馬場瀬古墳群
愛知県豊田市 2010年3月訪問
8基現存7基
2号
神社社殿背後にある

墳丘残るも頂部凹む

3号
あるかなきかの墳丘

4号
記念碑脇の墳丘

4号から見た5-8号

5号
石材が露出

6号
低い墳丘が残る

7号
低い墳丘一部石材露出

8号
円墳、R18,H3、7C前半
横穴式石室、全長7.1m、玄室幅2.1,高2.4m
位置:35°06′51″N 137°11′41″E (日本測地系)
35.11741051 137.19173987(世界測地系)
良好なのはこれのみ

石室正面、前部破壊

玄室開口部

胴張りの玄室

〃(縦位置)

側壁上部にやや大きな石が使われている

奥壁、元は1枚石か

奥から外、袖石を立てた両袖式

〃(縦位置)

(見学記)
豊田市馬場瀬、矢作川を西に望む高台に築かれた8基(現存7基)からなる古墳群です。国道153号平戸橋を西に渡って大きく右カーブした右手高台の住宅地に登る急坂を登っていき住宅街を突き抜けて更に奥、急な道を下っていった行った辺りで現在整備され見学しやすくなっています。神社側にあるのが2号(1号は消滅)ではっきりした墳丘があります。更に南に行くと3号の低い墳丘、更に行くと4-8号が集中しています。8号以外は低い墳丘と石材が僅かに見える程度で状態は良くありません。8号は経18m高3mの円墳で背後に周溝らしきものがあるから地山を削った上に盛り土をしたのかもしれない。南西側に石室開口全長7.1m、羨道は殆ど壊失していますが玄室完存、胴張りで柱状袖石を立てた両袖式です。奥壁は巨石を左右に並べているけどひょっとしたら1枚の巨石で真っ直ぐ縦に割れ目があるのかもしれない。側壁はやや持ち送り中段より上にやや大きな石材を積んでいます。下段より下が地山で積み方を変えたのではないかと推定。ここは教えて貰っていたので奥まで入って行けたけど知らなかったら車ではとても入っていけなかったな。神社と集会所の間に広い駐車スペースあり。
8基現存7基
2号
神社社殿背後にある

墳丘残るも頂部凹む

3号
あるかなきかの墳丘

4号
記念碑脇の墳丘

4号から見た5-8号

5号
石材が露出

6号
低い墳丘が残る

7号
低い墳丘一部石材露出

8号
円墳、R18,H3、7C前半
横穴式石室、全長7.1m、玄室幅2.1,高2.4m
位置:35°06′51″N 137°11′41″E (日本測地系)
35.11741051 137.19173987(世界測地系)
良好なのはこれのみ

石室正面、前部破壊

玄室開口部

胴張りの玄室

〃(縦位置)

側壁上部にやや大きな石が使われている

奥壁、元は1枚石か

奥から外、袖石を立てた両袖式

〃(縦位置)

(見学記)
豊田市馬場瀬、矢作川を西に望む高台に築かれた8基(現存7基)からなる古墳群です。国道153号平戸橋を西に渡って大きく右カーブした右手高台の住宅地に登る急坂を登っていき住宅街を突き抜けて更に奥、急な道を下っていった行った辺りで現在整備され見学しやすくなっています。神社側にあるのが2号(1号は消滅)ではっきりした墳丘があります。更に南に行くと3号の低い墳丘、更に行くと4-8号が集中しています。8号以外は低い墳丘と石材が僅かに見える程度で状態は良くありません。8号は経18m高3mの円墳で背後に周溝らしきものがあるから地山を削った上に盛り土をしたのかもしれない。南西側に石室開口全長7.1m、羨道は殆ど壊失していますが玄室完存、胴張りで柱状袖石を立てた両袖式です。奥壁は巨石を左右に並べているけどひょっとしたら1枚の巨石で真っ直ぐ縦に割れ目があるのかもしれない。側壁はやや持ち送り中段より上にやや大きな石材を積んでいます。下段より下が地山で積み方を変えたのではないかと推定。ここは教えて貰っていたので奥まで入って行けたけど知らなかったら車ではとても入っていけなかったな。神社と集会所の間に広い駐車スペースあり。