津袋古墳群

熊本県山鹿市(旧鹿本町)2002年4月訪問、14年3月再訪

7基、一括県史跡

(2014年)

1号(茶臼塚古墳)
方墳、L25、4C後半~5C初
位置:33°00′35″N 130°45′06″E (日本測地系)
    33.01307624 130.7493232(世界測地系)
丘陵頂部に位置する、柵手前の砂利が周溝跡でしょうか


南側平野を一望できる、左後方に小町塚


2号(小町塚古墳)
円墳、R24、5C前半
周りの砂利が周溝、墳丘は随分小さくなっている


芯だけ残っているような状態、後方に茶臼塚


3号(大塚古墳)
円墳、R32,H5、4C末~5C前半
舟形石棺、長持形石棺(埋戻し)、箱式石棺
位置:33°00′35″N 130°45′21″E (日本測地系)
    33.01307626 130.75348949(世界測地系)
道路脇に大きな表示板と復元墳丘、手前の赤い説明板に分布図が載っている


周囲に3基の箱式石棺を覆い屋で保護


割れた蓋石、身の方は埋めている


手前に箱式石棺小口部、奥に破壊された蓋石


4号(五社宮古墳)
家形石棺
位置:33°00′42″N 130°45′26″E (日本測地系)
    33.01502051 130.75487822(世界測地系)
社殿左側に墳丘があるが大きく削られる


反対側は何とか残る


家形石棺蓋石小口部が残る、大きな縄掛け突起、蓋石は幅が狭そうだ


反対側は削られて支えで立っている状態


5号(頂塚古墳)
円墳、R28
舟形石棺(埋戻し)
位置:33°00′45″N 130°45′26″E (日本測地系)
    33.01585376 130.75487821(世界測地系)
道路脇に大きな看板


墳丘は復元


6号(平原塚古墳)
舟形石棺
位置:33°00′52″N 130°45′33″E (日本測地系)
    33.01779802 130.75682245(世界測地系)
石棺の身を覆い屋で保護、遠方に朱塚、この状況で前回何で見逃したか


石棺身露出、左側に縄掛け突起2


反対側にも縄掛け突起があるが一つ欠けている


頭部側に石枕


底を僅かに高くし丸い窪みを二つ彫り込む


7号(朱塚古墳)
竪穴石室
位置:33°01′01″N 130°45′40″E (日本測地系)
    33.02029779 130.75876668(世界測地系)
水田段差部に残る墳丘


高い方から見た墳丘


石材露出


板状に加工された天井石


小口積み竪穴石室、赤い色が残っている


(2002年)
1号(茶臼塚古墳)
丘陵頂にある墳丘、かなり小さくなっている(周りの砂利が周溝を示す)


2号(小町塚古墳)
周りの砂利が本来の大きさ、芯しか残ってないような状態


右奥が茶臼塚


3号(大塚古墳)
復元墳丘、周囲に箱式石棺が3基ある


5号(頂塚古墳)
復元墳丘


石棺(説明板より)


6号(平原塚古墳)
墳丘消滅、石棺身だけが残る


奥に石枕が掘られている、左右で頭の部分の窪みの大きさが違うようだ


(見学記)
(2014年)
前回訪問の際2基見逃しているのがあるので近くを訪問した序に再訪してみました。五社宮古墳は頂塚から入った所にあり墳丘は社殿で大半削られ家形石棺蓋石の小口部が僅かに残っています。神社まで車で入っていける。それにしても大塚の所にある分布図があるのに何で前回見つけられなかったのかな。朱塚古墳は平原塚の北側水田段差部分にあり墳丘もそこそこ残っています。小口積みの竪穴石室の一部が露出内部が見えていて赤い色も残っています。平原塚から墳丘見えているのになんで前回気が付かなかったんだろ。平原塚より余程分かりやすいのにな。

(2002年)
7基からなる古墳群で一括して県史跡。場所がよく分からなかったが鹿本町の町中を通る国道325号に案内表示があり、それに従って行くと大塚古墳に行き当たりここに分布図(道路が新しくなっていてかなり分かりにくいが)あったので他の古墳も探すことが出来た。

大塚古墳
大きな交差点の脇に大きな看板とともに丸い墳丘が復元されているのですぐ分かる。舟形石棺や長持形石棺があるそうだが埋め戻されている。墳丘の周りに箱式石棺が3基ありこちらは屋根がかけられて見学できるがすっかり雑草に埋もれて見づらい。

茶臼塚古墳・小町塚古墳
大塚古墳西側の丘陵が一本松公園となっていてその最高所に茶臼塚古墳がある。この辺りでは珍しい方墳で墳丘は現状保存、砂利で周溝の様子を示しているが墳丘自体はかなり小さくなっているようだ。東側下方に小町塚古墳がある。こちらも周溝が砂利で示されているが墳丘は更に小さくなっているようで中心部が僅かにしか残っていない状態です。

頂塚古墳
大塚古墳から道路を400m程北東に行くと右手尾根の頂にある。今でこそ墳丘が復元されすぐ分かるが発掘当時ははっきり古墳とは認識されていなかったらしい。ここにも舟形石棺(埋戻し)があるが説明板では”発掘責任者がそう呼んでいるので舟形石棺と書く”となっていて説明文を書いた人はかなり疑問に思っているようだ。実際説明板の写真を見ても家形石棺のようだが。

平原塚古墳
頂塚から更に300m程行って右手の水田のある段丘面に降りると、覆い屋に保護された石棺がある。墳丘は完全に消滅、蓋も無くなっているが丸い縄掛け突起が2個ずつ付いた身が残っている(これも舟形石棺となっている)。内側に石枕状の段が掘られ頭が当たる部分が2カ所丸く刳り抜かれている。左右で大きさが違うのは男女の区別だろうか。近くに竪穴石室を持つ朱塚古墳があるそうだが全く分からず。

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