大岩山古墳群
滋賀県野洲市(旧野洲町)2000年3月訪問
銅鐸で有名な大岩山北側一帯に分布
今回紹介する8基が国史跡
分布図

大塚山古墳
帆立貝式、R45,H4.5
位置:35°04′27″N 136°02′42″E (日本測地系)
35.07738839 136.04213473(世界測地系)
平野部に立地、前方部(画面左側)は消滅、周溝跡が周りの水田に残っている

甲山古墳
円墳、R30,H10
横穴式石室、玄室長6.8,幅2.8,高3.3m
墳丘復元、桜生史跡公園内

羨道、入り口だけでなく玄門にも柵があるため玄室は全く見られない、羨道は下り坂になっている。それに対応して天井も奥が低い

亀塚古墳
帆立貝式、TL35,R30,H3.5
位置:35°04′36″N136°02′09″E (日本測地系)
35.07988807 136.03296933(世界測地系)
平野部に立地、前方部消滅

古冨波山古墳
円墳、R30
位置:35°04′32″N 136°02′06″E (日本測地系)
35.07877709 136.03185836(世界測地系)
住宅街の中の公園に保存されているが僅かな高まりがあるだけ、これでも国史跡、木簡、銅鏡が出土

天王山古墳
前方後円墳、TL50
手前が後円部、規模の割に背が高い、桜生史跡公園内

前記のちょうど反対側、丘を削って造ったせいか巨岩が露出している

冨波古墳
前方後方墳、TL47
位置:35°04′38″N 136°02′04″E (日本測地系)
35.08044357 136.03158064(世界測地系)
墳丘はすっかり削平、基底部が検出された、現状は更地のまま、説明板があるのみ

円山古墳
円墳
横穴式石室、羨道長6.8m、玄室長4.8m
位置:35°04′16″N 136°02′39″E (日本測地系)
35.07433315 136.04130146(世界測地系)
現在修復中、石室入り口にも柵を設置中、桜生史跡公園内

羨道

刳抜式家形石棺

石棺蓋石、縄掛け突起は小口部に無く側面のみ

玄室、白くとんでいるのは石棺蓋石、石棺の大きさの割に玄室はそれ程広くない

宮前2号墳
円墳、R15,H3.5
横穴式石室
位置:35°04′13″N 136°02′51″E (日本測地系)
35.07349991 136.04463433(世界測地系)
墳丘、石室正面、一見移築されたようだが1962年現位置で発見された、古墳群中最後の築造

