上島古墳
島根県出雲市(旧平田市)1989年4月訪問、2021年12月再訪
円墳、R15,H2、6C前半
家形石棺 長2.3,幅1.1m、小竪穴石室 長1.85,幅0.7m
位置:35°25′13″N 132°48′09″E (日本測地系)
35.42340403 132.79991597(世界測地系)
(2021年)
集落手前に案内板、でもこの先はT字路なのに案内がない、左が正解

上の方に説明板が見えている

私有地奥にもう一つの案内板、でも手前の道路脇には案内がない

石棺は覆い屋で保護、ここはパンフレットはなかった

家形石棺は身も蓋もよく残っている、墳丘に直接埋設

元々なのか風化なのか全体に丸みを帯びる、左側のは縄掛け突起じゃなく含まれる礫のようです

右側だけ縄掛け突起が2個、左側は見当たらない、元々短いのか削られたのか

直ぐ側に石室、横穴じゃなく竪穴だそうだ

開口部横から

石室内部、馬具が出土、副葬品専用でしょうか

(1989年)
丘陵中腹、山側から見た墳丘、小円墳ながら豪華な副葬品が出土している

刳抜式家形石棺、石室はなく直接埋葬されていた、ほぼ完全な人骨と鏡、太刀、玉類などが出土

副葬品用竪穴石室

竪穴石室内部、こちらからは馬具が出土

(見学記)
(2021年)
出雲市国富町、南側道路脇に案内表示があり200mと書かれています。でもその先はT字路、ここには案内表示がなく右に行くのか左に行くのか。幸い左遠方、丘の中腹に説明板が見えていたので行く方向がわかりました。左に行くと私有地の看板があるのでそこを通っていくと次の案内表示があります、ここに立てるくらいならT字路のとこにほしかった。その後は1本道ですが幾つも案内板が出てきます。古墳の正体は覆い屋の中の家形石棺、これで国史跡なのか。多分豊富な遺物が出た為でしょうが古墳そのものより遺物の優秀さの方が史跡指定されやすいような気がする。
(1989年)
斐伊川河口近くの丘陵中腹にある径15mの円墳です。墳丘はやや平坦になった部分に作られていて規模は小さいですが、豊富な異物が出土しています。刳抜式家形石棺を直接土中に埋設、この中から完全な人骨とともに鈴鏡、鈴釧、太刀、玉等、側に副葬品用の小型竪穴石室がありこちらからは馬具が出土しています。竪穴石室は今も見ることができ、石棺も側の小屋の中に安置されていて、かなり退化した縄掛け突起がついているのを見ることができます。国史跡。
円墳、R15,H2、6C前半
家形石棺 長2.3,幅1.1m、小竪穴石室 長1.85,幅0.7m
位置:35°25′13″N 132°48′09″E (日本測地系)
35.42340403 132.79991597(世界測地系)
(2021年)
集落手前に案内板、でもこの先はT字路なのに案内がない、左が正解

上の方に説明板が見えている

私有地奥にもう一つの案内板、でも手前の道路脇には案内がない

石棺は覆い屋で保護、ここはパンフレットはなかった

家形石棺は身も蓋もよく残っている、墳丘に直接埋設

元々なのか風化なのか全体に丸みを帯びる、左側のは縄掛け突起じゃなく含まれる礫のようです

右側だけ縄掛け突起が2個、左側は見当たらない、元々短いのか削られたのか

直ぐ側に石室、横穴じゃなく竪穴だそうだ

開口部横から

石室内部、馬具が出土、副葬品専用でしょうか

(1989年)
丘陵中腹、山側から見た墳丘、小円墳ながら豪華な副葬品が出土している

刳抜式家形石棺、石室はなく直接埋葬されていた、ほぼ完全な人骨と鏡、太刀、玉類などが出土

副葬品用竪穴石室

竪穴石室内部、こちらからは馬具が出土

(見学記)
(2021年)
出雲市国富町、南側道路脇に案内表示があり200mと書かれています。でもその先はT字路、ここには案内表示がなく右に行くのか左に行くのか。幸い左遠方、丘の中腹に説明板が見えていたので行く方向がわかりました。左に行くと私有地の看板があるのでそこを通っていくと次の案内表示があります、ここに立てるくらいならT字路のとこにほしかった。その後は1本道ですが幾つも案内板が出てきます。古墳の正体は覆い屋の中の家形石棺、これで国史跡なのか。多分豊富な遺物が出た為でしょうが古墳そのものより遺物の優秀さの方が史跡指定されやすいような気がする。
(1989年)
斐伊川河口近くの丘陵中腹にある径15mの円墳です。墳丘はやや平坦になった部分に作られていて規模は小さいですが、豊富な異物が出土しています。刳抜式家形石棺を直接土中に埋設、この中から完全な人骨とともに鈴鏡、鈴釧、太刀、玉等、側に副葬品用の小型竪穴石室がありこちらからは馬具が出土しています。竪穴石室は今も見ることができ、石棺も側の小屋の中に安置されていて、かなり退化した縄掛け突起がついているのを見ることができます。国史跡。