福丸古墳群(仮称南群)
福岡県行橋市 2006年1月訪問、2008年2012年再訪
確認だけで40基以上全て横穴石室墳、1,3号以外番号仮称
便宜的に1.3号、南群、中央群、東群、西群に分ける
<南群>
南1
石室正面、羨道は殆ど壊失

玄室左側はすっかり露出、石材にかなりヒビが入っている

玄室内部、奥壁や側壁基部に巨石が据えられている、天井石にも大きなヒビ

奥から外、両袖式

南2
かなり露出した石室

石室正面、前が広がっているようだ

開口部から内部

中型石材を積み上げた玄室

奥から外、両袖式

南3
石室殆ど露出、前部かなり破壊

石室横から

石室内部、入れないことはないのだが

三段積み奥壁

南4
割とよく残る墳丘、上部で石室露出

石室正面、なまこ餅のような天井石が塞ぐ

開口部横から

開口部から見た内部

三段積み奥壁、上下が大型で中段が小形と変わっている

狭い天井

奥から外、両袖か片袖か

南5
複室石室
墳丘正面、羨道部はかなり崩壊

開口部、前室玄門のようだ

前室、左側がかなり崩壊

巨石奥壁、左右の側壁も巨石、奥壁が平行四辺形で石室が傾いているように見える

奥壁(縦位置)

1枚石の天井石、これだけ材質が違う

奥から外

右袖石は埋め込まれているようだ

前室奥から、左右の幅はあまりないようだ

南6
石室正面

玄室

奥壁前の石、他の石室にも同様のがあった

奥から外、両袖式

南7
墳丘正面

開口部

玄室

奥から外、片袖式、左右で大分積み方が違う

南8
良好に残る墳丘

石室正面

羨道

鏡石を据えた奥壁

ドーム式の天井部

奥から外、両袖式

羨道、奥から

南9
墳丘は残るが石材露出

横から、天井石露出

南10
墳丘正面、前部はかなり崩壊

殆ど埋まった開口部

内部は割と残っているがかなり歪んでいるようだ

南11
石室露出、天井石崩壊

左側が奥壁のようだ

南12
高まりが残るが石室露出

天井石1枚のみ残存

幅の割に背の高い奥壁

南13
石室すっかり露出

天井石落下、右が奥壁、石材は割と大きいようだ

(見学記)は福丸古墳群にて
確認だけで40基以上全て横穴石室墳、1,3号以外番号仮称
便宜的に1.3号、南群、中央群、東群、西群に分ける
<南群>
南1
石室正面、羨道は殆ど壊失

玄室左側はすっかり露出、石材にかなりヒビが入っている

玄室内部、奥壁や側壁基部に巨石が据えられている、天井石にも大きなヒビ

奥から外、両袖式

南2
かなり露出した石室

石室正面、前が広がっているようだ

開口部から内部

中型石材を積み上げた玄室

奥から外、両袖式

南3
石室殆ど露出、前部かなり破壊

石室横から

石室内部、入れないことはないのだが

三段積み奥壁

南4
割とよく残る墳丘、上部で石室露出

石室正面、なまこ餅のような天井石が塞ぐ

開口部横から

開口部から見た内部

三段積み奥壁、上下が大型で中段が小形と変わっている

狭い天井

奥から外、両袖か片袖か

南5
複室石室
墳丘正面、羨道部はかなり崩壊

開口部、前室玄門のようだ

前室、左側がかなり崩壊

巨石奥壁、左右の側壁も巨石、奥壁が平行四辺形で石室が傾いているように見える

奥壁(縦位置)

1枚石の天井石、これだけ材質が違う

奥から外

右袖石は埋め込まれているようだ

前室奥から、左右の幅はあまりないようだ

南6
石室正面

玄室

奥壁前の石、他の石室にも同様のがあった

奥から外、両袖式

南7
墳丘正面

開口部

玄室

奥から外、片袖式、左右で大分積み方が違う

南8
良好に残る墳丘

石室正面

羨道

鏡石を据えた奥壁

ドーム式の天井部

奥から外、両袖式

羨道、奥から

南9
墳丘は残るが石材露出

横から、天井石露出

南10
墳丘正面、前部はかなり崩壊

殆ど埋まった開口部

内部は割と残っているがかなり歪んでいるようだ

南11
石室露出、天井石崩壊

左側が奥壁のようだ

南12
高まりが残るが石室露出

天井石1枚のみ残存

幅の割に背の高い奥壁

南13
石室すっかり露出

天井石落下、右が奥壁、石材は割と大きいようだ

(見学記)は福丸古墳群にて