玄室、組合式家形石棺、石棺は底石と小口部の1枚しか残っておらず後は復元

両袖式、羨道は立って入れる程大きくこれなら石棺を入れるのも楽々

(見学記)
大岩山古墳群
大岩山北側麓から平野部にかけて分布する古墳群だが前期から後期まで時代差はかなりある。今回紹介した分は全て国史跡。
宮前2号墳
径15m、高3.5mの円墳で銅鐸博物館北側にある。一見移築復元された墳丘のようだが1962年に現位置で発見された。古墳群中最後の古墳だといわれている。南側に石室が開口、両袖式で玄室に組合式家形石棺がある。ただ発見時に残っていたのは底石と小口部の1枚のみで残りは修復されたものです。羨道は立って入れるほど大きいのに玄室はそれより一回り大きい程度、これなら石棺を入れるのも楽々。
大塚山古墳
平野部に立地する帆立貝式古墳で5C中頃の築造、後円部径45m、高4.5m。後円部は良好に残っているようだが前方部は消滅、周りの水田に周溝の跡が残っている。
亀塚古墳
全長35m、後円部径30m、高3.5mの帆立貝式古墳です。ここも前方部は消滅、後円部も大分削平されているようだ。
古冨波山古墳
径30mの円墳です。住宅街の中の公園として保存されているが僅かに1.5mていどの高まりがあるだけ。説明板がなければ古墳、ましてや国の史跡なんて誰も思わないだろう。木棺や銅鏡3面が出土している。
冨波古墳
全長47m、後方辺22mの前方後方墳です。墳丘はすっかり削平され基底部だけが検出された。現在は更地となっていて側に説明板が立っているだけ。多分公有地化はされているんだろうな。
麓の尾根を利用して3基の古墳が築かれている。最初地図を見たとき新幹線と国道8号との間の狭い場所でこんな所にあるのかいなと思っていたが結構大きな墳丘があった。現在桜生史跡公園として整備中。
甲山古墳
径30m、高10mの円墳で6C前半の築造で埴輪や葺石を持たない。公園に入るとまるでUFOのような墳丘が真っ先に目にはいる。南西に石室が開口、右片袖式で玄室長6.8、幅2.8,高3.3m、羨道が入り口から下り坂になっているのが特徴、羨道天井も奥の方が低くなっている。玄室には熊本宇土半島の凝灰岩を使った家形石棺がある。ただ残念ながら羨道入り口だけでなく玄門まで柵があるので玄室の様子をうかがうことは全く出来ない。何でこんなに厳重なんだ。
円山古墳
甲山とほぼ同程度の円墳(「前方後円墳集成」では帆立貝式となっている)、3基の中で一番高い場所にある。ここも石室が開口し、羨道長6.8m、玄室長4.8m。でも現状では羨道はもっと短い感じで巨大な石棺が目の前にある。刳抜式家形石棺で蓋石の背が高い。縄掛け突起も残っているが小口部にはなく側面のみ。あまり大きかったせいか奥まで入りきらず手前は玄門辺りにとどまっている。ただいま整備中で入り口に柵を設置中だった。羨道までは入れて貰ったけれど玄室は石棺に邪魔されて入れず(工事の人もいたし)。なお夕波千鳥さんの書き込みからこの石棺も甲山の石棺と同じく阿蘇ピンク石と判明。
天王山古墳
全長49m、後円部径27m、前方部幅29m、高8mの前方後円墳です。規模の割に背が大変高く、又前と後ろがほぼ同規模でちょっと見にはどちらが前でどちらが後ろかよく分からない。いかにも尾根を削って造った墳丘らしく自然石の巨岩が幾つも露出している。これから整備するようで下草が刈られ墳丘をよく見ることが出来た。
銅鐸で有名な大岩山北側一帯に分布
今回紹介する8基が国史跡
分布図

大塚山古墳
帆立貝式、R45,H4.5
位置:35°04′27″N 136°02′42″E (日本測地系)
35.07738839 136.04213473(世界測地系)
平野部に立地、前方部(画面左側)は消滅、周溝跡が周りの水田に残っている

甲山古墳
円墳、R30,H10
横穴式石室、玄室長6.8,幅2.8,高3.3m
墳丘復元、桜生史跡公園内

羨道、入り口だけでなく玄門にも柵があるため玄室は全く見られない、羨道は下り坂になっている。それに対応して天井も奥が低い

亀塚古墳
帆立貝式、TL35,R30,H3.5
位置:35°04′36″N136°02′09″E (日本測地系)
35.07988807 136.03296933(世界測地系)
平野部に立地、前方部消滅

古冨波山古墳
円墳、R30
位置:35°04′32″N 136°02′06″E (日本測地系)
35.07877709 136.03185836(世界測地系)
住宅街の中の公園に保存されているが僅かな高まりがあるだけ、これでも国史跡、木簡、銅鏡が出土

天王山古墳
前方後円墳、TL50
手前が後円部、規模の割に背が高い、桜生史跡公園内

前記のちょうど反対側、丘を削って造ったせいか巨岩が露出している

冨波古墳
前方後方墳、TL47
位置:35°04′38″N 136°02′04″E (日本測地系)
35.08044357 136.03158064(世界測地系)
墳丘はすっかり削平、基底部が検出された、現状は更地のまま、説明板があるのみ

円山古墳
円墳
横穴式石室、羨道長6.8m、玄室長4.8m
位置:35°04′16″N 136°02′39″E (日本測地系)
35.07433315 136.04130146(世界測地系)
現在修復中、石室入り口にも柵を設置中、桜生史跡公園内

