側が8号、東側が5号、共に前面が崩壊、幅や高さは小さく細長い石室が残存しています。8号の西側に12号、小さな墳丘が残っているが上が窪んでいて石室は破壊されているようだ。5号東側の林の中に3,4号の石室があるが共に残骸状態で側に標柱が立っていないと分からないような状態です。
17号
ため池南側の道路から県道交差点を越えて登っていくと右側に公民館があります。この背後に17号がある。群中最大の石室墳で玄室天井石の一部を失っているが他は割と状態がよい。やや胴張り、長さ5.5m程の玄室で背も高い。残った天井石も入り口側の2枚は一段ずつ高くなり、奥の1枚も斜めに架けられていて中央部が高くなっているようだ。すぐ側に16号があるが大きく盗掘を受けている。
21号
交差点に戻り県道68号を西に行くと越高バス停(北側)がある。ここから住宅地に向かう道を登っていくとすぐ右手に背の高い墳丘があり石室が開口している。羨道は基部しか残っていないが玄室完存、やや胴張りで奥壁は1枚石の巨石、天井も奥に向かって少し高くなっているようだ。
22,23号
道を更に登っていくと集会所がありその背後に2基の古墳がある。共に墳丘が僅かに残り石室の一部が露出している程度です。
二十数基
3号
石室露出

4号
殆ど分からない状態

5号
横穴式石室、現存長2.5m
位置:35°27′43″N 137°23′24″E (日本測地系)
35.46515552 137.38699106(世界測地系)
民家敷地下の斜面に開口

細長い石室

8号
横穴式石室、現存長5m
8号すぐ西側、石室前面は崩壊

石室開口部

細長い石室、小型ながらも奥壁っぽい

12号
円墳、R7
小さな墳丘が残る

16号
円墳、R15,H2
墳丘、頂部に盗掘跡

17号
円墳、R20,H3.5
横穴式石室、全長12m、玄室長5.5,幅2.5m
位置:35°27′42″N 137°23′10″E (日本測地系)
35.46487761 137.38310253(世界測地系)
群中最大の石室墳、羨道はかなり破壊

石室正面

やや胴張りの玄室、天井部が一部抜かれいる

片袖式、天井中央部が高くなるようだ

露出した天井部

21号
円墳、R17.5
横穴式石室、玄室長3.87,幅1.34m
位置:35°27′52″N137°22′55″E (日本測地系)
35.46765493 137.3789362(世界測地系)
背の高い墳丘が残る

石室正面、羨道はかなり壊失

整った玄室、奥壁はほぼ1枚石、側壁も面が揃っている

両袖式

22号
円墳、R11
墳丘

石室露出、内部は埋没

23号
円墳、R9.5
僅かな高まりが残る墳丘

石室の一部が露出

(見学記)
長島町久須美、川沿い約1kmの間に二十数基分布、主な古墳の側に標柱が立っているのでわかりやすい。
5,8,12号
恵那養護学校西側にため池があり、その北側民家と道路の間の斜面に2基の石室が開口しています。西側が8号、東側が5号、共に前面が崩壊、幅や高さは小さく細長い石室が残存しています。8号の西側に12号、小さな墳丘が残っているが上が窪んでいて石室は破壊されているようだ。5号東側の林の中に3,4号の石室があるが共に残骸状態で側に標柱が立っていないと分からないような状態です。
17号
ため池南側の道路から県道交差点を越えて登っていくと右側に公民館があります。この背後に17号がある。群中最大の石室墳で玄室天井石の一部を失っているが他は割と状態がよい。やや胴張り、長さ5.5m程の玄室で背も高い。残った天井石も入り口側の2枚は一段ずつ高くなり、奥の1枚も斜めに架けられていて中央部が高くなっているようだ。すぐ側に16号があるが大きく盗掘を受けている。
21号
交差点に戻り県道68号を西に行くと越高バス停(北側)がある。ここから住宅地に向かう道を登っていくとすぐ右手に背の高い墳丘があり石室が開口している。羨道は基部しか残っていないが玄室完存、やや胴張りで奥壁は1枚石の巨石、天井も奥に向かって少し高くなっているようだ。
22,23号
道を更に登っていくと集会所がありその背後に2基の古墳がある。共に墳丘が僅かに残り石室の一部が露出している程度です。