醍醐古墳群
香川県坂出市 2002年5月訪問、2010年2月再訪
9基(9号以外は10年撮影)
2号
横穴式石室
位置:34°18′13″N 133°53′58″E (日本測地系)
34.30688462 133.89679381(世界測地系)
果樹園の中にある

石室正面、羨道上部は壊失

大きな玄室が良好に残る

巨石の奥壁

奥から外、両袖式

〃(ストロボ、縦位置)

3号
横穴式石室
石室正面

開口部、羨道はかなり壊失

2号と似た玄室、規模も同程度

玄室中程から

巨石の奥壁、上に平石を積む

奥から外、両袖式、外に見えている巨石は羨道天井石

天井部も平坦

4号
横穴式石室
巨木の生えた墳丘

石室正面、羨道は壊失

玄室、天井石が傾いている

玄室、鏡石周辺はかなり改変されているかも

上部を失った玄室後部

奥から外、右袖石が残っている

7号
横穴式石室
位置:34°18′13″N 133°54′00″E (日本測地系)
34.30688464 133.89734932(世界測地系)
2号辺りから見た7号、左側白い部分が石室開口部

石室正面、周囲の石積みは後世のものだろうな

羨道からして巨大

巨大な玄室

02年当時に比べて木箱が崩れ落ち見やすくなった

ほぼ巨石1枚石の奥壁表面の模様が微妙に3号と似ている

奥から外、荒々しい石積み

〃(ストロボ)、両袖式

羨道奥から

9号
石室正面

玄室、2,3号と比べてかなり小さい

奥から外

果樹園の斜面上にある古墳、右が9号、左が7号

(果樹園内の露出石室)
6号

番号?、手前が奥壁のようだ

(見学記)
(2002年)
上記古墳群の綾川を挟んだ対岸、城山北東側の緩斜面に分布し9基確認されているようです。県内でも有数の大型石室を持つ古墳群です。ここも場所が正確にわからなかったし偶にあった人に聞いても知らないようだしうろつくこと30分、諦めかけたところでようやく1基発見、かなり状態の悪い玄室しか残っていなかったが取りあえずほっとしました。不思議なもので1基見つかると次々に見つかる。果樹園の中は石がゴロゴロして分かりにくいですがすっかり露出した石室が幾つかあるようです。果樹園北側で大きな石室があった。玄室は倉庫代わりに使われていますが長さは6m以上ありそうでこれが3号墳だろうか。このすぐ下にも小型の石室が露出している。雨もぱらついているしフィルムもちょうどいいところで終わったのでさー帰ろうとすると小さな溜め池の側に更に1基発見、これも前記の大型石室とほぼ同規模で状態もよかった。これが2号墳だろうか。説明板も何もないけどなかなか素晴らしい古墳群でした。
(2010年)
前回02年訪問時に見逃している石室があるので再訪してみました。取りあえずカーナビに任せて行ってみたら目的地の遙か下の道路までしか案内せず上に向かう道も表示されないのでしかたなく歩いていきました。下から見えていた神社(祇園神社かな)目掛けて登っていったけどここではなかった(すぐ近くに良好な墳丘があったけど)。でも案内表示があったのでここから南へ300m程(案内表示に距離が書かれてないからさすがにこんなに離れていると不安になる)、道路右側に玄室がトンネル状になった4号墳が見えてやっと到着。でもこの周りの何処にあったかまるで覚えてない。取りあえず未訪問の3号を探す。小さなため池南側にあるというので藪の中を突入、墳丘は割と残っていて南側に石室開口、羨道は天井石がずり落ちるなどかなり壊失していますが玄室完存、袖石を立てた両袖式、奥壁は巨石鏡石を据え上に平石を3枚重ねています。2号墳は何処かなと初めは全く気がつかずため池北側の果樹園に僅かな膨らみがあったので南側に廻ってみたらありました。今思えば当時よく見つけたものだ。果樹園上方にある7号墳は道路から見えていたので行ってみたけど藪が酷くてもう大変、それでも何とかたどり着いてみたら以前玄室に積み上げられていた木箱がすっかり腐って崩れ落ちて奥壁や右側壁が見やすくなっていた。これはうれしい誤算。それにしても風雨にあたらないのにたった8年くらいでこんなになりますかね。奥壁は巨石1枚岩+α、上の方に隙間がありますが倉庫として使うため通風のため開けたんでしょうか。近くの9号はさすがに諦めた。
9基(9号以外は10年撮影)
2号
横穴式石室
位置:34°18′13″N 133°53′58″E (日本測地系)
34.30688462 133.89679381(世界測地系)
果樹園の中にある

