定古墳群
岡山県真庭市(旧北房町)1996年4月訪問、1999年2006年2012年再訪
方墳3、他2基
定東古墳
方墳、L20、7C
横穴式石室、全長11.6m、玄室長5.4,高2.6m
位置:34°56′19″N 133°38′02″E (日本測地系)
34.9418085 133.63124473(世界測地系)
丘陵麓に築かれた墳丘(99年)

墳丘正面(〃)西古墳と併せて前方後円墳と思われていた

石室正面(〃)

12年現在の正面

羨道から玄室

大型玄室、4基の陶棺が出土

巨石を下部に据えた奥壁、上に平石を重ねる

奥から外、両袖?

墳丘図(説明板より)

定西古墳
方墳、7C
横穴式石室、全長11m、玄室長4.8,幅1.9m
東古墳_2と同じアングル(06年)

開口部、羨道前部は埋没

羨道から玄室

良好に残る玄室、陶棺6基出土

奥壁は基本2段積み

奥から外、右片袖式

定北古墳
方墳、L20、7C
横穴式石室
東古墳から少し上った所

尾根上にある墳丘(99年)

石室正面

羨道から

玄室、東や西古墳より新しそう

二段積み、切石のような奥壁、まるで埋め込まれたような白い巨礫が印象的

奥から外、両袖式

出土陶棺(資料館蔵)

〃

4号
横穴式石室
数年前発掘され以前見えなかった、石組みなどが見えていた、前面が直線で方墳は間違いないようです

横から、2段の石組みが見える

石室も埋め戻さずそのまま

小形の石室、右が奥壁のように見えますがそちらが墳丘下方

石室後方から

5号
横穴式石室
位置:34°56′24″N 133°38′01″E (日本測地系)
34.94319718 133.63096696(世界測地系)
斜面に僅かに高まりが残る

天井石が1枚残存露出

上部が屋根型に加工

石室正面

礫を含んだ石材

小形の玄室、以前は奥壁が見えませんでしたが土砂を取り除いて清掃したようです

奥から外、左側が歪んできている

(見学記)
大谷古墳から川を挟んだ東側に有り、案内板もでています。丘の麓近くにある5基からなる古墳群です。麓にあるのが定古墳、かっては前方後円墳と思われていましたが発掘の結果、2基の連接した方墳と判明しました。正式名称は定東塚・西塚古墳となっていて東塚、定東塚等は略称です。東が大きく西が小さく、今見た感じでも前方後円墳のようです。南側に石室が開口、共に割石を使った右片袖式で角礫岩を使っているため表面がごつごつしています。規模は東石室で全長11.6m、玄室長5.4m、高2.6m、西石室で全長11m、玄室長4.8m、高1.9mで墳丘の大きさ割には似たような規模ですが石の罪方は東の方がやや丁寧な感じ、また共に奥より玄門部の方が幅が広くなっています。内部は泥で埋まっていましたが発掘で掃除されて見学しやすい(何故か入り口部分は泥が残されている)。東で4基、西で6基の陶棺が確認され他に馬具や太刀、金モールなどが出土しています。7C前半。町史跡(4月10日に土地公有化)。
100mほど登っていくと定北古墳があります。斜面をカットして造られた方墳で21×25mの規模で3重の列石が巡らされているそうですが現状ではそれも見えず墳丘も円墳のようです。南側に両袖式石室が開口、やはり角礫岩を使っていますが奥壁下部に白い巨礫がはまり込んでいてまるで巨大な目に睨み付けられているよう、盗掘者もちょっとびっくりしたんではないでしょうか。ここも4基の陶棺と1基の木棺跡が検出されています。7C中。さらに登っていくと4号墳がありますがわずかな高まりと石材の一部が見えている程度であまり目立たない。さらに左手に登っていくと5号墳がある(前回は楽に行けたのだが今回は倒木に阻まれてたどり着けず)。小型の石室が露出しているが天井石が屋根形に加工されているのが興味深い。町役場の近くのふるさとセンター内に資料館があり町内の出土物が展示されている。地方のこの手の施設は中を見てがっかりすりことも多いがここはお勧め、専従者がいないため展示が雑然としているが特に定北古墳から出土した陶棺が目を引く。4基もあり、ほぼ完形、間近に見ることができてすばらしい。以前近つ飛鳥博物館にも貸し出していたそうだし、今年は専門家の方が大挙来るそうな。水、金曜日しか開館しませんが役場の方に頼めば開けてくれるようです(私の体験、場所を聞くために役場を訪ねたらしっかり案内してもらった)。ただ大谷古墳のパンフ(B5版、表紙を含めてわずか8頁)が400円もしたのには驚いた。ま、入館料は只だし、いろいろ資料をもらったからいいけどね。
方墳3、他2基
定東古墳
方墳、L20、7C
横穴式石室、全長11.6m、玄室長5.4,高2.6m
位置:34°56′19″N 133°38′02″E (日本測地系)
34.9418085 133.63124473(世界測地系)
丘陵麓に築かれた墳丘(99年)

墳丘正面(〃)西古墳と併せて前方後円墳と思われていた

石室正面(〃)

12年現在の正面

羨道から玄室

大型玄室、4基の陶棺が出土

巨石を下部に据えた奥壁、上に平石を重ねる

奥から外、両袖?

