判官塚古墳
栃木県鹿沼市 1998年1月訪問
前方後円墳、TL62,R11,RH64.,FW18,FH3.6
横穴式石室、全長5.9m
位置:36°28′43″N 139°45′54″E
水田の中に残る墳丘

かなり埋まった羨道、板石を使った袖石が見えている

玄室、奥壁、天井石は1枚石、側壁は河原石を使った乱石積み

(見学記)
長塚古墳等がある台地の西側低地,R349西側の水田の中にある全長62mの前方後円墳です。墳丘良好,後円部南側に両袖式の石室が開口,河原石を使った玄室です。羨道部が半ば埋まっていて入室は不可,匍匐前進して何とか玄門まで行って中を覗いてきました。やはりダイエットしなくちゃ。名前の由来は義経の冠を埋めた言い伝えからきているそうで,別名冠塚。こういう言い伝えがあるんだからやはり冠が出土したんでしょうか。古墳群を形成していましたが東側神社境内にある1基を除いてほぼ全滅しているようです。市史跡。
前方後円墳、TL62,R11,RH64.,FW18,FH3.6
横穴式石室、全長5.9m
位置:36°28′43″N 139°45′54″E
水田の中に残る墳丘

かなり埋まった羨道、板石を使った袖石が見えている

玄室、奥壁、天井石は1枚石、側壁は河原石を使った乱石積み

(見学記)
長塚古墳等がある台地の西側低地,R349西側の水田の中にある全長62mの前方後円墳です。墳丘良好,後円部南側に両袖式の石室が開口,河原石を使った玄室です。羨道部が半ば埋まっていて入室は不可,匍匐前進して何とか玄門まで行って中を覗いてきました。やはりダイエットしなくちゃ。名前の由来は義経の冠を埋めた言い伝えからきているそうで,別名冠塚。こういう言い伝えがあるんだからやはり冠が出土したんでしょうか。古墳群を形成していましたが東側神社境内にある1基を除いてほぼ全滅しているようです。市史跡。