綾塚古墳
福岡県みやこ町(旧勝山町)2001年4月訪問、2012年2月、23年2月再訪
円墳、R41,H8、7C前半
複室構造横穴式石室
全長19.4m、前室2.2,2.3,3.7、後室3.3,3.5,3.7m
家形石棺
位置:33°42′08″N 130°55′13″E (日本測地系)
33.70550993 130.91790369(世界測地系)
墳丘背後(23/02)
二又池東古墳に行く為綾塚背後に廻ると巨大な周溝に驚いて撮影、これは東側から

西側から、丘陵裾を大きくカットしている

背後から見た方が墳丘が巨大に見える、2段築成か

こうやって見るとこれが元の状態、表側は修復されているのかもしれない

カットした斜面上から見た墳丘

二又池東古墳から降りてくると、綾塚周溝西端辺りに墳丘

周溝側から見た様子、これは西側にある二又池南古墳群の1基のようです(その8)、周溝で少し削られているか

動物の掘った穴かと思いましたが

奥の方に石室が見えていました、古墳確定

すぐ背後にも低い墳丘、これもまず古墳(その9)

上から見ると殆どわからない、左後方にその8

墳丘、石室正面

羨道前部は天井を失う

現開口部、石柱で天井石を支える、石柱はかなり新しそうだ

羨道後部、巨大な天井石

前室左側

前室右側

前室天井

巨石を使った玄室

家形石棺

玄室左側

玄室右側

玄室上部、柵隙間から撮影

前室奥から

石室右側、前室袖石

石室左側、〃

羨道奥から外

墳丘背後、斜面を大きくカットした跡が残っている

(見学記)
(2023年)
二又池東古墳を行く序でに綾塚背後を見てみました。今まで何度も来ているが背後は見てなかった(写真を撮っているがすっかり忘れていた)。いざ見てみると丘陵を広くカットしています、これ程大規模だったとはね。これは一見の価値がある。正面から見ると墳丘は良好すぎて復元のように見えますが背後から見ると丸く重量感があります。二段築成のように見えます。
削り残した丘陵西側部分に明らかに古墳があった。これは綾塚陪墳ではなく西側にある二又池西古墳群中の1基のようです。動物の掘った跡がありましたが結構深い、念の為写真に撮ってみると石室の一部が写っていました、やはり古墳でした。その側にもう1基、低墳丘がありました、このようなのも以前見ていた二又池西古墳群で見ています。
(2012年)
径41m、高8mの大型円墳で丘陵麓の斜面をカットして構築している。南側に石室が開口、巨石を使った複室構造の石室で全長19.4mと全国でも有数の規模です。羨道前面がかなり破壊されていますがそれでも入り口部分は見上げるほどの大きさです。前室、後室の玄門も巨大な袖石を立ていて天井も大変高い。玄室には家形石棺があるが灯籠があり祭られているようで中には入れない。橘塚を含めこの地域に全国有数の石室墳が2基もあるのは当時は重要な地域だったのだろうか。現在はすっかり閑静な地域になっている。国史跡。
円墳、R41,H8、7C前半
複室構造横穴式石室
全長19.4m、前室2.2,2.3,3.7、後室3.3,3.5,3.7m
家形石棺
位置:33°42′08″N 130°55′13″E (日本測地系)
33.70550993 130.91790369(世界測地系)
墳丘背後(23/02)

二又池東古墳に行く為綾塚背後に廻ると巨大な周溝に驚いて撮影、これは東側から

西側から、丘陵裾を大きくカットしている

背後から見た方が墳丘が巨大に見える、2段築成か

こうやって見るとこれが元の状態、表側は修復されているのかもしれない

カットした斜面上から見た墳丘

二又池東古墳から降りてくると、綾塚周溝西端辺りに墳丘

周溝側から見た様子、これは西側にある二又池南古墳群の1基のようです(その8)、周溝で少し削られているか

動物の掘った穴かと思いましたが

奥の方に石室が見えていました、古墳確定

すぐ背後にも低い墳丘、これもまず古墳(その9)

上から見ると殆どわからない、左後方にその8

墳丘、石室正面

羨道前部は天井を失う

現開口部、石柱で天井石を支える、石柱はかなり新しそうだ

羨道後部、巨大な天井石

前室左側

前室右側

前室天井

巨石を使った玄室

家形石棺

玄室左側

玄室右側

玄室上部、柵隙間から撮影

前室奥から

石室右側、前室袖石

石室左側、〃

羨道奥から外

墳丘背後、斜面を大きくカットした跡が残っている

(見学記)
(2023年)
二又池東古墳を行く序でに綾塚背後を見てみました。今まで何度も来ているが背後は見てなかった(写真を撮っているがすっかり忘れていた)。いざ見てみると丘陵を広くカットしています、これ程大規模だったとはね。これは一見の価値がある。正面から見ると墳丘は良好すぎて復元のように見えますが背後から見ると丸く重量感があります。二段築成のように見えます。
削り残した丘陵西側部分に明らかに古墳があった。これは綾塚陪墳ではなく西側にある二又池西古墳群中の1基のようです。動物の掘った跡がありましたが結構深い、念の為写真に撮ってみると石室の一部が写っていました、やはり古墳でした。その側にもう1基、低墳丘がありました、このようなのも以前見ていた二又池西古墳群で見ています。
(2012年)
径41m、高8mの大型円墳で丘陵麓の斜面をカットして構築している。南側に石室が開口、巨石を使った複室構造の石室で全長19.4mと全国でも有数の規模です。羨道前面がかなり破壊されていますがそれでも入り口部分は見上げるほどの大きさです。前室、後室の玄門も巨大な袖石を立ていて天井も大変高い。玄室には家形石棺があるが灯籠があり祭られているようで中には入れない。橘塚を含めこの地域に全国有数の石室墳が2基もあるのは当時は重要な地域だったのだろうか。現在はすっかり閑静な地域になっている。国史跡。