上塩冶築山古墳
島根県出雲市 1988年4月訪問、2021年12月再訪
円墳、R42,H6、6C末~7C初
横穴式石室、全長14.6、羨道5.6,1.8,2.2、玄室6.6,2.8,2.9m
横口式家形石棺2、2.8,1.4,1.7m(手前)、2.1,1.4,1.4(奥)
位置:35°20′49″N 132°45′48″E (日本測地系)
35.3500786 132.76075564(世界測地系)
(2021年)
駐車場から見た古墳、墳丘は半分以上削られている

石室開口部、石室自体は完存、柵があるがこの時鍵が掛かってなかった

羨道からして切石積

羨道天井

板石を使った玄門、しきみ石がある、手前にも踏み石のような板石を敷く、左の石は当時の物か運び込まれたか

玄室内部に巨大な刳抜式家形石棺2基

手前の大石棺は身蓋とも丸い縄掛け突起がつく、身の縄掛け突起がだいぶ左にずれている

ともに横口式、手前の石棺の方が巨大

玄室側壁は切石だが天井石はそれ程加工してない、宝塚古墳もそうだったがこの地方の伝統か

下が見えないが多分1枚石の奥壁

小石棺、横口部が二重になっている、縦溝は排水用?

蓋石に縄掛け突起はなし、屋根平坦部が狭い

いろんなアングルから

小石棺内部

〃反対側

大石棺は蓋石は小口部に1,側面に2の縄掛け突起、小石棺もそうだが屋根のエッジが鋭い

大石棺奥から

こちらの横口は二重になっておらずシンプル、やはり縦溝がある、石棺の大きさに比べて開口部が小さいような

石棺内部、宝塚と同様礫を含んでいる

〃反対側、屋根の刳貫が小石棺より深いか

大石棺奥側の縄掛け突起

蓋石の縄掛け突起はかなり削られている

大石棺奥から、身の方は中央に付くが、蓋石の方は左にずれている、表側とは逆

玄室奥から

天井石を奥からストロボ無しで

側壁、加工の跡が見られる

玄門奥から、左右の幅に違いがある

巧みな切石積側壁

〃反対側、複雑さはないが切石の精度が高そう

羨道奥から、石材の高さのレベルが揃っている

(1988年)
石室入り口、個人住宅の庭にある(現在は出雲弥生の森博物館が管理)

羨道、玄室、切石造りの見事な石室、奥に向かって羽子板状に広がる、手前の石棺に丸い縄掛け突起がつく

2基の巨大な横口付家形石棺手前の方が一回り大きく長2.72,幅1.45,高1.75m

(見学記)
(2021年)
出雲市上塩冶町、ここは超有名なので遠征し始めた頃真っ先に訪問(記録を見たら30年以上前だよ)、当時はお屋敷の中で家の方に挨拶して見学しました。しかし幾ら初心者でフィルム時代とは言え数枚しか写真を撮ってない(汗)、なのでここは是非再訪したかった。でも古墳が公有化されているようで当然石室も閉鎖だろうなと思って行ったけどなんと柵はあったけど鍵が掛かってなかった、もう狂喜乱舞の状態で写真を撮りまくってきました。奥に2基の家形石棺があるけど奥の方がやや小さい、共に横口式ですが横口の構造が奥の方が萼物上の段差があるなど複雑で手前のは簡略化されています。逆に置くのは縄掛突起がありませんが手前のは蓋石にも身にも丸い縄掛突起がついています、それにしても奥のはともかく手前のはどうやって入れたんでしょうか、羨道は入口側が細くなっていてとても通りそうにないですが。石棺ばかり注目されますが石室も複室構造で切石積と素晴らしいものです。南側に広い専用駐車場有り。グールルマップで見てみると南側に赤い屋根を持つ民家が見えてます。付近の住宅より明らかに大きくこれが元のお屋敷かもしれない。しかし下衆な話ですが公有化された時購入価格に歴史的価値を含ますんだろうか。でも最近古墳を無償で譲渡というニュースを聞いたので(高崎市柴崎浅間山古墳)無償の可能性もあるかも。
(1988年)
出雲市駅南方約1kmの所にある径42mの円墳状の古墳です。南西側に石室が開口、現存長14.6mで奥に向かって直線的に広くなっていて玄門部分がわずかに突き出ていて羨道と玄室を区別しています。壁は切石で構成され玄室にはこれまた巨大な2基の石棺が鎮座しています。ともに横口付刳抜式家形石棺で、奥の方がやや小ぶりで蓋にも縄掛け突起はついていませんが手前のは身と蓋に丸い縄掛け突起が6個ついています。大きさは長2.72m幅1.45m高1.75m。個人の敷地内にあるので断ってから見学しましょう(どちらにしろ鍵を借りないと中には入れませんが)。国史跡。
円墳、R42,H6、6C末~7C初
横穴式石室、全長14.6、羨道5.6,1.8,2.2、玄室6.6,2.8,2.9m
横口式家形石棺2、2.8,1.4,1.7m(手前)、2.1,1.4,1.4(奥)
位置:35°20′49″N 132°45′48″E (日本測地系)
35.3500786 132.76075564(世界測地系)
(2021年)
駐車場から見た古墳、墳丘は半分以上削られている

