東山古墳群
山梨県甲府市(旧中道町)2000年2月訪問
【甲斐風土記の丘】
考古博物館を中心に曽根丘陵一帯を公園として整備
風土記の丘案内図

銚子塚古墳
前方後円墳、TL167,R85,RH7,FW63,FH7、4C後半
位置:35°35′18″N 138°34′53″E
県内最大の前方後円墳

墳丘はきれいに整備されている

前方部から後円部

丘斜面からの眺め

小平沢古墳からの眺め、前方部側に丸山塚古墳

丸山塚古墳
円墳、R67,H11
銚子塚前方部側にあり県内最大級の円墳

後方の丘に大丸塚古墳がある

丘斜面からの眺め

左遠方に銚子塚古墳

大丸山古墳
前方後円墳、TL99,R49,FW34
上下2重構造の竪穴石室を持つ、博物館の屋根越しにシルエットが見える

かんかん塚古墳
円墳、R26、5C後半
竪穴式石室
銚子塚古墳の後継者の墓か

左奥は16世紀の塚、両者には千年以上の時代差がある

石清水遺跡
方形周溝墓群

東山北遺跡2号
最大級の方形周溝墓

(見学記)
町役場北東、曽根丘陵北側麓にある古墳群で一帯が甲斐風土記の丘として整備され県立考古博物館もあります。
博物館西側に古墳広場がありその西端に県下最大の前方後円墳銚子塚古墳があります。全長167m、後円部径85m、前方部幅63m、後円部高7m、前方部高7m4C後半の古墳で堂々たる墳丘が整備されています。その東側にあるのが丸山塚古墳、これも整備されていて径67m、高11m円墳もこれくらい大きいとさすがに迫力がある。両者とも竪穴石室を有し墳頂に位置が示されています。共に国史跡。更に東側にあるのが径26mの円墳かんかん塚古墳、野面積みの竪穴石室を有する5C後半の古墳で馬具などが出土しています。これが銚子塚の子孫の墓なのでしょうか、それにしても随分小さくなった物です。これを最後にこの地域では目立った古墳が造られなくなります。そのすぐ側にさかづき塚がありますがこちらは16Cの供養塚と言うことです。相並んで立っているが実に千年以上の時代差があります。この南側にも岩清水遺跡があり墳丘墓を思わせるのが3基復元されていますがこちらは一切説明なし(弥生終末期の方形周溝墓とのこと、それにしては円形の墳丘が復元されている)。博物館の入り口前に立つと建物越しに大丸塚古墳の側面が見える(はずだ)。全長99m、後円部径47m、高7mの前方後円墳で古墳群の中では最初に出現した古墳のようです。最大の特徴は二重の石室を持つと言うことです。下に箱式石棺を造り(ここから2体の遺骨が出土)その上に副葬品を納めた竪穴石室を設けています。現物は埋め戻されていますが館内に模型があります。それにしても死者はどのようにして葬られたのだろうか、まさか下を造って死者を葬った後上を造るとは思えないし、小口部を開けていてここから納めたのだろうか。古墳広場から丘の上に登っていく散策路があります。ここから銚子塚や丸山塚を上から眺めることが出来ます。大型古墳を上(といっても斜めだが)から眺めることが出来るのは飛行機にでも乗らない限り滅多に出来ないので貴重な体験になります。やはり前方後円墳は上から眺めてこそその形がよく分かる。丘陵上には120基からなる上の平方形周溝墓群(埋め戻して保存、植え込みで場所を表示)や同じく周溝墓の東山北遺跡(2号が復元)などがありこの丘は早くからの墳墓地域だったことを示しています。
【甲斐風土記の丘】
考古博物館を中心に曽根丘陵一帯を公園として整備
風土記の丘案内図

銚子塚古墳
前方後円墳、TL167,R85,RH7,FW63,FH7、4C後半
位置:35°35′18″N 138°34′53″E
県内最大の前方後円墳

墳丘はきれいに整備されている

前方部から後円部

丘斜面からの眺め

小平沢古墳からの眺め、前方部側に丸山塚古墳

丸山塚古墳
円墳、R67,H11
銚子塚前方部側にあり県内最大級の円墳

後方の丘に大丸塚古墳がある

丘斜面からの眺め

左遠方に銚子塚古墳

大丸山古墳
前方後円墳、TL99,R49,FW34
上下2重構造の竪穴石室を持つ、博物館の屋根越しにシルエットが見える

かんかん塚古墳
円墳、R26、5C後半
竪穴式石室
銚子塚古墳の後継者の墓か

左奥は16世紀の塚、両者には千年以上の時代差がある

石清水遺跡
方形周溝墓群

東山北遺跡2号
最大級の方形周溝墓

(見学記)
町役場北東、曽根丘陵北側麓にある古墳群で一帯が甲斐風土記の丘として整備され県立考古博物館もあります。
博物館西側に古墳広場がありその西端に県下最大の前方後円墳銚子塚古墳があります。全長167m、後円部径85m、前方部幅63m、後円部高7m、前方部高7m4C後半の古墳で堂々たる墳丘が整備されています。その東側にあるのが丸山塚古墳、これも整備されていて径67m、高11m円墳もこれくらい大きいとさすがに迫力がある。両者とも竪穴石室を有し墳頂に位置が示されています。共に国史跡。更に東側にあるのが径26mの円墳かんかん塚古墳、野面積みの竪穴石室を有する5C後半の古墳で馬具などが出土しています。これが銚子塚の子孫の墓なのでしょうか、それにしても随分小さくなった物です。これを最後にこの地域では目立った古墳が造られなくなります。そのすぐ側にさかづき塚がありますがこちらは16Cの供養塚と言うことです。相並んで立っているが実に千年以上の時代差があります。この南側にも岩清水遺跡があり墳丘墓を思わせるのが3基復元されていますがこちらは一切説明なし(弥生終末期の方形周溝墓とのこと、それにしては円形の墳丘が復元されている)。博物館の入り口前に立つと建物越しに大丸塚古墳の側面が見える(はずだ)。全長99m、後円部径47m、高7mの前方後円墳で古墳群の中では最初に出現した古墳のようです。最大の特徴は二重の石室を持つと言うことです。下に箱式石棺を造り(ここから2体の遺骨が出土)その上に副葬品を納めた竪穴石室を設けています。現物は埋め戻されていますが館内に模型があります。それにしても死者はどのようにして葬られたのだろうか、まさか下を造って死者を葬った後上を造るとは思えないし、小口部を開けていてここから納めたのだろうか。古墳広場から丘の上に登っていく散策路があります。ここから銚子塚や丸山塚を上から眺めることが出来ます。大型古墳を上(といっても斜めだが)から眺めることが出来るのは飛行機にでも乗らない限り滅多に出来ないので貴重な体験になります。やはり前方後円墳は上から眺めてこそその形がよく分かる。丘陵上には120基からなる上の平方形周溝墓群(埋め戻して保存、植え込みで場所を表示)や同じく周溝墓の東山北遺跡(2号が復元)などがありこの丘は早くからの墳墓地域だったことを示しています。