羨道

刳抜式家形石棺

石棺蓋石、縄掛け突起は小口部に無く側面のみ

玄室、白くとんでいるのは石棺蓋石、石棺の大きさの割に玄室はそれ程広くない

宮前2号墳
円墳、R15,H3.5
横穴式石室
位置:35°04′13″N 136°02′51″E (日本測地系)
35.07349991 136.04463433(世界測地系)
墳丘、石室正面、一見移築されたようだが1962年現位置で発見された、古墳群中最後の築造

玄室、組合式家形石棺、石棺は底石と小口部の1枚しか残っておらず後は復元

両袖式、羨道は立って入れる程大きくこれなら石棺を入れるのも楽々

(見学記)
大岩山古墳群
大岩山北側麓から平野部にかけて分布する古墳群だが前期から後期まで時代差はかなりある。今回紹介した分は全て国史跡。
宮前2号墳
径15m、高3.5mの円墳で銅鐸博物館北側にある。一見移築復元された墳丘のようだが1962年に現位置で発見された。古墳群中最後の古墳だといわれている。南側に石室が開口、両袖式で玄室に組合式家形石棺がある。ただ発見時に残っていたのは底石と小口部の1枚のみで残りは修復されたものです。羨道は立って入れるほど大きいのに玄室はそれより一回り大きい程度、これなら石棺を入れるのも楽々。
大塚山古墳
平野部に立地する帆立貝式古墳で5C中頃の築造、後円部径45m、高4.5m。後円部は良好に残っているようだが前方部は消滅、周りの水田に周溝の跡が残っている。
亀塚古墳
全長35m、後円部径30m、高3.5mの帆立貝式古墳です。ここも前方部は消滅、後円部も大分削平されているようだ。
古冨波山古墳
径30mの円墳です。住宅街の中の公園として保存されているが僅かに1.5mていどの高まりがあるだけ。説明板がなければ古墳、ましてや国の史跡なんて誰も思わないだろう。木棺や銅鏡3面が出土している。
冨波古墳
全長47m、後方辺22mの前方後方墳です。墳丘はすっかり削平され基底部だけが検出された。現在は更地となっていて側に説明板が立っているだけ。多分公有地化はされているんだろうな。
麓の尾根を利用して3基の古墳が築かれている。最初地図を見たとき新幹線と国道8号との間の狭い場所でこんな所にあるのかいなと思っていたが結構大きな墳丘があった。現在桜生史跡公園として整備中。
甲山古墳
径30m、高10mの円墳で6C前半の築造で埴輪や葺石を持たない。公園に入るとまるでUFOのような墳丘が真っ先に目にはいる。南西に石室が開口、右片袖式で玄室長6.8、幅2.8,高3.3m、羨道が入り口から下り坂になっているのが特徴、羨道天井も奥の方が低くなっている。玄室には熊本宇土半島の凝灰岩を使った家形石棺がある。ただ残念ながら羨道入り口だけでなく玄門まで柵があるので玄室の様子をうかがうことは全く出来ない。何でこんなに厳重なんだ。
円山古墳
甲山とほぼ同程度の円墳(「前方後円墳集成」では帆立貝式となっている)、3基の中で一番高い場所にある。ここも石室が開口し、羨道長6.8m、玄室長4.8m。でも現状では羨道はもっと短い感じで巨大な石棺が目の前にある。刳抜式家形石棺で蓋石の背が高い。縄掛け突起も残っているが小口部にはなく側面のみ。あまり大きかったせいか奥まで入りきらず手前は玄門辺りにとどまっている。ただいま整備中で入り口に柵を設置中だった。羨道までは入れて貰ったけれど玄室は石棺に邪魔されて入れず(工事の人もいたし)。なお夕波千鳥さんの書き込みからこの石棺も甲山の石棺と同じく阿蘇ピンク石と判明。
天王山古墳
全長49m、後円部径27m、前方部幅29m、高8mの前方後円墳です。規模の割に背が大変高く、又前と後ろがほぼ同規模でちょっと見にはどちらが前でどちらが後ろかよく分からない。いかにも尾根を削って造った墳丘らしく自然石の巨岩が幾つも露出している。これから整備するようで下草が刈られ墳丘をよく見ることが出来た。