祇園原古墳群

宮崎県新富町 2001年5月訪問、17年2月再訪

前方後円墳14,方墳1,円墳138以上

A支群南
A支群北
(南、北は便宜的区分)
B支群
C支群
2001年
(クリックでジャンプ)


(2017年)
(順不同)

分布図:説明板より、一部加筆


48号(弥五郎塚古墳)
前方後円墳、TL90,R52,RH8,FW46,FH8.2
位置:32°05′45″N 131°25′49″E (日本測地系)
    32.09929082 131.42790927(世界測地系)
群中最大の前方後円墳、A群一番南側に位置する


横から、前方頂部平坦


周溝を巡らしていたようです


西側がやや低くなる緩傾斜地


その4
48号西側に数基の円墳


反対側から


その5
後方に48号


50号
その4_1の右側の古墳、上に標柱があるので番号がわかった


52号
前方後円墳、TL55,R38,RH7,FW30,FH7
位置:32°05′50″N 131°25′46″E (日本測地系)

    32.10067957 131.42707594(世界測地系)
特に特徴のない前方後円墳ですが


横から見ると後円部頂きが平坦、前方部と高さがあまり変わらない、なのでスタイルが悪く感じる


前方部はやや発達しているようだ


52号北側の円墳、右奥56号


56号(水神塚古墳)
前方後円墳、TL49,R22,FH6,FW30,FH4
位置:32°05′53″N 131°25′45″E (日本測地系)
    32.10151282 131.42679815(世界測地系)
前方部が大きく発達


南東側から


周りを芝生張り中


南側円墳上から


北西から、半球状の後円部と三角形の前方部


見れば見るほど特異な墳形、遠方丘上に47号


116号
56号西側、56号後円部より大きいかも、遠方にも大きな円墳


58号(百足塚古墳)
前方後円墳、TL77,R35,RH5,FW45,FH6
位置:32°06′00″N 131°25′48″E (日本測地系)
    32.10345709 131.42763132(世界測地系)
発掘整備された、墳丘自体は元のまま


埴輪を復元、後円部正面辺りに横穴石室がある(埋戻し)


周溝が巡りくびれ部に造出がある


丘側にも周溝、造出はない


西側から


北側から


北西側からの遠望、手前に62、63号、墳丘越し遠方に47号


59号とのツーショット


62、63号
_1:58号後円部外堤側に並ぶ、右63、左62号、共に周溝が巡り埴輪が立っていた


209号
_1:58号前方部上側、発掘復元


59号
前方後円墳、TL68,R38,RH5.6,FW40,FH6.6
位置:32°05′56″N 131°25′46″E (日本測地系)
    32.10234608 131.42707587(世界測地系)
上位段丘面上に位置する


段丘面ギリギリに立地(この2枚は天気が良くなった午後に再度撮影)


緩傾斜地に立地


段丘面上からみた墳丘


前方部から後円部


後円部から前方部


段丘側に周溝、殆ど土取り跡だろうな、円墳その1がある


(59号からの眺め)
直下に58号、奥に56、52、48号、前方後円墳を見るのに最高の眺め


68号、奥に67号


48号遠望、斑に焼かれているのが残念


その1
後円部側にある


47号(機織塚古墳)
前方後円墳、TL51,R25,FW30
位置:32°05′52″N 131°25′59″E (日本測地系)
    32.10123511 131.43068671(世界測地系)
上位段丘面、傾斜地に立地、前方部は右側


前方部が大きく発達


前方部から後円部、あまり丸く見えない


後円部から前方部


下の段丘面からの遠望


(47号からの眺め)
58号


52号、手前に2基の円墳


その2
47号近く、分布図には載っていない、上位段丘面上では一番大きそう



68号
前方後円墳、TL57,R30,FW49
位置:32°06′01″N 131°25′44″E (日本測地系)
    32.10373482 131.42568704(世界測地系)
58号北側、前方部発掘中


何となく柔らかそうなフォルム


前方部隅から後円部


北西側から、前方部は全般に南向きだが47、56、58号は東向き、そして前方部が発達している


67号
前方後円墳
位置:32°06′02″N 131°25′41″E (日本測地系)
    32.10401258 131.42568703(世界測地系)
68号すぐ東側、前方部側から


