秋津古墳群
兵庫県加東市(旧東条町)2002年4月訪問、2005年5月再訪
2号
横穴式石室
位置:34°55′57″N 135°04′56″E (日本測地系)
34.93572271 135.07944672(世界測地系)
石室入り口、前は急斜面となっている

羨道

玄室、2号とほぼ同規模

奥から外、両袖式

3号
横穴式石室
位置:34°55′58″N 135°04′52″E (日本測地系)
34.93600051 135.07833582(世界測地系)
秋津富士山頂に立地

石室正面

羨道、少し埋まっていて狭い

玄室、長4m程、山頂にあるとは思えないほどの大きさ

奥から外、片袖式

おまけ:3号から見た東条湖

5号
位置:34°55′47″N 135°05′03″E (日本測地系)
34.93294506 135.08139077(世界測地系
石室正面、墳丘は殆ど流失、羨道も壊失

細長い玄室、物置があるのが残念

奥から外

6号
崩壊寸前の石室、1号のすぐ側にある

玄室、奥壁崩壊、1号と違い巨石を使った背の高い玄室

奥から外、赤い色が残っている

(見学記)
(2002年)
地名しか分らなかったけれど、とにかく行ってみたがさすがにさっぱり分らない。仕方なく畑で仕事をしている人に聞いてみたらラッキーなことにこの方が以前行ったことがある上に地形図を読むことが出来て詳しく教えて貰った。道を聞いただけでは多分行けなかっただろう。場所はかなり山の上、すっかり別荘地として開発されていた一番上辺りの溜池堤防を渡って林の中にはいると2基の石室墳があった。共に石室がかなり露出、1基は羨道がかなり破壊されているが玄室は完存、奥行のある細長い玄室です。残念なことに内部に物置が出来ている、簡単な構造でも写真撮影には随分邪魔なんだよね。側に別荘が出来ているがまだ住民はいないようなので前からあったのだろうか。すぐ側にはもう1基の石室がある。こちらは巨石を使った背の高い玄室で構造が大きく異なる。羨道は破壊、玄室も奥壁上部が崩れていて全体も崩壊寸前です。13基からなる古墳群だが2基を見つけただけでも満足して早々退散しました。
(2005年)
前回訪問時に秋津富士山頂に石室(秋津3号)があるのは聞いていたのですが、山頂だからたいしたことはないだろうと思って行かなかった(時間もなかったし場所もよく分からなかったし)。でも以外と大きな石室のようなので再度挑戦してみました。秋津富士の場所が分からないのでまず町役場に行って聞いてきました(一応観光名所になっているようだ)。詳しく教えて貰いパンフなども貰ってきたがそれでも周りが別荘地として開発されているため道が入り組んでいて非常に分かりづらい。とにかく上へ上へ行けばいいと言うことでなんとか登山口までたどり着くことが出来ました。山頂はここから歩いて5分ほど。山頂をめいっぱい利用して作られた墳丘は結構大きかった。西向きに開口している石室も良好に残っています。羨道は少し埋まって狭いけど中に入ってみるとちょうど測量中でさすがに驚いたみたい。聞いてみると測量し始めてから一週間ほどたつが山頂まで来たのは二組、石室に入ってきたのは初めてだそうな。普通そうだろうな。ちょうど昼食のため下に下りていくというのでその間にゆっくり写真を撮らせて貰いました(測量の為はった紐が踏み荒らされないか心配していたけどそんなことはしませんってば)。玄室長は4m程、山頂とは思えないほどの大きな石室です。秋津富士と言うくらいだから周囲はかなり急な斜面でかろうじて北側が尾根になっていて石材を運ぶとしたらここからしかないだろうけどそれにしても苦労しただろうな。山頂からの景観は素晴らしく晴れていれば鳴門大橋まで見えるそうな。登山口手前のピークに2号墳があり石室が開口、3号と同じくらいの規模ですが3号が片袖式なのに対してこちらは両袖式です。
2号
横穴式石室
位置:34°55′57″N 135°04′56″E (日本測地系)
34.93572271 135.07944672(世界測地系)
石室入り口、前は急斜面となっている