墳丘図(説明板より)

定西古墳
方墳、7C
横穴式石室、全長11m、玄室長4.8,幅1.9m
東古墳_2と同じアングル(06年)

開口部、羨道前部は埋没

羨道から玄室

良好に残る玄室、陶棺6基出土

奥壁は基本2段積み

奥から外、右片袖式

定北古墳
方墳、L20、7C
横穴式石室
東古墳から少し上った所

尾根上にある墳丘(99年)

石室正面

羨道から

玄室、東や西古墳より新しそう

二段積み、切石のような奥壁、まるで埋め込まれたような白い巨礫が印象的

奥から外、両袖式

出土陶棺(資料館蔵)

〃

4号
横穴式石室
数年前発掘され以前見えなかった、石組みなどが見えていた、前面が直線で方墳は間違いないようです

横から、2段の石組みが見える

石室も埋め戻さずそのまま

小形の石室、右が奥壁のように見えますがそちらが墳丘下方

石室後方から

5号
横穴式石室
位置:34°56′24″N 133°38′01″E (日本測地系)
34.94319718 133.63096696(世界測地系)
斜面に僅かに高まりが残る

天井石が1枚残存露出

上部が屋根型に加工

石室正面

礫を含んだ石材

小形の玄室、以前は奥壁が見えませんでしたが土砂を取り除いて清掃したようです

奥から外、左側が歪んできている

(見学記)
大谷古墳から川を挟んだ東側に有り、案内板もでています。丘の麓近くにある5基からなる古墳群です。麓にあるのが定古墳、かっては前方後円墳と思われていましたが発掘の結果、2基の連接した方墳と判明しました。正式名称は定東塚・西塚古墳となっていて東塚、定東塚等は略称です。東が大きく西が小さく、今見た感じでも前方後円墳のようです。南側に石室が開口、共に割石を使った右片袖式で角礫岩を使っているため表面がごつごつしています。規模は東石室で全長11.6m、玄室長5.4m、高2.6m、西石室で全長11m、玄室長4.8m、高1.9mで墳丘の大きさ割には似たような規模ですが石の罪方は東の方がやや丁寧な感じ、また共に奥より玄門部の方が幅が広くなっています。内部は泥で埋まっていましたが発掘で掃除されて見学しやすい(何故か入り口部分は泥が残されている)。東で4基、西で6基の陶棺が確認され他に馬具や太刀、金モールなどが出土しています。7C前半。町史跡(4月10日に土地公有化)。
100mほど登っていくと定北古墳があります。斜面をカットして造られた方墳で21×25mの規模で3重の列石が巡らされているそうですが現状ではそれも見えず墳丘も円墳のようです。南側に両袖式石室が開口、やはり角礫岩を使っていますが奥壁下部に白い巨礫がはまり込んでいてまるで巨大な目に睨み付けられているよう、盗掘者もちょっとびっくりしたんではないでしょうか。ここも4基の陶棺と1基の木棺跡が検出されています。7C中。さらに登っていくと4号墳がありますがわずかな高まりと石材の一部が見えている程度であまり目立たない。さらに左手に登っていくと5号墳がある(前回は楽に行けたのだが今回は倒木に阻まれてたどり着けず)。小型の石室が露出しているが天井石が屋根形に加工されているのが興味深い。町役場の近くのふるさとセンター内に資料館があり町内の出土物が展示されている。地方のこの手の施設は中を見てがっかりすりことも多いがここはお勧め、専従者がいないため展示が雑然としているが特に定北古墳から出土した陶棺が目を引く。4基もあり、ほぼ完形、間近に見ることができてすばらしい。以前近つ飛鳥博物館にも貸し出していたそうだし、今年は専門家の方が大挙来るそうな。水、金曜日しか開館しませんが役場の方に頼めば開けてくれるようです(私の体験、場所を聞くために役場を訪ねたらしっかり案内してもらった)。ただ大谷古墳のパンフ(B5版、表紙を含めてわずか8頁)が400円もしたのには驚いた。ま、入館料は只だし、いろいろ資料をもらったからいいけどね。