丑殿古墳
大分県大分市 2001年5月訪問、16年2月再訪
円墳、6C末
横穴式石室、全長6.5m、玄室長2.5,幅2.5,高2.1m
刳抜式家形石棺 長2.3、幅1m
位置:33°12′50″N 131°34′12″E
(2016年)
公民館背後に石室がある

入り口に大きな案内標柱、でも道は狭く車で入ってえらい目にあった

羨道天井を失った石室、側壁背後の石は当時の物なんでしょうか

石室正面、左右の側壁は当時のままのようだ

羨道奥は鉄骨で補強

巨大な家形石棺、入れないので望遠で撮影、01年と比べると土砂が流入している

(2001年)
石室入り口、丘陵麓斜面に立地

石棺

石棺蓋石、四角い縄掛け突起が4個付く

玄室奥壁

奥から見た玄門

(見学記)
(2016年)
大分市賀来、ここも序での再訪、上片面公民館背後に開口しています。柵があり中には入れませんが奥に石棺が見えています。公民館に入る手前の道路に案内板がありますがつい車で入って行ったら止める場所がなくそのまま通り過ぎたけど道が凄く狭くて冷や汗をかきました。結局そのまま進んで元の県道に戻りました。案内板のある場所から先の県道も狭くなっているのでその手前で車を止めて見学したほうがよさそうです。県史跡。
(2001年)
蓬莱山古墳から元の道に戻り南下、踏切の手前で右に曲がり200m程行くと案内板がある。そこから小道に入っていくと公民館の前に説明板があり公民館裏に古墳がある。墳丘ははっきりしないが南側に石室が開口全長約6m、玄室長2.5,幅2.5,高2.1mの両袖式で刳抜式家形石棺がある。蓋石が一部割られているがほぼ完存、四角い縄掛け突起が付き身よりやや大きい。長さが2.3mあり奥壁に接するように置かれていて玄門から入れるとこの位置に納まりこれ以上動かせないようだ。なお「日本の古代遺跡(大分)」P161や説明板の写真は裏焼きになっている。県史跡。
円墳、6C末
横穴式石室、全長6.5m、玄室長2.5,幅2.5,高2.1m
刳抜式家形石棺 長2.3、幅1m
位置:33°12′50″N 131°34′12″E
(2016年)
公民館背後に石室がある

入り口に大きな案内標柱、でも道は狭く車で入ってえらい目にあった

羨道天井を失った石室、側壁背後の石は当時の物なんでしょうか

石室正面、左右の側壁は当時のままのようだ

羨道奥は鉄骨で補強

巨大な家形石棺、入れないので望遠で撮影、01年と比べると土砂が流入している

(2001年)
石室入り口、丘陵麓斜面に立地

石棺

石棺蓋石、四角い縄掛け突起が4個付く

玄室奥壁

奥から見た玄門

(見学記)
(2016年)
大分市賀来、ここも序での再訪、上片面公民館背後に開口しています。柵があり中には入れませんが奥に石棺が見えています。公民館に入る手前の道路に案内板がありますがつい車で入って行ったら止める場所がなくそのまま通り過ぎたけど道が凄く狭くて冷や汗をかきました。結局そのまま進んで元の県道に戻りました。案内板のある場所から先の県道も狭くなっているのでその手前で車を止めて見学したほうがよさそうです。県史跡。
(2001年)
蓬莱山古墳から元の道に戻り南下、踏切の手前で右に曲がり200m程行くと案内板がある。そこから小道に入っていくと公民館の前に説明板があり公民館裏に古墳がある。墳丘ははっきりしないが南側に石室が開口全長約6m、玄室長2.5,幅2.5,高2.1mの両袖式で刳抜式家形石棺がある。蓋石が一部割られているがほぼ完存、四角い縄掛け突起が付き身よりやや大きい。長さが2.3mあり奥壁に接するように置かれていて玄門から入れるとこの位置に納まりこれ以上動かせないようだ。なお「日本の古代遺跡(大分)」P161や説明板の写真は裏焼きになっている。県史跡。