石室開口部、石室自体は完存、柵があるがこの時鍵が掛かってなかった

羨道からして切石積

羨道天井

板石を使った玄門、しきみ石がある、手前にも踏み石のような板石を敷く、左の石は当時の物か運び込まれたか

玄室内部に巨大な刳抜式家形石棺2基

手前の大石棺は身蓋とも丸い縄掛け突起がつく、身の縄掛け突起がだいぶ左にずれている

ともに横口式、手前の石棺の方が巨大

玄室側壁は切石だが天井石はそれ程加工してない、宝塚古墳もそうだったがこの地方の伝統か

下が見えないが多分1枚石の奥壁

小石棺、横口部が二重になっている、縦溝は排水用?

蓋石に縄掛け突起はなし、屋根平坦部が狭い

いろんなアングルから

小石棺内部

〃反対側

大石棺は蓋石は小口部に1,側面に2の縄掛け突起、小石棺もそうだが屋根のエッジが鋭い

大石棺奥から

こちらの横口は二重になっておらずシンプル、やはり縦溝がある、石棺の大きさに比べて開口部が小さいような

石棺内部、宝塚と同様礫を含んでいる

〃反対側、屋根の刳貫が小石棺より深いか

大石棺奥側の縄掛け突起

蓋石の縄掛け突起はかなり削られている

大石棺奥から、身の方は中央に付くが、蓋石の方は左にずれている、表側とは逆

玄室奥から

天井石を奥からストロボ無しで

側壁、加工の跡が見られる

玄門奥から、左右の幅に違いがある

巧みな切石積側壁

〃反対側、複雑さはないが切石の精度が高そう

羨道奥から、石材の高さのレベルが揃っている

(1988年)
石室入り口、個人住宅の庭にある(現在は出雲弥生の森博物館が管理)

羨道、玄室、切石造りの見事な石室、奥に向かって羽子板状に広がる、手前の石棺に丸い縄掛け突起がつく

2基の巨大な横口付家形石棺手前の方が一回り大きく長2.72,幅1.45,高1.75m

(見学記)
(2021年)
出雲市上塩冶町、ここは超有名なので遠征し始めた頃真っ先に訪問(記録を見たら30年以上前だよ)、当時はお屋敷の中で家の方に挨拶して見学しました。しかし幾ら初心者でフィルム時代とは言え数枚しか写真を撮ってない(汗)、なのでここは是非再訪したかった。でも古墳が公有化されているようで当然石室も閉鎖だろうなと思って行ったけどなんと柵はあったけど鍵が掛かってなかった、もう狂喜乱舞の状態で写真を撮りまくってきました。奥に2基の家形石棺があるけど奥の方がやや小さい、共に横口式ですが横口の構造が奥の方が萼物上の段差があるなど複雑で手前のは簡略化されています。逆に置くのは縄掛突起がありませんが手前のは蓋石にも身にも丸い縄掛突起がついています、それにしても奥のはともかく手前のはどうやって入れたんでしょうか、羨道は入口側が細くなっていてとても通りそうにないですが。石棺ばかり注目されますが石室も複室構造で切石積と素晴らしいものです。南側に広い専用駐車場有り。グールルマップで見てみると南側に赤い屋根を持つ民家が見えてます。付近の住宅より明らかに大きくこれが元のお屋敷かもしれない。しかし下衆な話ですが公有化された時購入価格に歴史的価値を含ますんだろうか。でも最近古墳を無償で譲渡というニュースを聞いたので(高崎市柴崎浅間山古墳)無償の可能性もあるかも。
(1988年)
出雲市駅南方約1kmの所にある径42mの円墳状の古墳です。南西側に石室が開口、現存長14.6mで奥に向かって直線的に広くなっていて玄門部分がわずかに突き出ていて羨道と玄室を区別しています。壁は切石で構成され玄室にはこれまた巨大な2基の石棺が鎮座しています。ともに横口付刳抜式家形石棺で、奥の方がやや小ぶりで蓋にも縄掛け突起はついていませんが手前のは身と蓋に丸い縄掛け突起が6個ついています。大きさは長2.72m幅1.45m高1.75m。