大室古墳群(大室谷支群)

長野県長野市 2002年5月訪問、2006年4月再訪

5支群に分かれ総数約500基
大室谷支群166基が国史跡として公園整備中

【大室谷支群】

(入り口付近)

23号
高速道の建設で移築復元された墳丘


石室正面


羨道


玄室、奥壁がちょっと変わっている


奥から外、左右で幅の違う両袖式


26号
墳丘、石室は埋没


27号
墳丘


238号
積み石塚、表示板がないとただの石積みにしか見えない


239号
外護列石を持つ墳丘


石室正面


石室入り口から


玄室


奥から外、両袖か無袖か微妙なところ


240号
墳丘


石室正面、羨道は殆ど壊失


玄室、奥壁は1枚石の巨石


243号
墳丘、石室正面


側壁がすっかり露出


墳丘反対側


石室


奥から外


244号(将軍塚古墳)
円墳、R18,H8.5、6C後半
横穴式石室、全長11m、玄室長6.5,幅2.2,高2.5m
位置:36°35′27″N 138°13′45″E (日本測地系)
    36.59392976 138.22604173(世界測地系)
盟主墳的存在の墳丘、外護列石や葺石を伴う


石室正面


羨道


巨大な玄室、奥壁もほぼ1枚石


奥から外、両袖式


246号
復元された墳丘、背後に外護列石が3列巡っている


石室正面


石室内部


狭い谷の入り口を通して遠方に平野部が望める


(谷中部)

38号
うっかり見逃しそうな墳丘


玄室、奥壁の積み方が少し変わっている


奥から外、両袖かな


48号
石室正面、羨道壊失、塞いでいるのは羨道天井石か


横から見ると


玄室


奥から外


184号
石室正面


玄室、天井石が大分外されている


石室上から


185号
輪郭のはっきりした積み石塚


箱式石棺が露出





186号
墳丘、石室正面


玄室


奥から外、玄門にロの字型に石を配したよくあるタイプ


187号
なだらかな積み石塚


天井部を失った石室


側壁の積み方がこの群にあまりないタイプ


石を立てて並べ上に平石を乗せている


189号
積み石塚


箱式石棺





190号
基底部しか残っていない石室


191号
墳丘


石室正面


羨道、入り口が狭くカメラを突っ込んで撮影


193号
なだらかな裾を引く積み石塚


195号
石が散乱しているとしか思えないような積み石塚


墳頂に2基の石室が露出、どちらとも竪穴式かな


大きい方の石室





小型の方


196号
板状の石を使った石室


197号
墳丘


石室正面


羨道


玄室


奥から外、こちらから見ると片袖にも見える


198号
墳丘、奥は197号


天井を失った石室


かなり胴張りの玄室


ちょっと変わった積み方の奥壁


玄門には閉塞石が残っているようだ


200号
墳丘


石室正面


玄室、天井石は1枚しか残っていない


奥から外、両袖式


201号
下部しか残っていない石室


204号
墳丘


石室正面


玄室


奥から外


205号
墳丘


基底部しか残っていない石室


207号
積み石塚、裾が立ち上がっているのは不定形なのが多い


209号
積み石塚


211号
墳丘


開口部


見かけの割に石室良好


(谷奥)