後円部に比べて前方部が小さい、でも端が高くなり格好はいい


後円部側から


65号
前方後円墳
位置:32°06′00″N 131°25′40″E (日本測地系)
    32.10345707 131.4254093(世界測地系)
67号側だが前方部は逆に北向き


西側から


南西側から


前方部から後円部


後円部から前方部


114号
65号すぐ南、左遠方に56号


反対側から、後方に65号


その3
114号から


その7
114号から


64号
周りに古墳がなくポツンと存在


(A群北)
92号(大久保塚古墳)
前方後円墳、TL84,R47,RH6,FW46,FH5
位置:32°06′10″N 131°25′38″E (日本測地系)
    32.10623459 131.42485369(世界測地系)
南端にある48号と同規模


前方部隅から、緩斜面に立地


上位段丘面から


西側から、非常にスタイルがいい


(上位段丘面円墳群)
小円墳が点在、もう適当に見て廻る


75号、取り敢えず番号がわかった1基


75号から南側、_1の反対側からの眺め


(A群北端)
188号
割と大きな墳丘、その割に背は高くない


林の向こうに前方後円墳の187号がある


189号
畑の中にポツン


上に標柱があるがもう登るのが面倒で


190号
やはり大きさの割に背が低い、奥にも墳丘が見えている


191号
190号から、その奥に187号、左側に円墳群


やはり規模の割に低い墳丘


191号から見た円墳群


187号
前方後円墳
位置:32°06′09″N 131°25′30″E (日本測地系)
    32.10595682 131.42263169(世界測地系)
柄鏡式の古いタイプ、円墳も古いタイプのが多いようだ


低い墳丘、後円部の規模は188や191号より小さい


後円部側から、奥に191,190号、後方林の中に前方後円墳がもう1基あるようだ


後円部から前方部


(B群)
群のど真ん中を道路が通過、旧道なのでもう殆ど車は通りませんが


106号
この辺りでは一番大きそうな円墳


反対側から


(106号からの眺め)
南側、3基の古墳


道路反対側、墳丘が大きく削られる、右遠方に129号等


遠くに58,59号、手前にも円墳群、この場所はやや高くなっている


107号
低平な墳丘


113号(霧島塚古墳)
前方後円墳
位置:32°05′51″N 131°25′17″E (日本測地系)
    32.10095724 131.41902102(世界測地系)
B群唯一の前方後円墳、藪で近寄れず


古墳
分布図には載っていないが多分古墳


129号
106号南方、この辺りも十数基ある


僅かに高くなった地形を利用、遠方に58,59号


(129号からの眺め)
52号、丘の上に47号


119号
この辺りは低平な墳丘が多い


119号から129号方面、4基見えている、分布図程にはなかったような


(C群)
138号
方墳
位置:32°05′35″N 131°25′15″E (日本測地系)
    32.0965132 131.41846568(世界測地系)
群中唯一の方墳、あまり方形には見えない


近寄ってみると裾が直線状になっているかな


その8
もう適当に撮る


その9
C群唯一の前方後円墳か、敷地奥の方にあるので流石に突入できず


155号
群全体としても一番高い場所辺り


(155号からの眺め)
南西側


北側、奥に見えているのが140号


北東側、周囲が削られ低平な墳丘が多い


140号
円墳
位置:32°05′34″N 131°25′18″E (日本測地系)
    32.09623546 131.41929897(世界測地系)
周囲が低平な墳丘が多い中で一際異彩を放っている


群全体としても最大クラスの円墳かも


(155号からの眺め)
東側、奥は谷になっている


南側、中央やや左が155号


南西の1基




(2001年)
47号(機織塚古墳)
前方部が発達


48号(弥吾郎塚古墳)
群中最大


52号


56号(水神塚古墳)
前方部の発達した非常に美しい墳形


百足塚から


58号(百足塚古墳)
発掘中、形象埴輪が大量出土


59号から、奥に48,52,56号が見えている


59号
一段上の段丘上に立地


68号


92号(大久保塚古墳)




