青龍寺裏山古墳群
兵庫県三田市 2002年4月訪問
円墳2基
1号
円墳、終末期
横穴式石室
位置:34°54′47″N 135°12′44″E (日本測地系)
34.9162825 135.2094352(世界測地系)
墳丘、左後方に2号、広い墓地の中にある

石室開口部

石室、床面に磚が敷かれているが埋め戻されている、現地説明会の写真は大和國古墳墓取調室から

(見学記)
お寺の墓地の中にあるというのですぐ分るだろうと思っていって見たら墓地の広いこと、探すのに一苦労しました。尾根筋からやや南に下った終末期の古墳に相応しい立地です。3月に現地説明会があり石室にはシートが掛っていましたがちょうど市の職員が片づけに来たので石室を見ることが出来ました、ラッキー。石室は人一人がやっと入れる程度の大きさ、最大の特徴である磚(実際は土編だが標準の漢字にはない)を敷いた床面は埋め戻されていましたが石室を見ることが出来ただけでも良しとしなくては。すぐ東側により小型の2号墳がありこちらは横口式石槨墳ですがすっかり埋め戻されていました。
円墳2基
1号
円墳、終末期
横穴式石室
位置:34°54′47″N 135°12′44″E (日本測地系)
34.9162825 135.2094352(世界測地系)
墳丘、左後方に2号、広い墓地の中にある

石室開口部

石室、床面に磚が敷かれているが埋め戻されている、現地説明会の写真は大和國古墳墓取調室から

(見学記)
お寺の墓地の中にあるというのですぐ分るだろうと思っていって見たら墓地の広いこと、探すのに一苦労しました。尾根筋からやや南に下った終末期の古墳に相応しい立地です。3月に現地説明会があり石室にはシートが掛っていましたがちょうど市の職員が片づけに来たので石室を見ることが出来ました、ラッキー。石室は人一人がやっと入れる程度の大きさ、最大の特徴である磚(実際は土編だが標準の漢字にはない)を敷いた床面は埋め戻されていましたが石室を見ることが出来ただけでも良しとしなくては。すぐ東側により小型の2号墳がありこちらは横口式石槨墳ですがすっかり埋め戻されていました。