石室正面、羨道上部は壊失

大きな玄室が良好に残る

巨石の奥壁

奥から外、両袖式

〃(ストロボ、縦位置)

3号
横穴式石室
石室正面

開口部、羨道はかなり壊失

2号と似た玄室、規模も同程度

玄室中程から

巨石の奥壁、上に平石を積む

奥から外、両袖式、外に見えている巨石は羨道天井石

天井部も平坦

4号
横穴式石室
巨木の生えた墳丘

石室正面、羨道は壊失

玄室、天井石が傾いている

玄室、鏡石周辺はかなり改変されているかも

上部を失った玄室後部

奥から外、右袖石が残っている

7号
横穴式石室
位置:34°18′13″N 133°54′00″E (日本測地系)
34.30688464 133.89734932(世界測地系)
2号辺りから見た7号、左側白い部分が石室開口部

石室正面、周囲の石積みは後世のものだろうな

羨道からして巨大

巨大な玄室

02年当時に比べて木箱が崩れ落ち見やすくなった

ほぼ巨石1枚石の奥壁表面の模様が微妙に3号と似ている

奥から外、荒々しい石積み

〃(ストロボ)、両袖式

羨道奥から

9号
石室正面

玄室、2,3号と比べてかなり小さい

奥から外

果樹園の斜面上にある古墳、右が9号、左が7号

(果樹園内の露出石室)
6号

番号?、手前が奥壁のようだ

(見学記)
(2002年)
上記古墳群の綾川を挟んだ対岸、城山北東側の緩斜面に分布し9基確認されているようです。県内でも有数の大型石室を持つ古墳群です。ここも場所が正確にわからなかったし偶にあった人に聞いても知らないようだしうろつくこと30分、諦めかけたところでようやく1基発見、かなり状態の悪い玄室しか残っていなかったが取りあえずほっとしました。不思議なもので1基見つかると次々に見つかる。果樹園の中は石がゴロゴロして分かりにくいですがすっかり露出した石室が幾つかあるようです。果樹園北側で大きな石室があった。玄室は倉庫代わりに使われていますが長さは6m以上ありそうでこれが3号墳だろうか。このすぐ下にも小型の石室が露出している。雨もぱらついているしフィルムもちょうどいいところで終わったのでさー帰ろうとすると小さな溜め池の側に更に1基発見、これも前記の大型石室とほぼ同規模で状態もよかった。これが2号墳だろうか。説明板も何もないけどなかなか素晴らしい古墳群でした。
(2010年)
前回02年訪問時に見逃している石室があるので再訪してみました。取りあえずカーナビに任せて行ってみたら目的地の遙か下の道路までしか案内せず上に向かう道も表示されないのでしかたなく歩いていきました。下から見えていた神社(祇園神社かな)目掛けて登っていったけどここではなかった(すぐ近くに良好な墳丘があったけど)。でも案内表示があったのでここから南へ300m程(案内表示に距離が書かれてないからさすがにこんなに離れていると不安になる)、道路右側に玄室がトンネル状になった4号墳が見えてやっと到着。でもこの周りの何処にあったかまるで覚えてない。取りあえず未訪問の3号を探す。小さなため池南側にあるというので藪の中を突入、墳丘は割と残っていて南側に石室開口、羨道は天井石がずり落ちるなどかなり壊失していますが玄室完存、袖石を立てた両袖式、奥壁は巨石鏡石を据え上に平石を3枚重ねています。2号墳は何処かなと初めは全く気がつかずため池北側の果樹園に僅かな膨らみがあったので南側に廻ってみたらありました。今思えば当時よく見つけたものだ。果樹園上方にある7号墳は道路から見えていたので行ってみたけど藪が酷くてもう大変、それでも何とかたどり着いてみたら以前玄室に積み上げられていた木箱がすっかり腐って崩れ落ちて奥壁や右側壁が見やすくなっていた。これはうれしい誤算。それにしても風雨にあたらないのにたった8年くらいでこんなになりますかね。奥壁は巨石1枚岩+α、上の方に隙間がありますが倉庫として使うため通風のため開けたんでしょうか。近くの9号はさすがに諦めた。