(見学記)
(2017年)
新富町新田、前回はまだ整備前で59号(百足塚)周辺の目に入る前方後円墳をメインに撮りましたが百足塚の整備が終わり説明板を設置、それによるとかなり広い範囲に分布しているようなのでここも足を使って探し回りました。68号で発掘が行われていてプレハブの事務所がありそこで資料を貰いました。それによるとA、B、C群に別れているようですが大半はA群、特に前方後円墳はA群に集中、B、C群は1基づつです。ここも一部を除いて野焼きが行われ黒くなっていました。まずは上位段丘面端に立地している前方後円墳の59号に行く。宮崎県の古墳は基本的に上に上がらないようにしているのですがここはさすがに上がらせてもらいました。ほんと端っこ、下から見られるのを意識しているようです。台地側には周溝も残っています。台地上にも幾つかの円墳がありますが状態は良くない。南東側のやはり上位段丘面に前方後円墳の47号(機織塚)があります。ここは段丘面上というより斜面になっていて今にも転がり落ちそう、やはり下から見られるのを意識しているようです。前方部は台地側を向いていてよく開いた後期タイプです。百足塚の南側に前方後円墳の56号(水神塚)、52号、48号(弥吾郎塚)と並びますが前方部の向きはバラバラ。水神塚は半球形の後円部に発達した前方部とこの古墳群の中では一番のお気に入り。すぐ西側に円墳がありますが後円部だけ比べたら円墳の方が大きいようだ。弥吾郎塚は群中最大の前方後円墳、僅かに傾斜面に立地しているので丘側に周溝と低い外堤が見えています。百足塚の北側に前方後円墳の68号、これも前方部がやや発達している。西側にある前方後円墳の67,65号は前回見逃しているな。更に北側にある92号(大久保塚)は弥吾郎塚とほぼ同規模ですが全体がほっそりした印象を受けます。県道を挟んだ西側に古墳が密集していますがその中の157号が柄鏡式の前方後円墳です。形式からして群中最古の前方後円墳でしょうか。でも周囲にはこの後円部より規模の大きい円墳があったりします。更に西側にも前方後円墳があるようですが藪の中で接近できず。県道を更に南下するとBグループがありますが小円墳ばかりで面白味なし、その中で西に突き出た尾根状地形に構築された前方後円墳の霧島塚がありますが藪状態で突入困難、もし前方後円墳がこれしかなかったら無理してでも突っ込んだでしょうけどね。更に南下するとCグループがあります。道路西側の民家に挟まれた大きな墳丘が138号、群中唯一の方墳のようですがあまり方形には見えません。。この敷地内に前方後円墳があるようですが入れず。道路東側にも古墳が密集、その中でも一際大きいのが140号ですが真っ黒けなのが残念。百足塚を中心に公園として整備されるようですが今はまだ駐車場が整備されているだけでした。宮崎県は全般にそうだけどここも墳丘の残りが良い。特に前方後円墳の残りがよく古墳ファン特に前方後円墳ファンなら絶対行くべし、日本中の古墳の中でも前方後円墳を見るには最高のビューポイントです。

(2001年)
遺跡としての登録名は新田原古墳群だが現在各支群は独立して考えられ祇園原地区のはこの名で呼ばれている。前方後円墳14,方墳1,円墳138基、他に周溝だけ確認された円墳が36基あり規模の大きな古墳群で更に最近横穴古墳も発見されている(円墳群がのっている斜面の下に開口していた)。更にここも4グループに分かれているが北東側のグループに大型の前方後円墳が集中している。柄鏡型はなく前方部の発達した後期型が多い。どれも形よく保存されていてため息が出そう。平成10年から58号百足塚で発掘が行われていて周溝や大量の形象埴輪が出土している。宮崎県で埴輪が確認されている古墳は僅かに32基、その中で形象埴輪が出ているのは10基のみ。横穴石室があるそうだが盗掘を受けているらしいとのこと。外見上はとてもそのようには見えないが。ちょうど草刈りを行っていて専門家の方と話をしている内に発掘報告書を貰った、ラッキー。すぐ西側に56号水神塚古墳がある。まん丸い後円部、きゅっと締まったくびれ部、末広がりで三角形とも言って前方部と非常に美しい姿をしている。まるで復元したような墳丘で(他も対外はそうだが)今回一番のお気に入り。すぐ北側には1段段丘上にある59号がある。ここからは下位段丘上にある古墳群が一望できる。見学される方はここがお勧めです。

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