74号
墳丘


羨道、玄門


玄室


奥から外、両袖式


76号
石室開口部、羨道破壊


上部が露出


玄室、奥の石材が抜かれている


奥から外


77号?
天井が露出した墳丘


101号or102号
群最高所辺り、下との標高差は約150m


129号
天井石が玄室に落下


131号
墳丘、石室正面


玄室


奥から外


135号
上部を失った石室、ひょっとして合掌式だったかも


137号
墳丘、石室正面


玄室


奥から外、両袖式かな


154号
良好に残る墳丘


玄室


奥から外、両袖式


155号
積み石塚、中央に石室が見えている


天井部を失った石室


石積みは168号と似ていてる


156号
積み石塚


細長い合掌式石室


石室上から


165号
一見平凡な積み石塚


墳頂部に小型石室が2基ある、それぞれの主軸は直行


細長い合掌式石室





箱式石棺のような細長い石室


石の形状からしてこちらも合掌式だったかも


167号
墳丘


開口部、羨道は崩壊


玄室


奥から外


168号(大平塚)
合掌式石室
積み石塚、墳丘裾にやや大きな石を積んでいる


167号から見た墳丘


主体部がかなり上方にずれている


合掌式石室








石室背後から


石室内部、奥壁や側壁の面が極めて整えられている


172号
墳丘、石室正面、羨道はかなり破壊


羨道、玄門


玄室


奥から外


173号
墳丘


石室上部が露出


玄室、奥の天井が抜かれている、奥壁は1枚石


奥から外


176号
大きな積み石塚


墳頂部破壊された石室


177号
墳丘


石室内部は埋没


180号
墳丘


奥壁


(見学記)
(2002年)
JR大室駅南方の丘陵に分布、166基からなく古墳群です。谷の入り口が上信越自動車道で塞がれていますがその下をくぐっていくとすぐに244号(将軍塚古墳)の大きな墳丘が目に付きます。群中最大の石室を持ち背の高い墳丘もよく残っています。周囲の古墳がすっかり背が低くなっているのでその大きさが際だちます。全長11mの石室は羨道が一部破壊されているようですが玄室は完存、石材もかなり大きく他のと格の違いを見せています。周囲には幾つも古墳がありますが239,240,242,243号で石室に入ることが出来ました。特に242号は公園化に向けて整備されたのでしょうか中はすっかりきれいになっていました。ここは奥壁がユニーク、背の高い石を立てていますが幅が少々足りなかったようで左側に小さな割石を詰めています。少し谷の奥に入っていくと資料館がありました。建設はすんでいるようですが周囲の道路が未舗装のままで02年5月現在未公開でした(7月に公開されたようです)。ここの古墳群は合掌式石室で有名ですが分布状況が全く分からず探すことは出来ませんでした。県史跡。

(2006年)
大室古墳群大室谷支群その1
02年に来た時は入り口付近を眺めただけだけど古墳館が出来たので再訪してみました。北側を通る川沿いの県道に案内表示があり(あまり目立たない)途中にも案内表示が出ています。高速道の下をくぐって将軍塚を横目に見ながら少し登ると古墳館があり手前に広い駐車場があります。古墳館では殆ど大室谷支群だけですが古墳群の説明やビデオなどがあり分布図(コピー)も置いています。入場無料、月曜休館です(休館日には駐車場も使えません)。古墳館辺りも以前とそれ程変わっていませんが246号墳が復元というか修復というか墳丘周りをセメントで固められていました。ここに石室が露出していたら02年当時気がつくだろうから当時はどうなっていたんだろう、思い出せない。将軍塚も最初見たときは随分背が高く感じたけど今回はそれ程でもなかった。2度目で感動が薄れたのかも。周りに古いビニールシートが放置されています。調査の時使ったんだろうけど何と言っても看板の古墳なんだからどうにかして欲しい。大室谷支群166基が国史跡に昇格しています。
写真を撮り直している内に26号側で不思議な石室を発見。小さな墳丘の内部に1m四方のミニ石室を持っています。造りを見るとなかなか本格的な構造をしているようだし当時のものだと思うけどどうなんだろう。内部に釜飯の容器が5,6個入っているのがかなり気になる。(長野市教育委員会に問い合わせたら地元で「炭焼き窯」と呼ばれおそらく昭和になってからの所産とのことでした。嫌な予感が的中したけどアップしなくてよかった(大汗)

大室古墳群大室谷支群その2
まだ遊歩道は未整備ですが古墳館から林業に使われていたセメント舗装の道を登っていきます。暫く古墳のない空白地帯がありますがそのうち古墳が幾らでもある状態になります。最初の内は全て撮っていたけどさすがにきりがないので石室のある古墳だけに限定。それでも結構多い。横穴式石室だけでなく竪穴式石室のようなのや箱式石棺もあります。積み石塚も裾が壁のように立ち上がっているのや(墳形が円でないのが多い)、なだらかな裾を伸ばしているものなど色々なタイプがあります。個々の古墳の説明は省いて番号の付け方の説明をすると(古墳館に詳しい説明があります)、一応ある順番に従って1番からつけられているのですが大室谷の場合、谷東側下から付けられて一番上まで行くと今度は谷西側下る方向に順に付けられています。その為すぐ近くにあっても番号が大きく異なることがあり、入り口辺りでその傾向が顕著です。大室谷の場合はたいてい表示板があるから問題なけど北谷の場合は表示板がないのが多く番号を類推するのが困難でした。

大室古墳群大室谷支群その3
いよいよあこがれの合掌式石室、案内板が出ているので林道から逸れて行くと積み石塚だらけの場所の中に合掌式石室168号があります。さすがにここだけは簡単な説明板が立っていた。ここも積み石がなだらかなタイプ、でも墳丘裾には外護列石のようなやや大きめの石が巡らされています。斜面にあるせいかどうかは分かりませんが主体部が随分上方にずれています(この傾向は他の古墳でもあった)。かって合掌式石室天井は玄室に落ち込んでいたそうですが復元、そのせいかどうかは分かりませんが二組の合掌式天井の内手前のはかなり傾斜が浅い。この後幾つかの合掌式石室を見ましたがこんなに浅いのはここしかありませんでした。天井だけでなく玄室を構成している石もかなりの巨石でしかも壁面がすごく平面に整えられていて将軍塚の規模とはまた違った有力者の墓を思わせる石室でした。この周囲には他にも156号、165号で合掌式石室がありました。箱式石棺を思わせる細長い石室で合掌部分も僅かに残っている程度ですが思わぬ収穫でした。この後は群の一番上まで行く予定でしたが林道もなくなっているようで100号辺りで断念。この辺りでも下からの標高差は150mくらいあります。普通ならこれくらいの高さを登るのは結構きついけど古墳巡りしながら登ると疲れを感じさせません。遊歩道も追々整備されるようですがこの雰囲気を壊さないで欲しいですね。

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