羨道

玄室、2号とほぼ同規模

奥から外、両袖式

3号
横穴式石室
位置:34°55′58″N 135°04′52″E (日本測地系)
34.93600051 135.07833582(世界測地系)
秋津富士山頂に立地

石室正面

羨道、少し埋まっていて狭い

玄室、長4m程、山頂にあるとは思えないほどの大きさ

奥から外、片袖式

おまけ:3号から見た東条湖

5号
位置:34°55′47″N 135°05′03″E (日本測地系)
34.93294506 135.08139077(世界測地系
石室正面、墳丘は殆ど流失、羨道も壊失

細長い玄室、物置があるのが残念

奥から外

6号
崩壊寸前の石室、1号のすぐ側にある

玄室、奥壁崩壊、1号と違い巨石を使った背の高い玄室

奥から外、赤い色が残っている

(見学記)
(2002年)
地名しか分らなかったけれど、とにかく行ってみたがさすがにさっぱり分らない。仕方なく畑で仕事をしている人に聞いてみたらラッキーなことにこの方が以前行ったことがある上に地形図を読むことが出来て詳しく教えて貰った。道を聞いただけでは多分行けなかっただろう。場所はかなり山の上、すっかり別荘地として開発されていた一番上辺りの溜池堤防を渡って林の中にはいると2基の石室墳があった。共に石室がかなり露出、1基は羨道がかなり破壊されているが玄室は完存、奥行のある細長い玄室です。残念なことに内部に物置が出来ている、簡単な構造でも写真撮影には随分邪魔なんだよね。側に別荘が出来ているがまだ住民はいないようなので前からあったのだろうか。すぐ側にはもう1基の石室がある。こちらは巨石を使った背の高い玄室で構造が大きく異なる。羨道は破壊、玄室も奥壁上部が崩れていて全体も崩壊寸前です。13基からなる古墳群だが2基を見つけただけでも満足して早々退散しました。
(2005年)
前回訪問時に秋津富士山頂に石室(秋津3号)があるのは聞いていたのですが、山頂だからたいしたことはないだろうと思って行かなかった(時間もなかったし場所もよく分からなかったし)。でも以外と大きな石室のようなので再度挑戦してみました。秋津富士の場所が分からないのでまず町役場に行って聞いてきました(一応観光名所になっているようだ)。詳しく教えて貰いパンフなども貰ってきたがそれでも周りが別荘地として開発されているため道が入り組んでいて非常に分かりづらい。とにかく上へ上へ行けばいいと言うことでなんとか登山口までたどり着くことが出来ました。山頂はここから歩いて5分ほど。山頂をめいっぱい利用して作られた墳丘は結構大きかった。西向きに開口している石室も良好に残っています。羨道は少し埋まって狭いけど中に入ってみるとちょうど測量中でさすがに驚いたみたい。聞いてみると測量し始めてから一週間ほどたつが山頂まで来たのは二組、石室に入ってきたのは初めてだそうな。普通そうだろうな。ちょうど昼食のため下に下りていくというのでその間にゆっくり写真を撮らせて貰いました(測量の為はった紐が踏み荒らされないか心配していたけどそんなことはしませんってば)。玄室長は4m程、山頂とは思えないほどの大きな石室です。秋津富士と言うくらいだから周囲はかなり急な斜面でかろうじて北側が尾根になっていて石材を運ぶとしたらここからしかないだろうけどそれにしても苦労しただろうな。山頂からの景観は素晴らしく晴れていれば鳴門大橋まで見えるそうな。登山口手前のピークに2号墳があり石室が開口、3号と同じくらいの規模ですが3号が片袖式なのに対してこちらは両袖式です。